奇跡のレッスン 書道編
奇跡のレッスン 2019年3月27日 190327
「書道編 書は身体がつくる/書くことは 人生と向き合うこと」
とてもいい番組だった。書道をやる人、文字を書くことに興味のある人にはたまらなくいい番組だったと思う。
レッスンをするのは、中国人書道家の熊峰さん。中国人ですが、日本に三年留学しかなも書ける書道家。この方が、広島は熊野筆で有名な熊野の中学生にレッスンをします。
基本的なレッスンの思想は、私と同じだった。嬉しい。
まずは、美しい文字とは何かを認識することから始めていた。技術に走るのではなく、美しい文字とは何なのかを観察させるのだ。そして、何がどのように美しいのかを言語化していく。番組ではそれをコーチがする場面もあれば、自分でさせる場面もあった。自分で書いた文字に、自分で朱を入れさせていた。これはとても大事なこと。自分がどこがどう違うのかと認知しないことには始まらないのだ。先生にいくら言われても、学習者に入らないことはたくさんある。だから、自分なのだ。
そして、その次に技術の指導となる。
「好きな字や得意な字には癖が出やすいものです」
「美の基準に基づいて子供の書いた文字のクセをそぎ落とす。そうすることで美しい漢字が浮かび上がってきます」
「まずは技術よりも、”美の観察力”を養うことが大事なのです」
「クセと個性は違います。だから、今日は字の法律を教えました」
と言う字の法律のことを、黒板には「字法」と書いてあり、そのあと「結構」と言う言葉を書いていました。
(ああああ、そうそう。そうなんだよ!)
と番組を見ながら、心の中で叫んでました。
◆
昨今の美文字ブームを見ていると、この結構(その漢字が持っている適切なバランス。明の李淳が八十四通りに分類したものが有名)を勉強せずに感覚だけで書いている美文字の先生がいます。書道家にもいます。結構を勉強しないで、美文字家だったり書道家だったりするのは、それはそれで逆にすごいとは思いますが、それは、その人の感覚で書いているだけでしょう。
だから、読みやすい文字を書けるように指導する基礎的なレッスンは厳しいんじゃないかなあと思うのです。なぜ、この字は美しいのかを言語化しなければレッスンはできませんし、言語化したものが本人の感覚ではなく、歴史の時間を経て残っている古典によって証明されている言葉で説明できることが必要になるからです。
美文字家のレッスンを見ると、ホワイトボードに美しく書くにはどうしたらいいのかなどのアドバイスは、正しいと思うものもあります。例えば、小指をホワイトボードに立てて滑りにくくして書くとか、一面で書かずに、ノートの見開きのように書くとかそう言うアドバイスは正しいと思います。しかし、文字そのものについては、結構を理解していないため、厳しいものがある場合が多くあります。
私が、結構に関してが常に言っているのは、
・文字の中心線はどこにあるのか
・偏と旁のバランスは考えているか
・その文字の全体的な外形は何なのか
この三つです。このことを指導しないと、結構は整いません。
当たり前ですが、今回のレッスンではそれを最初にしていました。そして、その先に、字体の違いによる表現の違い、さらに運筆という筆の動かし方の技術、点画という点の書き方(書道では点が一番難しいと言われています)などの技術を習得して、自分が表したい文字を書いていくことになります。
ここまでが番組の前半。
◆
そして、後半は西日本で起きた大水害のことに焦点を当てつつ、文字を書くとは何かという深いところに入って行きました。ここは本当にすごかった。
書く。
何かを伝えたくて書く。
話し言葉でも伝えられるかもしれないけど、ワープロでも伝えられるかもしれないけど、ペンでも伝えられるかもしれないけれども、筆を使って紙に、書く。
それは何なのかを中学校の書道部の子供達へのレッスンを通して、表していました。
いい番組でした。
« 読了 『上手な教え方の教科書 入門インストラクショナルデザイン』 | トップページ | なぜ、日本語は縦書きなのか »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント