教師の言葉は、重い
先日の一回生の授業で、
『教師の言葉は、重い。事実とは関係なしに、その言葉で語られたことが、事実になる』
という話をしていた。
その話をしながら、学生時代の恩師、吹野安先生のことを
思い出していた。
http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/…/2012/05/post-4f8c.html
http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/…/2006/10/post_af63.html
◆
吹野先生の指示で、毎回板書をしていた。漢文概論の授業である。
その日にやる分の漢文を白文で板書するのが私の「仕事」。なんで私が? と思ってきくと、「うるさい。いいからやれ」との言葉。
単純に自分がやりたくないからではないかと思っていた。
◆
ある日
「池田。お前の字には、何かある。字でいけ。字を磨け」
と言われた。
当時私は自分の字がうまいとは思わないけど、下手でもないとは思っていた。そこに、この言葉。
今日授業をしながら、板書をしながら、突然この言葉が蘇った。
授業中、ちょっとまずかった。
あれから30年、その時よりは頑張って書いていると思う。
先生に言われた
「池田。お前の字には、何かある。字でいけ。字を磨け」
という言葉は、私を支える言葉の一つになっている。
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