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2019/12/22

私は、なんだかとても懐かしくなった

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“Education is what remains after one has forgotten what one has learned in school.”
(教育とは、学校で学んだことを忘れてしまった後に残るものだ)
アインシュタイン博士の有名な言葉だ。
これは昨日の探究型学習の研究会でも引用されていた。

何を学んだかではなく、どのように学んだかが残る。つまり、身につけた知識ではなく、知識を身につけるためにどのようにやったかだと言うことだ。

参加していたメンバー、登壇していたメンバーには30代の教師が多いと感じた。私は、なんだかとても懐かしくなった。そう、全国教室ディベート連盟が発足した前後の、教室ディベート研究会を思い出していた。

あの時、毎月の一回は研究会をしていたと思う。女子聖学院中学校を会場にして研究会を行い、その後駒込の飲み屋に突入してさらに議論と冗談を交わす。それをずっと続けていたのは、当時30代の私たちだ。

私たちは、議論の文化を日本に根付かせたいと言うことで、中高生に議論の一つであるディベートを身につけさせるためにはどうしたらいいのかと、毎月集まっては研究を重ねていた。冗談でなく、一ヶ月参加しないと全く追いつけないスピードで実践と研究が往還しつつ進んでいった。
反駁ワークシートが生まれたのもここだし、マイクロディベートが生まれたのもここ。そして、私の修論になる「シナリオ方式のディベート、改良シナリオディベート」もここで学んだものが大きい。

私たちは、そこでディベートの指導方法を開発しようとしてあれこれやっていた。その結果、指導方法は開発できたとお思っている。しかし、その結果開発できたのはディベートの指導方法だけでなく、私の授業の指導力だったとも思う。つまり、ディベートの指導法の開発を通して、指導力そのものを鍛えていたことになる。もちろん、そこで出会った仲間たちも非常に大きな財産になっている。

昨日の探究型の研究会では、それを感じた。

一般化するつもりはないが、法則化にしてもネットワーク運動にしても、全生研にしても、全国教室ディベート連盟にしても、そこで仲間となんとかしようとしていた人たちは、そこで何かを学んでいるはずなのだが、学んだ何かよりも、学び方を身につけた方が大きく残るのではないだろうか。

一つだけ言えるのは、多分、その学習集団、研究集団にボスがいないことが大事だと言ういこと。その人の考えを忖度するような実践や研究があるようなところは、ダメになると思う。

そうではなく、それぞれが一つのテーマに向けて、自分の実践のフィールドを大事にしながら実践を重ね、発表していくような研究会だと、面白いことになるだろうなあと思ったのでありました。

昨日が第一回だと言うことだが、第二回も楽しみである。

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