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2018/04/20

間違い探しを活用した書写指導法

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昨日の国語科教育法1の授業の後に、学生が相談に来た。
「先生、私どうしても自分の名前がうまく書けません。どうしたらいいでしょうか」
とのこと。
『だから授業中に言ったでしょ。書けない人がいたら手を上げて、書き方を教えてくださいと言えばいいと言ったのに』
たかだか25人ぐらいの授業なので、手はあげればあげられると思うのだが、まぁ自分の字が汚いの衆目に晒すことが耐えられなかったのであろう。許す。

『では、あなたの名前を黒板に書いてみなさい』
と言って書かせた。
その後、私はその字を見た後、その横にその名前を書いた。
『さて、私が書いたあなたの名前と、あなたが書いた自分名前では、どこが、どのように違いますか?』
このように発問した。

授業が終わったにもかかわらず、まだ10数名の学生がその様子を見ている。だったら授業で聞いても変わらなかったなぁ(^^)と思いながらも、話を進める。

学生は
「ここは何か、こう、シュッとしていて、それでまとまっていて、かっこいいです」
のように説明する。
『いや、全然説明なっていません。どの字のどこがどのように違うかを教えてください』
「えー」
『じゃあ、この川と言う字だとどこが違う?』
「えー、、、僕が書いたのは、最初の先が右に曲がってますけども先生の書いたのは左曲がっています」
『そうだね。その通り。他には』
このようなことを繰り返しながら4つの漢字について1カ所ずつどこが違うかを指摘させて、私の字との違いを確認させた。

その後、そこに残っていたのが書道コースの学生たちに
『あなた方は、私が書いた字と彼が書いた字ではどこが違うかわかるよね?』
その後、その学生たちは、
「川と言う字で言えば、彼が書いたものは三画とも書き始めが揃っていますけど、先生が書いたものは真ん中が凹んでいるように書かれています」
ということを指摘した。

『そうだね、そこは違うね他には?』
このようにして書道コースの学生さんたちに質問を重ねていく。そして私の解説を加えていく。
『川と言う事は、3本の線でできているが、長さが違う。1番短いのが真ん中の線。1番長いのは? そうです右側です。2番目は一画目です。 そして曲がっているのは一画目だけです。それも左側に曲がっています。いいですか?』

この後、その学生には私が書いたものを写真に収めさせた。
そして、私の書いた字の上をチョークで擦らせた。
さらにその後、
『擦った字を見ながら、その横に自分で黒板に書きなさい』
と言う指示を出した。

本人は書いてる途中に
「難しい。うまく書けない」
と言いながらも書いていた。
川の中を書き終えたところで、
『なかなかいい感じだよ、右側にあるあなたの最初の名前を見てごらん』
と言ったところ、その学生は自分が最初に書いた字を見て
「えー」
と叫んでいた。まるで違う。見ている書道コースの学生たちも、驚きの声を上げながら見ている。書き終えた彼の字は、最初のものと全く別物になっている。

「こうやって指導するんだよ」
と学生たちに話をする。ここまで10分ぐらい。
かつて学生たちは
「池田マジックだ!」
と言ってくれたので、今回は自分で
『これが、池田マジックだ(^^)』
と言ってみた。

でも、これ、マジックでもなんでもない。

私は、これを、「間違い探しを活用した書写指導法」と呼んでいる。
私も中学校の教師の最初の頃は、子供に名前を書かせて、その子供が書いた作品の上に手を加えたり、手を加えなくても子供の書いた作品の横に、私が名前を書いて
「こう書くんだよ」
と指導していた。

しかしこのやり方では、うまくならない、なりにくい子供が何人かいることに気がついていった。

自分で書いた作品の上に先生が書き込みをする事は、子供からしてみると自分の作品に勝手に手が加えられるようなもので嫌な思いをする場合がある。何の事は無い私がそうだった。赤を入れられるのが私は、好きではなかった。赤で直してもらうのに抵抗のない生徒、または親しみを感じる生徒もいるが、これで嫌になる生徒もいるのは事実。だから
『赤で書いていい?』
と確認しながら書いていた。
実に面倒くさい(^^)。

次に、子供の書いた作品の横に書いて、子供の作品との違いを説明する方法。これは、一見良いようであるが、どうも彼らに説明が入って行く実感が乏しかった。上滑りになるのだ。原因は何かと考えていたのだが、私が出した仮説は、学習者の理解の容量を超えた説明を私がしていたのではないかと言うものであった。

指導者の私は知識や技術を多く持っている。それを学習者に与えるため、あれこれ説明するのだが、学習者の器以上のことを説明して、学習者が混乱しているのではないかと考えるようになったのだ。そうだとすれば、学習者が学習できるサイズの指示が必要になる。では、その学習者が学習できるサイズの学習量とはなんであろうか?と考えたわけである。

私の結論は、
『先生の書いた字と、あなたが書いた字では、どこが、どのように違う?』
と言う発問を出すことであった。
上記の例のように、字の苦手な学生はどこが違うのかが見えない。見えても説明ができない。書道コースの諸君は、同じ字を見ていても、違いが見えている。これは能力の差である。訓練されて身につけた能力の差である。この能力の差が見えかたを変えているのだ。そして、その見え方の差が、書き方の差に関係していると思われる。

私は高校二年生の一年間で音痴を直した。
自分ではうまいと思っていたのだが、録音して聞いてみるとずれているところが多い。
自分でうまく聞こえていたと言うのが、ポイントである。自分では、音があっているところだけを聞いて、
(うむ。私はうまい)
と思い込んでいた。だけど、録音してみるとずれている。事実を突きつけられるわけである。つまり、聞いていなかったのだ。
聞いていないから、ずれているところがわからなかったのだ。
録音して、どこがずれているのかを聞いて、直していった。
自分で聞いて、おかしなところを探して、直していった。
一年かかった。
かかったが、治った。

字も同じだと思っている。
どこがどのように違うのかを、自分で発見することから学習は始まる。
先生に指摘されて、ここが違うと言われても本人にはどうして違うのか、なぜ違うのかが理解できないことがある。だから、自分の分かる範囲で違いを発見し、それを治すように努力させる。この方法が効果を出すと考えているのだ。

分かると言うのは、分かったものと、分かっていないものに分けることができるとき、分かったとなる。
AとBとで、どこが違うのか、どこが間違っているのかを発見することろから、学びは始まると思っている。

「間違い探しを活用した書写指導法」
と言うのは、なかなかいい方法だと思っている。

*写真では、一番最初に書いたのが、右側。私が書いたのが左側。そこに学生がなぞり書きをしています。そして、最後に、真ん中に黄色で学生が書いています。右側と真ん中を比べてもらえれば、随分と違うのが分かると思います。

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