『だめだこりゃ』(いかりや長介著 新潮文庫)
『だめだこりゃ』(いかりや長介著 新潮文庫)を読み終えた。
今頃?と言われるかもしれないが、今頃だ。買っておいたまま積ん読になり、埋蔵され、発掘されたので読むことにした。
この本は、いかりやさんの自伝だ。
◆
いかりや長介さんといえば、言わずと知れた「ザ・ドリフターズ」のリーダーである。「ザ・ドリフターズ」は、バンドである。いかりやさんはベーシストである。
https://www.youtube.com/watch?v=6uRfYrYJAW4
クレイジーキャッツの後釜として育てられたといかりやさんは書かれている。そして、自分たちは技術も才能もほとんどないとまで書いている。その「ザ・ドリフターズ」が、どのようにして、怪物番組「8時だよ全員集合」を引き受け、育てていったのかが書かれている。その前後が書かれている。
「8時だよ全員集合」で育った私には、とても興味深い本であった。
【余談】私が小学生の頃は、毎週土曜日「8時だよ全員集合」を見続けていた。土曜日だけは、これを見るために9時まで起きていてよかったのだ。いつもは8時には寝ていた。
そして
(世の中には、かわいそうな子供がたくさんいるんだなあ)
と思っていた。「8時だよ全員集合」は公会堂などでの生放送である。その会場にはたくさんの子供達がいる。しかし、私の感覚では夜の8時に子供達が出歩いているというのは考えられなかった。そこで私が思いついた理路は、
(ああ、この子たちは、親がいないので、かわいそうなのでドリフに呼ばれて、お客さんとして生で見ているんだなあ)
というものであった。小学校の高学年までこう思っていた。
◆
プロ野球やコント55号をなぎ倒した「8時だよ全員集合」は、「オレたちひょうきん族」に負け、いかりやさんはドリフターズとしては表舞台からさっていく。カトちゃんケンちゃんの時代になっていき、いかりやさんは、俳優としてもう一花を咲かせていくことになる。
一貫して書かれているのは、その場でどうしたら一番いいのかということを考えて実行しているいかりやさんの姿だ。
自分たちに才能がないのは、自分たちが一番よくわかる。
そしてそれなのに、表舞台に出てきている。ビートルズの前座をやるときの作戦の立て方、テレビに生放送で出演するときの作戦の立て方、俳優として生きていくときの学び方などなど。今ある我と我ら(ザ・ドリフターズ)を、どうやって活かしていくのかということに懸命になっている姿が浮かび上がってくる。
◆
「才能とは、努力した後に生まれるものに対して名付けられたものだ」と中野孝次さんも言われている。「なまじ才能があると、そこに埋もれて努力もせずに終わってしまう人が多い」ということも言われている。
いかりやさんの文章を読んでいると、中野孝次さんの言っているのはいかりやさんのことではないかと思えてしまう。
◆
このところ、人工知能やEdTechのことを勉強したり考えたりしている。だから、人間とはなんなのかを一方で勉強している。人間とは何なのかが私の中で定まらないまあ、人工知能、EdTech、教育のことを考えても、柱がぶれるような気がしているのだ。
そんな時に読めたこの一冊は、とてもエキサイティングな本であった。
« 『7で一つの束になっているものは、何かあるかなあ?』 掛け算の指導 | トップページ | 【模擬授業】 戦争が廊下の奥に立ってゐた »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント