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2018/10/27

『7で一つの束になっているものは、何かあるかなあ?』  掛け算の指導

算数わからない族の池田が語ります。

先日の教育実習訪問指導を見ていて、わからないことがありました。
小学校2年生の掛け算の九九の覚え方についてです。
それまでに五の段から初めて、二、三、四、六の段を教えた後の話です。

学生さんは、教科書にある通りに、7個のクッキーが一つの束になっているものを黒板に貼って、その束がいくつあるのかと言うことで、7の段の説明をしていました。子供達は、素直に7つずつ増えることをノートにまとめて、7の段の理解をしていました。

私にはわかりません。
なんで、クッキーが7である必要性があるのかが、全くわかりません。
ところが、教科書を見ると、クッキーで教えた後に、カレンダーがあって1週間は7であると言うことを考えさせています。

(え、逆じゃん)

と思うわけです。

もし私が授業をするなら

『7で一つの束になっているものは、何かあるかなあ?』

と発問するでしょう。
いや、五の段、二の段からそうするでしょう。
いつでもどこでも必ず五の束になっているものを示します。そして、それがいくつあるのかを考えさせます。例えば、五円玉。五円玉が、3個あったら、いくらになりますか?とする。五円玉は分解できないから、五円が3つある。つまり5×3は15ということを考えさせると思うのです。

それをやってから
『では、2で束になるものは何かあるかなあ?』
と聞いて子供達に出させます。ま、さくらんぼとか出るかなあ。
『次は、3の束で考えるから何がある考えてきてね』
と宿題。

私は信号機のランプで考えました。娘に聞いたらクローバーと答えていました。なるほど、クローバーは基本的に3枚の葉っぱ。幸せの四葉はイレギュラーですから。

この辺りを事後指導で学生と一緒に考えました。

『6は何かある?』
と聞くと、
「6人乗りの車」
と答える。
これは、危険。
なぜなら、2人乗りの車も、6人乗りの車もあるから。
その数でなければならない、数の束を提示しなければならない。

また、子供達に考えさせる時も、その数の束でなければならないものを出した場合のみそれを認めて、他は、「違う」と切り離す授業展開ができないとダメになると思うのだ。

子供の生活の中にある、「1あたりの数」を子供自身が発見して、掛け算の概念を考えること。そういう授業が大事であって、子供の生活にとって必然性のない「クッキーが7つ」なんてやっても、混乱させるばかりだと、私は考えるのです。

そんなことを事後指導で語っていました。

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