2008/12/26

恐るべし。専門家

うーん、やっぱり一眼レフは面白い。

なんといっても被写界深度を設定できるのが、良い。
主張したい部分にピントを合わせて、それ以外はぼやかすことができる。コンパクトデジカメでもできなくはないが、一眼レフの方がはっきりとできる。

また、子どものいる場所にはあれこれおもちゃ等が転がっているが、全てにピントが合ってしまうとこれらも一緒に写ってしまう。背景をぼやかすことができると、この問題は解消する。

また、連写もいい。
「ながたま」をセットして、連写で被写体を追っていると、機関銃で獲物を撃っているような感覚になる。これが男の狩猟本能を刺激するんじゃないかなあと、農耕民族の私は思う。

昼ご飯を食べて出かけようと思ったら、雪。
昨日の天気予報で雪ということを聞いていたので、朝確認したら山がうっすらと化粧をしていた。奇麗である。

今日は電車で市内に向かう。眼鏡を作り直そうというのが目的だ。どうも右目が見えにくい。そこで新しいのを作り直そうと決めたのだ。

で、これがさすがの専門店であった。いままでは大手のチェーン店ばかりで作っていたのだが、全然違った。

たぶん、品質はそんなに違わないのだろうが、その取り扱いが全然違った。利き目のチェック、左右の顔の凹凸のチェックなどをしながら、フレームを調整して行く。

私は眼鏡をかけると、どういうわけか右側が上がってしまい、眉毛の上のラインがまっすぐにならない。
『私の右耳の位置は左よりも高いところにありませんか?』
と聞いてみた。鏡で見ると同じ位置に見えるのだが、それ以外に考えにくい。すると、意外な答えが返ってきた。
「お客さんは、右耳の横の骨が出ているんですよ。ここに引っかかりがあるんですね」
『え”〜』

眼鏡をかけてもう30年にもなろうというのに、そんなこと初めて知った。その出っ張りがあるので、右側が上に上がってしまうというのである。もちろん、きちんと調整をしてもらってまっすぐになった。

他にも文字を書くときに、紙を斜めにして書く人の理由とかあれこれを聞いた。うーん、恐るべし。専門家。

こうなれば、私の情報を出して、きちんと作ってもらう方が良い。
『大学の教員で、コンピュータと本。それから授業が主な仕事です』
ということを話して、レンズの度数や種類の調整をしてもらった。

具体的には今までのレンズの度数よりも落としてみた。その方が本を読んだり、ノート型のコンピュータの使用には良いとのことであった。

家に帰って眼鏡を変えてコンピュータの画面を見てみる。
うひゃあ、画面が広い。
見やすいなあ。
なんだ、こんなに見やすかったんだ。

恐るべし。専門家である。

写真は、眼鏡ができるまでぶらついた錦市場。
正月の準備の品が売られていましたねえ。
ですが、思ったよりも人は少なかったです。

Nishiki

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子どもの事実の中に私たちは

午前中は講座であった。
カーナビで確認し、講座開始に1時間余裕を持って家を出たのであったが
事故渋滞、道間違い、場所間違いとあって定時に遅れてしまった。
こんなの初めてだ。
申し訳ありませんでした。

今日の講座は『こんな時どう言い返す』の講座。生活指導主任が受講者ということで、あまり必要ないのではないかと思っていたが、帰り際にざっと感想文を拝見すると、特に若い先生方にはとても好評であった。

「うちの学校に来て校内研修をしてください」
「続きをまた受けたいです」
「他の講座もお願いします」

など全体の9割以上はこのような意見であった。
良かった良かった。

講座をしながらあれこれ考えていた。子どもを前にして「子どもは、こうでなければいけない」というスタイルから入る方と、子どもの事実を捉えて「子どもの事実からどう指導しようか」と考える方の二種類があるのだなあと。

言ってしまうと、前者は原理主義のように感じる。「正しい」原理原則があり、それ以外はダメというものである。確かに教育にはそのような一面がある。それを教えて行く必要はある。

しかし、「この正しさ」に従わない者は間違っている、というようにバサッと切ってしまえば問題が解決するかと言えば、しないのが教育であろう。

原理原則、さらには理論。これはとても大事。だが、子どもたちは原理原則の中だけに生きている訳ではない。むしろ、子どもの事実の中に私たちは、指導の糸口を見つけて行くことの方が多いのではないかと思う。

だから、うちの児童教育学科の演習では実践記録を子どもの事実に基づいて読んで行くレッスンしている。

また、大学院生のときにある先生が話していたことを思い出した。それは学びのストラテジーのある学生とない学生の差は、結構決定的であるということである。

簡単に言うと、素直に学ぶということ、目的を持って学ぶということなのだが、これができる人とできない人がいる。私の仲間には、両方ともできる人がいる。すごいなあと感嘆する。私は、前者は場合によってはオッケーで場合によってはダメ。後者はまあオッケーである。

ところが、どちらもダメと言う人もいる。自分だけが正しいとなってしまい、自分以外の何ものからか学ぼうということにならない人がいる。

教育実践書を読む時も、「ここがダメだな」というスタンスで読んで行く人と、「ここに学ぶべき点があるな」と言うスタンスで読んで行く人に分かれるのと同じだ。

後者のスタンスがある人は、きちんと批判をする。しかし、前者の人は、非難になることが多い。そして、非難だけして実践が弱い場合が多い。私が担当している学生は、そんな教師に育てたくはないと思う。

そんなことも考えながら、講座をしていた。

帰りに道ヨドバシカメラに立ち寄り、とうとう一眼レフを購入。
あれこれ悩んで考えて、一台を購入。

帰宅後早速娘を撮りまくる。
今までのカメラでは撮れなかった、表情や被写界深度を使った構図などが撮れる。
いやあ、可愛い。

年末年始のお楽しみが増えた。

写真は夜に上がった琵琶湖の花火。
手前のヨットにピントを合わせてみた。
これも今までは撮れなかったショットだ。

Photo

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2008/10/21

学級レクと電話について考える

本日の学級担任論は、学級レクについて。目的と対象に応じて、いくつかの学級レクを実際に体験してみる。

80人の大学生を相手に、治っていない体でレクを指導するのは、なかなか大変である。その表の目的や隠れた目的を明かしつつ、子どもたちを見て取り、指導するということはどういうことなのかを体験の中で理解させる。

学生の感想の一部である。

引用開始 ーーーーーーーーーー

今日の学級担任論はいろんなレクリエーションをしました。
 私は、小学校から今までレクに対するイメージは、
①楽しい
②息抜き
③授業じゃない
④授業一時間つぶれてラッキー
⑤先生も楽やし一石二鳥
というような感じを持っていました。しかし、今日の授業でレクは生徒と教師の関係作りが関わっていると感じたし、教師にとってもレクというのは重要なものなんだ、と感じました。

引用終了 ーーーーーーーーーー

学生諸君は、まさか、担任があんなことやこんなことを思いながらレクリエーションをしているとは、夢にも思っていなかったようである。

             ◆

ただ、単純に学級担任の先生は、たくさんレクリエーションを知っているのがいい。子どもたちが
「今度は何をして遊んでくれるのだろう」
とわくわくする先生ってのは、とても魅力的である。雨の日、雪の日、晴れの日。教室で、校庭で、体育館で。5分、15分、45分。さまざまなバージョンのレクリエーションを指導できるってのは、教師にとって大事なことだ。

ボランティアなどで彼らなりの教育の実践の場を持っている、本学の児童教育学科の学生たちである。是非、実際に今日自分が体験したレクリエーションを指導してみてほしい。

             ◆

授業後、小学校の修学旅行にボランティアで付いて行った学生が報告に来た。
「先生、本当に行って良かったです」
とのこと。

先生方が何を考えているのか、どう行動しているのかがよくわかったとのことである。

「先生方は、子どもたちが寝た後も打ち合わせで、ずっと子どもたちの話をされていました」
『面白いだろ、先生って。もう子どもの話なんかやめて、趣味の話とかすればいいのにしないで子どもの話だろ』
「はい」
『それが、先生ってことなんだねえ。良かったね、いい体験ができて』
「はい」

ご指導を頂いた先生がたに感謝申し上げます。

             ◆

午後からは、例によって事務仕事。うーむ、創造的な仕事をする時間がなかなかないぞ。だが、これをやらないことには創造的な仕事にはたどり着けないからなあ。

久しぶりのコーヒーを飲んで、集中して取り組むことにする。

             ◆

あと一息で終わると言うところで総務課から内線電話。
「山田様からお電話です」
『ん?』
「どちらの山田様でしょうか、と伺ったのですが、それで分かるとのことなのですが、お分かりになりますか」
(ん? あ、あの山田先生か。でも直通電話をご存知なはずなのになあ)
と思いつつも、脛に傷を持つ私は
『はい、分かりました、繋いでくださいますか?』
と頼む。

「あ、池田先生ですか?」
(あれ、いつもと声が違うぞ)
『はい』
「私、担当が変わりまして、こちらマンション経営のFあqwせdrftgyふじこlp」
『結構です』
ガチャ

であった。
真剣に文章を練っている忙しいときに、そんな姑息な手段で総務をくぐり抜けてくるような輩の電話を聞くわけがないだろうに。いつもならもう少しあれこれお相手をしつつ電話を切るのだが、今回は一言でおしまい。

だいたい、私は買い物については、基本的にこう考えている。

「欲しいもの < 必要なもの」

そして、

「売ってくる < 買いに行く」

である。簡単に言えば、必要なものは自分で買いに行くである。
ったくもう。

             ◆

大体からして我が家は電話の受け答えは母親に厳しくしつけられた。
電話をとる時、
『はい、池田ですが、どちら様でしょうか?』
と言うようにである。これを言わないと怒られた。

しかし、これが今では危ないのはよくわかっている。誰だか分からない人に、電話番号と池田が直結している情報を伝えるようなことはしない。だから、私は電話に出るときは
『はい』
しか言わない。このぐらい電話には敏感なのである。

さらに我が母親は、
「お宅の修さんが事故を起こしましてね」
と、どこからか漏れた個人情報を元に、振り込め詐欺の電話がかかってきた時に

「うちには、修なんて息子はいません!!」

と言い切って、詐欺師が

「へっ?」

っとなってしまったという実績を持っている。
私は、そういう家系の息子なのである。

             ◆

いらいらして研究室を出たら、携帯電話を研究室に置き忘れてしまった。
ということで、今晩は携帯電話は繋がりません。
おやすみなさい。

学級レクと電話について考えるであった。
この続きは、あしたのこころだ〜〜〜。
ちゃららっちゃちゃちゃちゃららら〜ん。

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2008/09/21

学校で携帯「禁止」「通話のみ」 文科省、ルール例示

http://www.asahi.com/national/update/0920/TKY200809200176.htmlから引用開始 ーーーーーーーーーー

学校で携帯「禁止」「通話のみ」 文科省、ルール例示

2008年9月20日21時12分

 裏サイトでの中傷や出会い系サイトなどの問題が相次ぐなか、文部科学省は学校での携帯電話利用の指針づくりを求める動きを強めている。今年6月には同省の有識者会議が「真に必要な場合を除き、学校には持ち込ませないよう指導すること検討する」と提案、7月には都道府県や指定市の教育委員会などに「校内では原則禁止する」「機能を限定する」といった具体例を示した通知を出し、取り組みの徹底を改めて求めた。

 7月25日に同省が出した通知では、児童生徒の携帯利用の実態把握▽学校内での取り扱いに関する方針の明確化▽ネット上のいじめへの取り組みの徹底▽情報モラル教育の取り組み——などを求めた。

 このうち学校内の携帯電話の扱いについて「一部で学校の方針が明確になっていない場合も見受けられる」とし、発達段階や地域・学校の実態に応じてルールをはっきりさせるよう求めた。

 通知は一律に「携帯禁止」を求めてはいないが、指針の参考例として「小中学生は学校への持ち込みを原則禁止にする」「居場所確認や通話機能に限定したものの持ち込みは可能とする」「校内の使用を禁止したうえで学校で一時的に預かる」などを挙げた。

 子どもの携帯利用をめぐっては、政府の教育再生懇談会が、5月末に首相に提出した中間報告で「携帯電話を持つことがないよう関係者が協力する」と盛り込んだ。自民党有志議員の勉強会も「法規制が必要」と提言している。

引用終了 ーーーーーーーーーー

ということだが、これはいろいろと考えさせられるニュースである。
これは、大学の授業でも考えさせたいと思っているものなので、ここに論点は書かないが、さっと思いつくだけで5、6個出てくる。

さて、小学校の教員を目指す学生たちは、このニュースをどのように考えているのであろうか。


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2008/07/15

ちょっとセーブ気味で

娘は10ヶ月検診を終え、大きな問題もなく育っている。ありがたいことである。検診に行くと同じ月齢の赤ちゃんたちが集まっているわけで、どうしても比べてしまう。髪の毛の量、歯のはえ具合、はいはいの様子、離乳食の進み具合などなど。ま、意味のないことではあるが。

           ◆

とうとう新しいムービーカメラを買ってしまった。Xactiである。もちろん、防水機能つきである。150cmまでオッケーである。これで雨の中でもプールでも水遊びでもオッケーである。思ったよりも、暗いところでの撮影が好調である。水遊びに寝顔や寝相を撮ってやろう。

           ◆

と思ってあれこれしていたら、なんと風邪を引いてしまった。お腹と熱である。参ったなあ。これから前期の閉めに入るのに。

ちょっとセーブ気味で行こう。

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2008/06/12

携帯電話をきちんと使う指導

やっとこのサイトが出来たか。
学校の先生の強い味方になってほしい。

http://schecker.jp/

学校裏サイトの検索HPだ。

            ◆

一緒に『ケータイ世界の子どもたち』 (講談社現代新書 1944) (講談社現代新書 1944) (新書) を併せ読むと理解が深まるはずだ。

この種類の本、書けそうで書ける人がいなかったと思う。携帯電話と教育と両方とも造詣が深い人なんてそうそういないから。藤川さんならではの本だ。

携帯電話をきちんと使う指導も、やっと具体的な動きが出てきたようである。

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2007/12/09

Caplio R7に

ミルクをあげて朝風呂に入る。琵琶湖からの朝日が奇麗な季節である。エネルギーを充電する感じだ。

歯医者にMINIで向かう。高速道路は一時期の紅葉渋滞もなく、快適である。しかし、快適だけに眠たくなる。うー、眠たい。途中、5分間寝てさらに安全運転で歯医者に向かう。

            ◆

なんとか次回で終わりになりそうだ。8月に通い始めて12月だ。あっという間だなあ。でも、正月前に治りそうで良かった。胃腸の調子がちょっと落ち着かないが、これを整えて治った歯でバリバリ食べるぞ。

            ◆

Caplio R6の調子がちょっとおかしくなった。普通に撮影する分には問題がないのだが、空を撮ると何か変なものが映る。どうも毛のようだ。筐体にまぎれこんでいる。

空を撮影するのが好きな私ととしては困る。なんとかしようと思ったのだが、このカメラを買ったのは八王子のヨドバシカメラ。そこまで持っていくわけにはいかない。さらに、保証書が見つからない。

それで、八王子のヨドバシカメラに電話をしたら、確認の上領収書を再発行してくれた。これで、大阪のヨドバシカメラに持っていって手続きをして大丈夫だと言う。うーん、便利。

            ◆

歯医者の帰りに大阪のヨドバシカメラに立ち寄る。修理なのか初期不良なのか分からないので、店員に聞く。すると、確認を取ってくれて初期不良の対応をしてくれる。ところが、交換するにもCaplio R6は生産中止。Caplio R7になっている。

Caplio R6を一度預かって、新しいCaplio R6と交換してくれるとの話だったが、それだと数日間使えなくなる。私としては差額を払ってCaplio R7にしてくれたら助かるということを話した。

そしたら、マネージャーが、そのままCaplio R7で交換すると言うではないか。びっくりした。すごいぞヨドバシカメラ。

            ◆

ということで、新型Caplio R7を使うことになった私である。新型は有効が素数が100メガピクセル向上しただけかと思っていたが、いやあ、明らかに質が向上している。画質が鮮明である。暗いところでの撮影も良くなっている。

なんとも、災い転じて福となすである。

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