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2017/09/24

40歳。

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40歳。
この年齢で思い浮かべるのは、不惑だろう。
安室奈美恵さんが、来年、40歳で引退をするという。
今は、こっちの方を思い浮かべる人が多いかもしれない。

高校生の時に、漢文の授業で
「中国では親が死んだ時、公職から離れて2年間喪に服すのだ」
という話を先生がいていたのを聞いて、
(なんとまあ、長い間親のことを悲しんでいるんだねえ)
と思ったものだ。

しかし、それは多分違う。
親死ぬ年齢というのは40歳前後だったのだろう。
その時に、公職を離れて2年間喪に服すというのは、おそらく、今までの自分の人生を見つめ直し、これから残りの人生を考えるための時間、もう一度勉強し直すための時間として許されていた時間なのではないかと思う。

私の40歳前後といえば、大学院への派遣がある。主に自分のことだけを考えていればいい1年間は、とても幸せな1年間であった。今まで何をして来て、これから何をしようかと考えることができた時間であった。

安室さんは、40歳で引退という道を選んだ。
就職して25年。教師で言えば、50歳前後だと考えていい。
かつては、この辺りで管理職への道を選んだ人が増えた。
多分、担任としての仕事を引退し、管理職として新しく生き直すことを選んだのだと思う。

私は、結果的にこの辺りで中学校教員を引退し、大学の教員になった。そして、その後、父親にもなれた。
40歳は不惑。
いや、まだまだ惑うと思うのだが、一旦ここで仕切り直すこと。
それが、不惑、惑わずということなのではないかと思うのだ。

ユーミンのように引退せずに走り続ける人もいる。
(ちなみにユーミンの40歳前後の名曲は、「真夏の夜の夢」だと思う)
だが、40歳前後で、25年間働き続けて、一度、引退するというのは、
実は古来より、あることなのではないかと思うのだ。

若いうちには全くわからなかったことだが、
生きて行くと、色々とわかる。

2017/09/09

考えながらメモを取り続ける

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私は大学の授業でも、研修の講義でも、板書はほとんどしない。するのは、人名や同音異義語ぐらいである。あとは、しない。

板書の文字ははっきり言って、私は上手い。だけど、板書はしない。ナンバリング、ラベリングを駆使しながら話すだけだ。

ま、研修の講座の時は全体の見取り図としてハンドアウトぐらいは配るけど、それでもA4で一枚程度だ。

分かりやすいことと、理解するということは、別だと考えている。
私が分かりやすく説明すると、分かった気になる。分かった気になってもらわないとダメなのだろうが、実は分かった気になったものの、実は何も残っていないという方が怖い。

分かるというのは、その人のレディネスに左右されるところが大きい。興味関心や既習事項の違いによって、教えたことの分かり方は、人それぞれだと思うのだ。

私の講義は情報量が多いとも言われる。そして、メモを仕切れないことがあるとも言われる。しかし、これもそれでもメモをしている人もいるし、余裕で考えている人もいる。小・中学生じゃないんだから、そこを待つ必要はそんなにないと思っている。

必要な情報を書き抜くスキルを育ててこなかったわけだし、書けなかったということは、書かなかったわけでその人にはまだ必要のない情報だったのではないかなあと私は思うのだ。

また、人は自分に必要なもの、興味のあるもの、自分のサイズにあったものとやや大きめぐらいのものしか入ってこないと思う。そして、書きながら、考えながら自分のサイズを大きくしていくしかない。

子供相手の授業と青年や大人相手の授業は違う部分がかなりあると思っている。そのうちの一つが、この考えながらメモを取り続けるという部分だと考えている。しかし本当は、これは小中学校から身につけさせることなのだと考えている。

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