教育、指導の営みは、教師にとっての「問題解決学習」なのだ。
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野中先生が、放課後の○付けをやめて、授業中にするようにすることを提唱されている。その通りだと思う。
http://nonobu.way-nifty.com/blog/2014/03/post-60b6.html
私は、書き込み回覧作文を提唱している。
http://melma.com/backnumber_44161_350151/
作文を書いたら、それを学級の中で書き込みをしながら回覧するのである。1分で読んで、コメントを書いて次の人に回す。これだけである。読者をクラスの仲間に固定することで、書く方も書きやすくなる。
作文を書かせるための生徒のための工夫である。
が、もう一つある。
この書き込み回覧作文は、教師が一緒にはいることで、授業内に生徒の作文を読み評価することが出来るのである。ここが実は非常に大きな意味を持っている。
作文は、総合的な国語の力を必要とするので、書かせるためにはいろいろな指導の工夫が必要になる。ところが、書かせるための工夫だけではなく、書かせた後の工夫も必要になる。作文指導で難儀なのは、子供達が書けるようにするために書かせることが必要だが、書かせた後に、教師が読む時間を確保する必要が出てくると言うことなのだ。
つまり、指導すればするほど教師は大変になる。文集までやろうとしたら、とんでもなく大変になる。だから、やらなくなっていく。作文を書かせなくなって行く。子供達は書くことが出来なくなって行く。という悪循環に陥って行く。
授業内に評価が終われば、この問題は解決する。
悪循環は断ち切れる。
◆
「テストや、ドリルや書写ノートの丸付けは、放課後にする」という習慣(考え方)ができあがっているから、その習慣で行っているだけである。
その「やり方」を変えていけばいい。
と野中先生は書かれている。
まさに、その通りだと思う。
問題を課題に変え、その課題を解決して行く。
教育、指導の営みは、教師にとっての「問題解決学習」なのだ。