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2019/04/30

その時、大事なのは、その違いを自分で見つけさせること

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このところ、SNSなどに文字を書いているのをアップしていることからだと思うが、会った人に自分の字を上手く書くためのミニレッスンを頼まれることが多くなった。

また、これが都合の良いことにいつでも万年筆を持っている私。どうぞと引き受ける(^^)。

やってみて改めて思うのは、文字の線の意味を知らない人たちが圧倒的ということだ。文字は結構と運筆が大事。文字全体のバランスと線の運び方である。

お習字をある程度やった人、または、字を教えるための勉強をした人はこの二つのことを理解している。だけど、当たり前だけどやったことのない人は、これが全く頭にない。

おそらく、今まで見てきた活字や他の人が書いてくれた自分の名前の字を頭に描いて、それを「お手本」にして書くのだが、それは結構と運筆を理解したものではないので、次の形、線の動きに意味がないのだ。または、知っている人からすると矛盾した動きになるのだ。

だから、レッスンの時にはまず、自分で自分の名前を一文字100円玉の大きさぐらいで書いてもらう。その次に、私が書いてみせる。

そして、その次に、


『どこが違うと思いますか?』


と発問するようにしている。

私は音痴だったが、音痴はなぜ音痴になるかといえば、自分の歌っている音を聞けていないからだという。だから、耳が聞こえない人でない限りは、音痴は治るというのだ。

私はそのことを知ってから、高校2年生の時に必死に自分の歌を録音して聞いて、音痴を直した。

文字が綺麗に書けない人は、綺麗な字と自分の字がどう違うのが見えていない人が多い。つまり、何がどう違うのかがわかっていないのだ。だから、直しようがない。

 

『ほら、ここが違うでしょ』


と私からやってしまうのはダメ。まず、その人の字に関する能力に基づいて、その人が認識できる範囲で発見させながら、わからせないとダメ。

そのあとヴィゴツキーのZPDではないが、


『そうですね。では、ここはどうですか?』


目の前にありながら見えていなかったものを、私の方で指摘して解説を加えていく。手助けをするのだ。

そうすると、頭の中に違いは残る。
あとは、その理解した内容をできるようにするために、トレーニングを重ねて小脳に、動かし方を刻みつけるということになる。

私が教師になった30年前はワープロが使えるとものすごく重宝されました。しかし、ワープロ、電子文字が当たり前になった時代だからこそ、手書きは重宝されます。価値は少数派に宿りますから。

今、そして、これからは手書きだと思います。書聖の王羲之のように「書けて」しまうソフトも開発されていますが、それでも手書きだと思います。

で、手書きの中で一番綺麗に書きたいのが、自分の名前でしょう。
どこぞでお会いしたら、ビール一杯飲みながら、お手伝いしましょう(^^)。

2019/04/28

それは「根雪」を作ることだ。

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「コツコツとがんばります」

と若者は言う。真面目な若者ほど言うような気がする。しかしコツコツ頑張ったところで、実はあまり成果は無い。正確に言うとコツコツする前に、やるべきことがあるのだ。

それは「根雪」を作ることだ。
パラパラと降った雪は積もらない。一気にどかっと降った後にパラパラと降る雪は積もる。根雪を作ることだ。

学生時代は授業の課題や、先生の指示でとにかく文字をたくさん書いた。冗談抜きで、書いている途中で鼻血が出る位集中して書いた。書いても書いてもうまくならず、それでも書いて書いて書いた。

小学校の1年生から書いていただけだから、書けないわけではなかった。しかし、私が書いていた文字は単にお習字の文字でしかなく、書道の文字ではなかった。だから書けないまま、なんとか書こうと思って書き続けていた。

ひらがな、特に「ひ」が最後まで書けなかった。もがいてもがいて書いたものを、恩師の佐野光一先生のところに持っていってご指導を仰いだ。

「池田、こう書けばいいんだよ」
と先生が書かれたその「ひ」は、なんとも見事で、一瞬にして
(あーそうか)
と私の中にストンと落ち、その後書いてみたら何の事は無い、書けてしまったのだ。

多分、それは私が閾値に出会った瞬間なのだと思う。すっと成長したのをよく覚えている。その後書けるようになったのが嬉しくて、またずっと書き続けていた。気がついたら書いていた。

コツコツ続けると言うのは、この先のことである。根雪というのは、閾値に達するための積み重ねである。根雪ないままコツコツ続けるのは、自己満足で終わることになる場合がある。

大人になって趣味でやるなら、コツコツも良いが、若者は根雪を作ることに力を入れて注ぐことが大事だと私は思うのだ。

それは「根雪」を作ることだ。

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「コツコツとがんばります」

と若者は言う。真面目な若者ほど言うような気がする。しかしコツコツ頑張ったところで、実はあまり成果は無い。正確に言うとコツコツする前に、やるべきことがあるのだ。

それは「根雪」を作ることだ。
パラパラと降った雪は積もらない。一気にどかっと降った後にパラパラと降る雪は積もる。根雪を作ることだ。

学生時代は授業の課題や、先生の指示でとにかく文字をたくさん書いた。冗談抜きで、書いている途中で鼻血が出る位集中して書いた。書いても書いてもうまくならず、それでも書いて書いて書いた。

小学校の1年生から書いていただけだから、書けないわけではなかった。しかし、私が書いていた文字は単にお習字の文字でしかなく、書道の文字ではなかった。だから書けないまま、なんとか書こうと思って書き続けていた。

ひらがな、特に「ひ」が最後まで書けなかった。もがいてもがいて書いたものを、恩師の佐野光一先生のところに持っていってご指導を仰いだ。

「池田、こう書けばいいんだよ」
と先生が書かれたその「ひ」は、なんとも見事で、一瞬にして
(あーそうか)
と私の中にストンと落ち、その後書いてみたら何の事は無い、書けてしまったのだ。

多分、それは私が閾値に出会った瞬間なのだと思う。すっと成長したのをよく覚えている。その後書けるようになったのが嬉しくて、またずっと書き続けていた。気がついたら書いていた。

コツコツ続けると言うのは、この先のことである。根雪というのは、閾値に達するための積み重ねである。根雪ないままコツコツ続けるのは、自己満足で終わることになる場合がある。

大人になって趣味でやるなら、コツコツも良いが、若者は根雪を作ることに力を入れて注ぐことが大事だと私は思うのだ。

2019/04/25

教師の言葉は、重い

先日の一回生の授業で、
『教師の言葉は、重い。事実とは関係なしに、その言葉で語られたことが、事実になる』
という話をしていた。

その話をしながら、学生時代の恩師、吹野安先生のことを
思い出していた。


http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/…/2012/05/post-4f8c.html

http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/…/2006/10/post_af63.html

吹野先生の指示で、毎回板書をしていた。漢文概論の授業である。
その日にやる分の漢文を白文で板書するのが私の「仕事」。なんで私が? と思ってきくと、「うるさい。いいからやれ」との言葉。

単純に自分がやりたくないからではないかと思っていた。

ある日
「池田。お前の字には、何かある。字でいけ。字を磨け」
と言われた。
当時私は自分の字がうまいとは思わないけど、下手でもないとは思っていた。そこに、この言葉。

今日授業をしながら、板書をしながら、突然この言葉が蘇った。
授業中、ちょっとまずかった。

あれから30年、その時よりは頑張って書いていると思う。
先生に言われた

「池田。お前の字には、何かある。字でいけ。字を磨け」

という言葉は、私を支える言葉の一つになっている。

2019/04/12

父の「卒業証書」

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  昨日、父から電話があったというので、私も電話をした。

最初に母が出て、

 

「お父さんに代わるから」

 

と言われて、電話を待つ。すると

 

「もっしもしー♪」

 

とルパンの「ふーじこちゃーん」のような感じで出てくる父親(83)。

実は父は「卒業証書」をもらったというのだ。

それは、もう病院に来なくていいよという「卒業証書」である。

 

 

私の左耳がものすごく状態が悪かった時、そう、TBSの番組を収録していた時、実は、私の父が突発性難聴に襲われた。私は、あれこれ調べて手配をして父を最速で耳鼻科に送り込めたと思う。その結果、父の場合は、治った。

 

「なんでこんな風になってしまったのかなあ」

と耳が聞こえなくなった父は嘆いていた。

『一番いいタイミングでいい治療を受けられたから、かなり大丈夫だと思うよ』

と話していた。

 

 

iPhoneの向こうで「いやあ、修ありがとう。聞こえるよ」

と父親。母親も喜んでいる。

 

ともあれ、治ってよかった。

医者は、症例として記録させて欲しいとのこと。

83歳でこれだけ見事に治る例はなかなかないんだとのこと。

そりゃあそうだと思う。

 

今回うまくいったのは、

 

  1. 父から「耳が聞こえない」とすぐに電話があったこと。
  2. これが日曜日で私がすぐに電話に出られたこと。
  3. 休日診療の耳鼻科を東京消防庁で調べることができたこと。
  4. その病院が家から40分のところにあったこと。
  5. その病院の診療時間内に駆けつけることができたこと。

 

これらがとても大きかったと思う。

取りうる限りのベストの処置をすることができたと思う。

ま、それでも1/3しか完全には治らないのだが、やるだけやって治らなかったのと、やれなくてやらなくて治らなかったのでは、その後の心のあり方が違う。後悔を抱えて生きることになる。

 

 

息子は治らないが、父を治せたので、良かったとしよう。

父のあんなに嬉しい声は滅多に聞くことはできない(^^)。

 

2019/04/10

明日の教室 5/11 野口芳宏先生 俳句・教師教育

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久しぶりの明日の教室は、千葉から野口芳宏先生にお越しいただきます。野口先生は、現在も年間に100回ぐらいの講演を全国各地で行っていらっしゃいます。そのお忙しいところを縫ってきてくださることになりました。

今回は、三部の構成で行います。

第一部は、俳句の指導です。今、俳句作りはプレバトの人気コーナーとして、子供達にも広く受け入れられています。しかし、実際に授業で俳句を取り上げることになるとこれがなかなか難しい。そこで、俳句の作り方や鑑賞指導の仕方などについて講義をお願いいたしました。

第二部は、第一部を受けつつ、教師教育についてです。教師自身が向上的変容を目指そうとするとき、自分をどのように鍛えていけばいいのでしょうか。特に、若い時代にどうすればいいのでしょうか。正しい方向に適切な努力をすることが、成長には欠かせません。主に若い教師に向けてを、お願いしました。

第三部は、鼎談です。野口先生を囲んで、糸井先生と池田で今日の講座を振り返りながら深めたいと考えています。

なお、学生さんは参加費無料です。懇親会は、椥辻駅、山科駅近辺を考えていますが、参加者数が多い場合には大学の食堂も候補としてあります。

 

参加申し込みはこちらから。

お待ちしております。

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