30年経って、それは間違っていなかったことがわかった
塾の講師の時は、漢字テストの裏に書いて紹介し、中学校の教師の時は授業開始の最初の時間に黒板に書いていた。
アンソロジーノートというものを一冊用意させて、生徒に書きうつさせていた。
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私が考えていたのは、いい言葉を体に埋め込んであげたいということ。私の説明や解説や説教でも言葉は使う。しかし、当たり前だが、それよりも素晴らしい言葉が世の中にはたくさんある。
私の言葉でやれば、私は自己満足するけど、それよりもいい言葉を紹介することの方が大事だと思っていた。
いい言葉が体に入っていれば、それは醗酵したり芽を出したりして、やがて子供達の人生を支えたり、励ましたりしてくれることになるだろうと思っていた。詩短歌俳句、気に入ったフレーズ、文章、名言を5分から10分かけて黒板に書いて書き写させていた。時には、1時間書くだけの授業もしていた。
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昨日の最初に担任した子供達との同窓会で、30年経って、それは間違っていなかったことがわかった。
「先生、ネロって詩、今でも覚えています。『すべての新しいことを知るために そして すべての僕の質問に自ら答えるため』にですよね」
「先生、『ふらんすへ行きたしと思へどもふらんすはあまりに遠し』ですよね」
「先生、『春さん、タコのぶつ切りをくれえ、それも塩でくれえ』ですよね」
いやあ、みんなよく覚えている。
そう、覚えてくれている。
それが彼ら彼女らの人生を支える何かになっていたようで、とても嬉しかった。
今は、自分の修行として毎日少しずつ書き写している。言葉を自分の中に入れること。入っていなければ、出ていかない。そして、人間の体は、入れておけば、不思議なことに色々なものになって出てくる。
年越しそばを食べながら、昨日のことを嬉しく思い出していた。
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