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2017/09/09

考えながらメモを取り続ける

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私は大学の授業でも、研修の講義でも、板書はほとんどしない。するのは、人名や同音異義語ぐらいである。あとは、しない。

板書の文字ははっきり言って、私は上手い。だけど、板書はしない。ナンバリング、ラベリングを駆使しながら話すだけだ。

ま、研修の講座の時は全体の見取り図としてハンドアウトぐらいは配るけど、それでもA4で一枚程度だ。

分かりやすいことと、理解するということは、別だと考えている。
私が分かりやすく説明すると、分かった気になる。分かった気になってもらわないとダメなのだろうが、実は分かった気になったものの、実は何も残っていないという方が怖い。

分かるというのは、その人のレディネスに左右されるところが大きい。興味関心や既習事項の違いによって、教えたことの分かり方は、人それぞれだと思うのだ。

私の講義は情報量が多いとも言われる。そして、メモを仕切れないことがあるとも言われる。しかし、これもそれでもメモをしている人もいるし、余裕で考えている人もいる。小・中学生じゃないんだから、そこを待つ必要はそんなにないと思っている。

必要な情報を書き抜くスキルを育ててこなかったわけだし、書けなかったということは、書かなかったわけでその人にはまだ必要のない情報だったのではないかなあと私は思うのだ。

また、人は自分に必要なもの、興味のあるもの、自分のサイズにあったものとやや大きめぐらいのものしか入ってこないと思う。そして、書きながら、考えながら自分のサイズを大きくしていくしかない。

子供相手の授業と青年や大人相手の授業は違う部分がかなりあると思っている。そのうちの一つが、この考えながらメモを取り続けるという部分だと考えている。しかし本当は、これは小中学校から身につけさせることなのだと考えている。

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