国宝展、第4期は、書道の世界ではとても素晴らしいものが揃っている
佐理も行成も道風も、王羲之をしっかりと学んでいたことが本当によくわかる。同じ部屋に三人がいるから、真筆を見比べ放題。幸せ。 王羲之を勉強してない人には、どこがどのように王羲之なのかはわからないだろうが、王羲之を学んでいる私には、よくわかる。勉強しておいて良かった。やはり、「知識はものを見る眼鏡である」(有田和正)。 その三蹟が学んだ王羲之を、今も学べると言うのは実に面白い、楽しい。 ◇ 小野道風は「三体白氏詩巻」が出てた。三体と言うのは楷書行書草書のことを言う。楷書から書き始められた文字は、途中で行書に変わり、最後は草書で作品として締めくくられる。一つの作品に、三つの字体が出てくるのだ。それでいて、バランスが取れて美しいのだ。 もうね、たまらないですよ。 初めてこの作品を見たのは、東京の国立美術館だったと思う。書道展で見たのだが、その時に打ちのめされたのよく覚えている。 楷書から文字を追いかける。そして行書に変わり、草書で終わったとき、私は会ったこともないし見たことも無いが、そこに小野道風を見た気がしたのた。そして、彼は振り向きざまに 「どうよ」 と私に自慢げに問いかけたのだ。 その姿を見てしまったのだ。 全くあり得ないことなのだが、見えてしまったんだから、仕方がない。 ◇ それから、その姿が頭から離れない。 で、今回もまたそいつは私の目の前に現れた(^^)。 だけど今回は彼の思うままにをさせなかった。 楷書は目で追いかけ、行書は思いで追いかけた。だけど草書は一緒に指で追いかけた。 ガラス越しにある作品のその線のリズムを、私は自分の指で同じように追いかけた。太ももの上に指を置き、手首を変えながら角度を変えながらそのリズムを追いかけた。 勝てるわけなんかないのに、でも、 (このやろう) と思いながら追いかけた。これが実に快感。なんだろう合奏をしてるような感覚であった。いや、思い切って言ってしまえば、私と道風と王羲之の3人で書いている感じ。そう、あのパコデルシア、アルディメオラ、ジョンマクラフリンの”Mediterranean Sundance” (だけど、この作品、何か似てるなぁ) と思って作品を最初から追いかけて見てみた。わかった。ジャズの音楽に似ているなぁと言うことなんだよ。しかもその曲名がわかった。Keith Jarrettの「ケルンコンサート」である。 しっかりと格調高いフレーズから始まり、カッチっと構成をしながら進んで行って、途中から崩れつつも、最後は発散して終わる。発散していてもきちんとその中に入っている。あーTHE KÖLN CONCERT だと思った。 妄想が次から次へと生まれる。 だから本物見るのは楽しい。 ◇ その後、他の展示物も鑑賞をした。根津美術館にある燕子花図の屏風。金色になっている下地の上に見事な緑の葉っぱと青系の花の作品だ。これはやっぱり見ておきたかったのでじっくりと見た。 し、か、し、だ。 どうしても、もう一度小野道風を見たくなってしまった。閉館時間まであと1時間はある。そこで踵を返して、ヘッドセットを返却して、もう一度展示されている3階に向かった。 閉館1時間前になったら書道の展示するには、嬉しいことにというか残念なことにというか人影は少なくなっていた。書道作品はそんなに人気がないのかなあとちょっと悲しくなった。でも、見る側の私としては非常に嬉しい。 こんなことはもうできないだろうと思ったので、人が少なかったのを幸いに、佐理と、道風 の作品はすべてなぞってみた。最初から最後まで自分の指をお腹に当てて、または太ももに当てて、目の前にある真筆の筆触を感じながら、筆の返し方を感じながら、書くときのリズムを感じながら。一文字一文字全て私の体に擦ってみた。 ちょー、気持ち良かった。 今までこんな風にして書道の作品を鑑賞した事は無い。でもものすごくよかった。目で追いかけるだけとは全く違った。 なんというか、作品が体の中に染み込んでくる。びっくりした。 次回は、筆を持ってこようと思った。それを自分の手のひらの上で動かしながら、作品を鑑賞したいと思った。 閉館ギリギリまで粘って、堪能しました。 ◇ 書道を学んでいて良かった。
国宝展、第4期は、書道の世界ではとても素晴らしいものが揃っている。いわゆる三蹟が全部そろっている。その中で私がやっぱり好きなのは小野道風だ。佐理もいいし行成もいいだけどもやっぱり道風だ。
https://www.youtube.com/watch?v=DvVmqnNBo9w
をやっているような。ああすごい思い切りだなあ、この表現(^^)。
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