2009/10/26

天才の仕事を味わうのはとても心地がよい 佐藤雅彦『プチ哲学』

天才の仕事を味わうのはとても心地がよい。
佐藤雅彦『プチ哲学』(中公文庫)も、その一つ。

漫画と解説からなるこの本は、「ケロちゃん危機一髪」*1が代表作品のようにも思えるが、全体を通して唸る作品も多い。イラストの一つ目を最初に、二つ目は最後に引用よう。

Kerochan1

慣れてくると、漫画読んでこの後の解説はどんなことを解説しようとしているのかを考えることが出来るようになる。

だが、その逆、つまり解説したいことを思いついても、それを漫画のちょっとした物語で伝えることは、私にはとても無理。ま、そこが天才の所以なのだが。

天才は、気持ちよく私の上空を駆け抜けてくれる。
(ああ、無理。追いつかない)
と、勝負する気持ちすら起こさせない。
自転車で道を行く私の上を、ジェット機が通り過ぎて行くようなものである。

だが、この通り過ぎた後の爽やかさが、私に新しいものを生み出してくれそうな気持ちにしてくれる。

いやあ、嬉しい。

レオナルドダビンチの天才ぶりに触れることが出来た人たちというのは、当時限られた人たちであろうが、いまはこうして本を読めば本当に手軽に、天才たちの仕事に触れることが出来る。

幸せである。

Kerochan2

*1 教育出版「伝え合う国語 1」に収録されている。ちなみに、これは思考のフレームワークについて言及している作品であろう。

| | コメント (4)

2009/10/06

『教師花伝書』(佐藤学 小学館)

『教師花伝書』(佐藤学 小学館)を読み終える。

自分の立場によって読後の感じ方は変わるだろうが、恐らくこの本は現場にいたときに読んでも、今読んでも大きくその感想は変わらなかったかもしれない。

さすが、佐藤学先生である。

ではあるが、今の仕事をするにあたって、ピンと来る記述があった。
教員がどこで学ぶかという問いとその考察である。

174pから引用開始 ーーーーーーーーーー

私自身も何度か調査したことだが、教師を対象として「教師としての成長において何が最も有効であったか」という質問で調査すると、どの調査結果を見ても第一位は「自分の授業の反省」、第二位は「同じ学年(教科)における授業の研究」、第三位は「校内研修」、第四位は「地域の研究サークル」、第五位は「教育委員会や組合主催の研修、研究会」そして最後に「大学教授の講演」がくる(だから、私は講演の依頼は原則としてお断りしている)。

別の項目において「教師としての成長に誰が最も有益であったか」という質問で調査すると、第一位は「同じ学年(教科)の教師」、第二位は「同じ学校の同僚教師」、第三位は「同じ学校の校長、教頭」、第四位は「近隣の学校の先輩教師」、第五位は「指導主事」そして最後は「大学教師である。

この調査結果は、教師の成長の契機はその教師自身の教室を中心にして同心円上に拡大していることを示している。

引用終了 ーーーーーーーーーー

佐藤先生は、この事実から学校の中の教員同士の同僚性を高めること、また、校長のリーダーシップの重要性を研究の対象にしていくことになる。現場にいたものとして、この感覚はよく分かる。

ところが、佐藤先生が本書でも述べられているが、実は日本の教育行政はこの逆をしている。つまり、上からあーせーこーせーと指示を出して教師を替えようとしている。そうすることが教師の力量アップに繋がると思っているのか、している。

むなしい。

しかし、むなしいと思ってばかりもいられない。実際のところ、大学の教員として私は免許更新講習や教育委員会主催の研修会、さらには校内研修会の講師もするのである。

「教師としての成長において何が最も有効であったか」「教師としての成長に誰が最も有益であったか」のどちらにおいても最下位の大学の教授(私は教授ではないが)が行う講座が意味が無いなんてことになったら、やる方も受ける方も時間の無駄、税金の無駄である。

だから、私の行う研修会では、そうならないように工夫を凝らしているつもりである。同僚性を高め、同心円の中心部分を活性化するような内容を心掛けている。佐藤先生がこれだけばしっと書かれているので、私も安心して今まで通りの方針でやろうと思うのである。

折角、子どもから離れて研修に来ている。
折角、休んでいられる時間に来ている。
折角、学ぼうとしている。

であれば、それなりの講座を提供しなければならない。
無理矢理行ってこいと言われた講座が、思った以上に面白かったということになるようにしたいと、今は思っている。




| | コメント (0)

2009/10/04

読書とシャボン玉で一日を過ごす

10/3

読書とシャボン玉で一日を過ごす。

『風姿花伝』を読んでいる人が結構多いと最近感じている。私は、実はお能を少し齧ったこともあるので、若い頃にこの本を読んでいる。そして、年に一回ぐらいは読み返している。天才の書いた本だなあと思いつつ、少しずつ自分の中に入ってくると良いなあと思いながら読んでいる。

古典は未来からの手紙である。これは私の主張である。自分がこの先どのように生きて行くのかを、古典は示してくれている。人は1000年前でも、人を好きになり、嫌いになり、別れを悲しみ、出会いを喜んでいた。今の私が生きていることをそのまま1000年前からしている。だから、古典は未来からの手紙である。

佐藤学先生の『教師花伝書』を読み進めている。途中まで読んでいたのだが、本が突然行方不明になり、三ヶ月ぐらい所在不明だったのだが、今日見つかった。後半を読み進めている。

まさか佐藤学先生も読んでいるとは思わなかった『花伝書』。確か苫米地さんも読み返しているとのことであった。

授業や、学校づくりのアイディアを刺激してくれる本である。意欲を奮い立たせてくれる本である。

で、シャボン玉である。
最近娘がハマっている。近くのガーデンに出かけて行き、ふーふーと飛ばしている。今日は私がお供で出かける。

まさか中年の男が一人でシャボン玉を飛ばすこともできまい。でも、娘とならば心置きなくできる。私もやった。ありがたやありがたや。娘に遊んでもらっているようなものだ。

芝生の上に、青空の方に飛んで行くシャボン玉。気持ちのよいものだ。そして、娘はそのシャボン玉を追いかける。私はシャボン玉を追いかけている娘をレンズで追いかける。

三年前には、こんな日がくるとは思いもよらなかった。

で、中秋名月である。
ガーデンから帰る際にススキを手に入れる。道路際の目立つところは刈り取られているのだが、ちょっと奥に入ると奇麗なススキがたくさんあった。雑草と言えば雑草だが、今日は最優秀助演賞である。

きぬかつぎ、枝豆、蛸のぶつ切り、マグロ、月見団子、日本酒を用意してお月見を楽しむ。良いものだ。

Fmm

良いと言えば、マグロである。スーパーに買い出しに行ったとき、生鉢マグロのぶつ切りがまあまあ値段であった。かごに入れて歩いていたら、私のアンテナにヒットしたものがあった。

どうみても、手に入れたマグロと同じグレードのマグロの「アラ」が極めて安い値段で出ていた。躊躇うこと無く、私はこちらを手にする。アラと書いてあるが、要はマグロの「ハラミ」の部分である。筋は多いが、きちんと処理すれば、ネギトロの部分となる。これをゲット。

家で処理してみると確かに、これは生鉢マグロのトロであった。こういうの、とても嬉しい。ちょっとした専門知識があるかないかで、食生活は全然変わってくる。美味しく頂く。

で、それを見ていたのが娘。
最近、刺身を覚えたのだ。
スプーンの上にご飯を載せて、その上にお刺身をちょうだいと待っている。ニコニコしながら待っている。
載せてあげると嬉しそうに食べる。
「うまい!」
と体をねじって喜ぶ。
良かったねえ。

月見をしながら思った。耳鳴りがちょっと夏から秋に変わったと。

私の右耳は突発性難聴の後遺症で耳鳴りがしている。ま、蝉が鳴いていると思えば良い。だから、夏は左耳からも聞こえるのでバランスが良いf(^^;。だが、今日月見をしながら外にいたら、秋の虫の音が左耳に入ってきた。そしたら、右耳の蝉も秋の虫の音のように感じたのだ。

季節に体も影響されるんだねえ。

Fm 写真は、部屋に活けたススキ。満月のように見えるのは、もちろん部屋の照明です。

明日は、満月です。

| | コメント (2)

2009/09/25

最近読んだ三冊

9/25

いまは、特にテーマを追いかけて本を読み続けているわけではない。それにも関わらず、たまたまその本が次の本を呼び込んで、さらに呼び込んでテーマが重層化して私の中になんらかのものを構築して行く、または答えを放り投げてくれるということがある。

強く意識しているわけではないが、無意識にテーマを追いかけているのかなあ。これは良い循環である。

最近読んだ三冊は、螺旋階段状に相関しながら、私を高めてくれた。非常に心地の良い時間であった。

    1)    『間違いだらけの教育論 』(光文社新書/ 諏訪哲二)
    2)    『「空気」と「世間」』 (講談社現代新書)/鴻上尚史 )
    3)    『健全な肉体に狂気は宿る—生きづらさの正体 』(角川Oneテーマ21/内田 樹 (著), 春日 武彦 (著)

キーワードは、近代、消費社会、身体論、教育かな。これらが私の中で心地よく響き合った。

どれか一冊読んだ方は、他の二冊も合わせて読むことをお勧めしたい。

| | コメント (0)

2009/09/15

書籍版『明日の教室』(ぎょうせい)が、アマゾンで1位から5位を独占

9/15

Amazon15

御陰さまで、書籍版『明日の教室』(ぎょうせい)が、アマゾンで1位から5位を独占することができました。ありがとうございます。

若手の先生方が、学級担任をするにあたって、

・何かある前に
・何かあったときに

さっと手を出して確認することができる、一種の百科事典的な使い方も出来るシリーズになったと自負しております。

五巻セットで揃えても1万円切ります。教員になってから最初の10年をサポートするシリーズです。と考えると、年間1000円。一冊、200円でオッケーとなります。ああ、なんて安いんだ(^^)。

その分野で日本一の先生方が、実践に即して手に入れてきた知見を、読みやすいフォーマットで惜しげも無く公開してくださっています。

どうぞ、お買い求めください。

| | コメント (0)

2009/08/22

『明日の教室』第五巻

『明日の教室』第五巻が出ました。

正式には、『シリーズ明日の教室—学級経営・基礎の基礎—第5巻 担任一人で悩まない・抱えない』(ぎょうせい)です。

この第五巻は、恐らく類書はないのではないかと思います。第五巻は、いまどんどん生まれている若い担任を守る本です。

校長にならない先生はいても、担任にならない先生はいないというのが私の持論です。で、事実ですよね。

担任一人でやりきらなければならないこともあります。が、担任の抱える問題ではないこと、さらには担任があちらこちらと協力して取り組む問題などについて、あれこれまとめてあります。

あれこれあっても、直接指導に当たるのは担任が圧倒的に多いわけです。その担任をきちんと守ってくれるあれこれが分かっていない、若い先生方に向けて、
(大丈夫だよ、こうしてみてはどう?)
というメッセージを送るのが、第五巻です。

目次と執筆者は、以下の通りです。

1 基本的スタンス

・「担任一人で悩まない・抱えない」とは 


2 子どもへの対応
・クラスの子が不登校になってしまった
・クラスの子が大怪我をしてしまった:事故編

・クラスの子が大怪我をしてしまった:喧嘩編

・クラスの中にいじめを発見した時

・クラスの子の持ち物がなくなる

・クラスの子が万引きした

・服装
・頭髪指導

・遅刻
・欠席

・ケータイの持ち込み

・薬物


3 保護者への対応
・その他のトラブル

・保護者が給食費を払ってくれない

・保護者から通信簿にクレームがあった

・勉強の進め方についてクレームがあった

・習い事優先の保護者への対応

・学級経営について要望を受けた

・児童虐待が発覚した

・その他のトラブル

代表編者紹介(肩書は発刊当時、敬称略)

池田修…いけだ・おさむ/京都橘大学准教授

糸井登…いとい・すすむ/京都府宇治市立菟道第二小学校教諭

第5巻執筆者紹介
佐藤正寿…さとう・まさとし/岩手県軽米町立笹渡小学校副校長

澤田清人…さわだ・きよと/京都市教育委員会指導主事

土居裕士…どい・ひろし/岡山市立芳泉小学校教諭

松原弘…まつばら・ひろし/岡山市立高島小学校教諭

山川晃史…やまかわ・こうし/三重県教育委員会指導主事

横藤雅人…よこふじ・まさと/札幌市立羊丘小学校長

アマゾンでは、こちらになります
どうぞ、ご期待ください。

| | コメント (2)

2009/07/26

『明日の教室』第四巻が出ました

『明日の教室』第四巻が出ました。テーマは「子どもに接する・語る」です。日々の学校生活の中で子どもたちとどう関わっていくときに、どのような関わり方があるのかを考えてみたのが第四巻です。

目次は以下の通りで、執筆陣はいつも通り豪華豪華であります。
是非、手に取ってお読みください。

 目次

1 子どもへの接し方・語り方 
・「子どもに接する・語る」とは 
・子どもへの接し方 
・子どもへの語り方 

2 コミュニケーションの基礎 
・コミュニケーションの基礎(言葉) 
・コミュニケーションの基礎(身体)

3 教師と子ども・子ども同士の接し方・語り方 
・子どもとの距離感 
・居心地のよいクラスをつくる 
・いじめを防ぐ

4 押さえておきたい接し方・語り方 
・誉め方 
・怒り方/叱り方 
・フォローの在り方 
・子どもをその気にさせる語り方 
・対話を楽しむ

5 配慮を要する接し方・語り方 
・高学年女子との接し方 
・低学年児童との接し方 
・自己コントロールが苦手な子ども 
・自己表現が苦手な子ども 
・読む・書くことが苦手な子ども

6 子どもにうける話・ネタ 
・子どもにうける話  
・ネタのさがし方

 青山新吾(岡山県教育庁指導主事)
 赤坂真二(上越教育大学准教授)
 北川達夫(日本教育大学院大学客員教授)
 中村健一(山口県岩国市立平田小学校教諭)
 野中信行(横浜市立子安小学校教諭)
 平田オリザ(劇作家・演出家/大阪大学大学院教授)
 藤田恵子(埼玉県所沢市立和田小学校教諭)
 山口裕也(東京都杉並区立済美教育センター主任分析官/経営支援スーパ ーバイザー)
 山田雅彦(東京学芸大学准教授)

| | コメント (0)

2009/06/22

アマゾンで一位、二位 『明日の教室』 巻1、巻2

http://www.amazon.co.jp/gp/bestsellers/books/500322/ref=pd_ts_b_nav

アマゾンの学級運営部門で、 『明日の教室』 巻1、巻2が、一位と二位を独占しています。
ありがとうございます。このまま、巻5まで出たらベストテンの中にすべてがある瞬間が来てくれないかなあと望みを抱きます。

大型の本屋には並んでいます。
お手に取ってご確認ください。
売れている理由が分かっていただけると思います。

| | コメント (0)

2009/06/21

本は、すでにテキストが入っているノートなんですよ

6/20

昼前に研究室に向かう。あれこれの事務仕事等を行う。
そこに、携帯電話が鳴る。
(ん、あ?)
中学校の時の卒業生からの電話である。
出てみると、切れている。
こちらから掛け直すと、
「すみませ〜〜〜〜〜〜〜ん」
と本人。

ははっは。
お子さんの悪戯ね。
『いやあ、良くあるんだよ。うちは。ほら、あいうえお順だと最初の方だろ。だから、赤ちゃんが掛けやすいんだよね。で、どう、元気?』
彼はいま東京で小学校の先生をやっている。幸いなことに、仕事も家庭も順調のようだ。

こういう悪戯からのコミュニケーションは、いいなあ。

今週読み終えた本を、ざっと再読する。『多読術』(松岡正剛 ちくまプリマー新書)が一番良かったかな。

私がどーんと持ってかれたフレーズは、これである。

p.86から引用開始 ーーーーーーーーーー

本は、すでにテキストが入っているノートなんですよ。

引用終了 ーーーーーーーーーー

そう。だから、いつも筆記用具を持って読むのである。だから、図書館ではなく、本は買うのである。本ではないのだ。テキストの書いてあるノートなのだ。分かりやすいなあ。

夕方から、人と会う。
あれこれ、あれこれ。

いろいろとあるよなあ。
ご迷惑をおかけします。

ありがとうございます。
これからもよろしくです。

| | コメント (0)

2009/06/20

書籍『明日の教室』第三巻が出ました

書籍『明日の教室』第三巻が出ました。
第三巻は、「授業をつくる」です。

さて、第三巻の表紙の色は何色でしょうか(^^)。

目次
 1 授業
  ・「授業をつくる」とは 
  ・授業観のとらえ方

 2 教師の立ち位置・子どもへの指示 
  ・声の出し方 
  ・指示の出し方・話し方(話術)
  ・チョークの使い方・板書 
  ・発問のつくり方

 3 ICTの活用・授業で使える小物 
  ・ICTの活用・デジカメ編 
  ・ICTの活用・プロジェクタ編 
  ・授業で使える小物

 4 机間指導・ノート指導  
  ・机間指導 
  ・ノート指導

 5 教材研究 
  ・教材研究・理論編 
  ・教材研究・外部との連携で授業をつくる 
  ・教材研究・子どもの実態や教師の願いに基づくもの

 6 授業の構成・指導案・テスト 
  ・授業の構成 
  ・授業スタイルの大きな分類 
  ・指導案の書き方 
  ・テストのつくり方・採点の仕方

 7 修養・学び合い 
  ・修養 
  ・学び合い

代表編者紹介(肩書は発刊当時、敬称略)
池田修…いけだ・おさむ/京都橘大学准教授
糸井登…いとい・すすむ/京都府宇治市立菟道第二小学校教諭

第3巻執筆者紹介
阿部隆幸…あべ・たかゆき/福島県本宮市立糠沢小学校教諭
梅本裕…うめもと・ゆたか/京都橘学園理事長
佐藤正寿…さとう・まさとし/岩手県軽米町立笹渡小学校副校長
杉浦元一…すぎうら・げんいち/東京都杉並区立和田中学校主任教諭
土作彰…つちさく・あきら/奈良県広陵町立広陵西小学校教諭
仲里靖雄…なかざと・やすお/立命館小学校教諭
西川純…にしかわ・じゅん/上越教育大学教授
野口芳宏…のぐち・よしひろ/植草学園大学教授
野中信行…のなか・のぶゆき/横浜市立子安小学校教諭
堀裕嗣…ほり・ひろつぐ/札幌市立北白石中学校教諭

インターネットでのお申し込みは、
http://www.gyosei.co.jp/home/books/book_detail.html?gc=3100501-01-003
へどうぞ。

| | コメント (3)

2009/05/12

「教師の嘘が許されるとき」

5/11

なんだか曜日の感覚が無くなっている。
月曜日で、ゼミがあることは頭に入っていて準備もしているのだが、月曜の朝のお約束「ゴミ出し」を忘れてしまった。
いかん。

父の検査入院も今日退院。
一安心。

入院のときに持って行った方が良いものということで、奥さんが勧めたのが携帯ラジオ。テレビよりもいいとのことだった。父もその勧めに従って持って行ったとのこと。

母は毎日お見舞いに通ったのだが、そこでの話題がラジオのことだったと聞いた。母はラジオをずっと聞きながら家事をしている。父は病院で同じ番組を聞いていたとのこと。だから、母が見舞いに行くとそのラジオ番組のことが話題になて会話が弾むのだそうだ。

なんか、いいなあと思った。奥さんに感謝。

ゼミは、『街場の教育論』の第二章。私が司会をしてチューターは学生になった。なかなかしっかりと読み込んできていた。読み込んだ上で、疑問点を三点出してきた。

それについて、本人が一番議論したいという一点に絞ってあれこれ検証をし、議論を重ねた。

私の役目は司会である。チューターの学生が提出した疑問、すなわち問いの中の言葉が理解できているかの確認と、問いが問いとして立っているかどうかの吟味から始めた。

なかなか面白かった。
来週も期待して待とう。

午後は仕事を中断して、大学に届いた論文を読む。千葉大学の藤川大祐先生の研究室の論文集だ。

「授業づくり」とはなにか ー研究としての授業実践開発に関する考察ー

うーん、いいなあ。
すっきりしていて、ストレートに主張が伝わってくる。論証が丁寧行われていて、勉強になる。こういう論文を書きたいものだ。

論文のお礼状を書いていたら、電話。
某TV局から。ちょっと良いですか?ということで50分近くあれこれと。TV局のリサーチャーの方のちょっとは、だいたい1時間ぐらいであることが多い。
お役に立てれば幸いです。

さらに研究室にお客人と相談の学生。
うーん、今日はなかなか忙しい。そして、どんどん仕事が増えて行く。大丈夫か、俺?

考えていても仕方がないので、ひたすら原稿を書く。
原稿依頼を貰ったときに、ざっとメモしていたアイディアがある。これをもう一度冷静に見直して、使えるものと使えないものにとりあえず分けて、あれこれ書き進める。

ん、なんとかなるかな。

ということで、午後の人様のあれこれを縫いながら、なんとか夜には原稿が完成。帰りの車で窓を開けていたら、水が張られた田んぼではカエルが大合唱。そういう季節になりましたか。

原稿は、『児童教育』8月号です。今までにない面白いテーマを頂きました。「教師の嘘が許されるとき」です。良かったらお読み下さい。

| | コメント (0)

2009/04/24

明日の教室本 感想のメール

310050101001 明日の教室本の第一巻を読んでくださった方から感想のメールが届きました。
とある教育委員会にお務めの方からです。

引用開始 ーーーーーーーーーー

今日、予約注文していた「明日の教室」第1巻が届きました。
1ページ1ページに書かれていること、ある事柄に対する
「教師」としての視点の奥深さが、どれもあまりにも大切すぎて
すぐにすべてを読み終えてしまうのがもったいないと感じるほどです。

もちろん、ただ読み終わるのではなく、その後の実践が伴ってこそ
この本の意義があるのでしょうけれど、自分がその立場にないことを
少し残念に思います。でも、その分、現場で頑張る先生方に
この本のこと、明日の教室のことを伝えたい思いが増しました。

引用終了 ーーーーーーーーーー

ありがとうございます。
とても嬉しいです。

一冊2000円弱の小書ですが、あれこれ考えると安いなあと本当に思います。
当代きっての先生方が、自分が学んできたこと、失敗したことなどを踏まえた上で、どうしたら良いのかを説明し、さらに参考図書まで示しているのですから。

さ、エネルギーを頂けたので、元気に第三巻の校正の続きをやります。

| | コメント (0)

2009/04/17

明日の教室本 執筆者一覧

明日の教室本 執筆者一覧

出版社のHPにも載りましたので、私のブログでも載せることができます。
豪華だと言い続けてきた理由の一端がお分かりいただけるかと思います。

このメンバーで学校を作ったら、相当凄いだろうなあなんてことを思ったりもします。

っていったい誰が校長をするのだろうかf(^^;。

 代表編著者紹介(肩書は発刊当時、敬称略)
  池田修…いけだ・おさむ/京都橘大学准教授
  糸井登…いとい・すすむ/京都府宇治市立菟道第二小学校教諭

 シリーズ執筆者一覧

  青山新吾(岡山県教育庁指導主事)
  赤坂真二(上越教育大学准教授)
  阿部隆幸(福島県本宮市立糠沢小学校教諭)
  石川晋(北海道上士幌町立上士幌中学校教諭)
  岩瀬直樹(埼玉県狭山市立堀兼小学校教諭)
  梅本裕(京都橘大学教授)
  北川達夫(日本教育大学院大学客員教授)
  佐藤正寿(岩手県軽米町立笹渡小学校教頭)
  澤田清人(京都市教育委員会指導主事)
  杉浦元一(東京都杉並区立和田中学校教諭)
  仲里靖雄(京都・立命館小学校教諭)
  筑田周一(女子聖学院中学校教諭)
  土作彰(奈良県広陵町立広陵西小学校教諭)
  土居裕士(岡山県岡山市立芳泉小学校教諭)
  中村健一(山口県岩国市立通津小学校教諭)
  西川純(上越教育大学教授)
  野口芳宏(植草学園大学教授)
  野中信行(横浜市立中沢小学校教諭)
  平田オリザ(劇作家・演出家)
  藤田恵子(埼玉県所沢市立北小学校教諭)
  堀裕嗣(札幌市立北白石中学校教諭)
  松原弘(岡山県岡山市立高島小学校教諭)
  山川晃史(三重県教育委員会指導主事)
  山口裕也(東京都杉並区済美教育センター主任分析官/経営支援スーパーバイザー)
  山田雅彦(東京学芸大学准教授)
  横藤雅人(札幌市立北郷小学校教頭)

お楽しみにお待ちください。

| | コメント (0)

2009/04/14

書籍 『明日の教室』 完成!!

いよいよ書籍『明日の教室』が刊行されます。
編集者さんからメールが届きました。

(1)4月20日・第1巻完成予定です!
・とうとう第1巻から刊行が始まります。4月20日の予定です。
・以後,毎月20日前後に刊行するように進めていく予定です。
・20日までに本ができあがれば,その月のうちに書店に並ぶとのことです。第1巻はなんとかゴールデンウィーク直前には書店に並ぶことになります。
・値段は税込み1890円に押さえました。

(2)宣伝
・すでに小社のホームページに「予約受付中」として紹介しています。
http://www.gyosei.co.jp/home/books/book_detail.html?gc=3100501-01-000
・現在は刊行前なのでセット予約のかたちとなっていますが,発刊順に1冊ずつでも買えるようになります。
・このシリーズは,小社の販売重点図書になりました。「公立共済メンバーズカード」をお持ちの教師の方は,小社のWebサイトから申し込めばポイントが20倍アップするという特典付です。

自分たちで企画しておきながら、なんか凄いことになっているなあと思っております。
そして、実際、凄い本になっています。
楽しみにお待ちください。

| | コメント (0)

2009/04/01

『『はらぺこあおむし』と学習権 ー教育基本法の改定に思うー』(大田堯 一ツ橋書房)を読む。

『『はらぺこあおむし』と学習権 ー教育基本法の改定に思うー』(大田堯 一ツ橋書房)を読む。

同じ学科の生源寺先生が良いと仰っていたので、注文して読む。
本当に、良い。

ブックレットなので48p、500円である。
だから読む時間はそんなに掛からない。財布にも優しい。1〜2時間で読めてしまうだろう。しかし、教育とは何かを改めて考えるにはとても良い本である。

新年度を迎える準備として、クラスづくりや授業づくりの本を読むことも大事だし、必要だが、教育そのものを考え直し、自分の一年間の指針を確認することも大事だ。

今のタイミングで読み終えることができて良かった。
新学期、子どもたちに向き合う前にお薦めの一冊である。

| | コメント (0)

2009/03/04

『教師のための携帯ブックス1 子どもも先生も思い切り笑える 73のネタ大放出!』を読む。

『教師のための携帯ブックス1 子どもも先生も思い切り笑える 73のネタ大放出!』(中村健一 黎明書房)を読む。

私は中村先生の講座を3回ほど受けたことがある。笑いと学級経営に関する講座だ。1回は私の授業で講師としてきていただき、学生たちに指導もしていただいた。

その時の感動が蘇る本である。

ここにある73のネタは、中村先生が自分の実践の場で日々行っているものである。机上のものでは、ない。

(今日も一日楽しいクラスになるな)
(はやく明日、学校にいきたいなあ)

と子どもたちが思うような指導のネタが73載っている。本人も書いているが、お買い得である。1ネタ15円だそうである。

現場を持たない学生諸君は、所属する教育研究サークルやゼミで実際にやってみると良い。やり方はこの本に端的に書いてある。その通りにやってみて学ぶと良いだろう。

現場がある先生は、子どもの反応を見ながらあれこれ楽しめるだろう。著者も言っているが、
(ああ、先生になって良かった)
と思う瞬間もあるのではないだろうか。

ただ実は、クラスで笑いを成立させるためには、笑いのネタを知っているというだけではダメな部分がある。桂枝雀師匠は、
「笑いは緊張の緩和」
と定義されていた。

緊張の部分をきちんとつくり出せない教師は、笑いをつくり出せない。緊張とは、日頃の規律正しい生活、学習の態度である。

本書の性格からして、ここの部分は書かれていない。この部分については、二冊目、三冊目を楽しみに待つことにしたい。

ではあるが、そんなことを意識しながら、この本に書かれている一つ15円のネタをやってみると、ものすごいお買い得であるということが、改めて分かるであろう。

4月からの学級経営のために、今からネタを仕込んで練習である。

| | コメント (2)

2009/03/02

しかし、20年か

できるうちにと、四月からの準備を進める。
まだ、年度内にやらなければならないことがあるのだが、天気とか気分とかで左右されるところは、そこに乗っかってやるのが大事。

今日は3月2日。MINIの日である。調整に出していた愛車は本日戻ってきた。ちょっとまだ納得のいかないところがあるが、ま、運転できるのは楽しい。

全国教室ディベート連盟の会員版「トライアングル」の原稿を一つ書く。「自著を語る」というコーナーで『中等教育におけるディベートの研究 〜入門期の安定した指導法の開発〜』について書いてくださいという依頼を頂く。ありがたい。

私にとってこの本は、ディベートに出会ってから約20年の実践と研究をまとめた学術論文だ。

ある領域については、三冊本を書くことが大事だと、誰かの本で読んだことがある。三冊書けば、大体言いたいことは言い尽くすということなのだ。

私は『中学校国語科ディベート授業入門』『中学校・高等学校ディベートワークシート』と書いてきて、本書でディベート領域では三冊目となる。たしかに、だいたい言いたいことは言い尽くしたなあと思う。あ、DVDも出したしね。

そして、本人がどう思っているかは別として、世の中はその道の専門家と思ってくれる。ただ、誤解されることがある。私はディベートの専門家ではない。ディベートのなんたるかを研究する専門家ではない。

私が注目し続けたのは、ディベートの入門期指導である。どうしたら、このディベートの魅力を、ディベートをやったことのない生徒たちに伝えることができるだろうかとやってきたのである。トーナメントプロではなく、レッスンプロとしての私の存在意義はここにあると思ってやってきた。

しかし、20年か。
飽きっぽい私がよくまあここまでやったものだと、自分でもちょっとびっくりしている。

途中で、平井信義先生の本を見つける。
学生時代に読んでいた先生だ。
「叱らない子育て」
というものを提唱されていた。

私も子どもを授かったら、そうしたいなあと思って20年も前に読んでいたのだ。
そして、いまもう一度読み直そうと思って購入。

二昔前の出来事二つが、今日私の中で蘇った。
面白いねえ、MINIの日は。

さ、明日はまた原稿書きと講座の準備と。

あ、「伝える極意」にも出演であったf(^^;。NHK教育テレビ10:00〜10:15です。

| | コメント (2)

2009/02/24

物語欲求が顔をもたげる

コミックの一気読みを続けている。『賭博黙示録カイジ 全13巻』(福本伸行)を読み終え、いまは『Dr.コトー診療所』(山田貴敏)を11巻まで読み終えている。

連載を追いかける読み方も面白いのだが、連載が終了し一つの固まりとして作品が確定し、評価が確定している作品を一気読みするのも面白いものだ。

『賭博黙示録カイジ』は、その絵柄がダメな読者もいるだろう。私がそうだった。が、気になる話でもあった。

私は、競輪競馬麻雀パチンコなど、一切の賭け事はしない。なんつーか、ほら賭け事はどう考えても胴元が一番儲けるわけだし、そんなところに時間をかけ、元手を張るなんてのは、興味がわかないのである。

それよりは人生のチャンスにあれこれ挑む方が面白いと思うタイプなのである。

だが、自分が興味がないということと、賭け事がどういうものかということを知ることに興味がないということは別のことである。そういう意味では、この漫画は面白い。私にはあり得ないであろう世界を描いている訳であるから。

この漫画から分かることは、賭け事は感情と論理の両方のコントロールができない者は、足を突っ込むべきではないということである。

物語は、かなりあり得ない設定で描かれているが、物語や小説でも言えるように大きな嘘(設定)は、ありなのである。その大きな嘘は、真実を語るための枠組みでしかない。大事なのは、真実の方である。この真実がきちんと描かれているかどうかで物語や小説の価値は定まる。

(こんな状況ないよな)
(でも、ひょっとしたらあるかもしれない)

と思わせる大きな嘘を描くことが、ストーリーテラーの才能の見せ所である。『賭博黙示録カイジ』は、ここに成功し、人間の真実の一面を描くことに成功していると言えるだろう。

あるときすっと物語欲求が顔をもたげるのだ。

| | コメント (0)

2009/01/31

『10代の君たちへ 自分を育てるのは自分』(東井義雄 致知出版)

『10代の君たちへ 自分を育てるのは自分』(東井義雄 致知出版)を読む。

東井先生との出会いは、この詩であったと思う。

引用開始 ーーーーーーーーーー

小さな勇気をこそ

東井義雄

人生の大嵐がやってきたとき
それがへっちゃらで乗りこえられるような
大きい勇気もほしいにはほしいが、
わたしは
小さい勇気こそほしい。

わたしの大切な仕事をあとまわしにさせ、
忘れさせようとする小さい悪魔が
テレビのドラマやマンガに化けて
わたしを誘惑するとき、
すぐそれをやっつけられるくらいの
小さな勇気でいいから
わたしはそれがほしい。

もう五分くらい寝ていたっていいじゃないか、
今朝は寒いんだよと、
あたたかい寝床の中にひそみこんで
わたしにささやきかける小さい悪魔を
すぐやっつけてしまえるくらいの
小さい勇気こそほしい。

明日があるじゃないか、
明日やればいいではないか、
今夜は もう寝ろよと、
机の下からささやきかける小さい悪魔を
すぐやっつけてしまえるくらいの
小さい勇気こそほしい。

紙くずが落ちているのを見つけたときには、
気がつかなかったというふりをして、
さっさといっちまえよ。
かぜひきの鼻紙かもしれないよ。
不潔じゃないかと呼びかける 小さい悪魔を
すぐやっつけてしまえるくらいの
小さい勇気こそ わたしはほしい。

どんな苦難も乗りきれる
大きい勇気もほしいにはほしいが、
毎日 小出しにして使える
小さい勇気でいいから
それが わたしは たくさんほしい。
それに そういう小さい勇気を軽蔑していては
いざというときの大きい勇気も
つかめないのではないだろうか。

引用終了 ーーーーーーーーーー

面倒くさがりやの私は、この詩を読むたびに、なんとかせねばと思うのである。

『10代の君たちへ 自分を育てるのは自分』は、東井先生が、中学生に向けて語った講演会の記録である。東井先生のご実家はお寺であり仏教に基づいたお話となっている。

生きるということは、生かされているということであるという哲学に立って、お話をされている。

ぶったるんだ時に、しっかりしろと喝を入れてくださる本である。

| | コメント (2)

2009/01/30

『赤めだか』(立川談春 扶桑社)

授業期間が終わるということは、私にとってはあるものの解禁を意味する。

それは、仕事の読書ではなく楽しみの読書の解禁である。国語科の教師ということで、どんな本を読んでいても
(を、これは授業で使えるかな)
となってしまい、エンターテイメントを楽しめないのである。

いつのころからか、授業があるときには楽しみの読書は極力控えるようにとなってしまった。

で、解禁である。

読み終えた本は、
『赤めだか』(立川談春 扶桑社)
である。

私はこういう本が好きだ。
立川談志に入門した、立川談春の修業時代のエッセイである。

文体のリズムが良いのは、さすが噺家である。黙読していても、思わず音読したくなるようなリズムである。

人がどうやって成長して行くのか。そこに教師や指導者はどのように関わって行くのかを考えるのに、良い本である。

また、修行を始めたばかりのときには分からない、師匠、先輩、先生たちからの指示の意味をなーんとなく理解するにも良い本かもしれない。

つまり、指導者にも、学習者にも、いいのだ。
ま、あれこれ言わなくても、文句なしに面白いだろう。

お笑い教師連盟に私は入っているのだが、なーんとなくだが、この連盟は漫才派と落語派に分かれるような気がしている。(一部、コント派もいるかなあ)

恐らく今の時代のお笑いは、漫才をベースにしていると思われるし、教室の笑いは漫才をベースに考えた方が、システム的にうまくいくと思われる。

しかし、私は落語派である。

MINICOOPER-Sは、その排気音が非常に心地よい。折角取り付けたサウンドシステムも、あんまり活用しないぐらい心地よい。その排気音と振動を楽しむのがいいからだ。

でも、そんな私でも車中で落語は聞く。MINICOOPER-Sの排気音に包まれながら聞く落語は、なんともいいのである。

落語と漫才の笑いはどう違うのであろうか。
これに関して笑いの芸術論が多く書かれているであろうが、それらを全く読んだことのないままに、独断すると、

・落語は人間の本質を笑い、漫才は時代の本質を笑う

というのではないかと思う。
立川談志は、この人間の本質を笑うというのを

「落語は、人間の業の肯定である」

と言い切っている。
また、古典落語はあるが、古典漫才はない。そんなことからそのように思うのである。

私は、コミュニケーションのシステムとしての漫才、時代を鋭く取り出して笑う漫才の笑いを凄いと思いながら、人間の切なさ、可笑しさを笑う落語が好きなのである。

さらに私は教師という仕事をしている。人間を育てる仕事である。立川談志の弟子の育て方に共感することが多くて、私自身びっくりした。

(ああ、俺ってやっぱり落語なのねえ)
(教師を育てるって、正統的周辺参加だよねえ)

師匠は、弟子の計り知れないところで深く、壮大に弟子の成長を考えている。そのことがよーくわかる本である。さらに、師匠の師匠は、弟子である師匠をどう思うのかも分かる本である。

んと、談志の師匠は、柳家小さんで、小さんは、談志を破門にするが、その破門後の談志をどのように愛しみ、談志は小さんをどのように敬っているのかも分かる。教育とは、師弟とはと考えさせられる本でもある。

結局、素直に楽しむではなく、あれこれ仕事に引きつけて読んでしまう私であった。


| | コメント (4)

2009/01/16

『世界の終わりと夜明け前』(浅野にいお 小学館)

『世界の終わりと夜明け前』(浅野にいお 小学館)を読んだ。

15歳の時の私が読んだら、
(そうそう)
とか
(なんだか分からないけど、すげー)
っとなったであろう。

その15歳の私が、30歳のときに読み直したら、
大泣きするだろうマンガだと思う。

『河よりも長くゆるやかに』(吉田秋生 小学館文庫)や、『 ぼくは勉強ができない 』(山田詠美 新潮文庫) のファンにはたまらないだろう。

私はこの世界観が好きだ。

| | コメント (0)

2009/01/13

筑田さんの「「教室ディベート」に魅せられて」

家に帰る。
娘が妙にハイだ。

私の「いないいないばあ」に喜ぶどころか、自分でもやる。さらに、私がビールを飲んでいると、ビールの缶を持って私のグラスに注ごうとする。

もちろん、飲み終わった缶を渡し、プルトップで手を切らないように工夫している缶であるが、娘は私がビールを注いでいるのを見て自分でもやってみようとするのである。

私は娘の求めるままに、空いたグラスを傾ける。すると、嬉しそうに注ぐ。出てくるのは空気である。であるが美味しい空気を頂く。何杯も頂く。娘は、何回も注ぐのである。

世話焼き女房型の、娘である。
しばらくは父さんの世話を焼いてもらおう。

「授業づくりネットワーク」の2月号が自宅にも届いた。
第二特集は「体験学習にこだわる!」である。

これを読みながら思った。
この15年ぐらい、学習ゲーム、ディベート、PA、読書へのアニマシオンなどさまざまな実践が行われてきた。私もしてきた。そして、その様々な切り口から、その核心にたどり着いてきたのだと思う。

それは、子どもをウオッチャーからプレーヤーに変えることである。学びの主体者にするという言い方のほうが適しているかもしれない。

筑田さんの「「教室ディベート」に魅せられて」は、その原稿の同時代を一緒に過ごしてきただけに、あの時のあの場面がいろいろと思い出されて仕方がなかった。

私は過去のことは割と忘れてしまう方である。だけど、筑田さんは覚えている。その筑田さんの記憶にガイドされて、私もあれこれ思い出すことができる。

今日が、雪だったからかもしれない。

教室ディベート連盟関東支部ができた頃のことだ。初代の支部長であった学習院大学の佐藤喜久雄先生のことが思い出されて仕方がなかった。

先生の研究室にお邪魔すると、何も言わないのに冷蔵庫からビールが出てきて、

「いやあ、遠くからありがとう。ご苦労さん。まずは、のどを潤して」

とビールを注いでくださる。
会議が終わり大学を出て行きつけのお寿司屋さんに連れて行って頂く。

「僕の家は職場から3分で帰れるのに、なぜか3時間もかかってしまうんだよね」

と。学習院の先生たちは敷地内に官舎があるので、歩けば本当に3分で帰れるのだそうだ。だけどいつも校門をでてしまい、あちらこちらで飲んでから帰るのでこうなってしまうのだそうだ。笑いながら話されていた先生。

「池田さん。もう僕は死んでしまうんだよ。挨拶のハガキは書いたから。あとは日付を入れれば良いんだよ。あとはよろしくね」

と、これまた笑いながら話された。当然冗談だと思っていたら、先生は私たちを残して去ってしまった。

あまりのことに、私は江古田の葬祭場に通夜と告別式と二日間伺った。雪の降る日だった。先生の学習院女子校時代の教え子たちがたくさん来て先生を偲ばれていた。

式場には雪の降る中、先生の愛されたピアノの曲が流れていた。

そんなことをも思い出させる筑田さんの文章であった。

思えば20年近くディベートを指導しているんだねえ、筑田さん。

| | コメント (0)

関係づくり

1/13

曇っているかと思いきや、雪だ。
湖面に降る雨や雪は確認しづらい。テラスから外を見て、晴れていると思って外に出ると雨ということもある。

だが、今朝ははっきりとわかる雪であった。
曇り空から太陽が顔を出したりもしているが、その光を乱反射させながら雪は降っていた。

全ての光がモノクロームに収斂してしまっていた。
なかなか幻想的な光景であった。

Mono

2限は、学級担任論。残すところ本日を入れてあと三回。
今日の導入は成人式の話。この受講生は多くが昨日成人式をしてきて、今日の授業に臨んでいる。遊びすぎたのか眠たい目をこすりながら授業に出ている者が多い。
いつもは授業中に寝ている学生なんぞいないのだが、今日は
『そこ、寝ているぞ。起こしてあげよ』
という指示を出す。

成人式であるからして、大人である。日本人のライフイベンツの中で、成人式だけが税金で行われている。これが意味することは何なのかを多少考えさせる。

そして、大人とは何か、である。
これを扱うきちんとした授業は、残念だがこの学年ではどうやらできそうにもない。
だが、これを考えることはとても大事。成人式を切り口にして少し考えさせた。

『私は小さい頃、子どもが良いと大人に言われてきて、大人になるのが嫌だったが、それは大人になって間違いだということがわかった。はっきり言う。子どもより大人の方が良い』
学生たちは怪訝な顔をしている。
『だってね、・・・』
と話を続けた。

本日のメインテーマは、保護者との関係づくりである。具体的には、保護者会、家庭訪問、面談をどうするかということである。
なんで、保護者との関係を作ることが大事なのか。そして、保護者会、家庭訪問、面談が必要な意義は何か、どうしたらその必要な意義を導くような運営ができるのかなどについて講じる。

モンスターペアレンツは、いるかいないかと聞かれれば、私はいると答える。
しかし、それは本来は校長に任せれば良いことである。新人の教員が引き受けることはない。
竹内常一先生も仰っていたが、日本の教員は校長の仕事を引き受けすぎるとのことである。校長の仕事は校長に任せるのが良い。

担任の先生は、多くの普通の、そして子どもたちを育てようと思っている保護者との良好な関係を作り、学級の子どもたちを育てることに全力を注げば良い。そのために教師が行うことをあれこれ講じる。

授業後、何人かの学生が声をかけてくる。そのうちの一人が、
「先生、以前に先生が紹介してくださった『葉桜の頃に君を想うということ』を読みました」
と言うではないか。
『何! 読んだか!!』
「はい!!」

もうそれだけで良い。
この本は、読んだものだけがあの感動を味わえるのである。分厚い本で、その4/5を読み終えても
(これ、本当に解決するのか?)
と疑心暗鬼に満たされつつ読む本。
そして、感動の、いや、やられた~~~~~~と言う思いを抱くエンディング。
そして、もう一度最初から必ず読み直すことになるのである。
で、読み直すと
「チクショウ、チクショウ」
と嬉しく叫ぶ本なのである。

その学生は
「とにかく読んで」
と母親に勧めたそうだ。

未読の方。
『葉桜の頃に君を想うということ』は、読書の醍醐味を知ることができますぜ。
私も、さらにもう一回読もうかなあ。それはそれで面白いんだろうな。

赤坂さんの所もそのようだが、本学も今日が修論提出日。
私が大学に異動したときに四回生であった学生が、院生となり、修論を提出したとのことであった。
そうか、もう三年が過ぎるのだなあ。
中学校だったら、一年生が三年生になって卒業なんだねえ。

午後は、事務あれこれ。書類を書きまくり、あちらこちらに持参。
研究室の整理もしなければなあと思いつつ、仕事を優先。
うーん、片付かない。

仕事中にGBMで流していた音楽で「年下の男の子」が流れてきた。うーん、参った。やっぱり蘭ちゃんは可愛い。

さらに流れたのが「We are all alone」。やっぱり絶品だ。最近はアンジェラアキが歌っているようだが、やっぱりBoz Scaggsでしょう。「ふたりぼっち」なんて、凄いラブソングだよなあ。

そんなこんなで興奮しながら2008年の研究業績をまとめる作業をしている。印刷関係で締め切りがあったものはもう既に提出したのだが、その提出の土台となるこの一年の仕事をあれこれ記録している。

iCalに残るスケジュールメモと、その時に使った(作った)資料や原稿などを書き出しながら、私はこの一年、2008年に何をしてきたのかを振り返っているのである。

大学に籍を移す時、今まで自分がしてきた仕事(業績)の一覧を提出することになる。というか、その業績がないと大学に奉職することはできない。私はこの業績の一覧を作るのに、大学院にいた一年の夏休みのまるまる一ヶ月を要した。

自分で言うのもなんだが、かなりの量の業績を持っていたのだとそのときに気がついた。だってほら、大学の教員を目指して中学校の教員をしていた訳ではないので、こまめに業績をまとめるという作業をしていなかったから、そのまとめるときに自分でびっくりしたのだ。

だから、毎年一回まとめることの大切さをわかっている。こつこつとやっている。

これもまあ自分で言うのもなんですが、よくこんなに授業以外にあれこれしているもんだと思う訳です。あ、大学の業績は大学での授業はカウントされません。私は大学でFDということに力を入れるのであれば、大学でも授業はカウントするべきであると思います。

あれば、というのは宇佐美先生のFD批判本に納得することが多いからですが、このFDがなくなることはないのでしょうから、業績にカウントすべきかなあとも思います。ただ、どうやってカウントするのかは難しいですが。

そしてこのiCalには仕事のことだけではなく、プライベートなことも記録してあって、特に娘の通院のことの記録、初めて歩いた時の記録などを見ると、あの時、心配を重ねていたことや喜びがが思い出されてしまいます。そこに「Tears In Heaven」が流れてくると、もう、ダメですねえ。

音楽は心に直接響いてくるわけで。
参ります。

私の若い友人が今月一杯で有名なコンサル会社を退社して、独立し、やがて音楽の道で、この一回しかない人生を生きて行くことを決意したというメールが昨日届きました。

彼が就職するとき、私は「夜明け前」という日本酒で東京の我が家で乾杯をしたのを思い出しました。彼は、新たな夜明け前を迎える訳です。もう一度乾杯したいねえ、Y君。

だって、音楽だぜ。よくわからない人生を、さらになんだかよくわからない学問とか芸術とかに投げ出すってのは、最高の贅沢だよなあと思う訳であります。そこに挑む無謀さと才能に私は拍手と乾杯を送るものであります。

さ、業績のまとめの取りあえずの下準備は終わりました。明日の高大連携の授業の準備も終わりました。週末にはセンター試験が待っています。体調を壊さないように丁寧に過ごして行く一週間にしましょう。

| | コメント (0)

2009/01/11

『犬を飼う』(谷口ジロー 小学館文庫)

『犬を飼う』(谷口ジロー 小学館文庫)を読む。

子どもの頃は、母親が犬猫がダメなので飼うことができなかった私。成人して自分で家を構えたら是非飼いたいと思っていた。

結婚すると今度は奥さんが、犬猫がダメだと言う。母親に似た奥さんと結婚した私であったのかと思う。そんなことで、未だにきちんと犬猫と一緒に生活したことはない。

きちんと、というのは我が家には大きな犬のぬいぐるみのエディがいるのと、独身時代に二匹の子猫を飼っていたのだが、すぐに逃げられたと言う経歴があるからである。

『犬を飼う』は、子どものいない若い夫婦が一匹の子犬を育て、その子犬の成長とともに夫婦の成長を経て、その犬の死を看取るという、ありふれたストーリーである。

しかし、このありふれたストーリーの、淡々とした展開に生活や人生が描き出されているのである。谷口ジローさんの秀逸な筆致で描かれているのである。

まだ私が若かった頃、結婚したばかりの頃に読んだこのマンガ。
(ふーん)
と思いつつも、何か残るなあと思いながら読んだこのマンガである。
が、いまはいろいろな意味でよくわかる。

やっぱり犬猫を飼いたいなあと思う。
いまは、
「お父さん、飼って良いでしょ?」
と娘に言われて
『うーん、仕方がないなあ。な、お母さん』
と娘のせいにして飼える日を楽しみに待ちたい。

| | コメント (2)

2009/01/10

『価値ある出会いが教師を変える』(ひまわり社)

佐藤正寿著『価値ある出会いが教師を変える』(ひまわり社)を読んだ。

私も同じひまわり社から『教師になるということ』という新書本を出してもらった。小書は、教師になることの基本的な考え方を教職を目指そうとする高校生や大学生に向けて書いた本である。

この本を書き終えたとき、次のこのシリーズの本の著者を社長さんに相談された。
私はすぐに、佐藤先生のことを話した。

このひまわり社の新書本シリーズは、教師の仕事の仕方等を書くのではなく、教師という仕事の基本的な考え方、つまりは哲学を語るシリーズにしたいと言う思いを聞いていた。

佐藤先生は、明日の教室にも来て頂いた先生である。私と同じ年。
だから教員として修行の時間はほぼ同じである。

ではあるが、私とは全く対照的な学び方をしている先生であると思っている。
それは、

  • 素直に学ぶ
  • 目的を持って学ぶ

ということを継続的にされている先生なのである。

このことがきちんと描かれている本なのだ。
教師が修行して成長するということはどういうことなのか、
その具体的な一つの例を詳しく書かれているのだ。

勉強になる。

| | コメント (6)

2008/10/25

目次づくりと索引づくりの働き

通常私は一日二回風呂に入る。朝と夜である。ということは、一日二回本を読むことになる。たしか、レバリッジ本の本田直之さんも朝風呂読書をしているとのことを読んだことがあるが、私は風呂の中で本を読むのは中学生の時からずっとしている。キャリアは長い。

最初に風呂で読んだのは、ムツゴロウシリーズである。畑正憲さんの本が文庫本で出ると、買ってきて読む。しかし、半年に一回しか出ないので、この本を半年間楽しまなければならない。

そこで私が考えたのが、読み進めたくても読み進められない方法は何かないかと言うものである。私が採択したプランは、文庫本のカバーを取り外し、風呂の中にどぼんとつけることである。こうすることで、早くページを捲れば破れてしまうので、ゆっくりと捲らざるを得なくなるのである。

もちろん、どぼんと落とすのであるからびしょ濡れである。でも、そーっとページを捲る快感はいまでもはっきりと覚えている。

で、今朝の朝風呂読書で読みながら思ったことがある。ちなみに読んでいたのは、『全思考』(北野武 幻冬舎)である。

(あれ、朝風呂と夜風呂の関係は、目次と索引の関係かなあ)

である。
朝風呂読書は15分から30分ぐらいが多い。夜の風呂は赤ちゃんと一緒のことが多いので温めにお湯を張る。私は少し熱い風呂が好きなので、朝は熱めにして入る。そして、読書。

この読書が、一日のあれこれをしている中で、ふっと思い出されることがある。そして、いまやっていることに別の意味を付与してくれたり、根拠となったりしてくれることがあるのだ。だから、朝風呂読書は目次づくりである。

一方、夜風呂読書は索引づくりである。風呂につかり、一日のことを振り返ったりしながら読む。温めのお湯で娘が入ってくるまでの時間で読む。そうしていると、一日の出来事が本の中でヒットすることがある。

読書の内容は、夢の中にも影響する。たしか、脳科学者の池谷裕二さんは、睡眠によって脳は情報を整理していると言っていたが、その時の働きにも夜の読書は関係しているかもしれないなあと思うのである。

ひらめき、思考、対話など読書の楽しみ方はいろいろあるが、今朝の朝風呂読書で思いついた目次づくりと索引づくりの働きは、結構当たっているんじゃないかなあと思う。

| | コメント (0)

2008/09/28

出版の打ち合わせ

今日は絶好の運動会日和。糸井さん、土作さん、いわせんさんのところも運動会。筑田さんのところは、演劇の公演で、S水さんのところは文化祭。なんだかすごいなあと思う。

私は大学の近所の小学校へ。学生たちがボランティアで運営に参加させて頂いているので、様子を見るのとお礼のご挨拶に。本当に奇麗な青空と紅葉が始まりかけたかもしれない音羽山を愛でながら、学生たちの活躍と小学生の演技を見る。

校長先生に挨拶をしたら、後ろから呼ばれた。振り返ると京都市教育委員会の澤田先生だ。わくわく授業で同じディレクターに番組をとってもらった間柄の先生。指導主事として、今日は一日で4校の運動会を回るとか。大変だあ。

             ◆

研究室に戻り、授業の準備。火曜日から始まる「学級担任論」の今週分の最後の準備である。3時間ほどやって終わらないことを確認。うーむ。明日か明後日か、あと2、3時間はかかりそうだなあ。

90分の授業のために何をしているのかと思うが、これが当たり前だという思いもある。授業をつくるのは、大変であるがやはり面白い。

             ◆

夕食を食べに出かける。
今日は、研究室で糸井先生と編集者の方と私の三人で出版の打ち合わせなのである。糸井先生は、運動会の後なのだが、ここしか時間が取れなくてやることに。

「明日の教室」が主体となっての初めての出版となる。というか、最初にこの研究会を始めた時、出版を行うなんてことは想像だにしなかったが、話を進めてみれば、なぜだか分からないが、この本がでるのは必然のような気がしてくる。

まだ明らかに出来ないが、執筆陣は豪華である。そして、豪華なだけでなく
(え、この先生がこの内容を書くの?)
と思うようなものになる予定である。

先生方。
依頼が届きましたら、是非、断ること無くお引き受けくださいf(^^;。

             ◆

22時過ぎに大学を出る。
名神高速道路の明かりが奇麗だ。
明日も晴れるな。

123

| | コメント (0)

2008/09/23

後期の授業が再開

今日から大学は後期の授業が再開。もちろん、大学そのものは夏休みはお盆にしかなく、授業も集中講義が入っているため完全に実質はもう動き出しているのであるが、毎週の授業が始まるのは、今日から。で、私は研究日。

             ◆

午後から大型本屋に籠り、本を物色する。最近は仲間が読んでいてブログに紹介している本などをそのままネットで生協の本屋に頼んで大学の生協で受け取ることが多くなっている。

しかし、実物を見ながらあれこれ手にして探す。これはこれで良い。または、目当ての本の横にある本の横に面白そうな本を見つけて、お、ラッキーと思うのも嬉しい本屋での買い物である。

             ◆

藤原和博さんの新著『つなげる力』(文芸春秋)があったので、手にする。すると私が生徒たちに指導していた作文の書き方が紹介されていた。

「この方法は和田中学校に一年だけいた国語の先生に教わりました」

と書いてあったf(^^;。平田オリザさんと北川達夫さんとによる対談の名著『ニッポンには対話がない』にも平田さんの発言で、

「ディベートの専門家に聞いたのですが〜」

と私が話したことが書かれていたことがあった。なんというか、一人で驚いたりニマニマしたりしている私であるf(^^;。

             ◆

で、帰宅してからずっと本を読む。
娘の相手をしている時間が多くなり、集中して本を読む時間が減ってしまい、風呂やトイレで読むのがメインになっている気もしている。

娘の相手をして遊ぶのは面白いし、いろいろな発見もある。別に娘を研究対象にしようとは思っていないが、観察対象として見ているのは実に面白い。これがそのまま学生たちに話すには良い話題になるのであるから、読書量が減るのも、まあ良いかと勝手に理由を付けている。

             ◆

部屋の中を涼しい風が吹き抜ける夕方、夜。
ただ、読み続ける。
ただ、読み続けた。

| | コメント (4)

2008/09/11

『中等教育におけるディベートの研究』のご注文方法

『中等教育におけるディベートの研究 〜入門期の安定した指導法の開発〜』(池田修 大学図書出版 193p ISBN978-4-903060-36-1 C3037 ¥2000E)

上梓したと言うアナウンスをさせて頂きました。
ところが、うまく販売ルートに乗っていませんでした。
やっと乗る事が確認できました。

申し訳ありませんが、注文は、直接大学図書出版にお願いします。

電話    03-5366-9280 
ファックス 03-5366-9277

です。
よろしくお願いいたします。

| | コメント (0)

2008/08/02

『中等教育におけるディベートの研究』

Rimg0188

『中等教育におけるディベートの研究 〜入門期の安定した指導法の開発〜』(池田修 大学図書出版 193p ISBN978-4-903060-36-1 C3037 ¥2000E)という本を上梓することができた。私の修士論文を元にして書き上げた初めての学術書だ。

今年の三月に仕上がっていたのだが、校正がうまく伝わっていなくてこのまま世の中に出す事は出来ないということで、さらにきちんと校正し直して出版の運びとなった。

ですので、もし、最初の本がお手元にある方がいらっしゃいましたら、交換させていただきます。

            ◆

書き上げた時間は二ヶ月半であるが、研究に費やした時間は10年である。

ディベートではなく、ディベート指導。それもディベートの入門期指導にポイントを置いて研究してきた成果をまとめた一冊だ。私が開発したシナリオ方式、改良シナリオ方式の指導に至るまでの過程を明らかにすることができたと思っている。

要旨と目次は下記のURLにある。(小書作成のためにレイアウト変更等があり、ページはずれていることもある)
注目していただきたいのは、第二章と第三章が、目次レベルでも一対一対応になっている点である。

http://homepage.mac.com/ikedaosamu/summarycontents.html

            ◆

私は生徒にも学生にもこんなことを話している。
『論文は、主張が題名で、根拠が本文である』
だから、『中等教育におけるディベートの研究 〜入門期の安定した指導法の開発〜』としたところで、ディベートに興味のない人は読まない。それでいい。

そして、タイトルに興味を持って読む人が次に見るのが目次である。目次の中のいくつかの項目が自分にヒットすれば、その項目だけを読む。

実際私が論文を書くとき、上記のような方法で読むことが多い。だから、自分が論文を書く時も、読んでくれる方、引用してくれる方にとって分かりやすい方法で論文を書こうと思ったのだ。

第二章の目次を読んでいただいて、興味を持ったところに対応した第三章を読んでいただければ良いように書いている。

もちろん、全体を読んでいただければ、それはそれでとてもうれしい。

お手元にされた方、ご批判いただければ幸いです。

| | コメント (5)

2008/05/21

『僕たちの好きだった革命』

『僕たちの好きだった革命』(鴻上尚史 角川学芸出版)。一泊二日の間に読み終わった本である。鴻上尚史さんの同名の脚本の小説化された本である。

久しぶりに、泣きながら笑い、笑いながら泣いた本である。この場合、「泣きながら笑い」というのは、切なくて泣いていたらそのまま笑い出してしまったということである。笑いながら泣いたも同じ。鴻上さんならではだ。

            ◆

鴻上尚史さんが主催する、第三舞台の『宇宙デ眠ルタメノ方法ニツイテ』を下北沢の「ザ・スズナリ」劇場で見たのは、岩谷さんがまだご存命の頃で、もう20年近く前のことになるであろうか。

RCサクセションの「トランジスターラジオ」から始まるそのステージは、始まったと思ったら、終わっていた。ただ、鷲掴みにされて目の前に突きつけられた「表現」の可能性を抱えて下北沢の街を歩き、「陣太鼓」のカウンターに腰掛けて、うー、うー唸っていたのを思い出す。

            ◆

私の世代は、ビートルズには遅く校内暴力には早い時代である。ま、どちらも知っていると言えば知っているがそのど真ん中ではない。まして、全共闘などは分からない。

その70年安保の時代に高校時代を過ごした人間と、その30年後の高校時代を過ごしている人間とが作り出す、えも言われぬドラマである。

先生であって、この時代を生きてきた人間にはなんとも面白く切ないドラマである。お薦めだ。

| | コメント (0)

2008/04/21

GT roman DEAD END STREET」

「GT roman」は、一部の人には絶大な人気の漫画である。それの初期の作品を集めた「GT roman DEAD END STREET」(西風 モーターマガジン社)を読んでいる。

1960年代から80年代前半までの名車を扱っているこの漫画は、スーパーカーブームに入る前の車クレイジーたちの日常(というにはかなりヘビーだが)がおもしろおかしく描かれている。

雰囲気としては、「アヴァンティ」のクルマ漫画版といえばいいだろうか。

            ◆

車乗りには二種類いる。乗れればいいという人と、この車でなければ嫌だという人。私は比較的前者だったのだが、最近は比較的後者になっている。その後者の中で、新しい車程よいという人と、ビンテージの車の方が良いという人に分かれる。

私はこれは前者に近い。後者の車は壊れる。もちろん、後者の人たちは口を揃えて言う。
「直せばいーじゃん!」

はい、その通りですが私はそういうの面倒なのでできませんf(^^;。ですが、ちょっとこれにも憧れるんだなあ。この漫画は後者の後者たちが気持ちよく描かれている。アホな男たちを描いている。

            ◆

それにしても、西風の漫画に流れる空気は心地よい。
これは明らかに東京に流れる空気ではない。

車を描きたいのか、空を描きたいのか分からないほどのコマ割り。沼津ってひょっとしたらイタリアの一部ではないかと思わせる風景。

            ◆

私はここにいるよというメッセージが切なく、気持ちよい。

| | コメント (0)

2008/03/12

ゲラに赤を入れて行く

ふう。

午前中から研究室に籠っている。
外は春の日差し。

年度末の事務仕事を一段落させて、お昼ご飯。
さて、ここからが勝負である。

            ◆

今年度は、
『教師になるということ』(ひまわり社)を上梓した。御陰さまで、好評なようでネットで検索すると好意的な書評が多い。

そして、年度末に共著が二冊でた。

1)『ベテラン教師の超ワザ222 忙しい学校生活をのりきる!』(ひまわり社)

2)『中学校学級担任のための ポジティブコミュニケーションカード』(民衆社)

この二冊は、四月からすぐに使える本である。
1)は、毛利先生が昔出された出された本があって、そのコンセプトに従ってみんなでアイディアを出したものだ。ちょっとしたアイディアを知っていると学級経営や学級事務が捗る。そんなアイディアをまとめている本である。

2)は、かつて上條さん、石川さん、筑田さんと私で出した本を時代に合わせてアイディアを練り直してヴァージョンアップした本である。このかつて出した本は、その年の春の教育書フェアで堂々第一位を獲得した本で、とても思い出に残る本である。今回は、CDまで付いている。お値打ちである。

さらに、もう一冊出す予定である。私にとって初めての学術書だ。今この本の校正をしている。200p近くなる。

            ◆

ずっと原稿とゲラを見比べている。
万年筆のインクを赤に入れ替えて、ゲラに赤を入れて行く。

体が固まってしまうので、90分で鳴るようにキッチンタイマーをセットして、鳴ったらとにかく一度席を離れるようにしている。

どんなに激しく使ったところで脳みそは疲れないということだが、脳みそは疲れなくても目や背中、指先等は疲れてくるなあ。目薬を差し、只管自分の書いた文章を読み込む。

年度内の出版を決めている。
もう一踏ん張りだ。
今日の帰りは遅くなりそうだ。

| | コメント (0)

2008/02/29

『笑いの現場 ひょうきん族前夜からM−1まで』

私は「お笑い教師同盟」の会員でもある。

かつて会員たちで、明石家さんまさんの笑いを分析したこともある。
かつて「私のお笑い教師道」として、「『笑点』の「大喜利」からのスタート」という原稿を書いた事もある。

会員の笑いの好みは、落語系、漫才系の二つに大きく分かれ、私は前者である。が、この研究会に所属することで後者についても触れることが多くなった。関西に住まいを移してから今まで以上に多くの笑いに触れることになった。

そんな私が気になる芸人の一人に、ラサール石井さんがいる。
丁寧な、そして計算された立ち位置からでる、笑いやコメントに
(うーん、いいなあ)
と思っている。

            ◆

『笑いの現場 ひょうきん族前夜からM−1まで』(ラサール石井 角川SSC新書)を読んだ。

唸った。
興奮した。
一日で読み切れるのを、敢えてスローダウンして三日もかけて読んだ。

私の青春時代の笑いから今の笑いまでの歴史を、出演者の側からレポートして分析している。どのように笑いや笑いの番組が作られてきたのか、さらにはM−1の審査の行い方や内情まで書いている。これは、授業の作り方や生徒の評価の仕方について、多くのヒントを与えている。

授業や授業外での生徒とのコミュニケーションのあり方、また、教師の修行のあり方を考える先生には、とても勉強になる本である。

| | コメント (0)

2007/12/20

『誰だってズルしたい!』

『誰だってズルしたい!』(東海林さだお 文芸春秋)

私は、授業のあるオンシーズンでは、基本的には楽しみとしての読書はしない。楽しみの読書は、授業のないオフシーズンにするようにしている。もう十年以上そうしていると思う。

楽しみとしての読書の本は、買っておいてオフになった時に読むようにしている。それまでは積読だ。だが、後少しで授業が終わると言うところでこの本を読んでしまった。

いや、なんというか体と心が疲れていたので、東海林さだおワールドに浸ってリハビリをしようと思ったのだ。

            ◆

いやあ、さすが東海林さんである。
面白い。
そこまで拘るかというところまで、拘っている。

            ◆

そして、巻末にはあの土屋教授との対談。さらに、解説は養老先生となっている。
ここで東海林ワールドの笑いの秘密に迫っている。
もう、読んでもらうしかない。

ああ、気持ちよかった。

| | コメント (0)

2007/10/22

『寝ながら学べる構造主義』

学研の「NEW 教育とコンピュータ」では、私が提唱する大人論の連載が続いている。詳しくはそれを読んで頂くことにして、大人とは何かを考えることは教師であるためにはとても大事だと考えている。

私達教師は、子どもを大人にすることを仕事としている。親も、子どもを大人にすることを担っている。社会もそうである。それなのに、「大人ってなに?」と聞かれて、これに明確に答えることの出来る人は少ないのではないだろうか。

辿り着かせるゴール、目指すゴールがなんだか分からないままに指導をするというのは、これは無謀だ。決定的な答えを手に入れることが出来ればそれはいいが、そうでなくても仮説でも良いから自分の指導の指針として「大人とは〜である」というのを、少なくと教師は持つべきであると私は考えている。

            ◆

『寝ながら学べる構造主義』(内田樹 文春新書)を読んだ。このなかに、ラカンの主張としての大人になるとはどういうことなのかの記述がある。これに関連して、人間とはどういうものなのかの記述もある。面白いなあ。

非常に偉そうなことを言うと、私の考えている大人のフレームの中の一つを丁寧に、すっごく深く考察しているなあと思う部分があって勉強になった。でも、新しいフレームはなかった。半分悲しくて、半分嬉しい。

            ◆

ポストマルクス主義として現れ、また、サルトルの実存主義を批判したものしての構造主義の考え方を丁寧に説明していて、分かりやすい。この構造主義の向こう側に何があるのか、これを考えるのもまた面白い。

私は
(あれかなあ・・・)
と思いながら読んでいましたが。読んだ皆さん、どこかでこっそり話し合いませんかf(^^;。

| | コメント (2)

2007/09/18

DVD 「句会」「たほいや」

新しいDVDが出ました。ディベート指導DVDに続く、第二弾の「句会」第三弾の「たほいや」です。どちらも、大きな枠でくくると「学習ゲーム」です。

            ◆

俳句の指導はどうしても鑑賞が中心になってしまいがちですが、実際に作って鑑賞する。その方式として句会があるのですが、なかなか句会までは指導する機会がないと思います。しかし、是非その句会を開催してみてください。非常に面白いです。

句会は、作者と作品を切り離して、作品だけでその優劣を決める方式です。(○○さんが作った作品だから)という規準で選んでしまう思春期の子どもたちにとって、一度作品を作者を切り離し、作品だけで鑑賞するという経験を積ませることは大事だと考えています。

また、この句会を知っておくと、句会方式でさまざまな指導が出来ます。私は「こんなタイトルなら読んでみたい作文コンテスト」「人生名言集」などの実践で活用していました。

            ◆

「たほいや」は、それこそ今を去ること20年ぐらい前のフジテレビの深夜番組で行われていたゲームです。あの当時は「カノッサの屈辱」など非常に面白い深夜番組がありました。簡単に言えば、辞書に書いてある単語の意味を当て合う集団ゲームです。

テキストでルールを理解するには、ちょこっとルールが複雑なので、ビデオ化できて良かったなあと思っております。これなら一発で分かります。

私はこのゲームをよくパーティでやっていたのですが、よくよく考えてみると「読む」「書く」「話す」「聞く」の、国語の四要素が入っていることに気がつきました。ならば、辞書に親しむことと四要素を鍛えることを目的として授業として組み立ててみようと言うのが、最初です。

東北福祉大学の上條晴夫さんによると、日本の教育の文脈にたほいやを持ち込んだのは、私が最初だと言うことです。責任を果たせて良かった。

            ◆

ディベートのDVDに比べれば、今回は随分と廉価になっております。個人ではそれでも高いと思いますので、もしどこかに予算が余っていたら御買い求めくださいf(^^;。

どちらも、子どもたちは非常に喜び、力の付く実践です。

| | コメント (0)

2007/09/03

『教師になるということ』

0041
新刊がいよいよ書店に並びます。単著としては三冊目、新書サイズの本としては初めての本になります。出版社のひまわり社は家本芳郎先生のご縁でお世話になるようになりました。とても丁寧に本を作ってくださるので、安心して全力を注ぐことができました。

『教師になるということ』

* 池田 修 著
* 本体価格 860 円(税別)
* 新書 ・ 184 頁
* 2007年9月10日 発行
* ISBN4-902232- 41-7

http://www.himawari.or.tv/cgi-bin_database/database.cgi?tid=list7&keys11=0041

            ◆

私が教師になった頃に比べると、今といろいろと違うことがあります。大きく違うなあと思うのは、授業の指導方法などはかなり整理されてきているということです。指示、質問、発問などの行い方、授業の展開の方法、ワークシートの開発などなど。

これはこれで素晴らしいことだと思います。私の頃なんてディベートを教えるためにアメリカの高校生の教科書を買って翻訳しながら指導していましたから。

            ◆

ですが、その一方でなぜこれを行うのか、という部分が重視されることが少なくなってきたのではないかなと感じるようにもなってきました。

技術や道具は、ある考えを具現化するために使われるものです。なんのためにこの「指示、質問、発問などの行い方、授業の展開の方法、ワークシートの開発」をするのかという部分を語ること抜きに、教育と言う営みは行われないはずだと私は考えています。

ところが、教員の超多忙化は、この「なんのために」という部分を考えさせることを許しません。そして、上から与えられた考えだけに基づいて、指導の技術を重視して教育を進めるようになりつつあるのではないかと感じています。

しかし、目の前の子どもたちの事実から教育を始めるには、この「なんのために」を幅広くじっくりと自分の頭で考える必要があるのです。

            ◆

私はディベートのワークシート、学習ゲーム、学活のコピー資料集の開発などをしてきました。つまり指導の技術に思い切り携わってきています。それは、私が教育を学んだ頃は「なんのために」が重視されていて、「技術」が弱かったということが理由の一つです。だからそこに力を注ぎました。

当たり前ですが、教育は哲学(基本的な考え方)と圧倒的な知識と指導の技術が必要な営みです。今回の本は、私が今まで実践してきた経験をベースにして語ってみました。そのことから、
(教育に関わるってどういうことなんだろうねえ)
ともう一度自分なりの教育に関する哲学を確認してもらうきっかけになってもらえればいいなあという思いで書きました。

            ◆

私が一緒に「明日の教室」を主催している糸井先生の書評です。

http://susumu.exblog.jp/6079010/
より 引用開始 ーーーーーーーーーー

「いやあ、参った!」
本を読み終えた時、思わず、叫んでしまった。
その本とは、池田修先生(京都橘大学文学部准教授)の新書「教師になるということ」(池田修著・ひまわり社)のことだ。
この本は、今、流行の(?)ハウツー本などとは違う。
池田修という一人の優れた教育者が、教育を真正面から語った哲学書とも言える本である。
この4月から、教育サークル「明日の教室」を共に立ち上げたこともあって、池田先生と話をさせていただく機会は多く、学ぶ点は多かった。
しかし、しかしである・・・・ここまで、理路整然と教育について語れるのだという事実を突きつけられ、「参りました」となった次第・・・・なのだ。
「まえがき」の書き出しは、こうだ。

この本でみなさんと一緒に考えてみたいことは、教師になるということ、教師であるということは、どういうことなのかということです。

そうなのだ、そのことを是非、教師をめざす学生に、若い教師に考えてほしいと私も思う。
そして、この本には、池田先生が考える「教師になるということ」「教師であるということ」が、真正面から語り言葉で書かれている。
まさに、現場からの提言である。
これが、現場で必要な力だと思う。

この本が、今後、真の教師をめざす若者のバイブルになることを願う。
まだ、読まれていない方!本屋に急がれることです!
(あっ、まだ、本屋には並んでいないかも・・・)

引用終了 ーーーーーーーーーー

ちょっと誉め過ぎだとは思いますがf(^^;。

新学期が始まり毎日の実践が次から次へと襲ってきます。そんな中でちょっと立ち止まって考える時間になれればと思います。

多くの方に読んで頂けますように。そして、子どもたちとの豊かな関係が生まれますように。

| | コメント (11)

2007/08/08

『野洲スタイル』

『野洲スタイル』(山本佳司 角川書店)を読む。
滋賀県立野洲高校といえば、今までの高校サッカーのスタイルとは違うスタイルで日本一位に輝いた高校である。ここのサッカー部の監督である山本先生の書かれた本である。

ディベート甲子園のお供にと鞄に入れた数冊のうちの一冊だが、これは良かった。

・ 学校のクラブの指導者というのはどうあるべきなのか。
・ ビジョンを持つ、具体化するというのはどういうことなのか。
・ 世界で活躍させるとはどういうことなのか。

これらのことについて述べられている。

            ◆

山本先生は、サッカーとしての選手経験はない。さらに野洲高校は就任当時サッカーの強い学校ではなかった。その学校に二校目として赴任して自暴自棄になったこともあったとのこと。ゼロからのスタートで日本一を獲得するそのプロセスがいい。

ちょっと私にも共通することがあり、私は実感を伴って読むことができた。

「ゼロからスタートすることのできる幸せ」

これは、そのゼロの地点にいる時には分からない。不幸にしか思えないのだが、そのゼロに立つことが大きな可能性そのものであり、自分の成長の土台なのだ。が、これがなかなか分からないのだ。

            ◆

今、もしそのゼロの地点にいるとしたら、そこからどのように戦略的に動いていくのかということを具体的に書かれている本である。サッカーの指導者にならなくとも、ディベートの指導者であっても、他のクラブの指導者、はまたま学級担任等にもヒントを与えてくれる刺激的な本である。

私は、今日礼儀として、この本の最後の最後の部分を新幹線で野洲川を渡る時に、感動とともに読み終えた。

| | コメント (0)

2007/08/02

『ファックス資料中学校・高等学校ディベート授業が楽々できるワークシート』

Debate

新刊が出ました。

『ファックス資料中学校・高等学校ディベート授業が楽々できるワークシート』
池田 修 著 学事出版 版
2007年07月 発行 1,890円(1,800円+税)
ISBN 978-4-7619-1360-1 (4-7619-1360-6) C-CODE 3037

            ◆

本書は、修士論文「中等教育におけるディベートの研究ー入門期の安定した指導法の開発ー」で示した理論をベースにして、ワークシートとして教材化したものです。ディベートの試合の実際をシナリオにして読みながら学ぶ「シナリオ方式」を採用したワークシートです。

ディベートの授業は、7割が準備、2割が試合、1割がまとめです。入門期指導の場合、いかにこの7割の準備の負担を少なくするかが指導の鍵だと考えて、指導方法を考えてきました。その答えがシナリオ方式です。

シナリオでディベートを読み上げながら、実際に試合をして、ディベートの試合の組み立て、用語、議論の型などを体験して学習していきます。このシナリオがあるおかげで、子どもたちは準備をほとんどすることなく試合を体験で来ます。実際の授業の記録はわくわく授業で放映されました。

年間指導計画でディベートはやることにした。だけど、時間がない。
分かります。でも学校教育現場の忙しい中で、2時間だけディベートの指導に使える時間ができた、または、2時間しか指導する時間がない。そういうところでも大丈夫のように作りました。もちろん、10時間あっても大丈夫です(^^)。

            ◆

15年ほどディベートの入門期指導に取り組んできて、今、具体的な成果として残せたものは、書籍では本書です。また、DVD教材としては、「ディベート入門講座 シナリオ方式のディベート 全3巻セット」があります。

私がディベートに出会った頃は、日本語で書かれているディベートの指導書は、ビジネス書と大学の英語ディベート界で使われている物ぐらいしかなくて、私はアメリカの高校生が使っているディベートの教科書を買ってきて、翻訳しながら授業を行っていました。

私の学生時代は、私はディベートのデの字も知りませんでした。教員になってから「もっと面白い話し合いの授業はないのですか?」という子どもたちのリクエストに応えて始めたのが、私のディベート指導の始まりでした。

いやあ、人生は振り返ってみるとあまりにも短いのが分かりますねえ。

とまれ、私がディベートを指導し始めた頃は、「デ、ディベートが指導できるのですか!」という時代でしたが、そろそろ「え? まだディベートの指導をされたことがない?」とか「え、ディベートって相手を言い負かすゲームだと本気で思っているんですか?」という時代になってきたのではないかと思うのです。

            ◆

二学期の授業、後期の授業でディベートの授業をお考えの方、どうぞご活用ください。

| | コメント (4)

『白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい』

蟹座の私は水の近くが好きである。水の近くにいると運気が上昇すると風水をやっている知人に言われたことがある。東京の住まいは多摩川に臨み、この地ではびわ湖に臨んでいる。

いつもなら静かな揺らめきを呈しているびわ湖は、台風5号の影響だろう、湖面が荒い。その荒さが普段はない波を生み出す。定期的に打ち寄せるその波から心地よいリズムで音が部屋に届く。

朝方は比叡山から吹き下ろしていた風が、昼前にはびわ湖から吹き上げるようになった。

            ◆

『白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい』(白川静監修 小山鉄郎編 共同通信社)を読み続けている。漢字指導をするとき、指導者がその漢字の意味を丁寧に学習しておくことは、非常に大事である。本書は、専門家の知見をふんだんに取り入れた入門書である。

日本の最後の碩学と言われる白川先生は、旧来の人類最古の字書『説文解字』で説明されてきた漢字の説明を、その『説文解字』よりも3000年前にできた文字を元に漢字のルーツを解明し直した先生である。

『説文解字』は、許慎という者が今から2100年前に小篆という字体を元に作ったものだ。白川先生が元にした3000年前に書かれていた甲骨文や金文という字体は、19世紀末に発見されている。許慎やその後の学者は資料とすることのできない文字たちが、19世紀末に発見されたのだ。

            ◆

なんという幸せだろうと思う。漢字ができて5000年。その5000年の時を越えて、白川先生という碩学の手によって解明された漢字の意味。それをたった1000円で読むことができる。値段というのはなんなのか、物の価値というのはなんなのかと改めて思う。

            ◆

読み進めると衝撃ばかりである。漢字については割と勉強したつもりだと思っていた私だが、まだまだであった。ヘーッと思う漢字ばかりである。





なんでこの漢字がこの部首でできているのか。このパーツからできているのか。説明を受ければ一発で分かる。そして、おそらく一生忘れない。物語記憶だからである。小学生にはちょっとグロテスクな説明もあるが、そこを差し引いても充分すぎる内容である。

来年の授業の課題図書候補の一つにしたい。

            ◆

ああ、風が強くなってきた。
湖面に白波が立っている。
いよいよ台風も近いか。

| | コメント (0)

2007/07/15

一気に8巻か

あーあ、読んじまった。
一気に8巻か。
台風の大風も気にならないで読んじまったな。
『バンビーノ』か。

            ◆

このところ、仕事の読書に追われていて楽しみの読書をしていなかったから、そのリバウンドなんだろうな。ま、授業のあるオンタイムの時には楽しみの本は読まないで、仕事の本を読むようにしているのはいつものことだが、切り替えがスムースに行っていないかもなあ。

左の瞼が断続的に痙攣する症状が出るのは、目が疲れている証拠だ。何もそんなときに漫画の8巻一気読みなんかすることもないと思うが、そのなんと言うかハマることが人生の楽しみなわけであって、瞼よ許してくれい。

            ◆

『バンビーノ』の作者は、名作『万歳ハイウェイ』(by オサム)のアシスタントをやっていたんじゃないかな。時々絵柄が似ている。特に年配の人の絵柄がそっくりだ。

『万歳ハイウェイ』は、確か書斎に眠っているはずだなあ。私の最初のバイクSRX-4が主人公の話は、本当に感動したよなあ。

そのアシスタントが、こうして新しいヒットを生み出している。いいなあ。才能が受け継がれて行く。師匠の絵柄を「本歌取り」しつつ作品を展開していく。
(あの漫画の中の登場人物は、いまごろどうしているかなあ)
なんて思ったりもした。

            ◆

おやすみなさい。

| | コメント (0)

2007/07/14

いまごろ『バンビーノ』を読んでいる

昨日の歯の工事の痛みが残るかと思ったが、歯茎の腫れ程度で無事、朝を迎えることができた。ほっとした。

            ◆

台風が来る前に、いろいろと買い物を済ませる。
空き缶をお酒の量販店に持っていったところ、エビスビールが半額で売られているのを発見。大瓶である。なんで半額なの?

半額の理由を聞いてみたところ、製造から3ヶ月経ったものは半額で売るのだそうだ。へーっと思いつつ、エビスビールが売れ残っていることに時代の流れを感じる。プレミアムビールが増えたし、ベルギービールも簡単に手に入るようになったし、エビスでなければならないということもなくなったしなあ。

大体からして、モルツがあんなに美味しくなるとは思わなかったしね。(あ、もちろん今のデザインの前のモルツね。今のモルツはプレミアムモルツとの味の差をくっきりと付けるために、味を落としたと思える)

(今晩は、半額で買っておいた子羊のもも肉と、エビスだな)

と思い、半額を喜びつつ購入。半額セットだ。

            ◆

午後から大学に行き、仕事。
台風が来ているキャンパスは、人影も少ない。
おーし、集中して仕事を片づけるぞ。

ふう。
土曜の夕方のFM番組が始まるまでにはなんとか形になった。

一息ついて、次の仕事をしていたら研究室の窓を叩く雨の音が激しくなってきた。
台風が迫ってきた感じだ。
さ、帰ろう。

            ◆

夕ご飯、久しぶりにカレーを作った。
半額セットのつもりだったが、歯茎の腫れが引かないので大事をとることに。アルコールはなし。

最近は忙しくて夕ご飯を作ることもなかったが、今日は作った。
いやあ、いまごろ『バンビーノ』を読んでいる。今日は一気に4卷まで読んでしまった。それに影響されている自分がいる。

私にとって料理漫画と言えば、『包丁人味平』である。どうしてもこれと比べてしまう。で、『バンビーノ』は、良い線行っている。扱っている料理がイタリアンというのもいいな。

            ◆

明日、残りの4巻を読み終わってしまうんだろうな。それで、なんか料理を作っているだろうなと思うf(^^;。

なお、現在、暴風警報がでているのに、非常に静かなびわ湖であります。
三階までは被害はないと思っております。
みなさんのところも、被害のありませんように。

| | コメント (0)

2007/06/19

『大学の授業』(宇佐美寛 東信堂)

『大学の授業』(宇佐美寛 東信堂)を読む。
研究日ということで、読書。今日の読書は、書き写しという方法で行った。宇佐美先生の著書を400字詰めの原稿用紙に書き写して読んでいた。

丁寧モードで書き写していたので、一枚当たり二十五分かかっていた。やっぱり時々書き写しながら読むのは良いなあ。スピードを落として読むことで、ただ読んでいるだけでは気がつかないことに気がつく。

宇佐美先生は、原稿をボールペンで書いている、ということを違う本で読んでいた。ということは、手書きで書き写すことは、宇佐美先生の文章のリズムを体に入れられることになる。実際は、推敲を重ねた結果が本になっているので、推敲の過程を経た文章を受け入れることになる。どっしりとした思考が体に入ってくることになる。

この感覚がいい。
上手く言葉にしづらいのだが、私の体に少しずつ刻まれて行く何かがあると感じられるのだ。

当たり前だが、読むスピードと書くスピードでは、前者の方が一般的には速い。そして著者と読者とでは、前者の方が上回っている。宇佐美先生と私では言うのも憚られるほど、この原則が当てはまっている。だとすれば、書く人のスピードよりも遅いスピードで読むぐらいがちょうどいいのかもしれない。

書き写しと言う読書は、これに合致している。もちろん、読書とは「書を読む」であるが、私は最近、いろいろな意味で「読む、書く」が読書ではないかとも思っている。


| | コメント (2)

2007/06/15

『大学授業の病理 FD批判』

『大学授業の病理 FD批判』(宇佐美寛 東信堂)を読む。

んーん、いかん。
学生たちを甘く指導しているかもしれない。
宇佐美寛先生の本を読んでいると、そう思う。
授業の奥深さを改めて思う。

            ◆

ディベートの指導をしているときに思うのだが、私が分かりやすく話せば話すほど、学生たちは楽をしているのではないかと思うことがある。
(ん? 何を言っているんだ? この先生?)
と思いつつ、自分で話を整理しつつ聞くのと、先生の頭で丁寧に整理されているものを順番に聞くのを比較すると、後者の方が「分かりやすい授業」になると思われる。

しかし、これが「分かった授業」かどうかというと、果たしてそうなのか私には疑問が残る。

            ◆

文章の読解の指導をしているときに、
(読解の授業の目的って何だ?)
と思う

読解とは何か?

三省堂「大辞林 第二版」より
引用開始 ーーーーーーーーーー

文章を読み、その内容を理解すること。
「長文を—する」「—力」

引用終了 ーーーーーーーーーー

通常は、文章を書いている人に知識や知恵の集積があり、その知識や知恵は読み手には及ばないものがあるから、うーうー言いながら「読解」するというものである。が、世の中には読み手を意識しない読みにくい文章もたくさんあるわけで、読解の授業をするよりも「書き方」の授業を重視した方が、いいのではないかと思うのである。

良い文章が増えれば、読解の授業はこうなる。
「この文章は、ダメだ。だから、書き直しなさい」

            ◆

答えは学生が自らの頭で作り出す作業である。それを私が我慢しきれずに伝えてしまうのは、結局、学生を育てたことになっているのだろうかと思う。

もちろん、時間切れもある。
が、私自身、大学生の時に貰った問いに自分で答えを出すのに20年近く掛かることがいくつもあった。何も授業中に理解を求めるのが大学の授業でもあるまい。

大学教員二年目。
改めて授業の奥深さを感じ、中学生ではなく大学生に合わせた授業をつくって行こうと思う。

| | コメント (0)

2007/06/11

『大学授業入門』(東信堂 宇佐美寛)

『大学授業入門』(東信堂 宇佐美寛)を読む。

読もうと思っていてもなかなか手が出せない著者というものがある。私にとって、宇佐美寛先生は、そのお一人であった。本は買ってあった。そして、その質の高さもあちらこちらから伺っていた。私の知り合いの先生がたもかなり影響されている。大学の先生も影響されている方が多い。

となると、へそ曲がりの私は読まなくなる。宇佐美先生相手にライバル視をしても仕方がないのだが、下手に良い本を読んでしまうと、自分で授業をつくることを考えなくなる。私の場合は十分にあり得るので、そんな意味もあって我慢していた。

これじゃいかんのだが、性格はなかなか治らない。が、大学の教員も一年間を終え、自分なりの授業も一通りやれたので、封印を解こうと思った。

そうしたとき、選択の方法は二つある。一つは作品が作られた順番に読むであり、もう一つは最新刊を読むである。これは好みや状況に寄っても違ってくるのだが、私は今回は最新刊から読むとした。

結果。今読んで良かったなと思った。もちろん宇佐美先生には及びもしないだろうが、私が目指してきた方向は間違っていないということが確認で来た。そして、今の年齢で今の状況で読むからこそ、分かる部分も沢山あると思った。

これからの大学での「授業」がますます楽しくなる本であった。
さて、次は『大学授業の病理 FD批判』を読もうかな。

| | コメント (0)

2007/06/03

『下流志向』の酷評

私は最近、内田樹先生の本をかなり読んでいて、その中でも『下流志向』はお気に入りの本なのですが、この本への酷評を見ました。

このブログの著者はなかなか筆力があり、検証もしっかりしているのでときどき読んでいたのですが、その中で、2007年の1月から3月の本の中でワースト1に輝いているのです。

いろいろな見方があるから面白いのですが、ワースト1ねえ。他のワーストにあげられている本を見ると、
(あ、やっぱり、これはワーストね)
と思うものもあるので、ちょっと気になりますねえ。

内田先生の語られるものは実感を持って読めるだけに、それを違うと言う根拠となっている本というのは興味を持ちます。

だけど、ここでネットでクリックして注文してしまうと、積んどくがさらに凄いことになりますから、ここはブログにメモとして挙げておくだけにしておきます。どなたか読まれましたか?

| | コメント (7)

2007/05/22

『とめはね! 1』(河合克敏 小学館)

『とめはね! 1』(河合克敏 小学館)を読んだ。文科系青春コメディーである。高校の書道部が舞台の漫画である。

まだ一巻しか出ていないが、まあ、それなりに楽しめそうである。書道の上達に向けてさまざまな話が出てくるものと思われる。「永字八法」「三折法」などの基礎的な書法の説明や、「九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんのめい)」などのお手本の話が出てくるわけで、それはそれで勉強になる。

が、しかし。残念ながらその作品中で使われている書道の作品が、上手くない。わざわざ大学の書道部の学生に書いてもらったりしているのだが、びっくりするぐらい上手くない。これが上手い字だと思って若者が読んだら、駄目でしょ。

うちの大学の書道科の学生の方がよっぽど上手い。書かせてくれれば良いのに。それに、お手本なら、古典から集字(しゅうじ)して、それを使えば良いのに。

そこだけ(というか、そこが駄目だと駄目という説もあるが)だめだが、あとは勉強になる本かもしれません。>Nekoskeyさん。

| | コメント (6)

2007/04/27

『搾取される若者たち ーバイク便ライダーは見た!』

『搾取される若者たち ーバイク便ライダーは見た!』(集英社新書 阿部真大)を読んだ。団塊ジュニア以降の若者たちが陥る仕事の上の問題点をしている。

不安定雇用の職種であるバイク便のライダーは、若手によって支えられている。不安定雇用にも関わらず、彼らはワーカーホリックに陥って行く。そのからくりを著者自らが一年間バイク便ライダーをすることで明らかにした著作。

私も学生時代にアルバイトで塾の講師をしていたが、そこでの雰囲気がこの本に描かれている雰囲気に多少似ている。明るくて爽やかなのである。塾講師とバイク便ライダーでどこが似ているのかと思われるかもしれないが、実に似ている。さっと読める文体なので、その謎は読まれると分かると思う。

一種のキャリア教育としてこの本を捉えることも出来る。それは、爆発的に売れた『13歳のハローワーク』に関する次の批判からも見て取れる。この批判は、私が感じていた違和感の一つである。

引用開始 ーーーーーーーーーー

『13歳のハローワーク』に代表されるような無責任な自己実現を促す職業教育が、当面は問題であろう。同書にはなんと「乗り物が好き」の欄に「バイク便ライダー」が紹介されているのである。これを読んだ一三歳の子がバイク便ライダーを目指すようになったとき、著者はどのように責任をとるのだろうか。やはり、生涯年収やその職業の安定性、将来性なども同時に書き添えておくべきではないだろうか。そうすれば、バイク便ライダーをしていつまでも食べていけるなどという幻想を抱く若者が今後、少なくなるかもしれない。それを知らせた上で、バイク便ライダーを目指すか否かは彼らの選択に任せれば良い。職業への「夢」(これまで否定するつもりはない)と同時に、そのリスクも考え合わせることが出来るような知識をもった若者を育てていく教育が求められているだろう。

引用終了 ーーーーーーーーーー

私も特に高校生に教師とはどういう仕事なのかを話するときは、教師としてのリスクをかなり語るようにしている。その上で、彼らが選ぶのであれば大いに応援するから、うちの大学で学びたまえと話すようにしている。

いい面だけでなく、リスクまでも見えているのが大人であり、そのことを伝えなければガイドにはなりにくいはずだ。

| | コメント (0)

『ピラゴラ装置 DVDブック 1と2』

『ピラゴラ装置 DVDブック 1と2』(慶応大学佐藤雅彦研究室 小学館)を読んだ。ん、見た?ご存知NHKの「ピタゴラスイッチ」の人気コーナーのDVDである。
あれは面白い。アルゴリズム体操も面白いが、このピタゴラ装置は本当に面白い。

一度本屋に並んでいたのを見たのだが、その時に手に入れなかったらあっという間に売り切れ。それで今回は発見した瞬間に購入した。

いいなあ。
物理ってこんなに面白かったのねと分かる。

これは児童教育学科の英知を結集して、さらに新しい装置を学生に作らせたいなあ。

| | コメント (0)

2007/04/26

『裁判官の爆笑お言葉集』

『裁判官の爆笑お言葉集』(長嶺超輝 幻灯舎新書)を読んだ。
著者による裁判の傍聴や判例文から、印象的な判決の言葉を集めたものである。

ディベートのジャッジをする身としては、判決の重さはそれなりに自覚しているつもりである。その判決一つで全国大会に出場できたりできなかったり、決勝トーナメントに出場できたりできなかったりするわけである。

一つ一つの言葉を吟味するという面では、もちろん裁判官の方が上だろう。その部分を読んでみたいと思った。

この本のタイトルは『裁判官の爆笑お言葉集』であるが、『裁判官の爆笑お言葉・ありがたいお言葉集』ぐらいでも良かったのではないかと思った。

「死刑はやむを得ないが、私としては、君には出来るだけ長く生きていてもらいたい」

という裁判長の言葉の真意はどこにあるのか。読んでみると、なかなか凄いものがあります。

| | コメント (2)

2007/04/02

『一瞬の風になれ』

野中先生が絶賛していた『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子 講談社)を読み終えた。新年度のスタートに相応しい、気持ちの良い小説だった。

途中何回か、ウッと込み上げてくるところがあった。
私の青春時代は、音痴を直すのに懸命だったぐらいだが、スポーツ系をやっていた人には堪らない小説だと思う。

            ◆

以下、ちょっとネタばれありかも。

            ◆

思ったことを三つ。

1)師と仲間がいて、自分で答えを出せるものが成長する。

みっちゃんという先生がとても良い感じで描かれている。思うが、この小説を先生の視線で読み返してみると教職志望の学生にはいいかなあと思った。スラムダンクの安藤先生系列の先生だ。その競技の経験者で、専門的知識を多く持ち、挫折を経験し、上からの指導ではなく引き出す指導。そして、生徒からの絶対的な信頼感を得ている。こういうのが今の子どもにはいいんだろうなと思う。

で、仲間たちもいろいろなのがいて、主人公に彩りを見せる。その中で主人公は自分で考えて答えを出して行く。教わることはとても大事だと思うが、やはり自分で答えを出せないとダメだなあと思う。いや、正しい答えかどうかは別。自分で答えを出すことが大事。

2)小説家志望なら、この続きを。

ここで終わるか、というところでこの小説は終わる。この終わり方もスラムダンクに似ていると言えば似ている。小説家を目指す高校生なら、この続きを書くのはいい練習だと思う。

3)軽音楽、ディベートの青春小説が読みたい。

誰か書いてくれないかな。
ディベートの小説は、筑田さんが適任だと思うけど。
筑田さん、どう(^^)。

| | コメント (0)

2007/03/24

『図解 よくわかる 授業上達法』

『図解 よくわかる 授業上達法』(上條晴夫 学陽書房)を贈って頂いた。
上條さんの新刊である。
早速拝読した。
さすが、上條さんという本である。

上條さんとの出会いはかれこれ15年も前になると思う。ディベートの講座を一緒に受けたのだが最初だ。そのころの私は「授業づくりネットワーク」なる団体そのものも知らなかった。それがいまでは私の研究と修養の中心の団体になるわけで、もし、この団体に出会わなかったら今の京都暮らしは全く考えられなかったと思う。ちなみに、上條さんもディベートに出会わなかったらこの本はなかったと思われる。

            ◆

そう、本の話である。
勉強家の上條さんがこの20年間に学んできた内容をコンパクトにまとめている。授業の技術に関して大きく二分してそれぞれ30種類提示している。教師の指示系列の技術を「タテ力」、生徒の交流を支える技術を「ヨコ力」である。こんなにどーんと出してしまっていいのか?と思うぐらい内容の濃い本である。

特徴的なのは一つ一つの授業の技術・考え方を「図解」していることにある。実は、私にとっては非常に懐かしい図解である。上條さんがいろいろな講座で説明をする時に使っていた図解も随所にあり、それを見て懐かしく思っている。もちろん、初見のものもあり勉強しながら読んだ。

            ◆

読後の感想を誤解を恐れずに言えば、この本は「中級者以上」の本である可能性が高い。というのは、この本を読んだだけで初心者がすぐに授業が上手くなるとは考えにくいからである。というのは、ここで提示されている授業の技術・考え方が実感として伝わってこないのではないかということがある。

しかし、逆に授業経験が5年ぐらいあり、なおかつある程度授業上達に関して意欲を持っている教師が読めば、もの凄い武器になることばかりである。自分の授業で上手く行かなかった時に、何が不足しているのか、どう手だてをすれば良いのかが分かるからだ。

授業の技術を中心にまとめている本ではあるが、その実、技術から入り、それを支えている授業観に迫ろうとしている本ではないだろうか。もしそうだとすれば、授業初心者もこの本を傍において授業を作ることから、やがて自分の授業の観を高めるための入門書になるのかもしれない。

            ◆

私が期待したいのは、合計60のそれぞれの技術に関して50分のワークショップをやってくれないかなあということである。それが完成して新人の教師が初任研や三年以内に「授業づくりネットワーク」などで受けることができれば、その教師の人生は変わるだろうなあと思うのだ。上條さん、よろしくお願いいたします(^^)。

教師なら手元に置きたい本である。

| | コメント (0)

2007/03/06

『鴨川ホルモー』

ふう、あと一日で一週間の再点滴も終わる。
今日はその後、整体の先生のところに行って体の調子も整えてもらった。血流を整えれば少し良くなるのではないかと思ってである。体は軽くなったが、耳はねえ。明日も検査の結果は良くないんだろうなあ。

            ◆

再点滴は血管を広げる点滴で、実は痛い。腕を締め付けられるような、内側から広げられるような痛さが2時間ある。
痛いのと怖いのと詰まらないのが私は苦手である。もちろん、下らない、下品も苦手だが、ちょっと下品は嫌いではないf(^^;。

まあいい、だから、早起きして点滴中は寝ているようにしているのだが、今日は普通に起きたので寝られなかった。

そこで『鴨川ホルモー』(万城目学 産業編集センター)を読みながら点滴の時間を過ごした。京都の大学生たちが主人公で、出てくる土地の名前も馴染みになったものが多い。三国志や安倍晴明などの陰陽道の世界を使って描かれているのだが、これが面白く読むことができる。鬼や式神を使って大学生が戦争ごっこをするのだが、きちんと青春小説になっている。

さらに、その時々に出てくるギャグが、私の世代のネタであることが多く、うっかり笑ってしまう。そしたら、
「大丈夫ですか?」
と看護婦さん(やっぱり看護婦さんのほうがいいなあ)が、声をかけて来て
「なんだ、本で笑っていたんですか?」
と言われてしまった。

すんません、変な心配をさせて。

            ◆

合唱コンクールで子どもたちによく話した言葉は、

『努力すれば勝てると思っていたか? 努力したって負ける時は負ける。努力すれば必ず勝てるではない。努力すれば勝てることもあるだ。ただし、勝った奴は必ず努力しているんだな。だから努力するんだ』

ということである。
まさに、今の自分に言い聞かせている言葉である。治った人は必ず努力をしているはずである。

『鴨川ホルモー』を読み終えた今、ちょっと清々しい思いになっている。
京都にいる学生諸君、読んでみると良いかもよ。

さあ、私も、ふぁいと、おー!である。

| | コメント (4)

2007/03/05

『パパとムスメの7日間』

『パパとムスメの7日間』(五十嵐貴久 朝日新聞社)を読み終えた。久しぶりに楽しみの読書である。後半は、まあ、予想通りであった。五十嵐さんの『1985年の奇跡』に見られたどんでん返しは、さほどでもなかった。でも、それがまあそれで良かったりもする。安心して読めた感じだ。

私と同じ世代の父親で高校生の娘がいる人が読んだら、泣いちゃうかもしれない。今の高校生も今の高校生なりに、いや私たちの世代よりも大変なんだろうなあと改めて思うことも多かった。

もし、神がいて、
「青春時代に戻りたいか?」と問われれば、
私は
「もう十分です、勘弁してください」
と答えるはずだ。まあ、青春は恥ずかしく面倒くさいからねえ。
だけど、こんな風に七日間ならいいかもなあと思った。

そうか、今度一週間だけ自主的に高校生に戻るなんてプランを立てて、高校時代にやっていたような生活してみるってのもおもしろいかもしれない。今の高校生をやってもいいし、あのときの高校生でもいいなあ。

| | コメント (2)

2007/03/03

『新卒教師時代を生き抜く 心得術60 ーやんちゃを味方にする日々の戦略ー』

『新卒教師時代を生き抜く 心得術60 ーやんちゃを味方にする日々の戦略ー』(野中信行 明治図書)を読んだ。

北海道の堀さんは、野中先生の一冊目を読んで感動のあまり北海道から横浜まで出向き、
「野中さん、世の中に出てくるのが15年遅い!」
と叫んだとか、叫ばなかったとか。
この気持ちはとてもよく分かる。
ではあるが、雌伏15年であったればこそ、雄飛の本著があるとも言える。

ご自身の失敗談をエピソードに盛り込みながら、単にテクニックだけではなく担任教師としての、社会人としての哲学にまで触れられている。「人生の大事なことは半泣きしながら身につけるものだ」と山田先生@学芸大学は言われるが、この言葉を思い出す。

1)失敗するパターン
2)どうしたらいいか
3)さらによくするにはどうしたらいいか

のフォーマットで60のトピックを纏められている。
非常に読みやすい本である。

この春から小中学校の教師になる学生、非常勤講師の先生たち。ラッキーだなあ。この本があるんだもん。

もちろん、「人生の大事なことは半泣きしながら身につけるものだ」から、あなたも半泣きしないとこの本の本当の良さは分からないかもしれない。でも、スタートを切るまでにあと一ヶ月ある。まずは、熟読だ。そして、職員室の引き出しの中に入れておこう。この本のすごさが分かるはずだ。

学級は始まってから三日で一年間の方向がほぼ決まることが多い。教師という仕事は四十年近くやるのだが、実は最初の三年でその方向がほぼ決まる。変な癖を身につけず、先達が半泣きしながら身につけた「日々の戦略」をありがたくいただこう。定価は?2000円? 安っすいなあ。

私の仕事は、野中先生がここに纏められた「日々の戦略」をレッスンに落とし込んでいくことだな。
野中先生、相談させてください。よろしくお願いします。

| | コメント (0)

2007/03/02

明日も楽しみな一日に

野中先生から新著を頂いた。
『新卒教師時代を生き抜く 心得術60 ーやんちゃを味方にする日々の戦略ー』(野中信行 明治図書)
三部作の最後の本である。

前書きには私のつぶやきも収録されていて、ちょっと恥ずかしいが、いやあ、これは良い本だ。

まだ全部は読めていないが、明日、読み切れるはずだ。
明日も楽しみな一日になりそうだ。

| | コメント (0)

『なぜ勉強させるのか? 教育再生を根本から考える』

『なぜ勉強させるのか? 教育再生を根本から考える』(諏訪哲二 光文社新書)を読む。
点滴を受けながら読み、研究室にこもりながら読む。
良かった。

教育再生を学力向上にだけ求める現在の政策や風潮を批判し、なぜ勉強をしなければならないのかを語っている本である。私がスマップの『世界に一つだけの花』を受け入れることができない理由も、改めてよく分かった。

諏訪氏はもちろんあの名著『オレ様化する子どもたち』の著者である。かの本では日本の子供たちが1975年を境に、農業社会化、産業社会化の先にある消費社会化に突入した近代日本を生きていることを前提に、学校教育の現状を説いた本である。本書は現状の教育改革の政策、アイディア、指導方法、風潮に批判的な検討を加えて、その先の世界を提示していく。

批判の対象とされているものは、多岐にわたる。たとえば、お受験キッズ誌、学校と塾の関係、ゆとりの教育(これは擁護)、陰山メソッド、親野智可等、Tossなどにも触れ、どこに問題があるのかを丁寧に説明する。

圧巻は、最後にある「エピローグ」である。このエピローグのために本書はあるといってもいいかもしれない。本書の最後にある7pを楽しみに読み進めるのが良い。できれば、声に出して読むといい。諏訪氏の語りが聞こえてくる。「この私」と「人類」との関係から勉強するとはどういう営みなのかを語っているのが分かるであろう。

本書と対話しながら読むことができたおかげで、私もかなり自分の意見をすっきりとまとめることができた。そして、教育ということ、学校教育ということ、親ということの難しさとやりがいを改めて感じることができた。

感謝したい。

| | コメント (0)

2007/02/16

『子どもの荒れにどう向き合うか』

『子どもの荒れにどう向き合うか 〜いま、教師でありつづけるために〜』 (杉田雄二著 高文研)を読む。

一気に読んだ。

全生研の有名な実践家である杉田先生(ペンネーム)の実践記録である。遠目に拝見したことはあるが直接お話ししたことはない。一人一人の子どもを丁寧に指導される先生であることは、実践記録から十分分かっていた。

その杉田先生が退職願を書き残して、修学旅行のあと「失踪」した。
実践の記録はここから始まる。

            ◆

今の中学校の痛み、切なさ、喜び、苦しみ、つまりは現実が語られている。すべての学校がこうではないし、すべての先生がこうでもない。

だが、同じような思いをしながら、毎日学校にいる先生たちが確実にいる。そして、助けを求めている子どもたちもいる。

杉田先生が生徒指導のストレスで、円形脱毛症になって禿げたという記述を読み、
(オレもそうだったよなあ)
と3年前を思い出した。

過ぎてしまえば、
「これも教師の勲章」
なんて言われたのも笑って受け入れることが出来るが、その時はそれどころではなかったなあと思い出した。

            ◆

(今の時代に教師として生きるとは、こんなにも大変なのか)
と思うか
(今の時代に教師として生きるとは、こういうことか)
と思うか意見の分かれることだろう。

できれば、どちらの思いも持って

「さあ、待っていろよ子どもたち」

という思いで、力を抜いて笑顔で教室に向かう教師に育ってほしいと、学生たちのことを思いながら読み終えた。

            ◆

分からないこともあった。携帯電話の指導の場面である。杉田先生は、学年の先生に

「みんなができるやり方にしようよ。私は『携帯をすぐにしまいなさい。十数える間にしまわないと預からせてもらうよ』と言ってカウントダウンするようにしている。そうすると、何とかしまうよ。これなら誰でもできるでしょう。」

と言う。
ダメなものはダメと言って取り上げる指導をする先生の正しさを認めつつ、その指導が出来ない先生でも出来る指導を提案する。実際強い先生がいると、生徒は強い先生には従うが、弱い先生は舐めてかかることが多い。だから、みんなが出来る指導というのだ。

これは、分かる。分かるがこの先が分からない。
つまり、杉田先生の「みんなができるやり方にしようよ。」と言われる、携帯電話の指導は分かるが、本全体を通して貫かれている杉田先生の指導は、「みんなができるやりかた」なのかなあと。私には出来そうにもない。

どうして杉田先生は出来たのだろうか。
そして、それはどうしたら学生に伝えることが出来るのだろうか。
ちょっと考えてみたい。

教師を目指す学生諸君。
とってもいい本です。
読もう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/02/13

『みんなで国語辞典! これも、日本語』

私は言葉の学習段階には、次の三段階があると考えている。

1)覚える
2)使う
3)作る

である。もちろん、3に行くほど高度な学習を要求する。

この三段階に応じて中学生のために作った授業が、

1)対義語でポン
2)ことわざスピーチバトル
3)人生名言集

である。
これらの授業を行う時に、句会や「たほいや」も合わせて行い、言葉の面白さそのものに触れさせたいと思っていた。

            ◆

『みんなで国語辞典! これも、日本語』(北原保雄監修 大修館書店)を読んだ。この本は、私の定義で言えば、「3)作る」を具現化したものである。読者からの投稿で成立した国語辞典である。

作るには、言葉そのものを作る場合と、存在している言葉の意味を新たに作り出すという二つの側面がある。前者は造語であり、後者は新たな定義付けである。この本は、両方ともやっていて、なおかつ所々に北原先生や編集者からの専門的なコメントや注が入っているという贅沢な本となっている。

1300語程度ということなので、一つ一つを読むと良い。学校で先生が
「いくぞ、みんなで投稿するぞ」
と声を掛けて投稿したと思われる作品群等もあって楽しめる。私が中学校にいたら、やったろうなあと思う。

いくつか、気に入ったものを。

引用開始 ーーーーーーーーーー

・コリント人【コリント人】聖書にある「コリント人への手紙」からとったものの意味を変え、何度同じ失敗をしても懲りない人。「やっぱり彼女はコリント人だね」(和歌山県・中2・女)

・なまあたたかくみまもる【生温かく見守る】温かく見守るわけでもなく、冷たく突き放すわけでもない、ちょうどいい温度で見守ること。(大阪府・高2・男)

・にじゅいっせいきわく【二十一世紀枠】2)実力はないが、同情から認められること。

引用終了 ーーーーーーーーーー

            ◆

なぞかけの「ココロ」の部分を上手く使っているような定義や、そのまま辞書の定義としても十分通用する格調の高いものやらあって、十分に楽しめた。

小学校では厳しいと思うが、中学生以上ならこの「辞書づくり遊び」は十分可能である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/02/10

『7歳から「辞書」を引いて頭をきたえる』

「なんのために辞書が買ってあるの? なんのために先生がいるの?」

わからない言葉を母親に聞くたびにいわれた。小学校の低学年のころである。
(ははあ、お母さんはこの言葉を知らないんだな。よし、調べて教えてやろう)
なんて思っていたのが、ご幼少のみぎりの私であるf(^^;。そうして、いわゆる子ども用の辞書を使ってあれこれと言葉を捜すようになっていった。どうも人に教えるのは昔から好きだったようである。

小学校の三年生ごろになって、
(うーん、この言葉調べても載っていないな)
という言葉が増え始めた。それで、四年生の時にやっと大人用の辞書を買ってもらった。小学館の白い辞書だ。これは中学校三年まで使いまくった。ビニール製の表紙と裏表紙は、きれいに取れてしまい、そこをセロテープで補修しながら使っていた。もちろん、紙の箱やビニールのカバーなんて捨ててしまってない。

調べたのにその言葉が辞書に載っていないことのストレスは、思ったより大きい。調べたら調べたなりの言葉が出てくるという快楽が、さらに調べようとする意欲を生み出す。だから、この小学館の辞書を手に入れることがなかったらどうなっていたかなと思う。

            ◆

五、六年生の時の担任の島村先生が
「君たちは辞書を引かないね。先生は、今でも一日に2、3回は必ず辞書を引くよ」
と話していた。
(え、先生。言葉を知らないで先生をやっているの?)
と思う半分、
(じゃあ、僕がわからない言葉を調べていても、別に恥ずかしくないじゃん)
と思っていた思春期の入り口。
丁寧に言葉を確認するためには、辞書は必携だと言うことを島村先生は教えたかったんだろうなあ。先生、すいません。

六年生の時には、辞書に間違いを発見し、編集部に手紙を書いた。そしたら、お礼状とともに図書券を送ってもらった。さらに必死になって辞書を読むようになったf(^^;。

            ◆

「体験と経験」の違いが分からなくて、他の辞書の説明を読み比べて、それでも分からなくて中学一年生の時の担当の西本先生に伺ったこともあったな。そして、その時のあまりにも明快な説明に、
(をを、すげー。国語の先生ってかっこい)
と思ったのが、国語の先生になる一つのきっかけかもしれない。

残念ながら中学校二年生の時の国語の先生は、面白くなかった。教科書の指示語が何を指しているのかなどということを延々と説明し、それを質問する。
(んなの、読めば分かるじゃん)
と思い、私は辞書の後ろに載っている漢字で、画数の多い順に覚えていた「憂鬱」とか「団欒」とか。転んでもただで起きない私。

            ◆

教師になりたての頃に、深夜番組で盛り上がっていたのが「たほいや」。広辞苑を使った遊びである。
(へ〜、こんな遊びがあるんだ)
と仲間と遊んでいたが、
(ん? これ辞書の使い方の授業になるんじゃない?)
と思い、即実践。

そのことをまとめたのが、「授業づくりネットワーク」の「NO.134 1997年 12月 池田修 <文学教育は今のままでは滅びる!>教室だからこそ 座の文学を楽しもう」だ。上條晴夫さんによれば、「たほいや」を教育の文脈で紹介した文章は、これが一番最初だと言うことになるらしい。

当時は学習ゲーム等と言う言葉もなく、「辞書を使って遊ぶことが勉強になる。しかも、学習集団を育てることになる」なんて主張は、とても堂々と言うようなものではなかった。しかし、私には
(これはいける)
という感触はあった。私にとっては今でもとても大切な論文になっている。

            ◆

『7歳から「辞書」を引いて頭をきたえる』(深谷圭助 すばる舎)を読んだ。この本は、子どもと辞書との幸せな出会いを丁寧に書いている本である。

給食の時間に、わからない言葉を一生懸命に捜している小学校の一年生の子どもたちが描かれている。

私の場合は中学校一年生からの辞書指導であったが、辞書にのめり込んで行く子どもたちの姿は何回も目撃している。家庭科の調理実習だろうが、理科の実験だろうが、国語の辞書を持ち込んで授業中に出てきたわからない言葉を懸命に追い続けてていた子どもたちを私も見ている。

「みちはこたえない。みちはかぎりなくさそうばかりだ。」(真壁仁 「峠」)

みちを学びに置き換えてみる。そして、本に辞書に置き換えてみれば、わかる。自らが問いかけなければ、手に入れることは出来ない。それが学びだ。自ら手を差し伸べたものだけが、手に入れることが出来る。そして、新たな誘いを受けるのだ。

辞書指導は、子どもたちをそうして学びの世界へと誘い出す。君がこれから手に入れようとする世界は、この先にあるんだよと教師はそっと示してあげたい。

丁寧に扱いたい分野だ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/02/09

『ウェブ人間論』

『ウェブ人間論』(梅田望夫・平野啓一郎 新潮新書)からの雑感をメモする。

【「すっくと立つこと」の重要性】

これは、もう随分前から私の基本的な行動指針になっていることだ。去年の卒業文集の言葉にも書いた。

引用開始 ーーーーーーーーーー

夢を実現させる方法を3つ伝えます。
その1。すっくと自分として立ってください。まず、あなたがあなたであることが大事です。そしたら、その両手を広げてください。あなたの手は仲間に届きます。あなたに価値があるかないかなんてことは、誰も簡単には決められません。ただ一つ、まず、自分て立ってください。そしてそのとき、あなたが多くの仲間に支えられていることを自覚できれば大丈夫です。

引用終了 ーーーーーーーーーー

私が私であることが、誰かのアウフヘーベンになるような生き方が、これからは大事なのではないかと、最初に考えたのは高校3年生ぐらいの頃だ。だが、これは尊大なのでは?とか、単なるわがままでは?と考えることもあった。

しかし、やっぱりそうなのだと今は思う。自立と言うのは実は共立なのだということ。これが分かってきたのも大きい。

ウェブを通して繋がるには、まずその繋がるためのポイントとしての自分が、すっくと立っている必要がある。良いか悪いかは、取りあえず問題ではない。私の存在が誰かにとっての対立点になるにしても、共有点になるにしても、これが大事。改めて確認した。

【meでいられることの是非】

私だけの世界でいられることのと心地よさ。この是非はこれからますます問われなければならない。梅田さんはこれを良いと捉え、平野さんはいかがなものかと捉える部分がある。もちろん、お互いの良さを理解しつつのことではあるが。

meであることは、社会との繋がりを持たないということが大前提であった20年前。しかし、今ウェブにより、meでありつつけえても繋がりを持つことが出来る。いや逆にすっくと立つと言うことはmeであることなのかもしれない。

自分がmeでいることは、ourを含んでいるのだと言う感覚がどこかで持てるようになれば、自立は共立であるというところに繋がると思うのだが。

【オープンソース】

これは
『情報は使ってもらって初めて価値が出る』
と私が言い続けていることと極めて関連が強いのではないかと思われる。

情報はある。
あるけど、使われないのはなぜか。
使いにくいから、使えないから、意味が分からないから、面倒くさいから・・・。

オープンソースは、それを使ってもらうということに価値を置いて成立している部分もあるのではないかと思われる。

また、最大のオープンソースは、母国語でありその母国語を手に入れた恩恵を、どのように返すのか。それが次世代への社会貢献なのだと改めて思う。

【共有の発想】

インターネットには実に様々なものが「転がって」いる。映画も、テレビも、音楽も、写真も、文章もである。そして、簡単にその転がっているものを手に入れることが出来る。現在の著作権法では、それは違法であろうが、こんなに簡単に手に入るとなると、
(ひょっとしたら、法律の方がおかしいんじゃないの?)
と考えるようになってしまう。

アメリカの著作権の有効期限がどんどん伸びるのは、ディズニーの著作権んが切れそうになると法改正をしているという噂は、あまりにも有名である。となると、著作権ってその程度のものなのねと思ってしまう人も増えるわけである。

そもそも、私達が使っている言葉は、人類が作ったものを「使わせてもらっている」訳であって、作った人が著作権を主張したら、エライことになってしまう。

ではあるが、著作権はある。

            ◆

が、やはりこのように進んで行くと、所有と言うものの考え方も変わって行くかもしれない。所有が大事なのではなく、共有が基本になっていくという考え方に移行するかもしれない。

ネット上に、誰かの「ファイル」が一つあればそれで良いと言うことになる。

ということはもう既に20年前に言われたことだが、これが本当になってくる感じがする。実際に完全にこのようにならなくても、所有から共有へと意識が動くとなると、ひょっとしたらリアルの世界での所有という概念にも変化が出るかもしれない。

そして、それは人類が同じ地球を共に有しているという実感への、新たな一歩になるのかもしれない。

            ◆

それが平和の世界なんだろうなあ。

【インプットの質の向上】

良いものを入力するようになるのだから、頭が良くなる。
その良いものにたどり着くのに、嘗ては時間がかかったが、今はその気とちょっとした検索の技術があれば、あっという間にたどり着ける。

だから、ちょっとの差がとんでもない差になる可能性がある。

【おっちょこちょいの大人】

新しいものを楽しもうとする大人の出現が、世の中を楽しくする。
これが大人の流儀であるのが、いまのシリコンバレーだと言う。「授業づくりネットワーク」もそうであると感じて私は10年もいるんだなあ。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006/10/25

『ダッセン』(長岡秀貴)

まったくもって、人間は成長しない。

            ◆

前述の吹野先生とは、こんな会話をしたことがある。

『先生、先週の説明と違いますが』
「あほんだら、人間は日々成長するんや」
なるほど。
ところが、その翌週に
『先生、また説明が元に戻っているんですけど』
「あほんだら、人間の本質は変わらないんや」
先生、ひどすぎます。そりゃあないでしょf(^^;。
そんなんだったら何を手掛かりにして勉強すれば良いのでしょうか。
「だからあほんだらなんや、そんなもん、自分で考えろ。お前の首の上に乗っているのは何だ?」
『あ、頭です』
「使え」

いや〜、懐かしい。思い出してしまった。
こんな会話を大学の100人の授業中に、普通するか。
はい、私していました。
御陰さまで少しは、首の上に乗っているものの使い方を習得できました。
まだ、はな垂れですが。

            ◆

で、まったくもって、人間は成長しない。
しかし、それが人間である。
仕事が忙しくなると本を読みたくなる。それもたくさん読みたくなる。そして、そういう時に手にした本は、一気に読めてしまう。

はあ、一気に読んでしまった。

『ダッセン』(長岡秀貴著 HID BOOKS 1200円)

まだ30台前半の、ある一人の男の半生である。教育書である。学校作りの本である。小学校の時に担任にいじめられたことから教師を目指し、出会い別れの中で成長し、教師になり、そして・・・という本である。

初心をもとうとする学生、初心を再確認したい私達のような中堅の教員のどちらにもいける本だと思う。凹んでいる時にお勧めかな。

さ、明日の授業の準備、準備。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/10/05

『教育の再生をもとめて : 湊川でおこったこと』

お昼過ぎから大阪の高校で模擬授業。40分を二コマ。
40分のガイダンスは、なかなかない。
基本的に90分で作り込んである授業を刈り込んで、行う。
庭師になった気分である。

授業が始まると、
「たるい」
「眠い」
という声が聞こえてくる。
もうすでに机に突っ伏している生徒がいる。
その一方で真剣に話を聞こうとする生徒もいる。

(おーし、おいら、こういうシチュエーション燃えちゃうんだよね。
40分後には、みんな目をキラキラさせちゃうからね。覚悟しておけよ)

と思いつつ、静かに授業を始める。

            ◆

宮城教育大学の学長であった林竹二先生の著書『教育の再生をもとめて : 湊川でおこったこと』(筑摩書房 1977.11 1300円)を読んだのは、大学の2年生頃であったか。
衝撃であった。
学力のない底辺の定時制高校で林先生は、笑顔を絶やすこと無く訥々と授業を進める。

すると、机に突っ伏していた生徒の顔が輝き、あろうことか数回の授業の後には背筋をきちんと伸ばして授業を受け、顔つきも変わっていたのだ。その間、林先生は一言も怒鳴ったりしていない。
「背筋をきちんと伸ばしなさい!」
なんても言っていない。ただ、人間とは何かについて語り続ける授業を行っていた。
授業内容が、生徒に変容を齎していたのだ。

(ちくしょう、こんな授業をしたいぜ)

あこがれであった。

            ◆

いや、別に今そこまでできるかと言えば、それは違うがそれでも、進路のガイダンスで教師を目指そうとしている生徒、または教育に少しでも興味を持っている生徒にだったら、それは可能かもしれないと思って、燃えてしまうのだ。

教師の仕事の楽しみ、辛さ、授業を作る面白さなどを具体例を入れて話すのだが、後半のワークの部分では、
「えー、なんや分からんと悔しいやん」
と言いながら生徒達は必死にワークシートに取り組んでいた。
(やった!)
である。

授業後、大阪イントネーションで「先生、ありがとう」とか「先生、もっと頑張ってね」なんて励ましの言葉まで貰ってしまったf(^^;。

ちょこっとだけ林竹二先生に追いつけたかなと思えた。

            ◆

その後、とんぼ返りで大学に戻って国語科教育法2の授業だ。
山科駅からタクシーを飛ばして、ぎりぎり間に合う。ふう。

今日から導入の5分間は学生に順番で模擬授業をさせることにしている。季節に応じた詩歌を黒板を使って説明するのだ。私が中学校の授業でやっていた「アンソロジーノート」の部分をやらせる。

5分ぐらいの説明のパッケージができないことには、50分なんて夢のまた夢である。来年度の教育実習に向けて、具体的な一歩である。

先週の課題のデジカメ写真による文学作品を載せた絵はがき作りを回収。これは、この後の授業の基礎技術になる。PCがちょっと弱いので、鍛えたい。

その後は、「学習ゲーム」の理論と実際。
なぜ学習ゲームなのか、限界はどこにあるのか、普通の授業との比較で考えるとどこに特徴があるのかなどを講じた後に、私が開発した「対義語でポン」を事例として、実際にやってみた。ちょっと時間がなかったので、ルールを理解するのに精一杯になってしまったかな。ちょっと反省。

            ◆

授業後研究室に戻り、出張の書類を整理し、明日の仕事の準備をして帰宅。
いやあ、今日も働いた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/08/13

『2005年のロケットボーイズ』

夏の楽しみと言えば、仕事関係ではない、楽しみとしての読書をすることが挙げられる。
国語の教師をしていると、どんな本を読んでいても
(を、これは、教材として使えるぞ)
なんて妙な職業意識が出てきて、本そのものを楽しむことがなかなかできない。ので、私は楽しみの読書は授業の無い時にするようにしているのだ。

            ◆

『2005年のロケットボーイズ』(五十嵐貴久 双葉社)
を読み終えた。

前作の『1985年の奇跡』でも十分に楽しませてもらったのだが、今回も安心して楽しませてもらった。パターンとしては特別に新しいものがあるわけでもないが、それだけに安心して、2005年という時を楽しめた。

本当は、お気に入りの日野市の市民プールのプールサイドで、この物語のラストを読み終える予定で読んでていたのだが、例によって後半戦の盛り上がりに、読むのを自制することができず
(えい! 読書ってのはこの盛り上がりを楽しむ為にあるんじゃないか。いま、読み切らずに我慢してどうする)
と思い、結局読み切ってしまった。

満足。

            ◆

私は国語の教師のくせに小説はあまり嗜まないのだが、物語は好きである。だが、人生の厳しい部分を小説で問いかけられても、ちょっと待ってくれ。そんなこと言われてもと思ってしまうのだ。

物語の展開、エンターテイメント性になら、私の時間を注ぎたいとは思うが、辛いことを文字に表しているものを、なにも読まなくても良いんじゃないかと思う。そうです、私はホラー映画を見る人の気持ちも分かりません。何もお金と時間をかけてわざわざ怖い思いをするのは、私には理解できません。

私が能天気だからだろうかf(^^;。

            ◆

『2005年のロケットボーイズ』。これだけ楽しめて1600円は、十分安いと思う。
夏の一冊にどうぞ。

感動の多い一日だった。
さあ、寝るか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/08/10

夏の読書には欠かせない条件

東京に戻ってきている間に、いろいろな用件が入る。
不思議なことに、私が東京にいることを知らない人、しかもメールで連絡のあった初対面の人たちと急に会うことになったのだ。こういうのを縁というのだろう。

8日の夜は、聖蹟桜ヶ丘で。9日の午後は平河町で。新しい出会いは楽しい。
そして9日の夜は大熊研究室の前期納会に参加。ありがたいことに、私が東京にいる時に限って大熊研究室の飲み会がある。これも大事な縁である。旧知の仲間達との再会も楽しい。

納会では、14条特例の教員がどうやって自分の学びを高めて行くのかというような話を交わした。私の場合は予想だにしなかった合格だったので、この偶然の幸福を目一杯活かすように計画を立てたのだが、そのことを話した。

この夜も奥さんの実家にお世話になる。ありがたいことである。

            ◆

翌日は台風一過。
さあ、待ちに待った聖蹟桜ヶ丘の花火大会である。
こんなに雨を気にしないで花火を楽しみに待てるのは、久しぶりである。

で、待ちきれない気持ちを収める為に、近くの市民プールに出かける。2時間200円は魅力。さらに、太陽で暖められた温水でのシャワーがあり、プールサイドには本の持ち込みが可。この夏の「楽しみの為の本」を持ち込む。

久しぶりのプール。500Mも泳ぐこと無く読書に勤しむ。
蝉時雨、歓声、けだるい疲れ、のどの渇き、水の反射、風。
これらが、夏の読書には欠かせない条件である。

はあ、夏休みである。

            ◆

で、花火大会。
阿鼻叫喚。
聖蹟桜ヶ丘を離れるのには、申し分ない阿鼻叫喚。
満足。

            ◆

終了後、立川に向かう。
授業作りネットワークの大阪大会に参加する為に夜行バスに飛び乗る。
さあ、待っててね。

夜行バスの消灯時間だ。
寝よう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/07/15

『1985年の奇跡』(五十嵐貴久 双葉文庫)

本日ディベート甲子園の東海地区大会である。
朝から新幹線に飛び乗り、名古屋は金城学院大学に向かう。

で、その新幹線の中で参ってしまった。
読んでいる本がクライマックスを迎えてしまったのだ。

『1985年の奇跡』(五十嵐貴久 双葉文庫)

である。

            ◆

1985年と言えば、あの御巣鷹山に日航ジャンボジェットが墜落した年だ。
私は当時の愛車YAMAHA SRX-4にまたがり、伊豆半島の最南端弓ケ浜まで乗り付け、
半ズボンにTシャツのまま、太平洋に浮かんで青空を見ていたのを思い出す。

この本が単行本になったときに、手を出そうかと思ったのだが
自分の青春時代が変な風に書かれていたら、なんだかなあと思ったので取りあえず手を止めておいたのだ。

で、三日前に文庫本になっているのを発見して、久しぶりの物語欲求が襲いかかってくるのを押さえられずに手にした。

            ◆

結論から言うと、参った。
いやあ、良かった。
解説の茶木さんが書かれていたが、

引用開始 ーーーーーーーーーー

しかしそれにしても、『セーラー服を脱がさないで』の歌詞を読みながらまさか自分が泣くとは、本書に出会うまで想像もしなかった。

引用終了 ーーーーーーーーーー

には、同感である。
「ウォーターボーイ」「スイングガールズ」の次の矢口監督作品として映像化してもらいたい、青春ドラマである。

『セーラー服を脱がさないで』で青春時代を送ったみなさんの必読書であろう。

           ◆

これから始まる東海地区大会でも、高校生はディベートで熱く青春を燃やしてくれるといいなと思う。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006/07/02

オシムの言葉

筑田さんのブログにあったのを覚えていたのだろうか。
本屋ですっと手を出して買っていた。

『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見せる』(集英社 木村元彦著)

を読み終えた。

現在ジェフの監督をしているこのオシム氏が、日本代表チームの監督になったら凄いことになるぞという感触を得た。

数学者や医者になれる道を投げ捨ててサッカーの道を選び、母国ユーゴすらビヤの崩壊の中で家族の生存も分からない中でチームを指揮するすごさ。教育者として厳しい時は厳しく、しかし、成長を促す厳しさである優しさ。

こんな人が日本代表チームの監督になるのか。
楽しみだなあ。

            ◆

一つだけ、この本の弱点を言えば、文章が分かりにくいことであった。

構成をきちんとして、もう少しストレートに叙述すれば良いのに。オシム監督の事実をきちんと伝えるだけで、この本は良い本になると思うのだが、いじりすぎてちょっと分かりにくくしている部分があった。「第52回青少年読書感想文全国コンクール」の課題図書にしては、お粗末ではないかなあ。

ま、でも学校のクラブ活動で監督をしている先生は、指導者としての幅を広げるヒントをたくさん得られる本になるはずです。

私もチームを持っている時に読みたかったなあ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/05/20

『アイディアのつくり方』

のぞみ114号で東京に出張。亜細亜大学で行われる全国私立大学教職課程研究連絡協議会に参加するためだ。

            ◆

新幹線の乗り方も随分と慣れてきたかなと思っている。
私が指定する席は、700系の車両で、車両の真ん中の窓側である。

足許が広く作られているし、連結部の人の出入りに影響される事なく仕事だったり、睡眠だったりに集中する事が出来る。さらに、気のせいかもしれないが車両の真ん中は、揺れが少ない。快適である。

新幹線は、田植えの終わり、台風一号の影響の残る日本列島を突っ走る。
揖斐川あたりでは、雲の中を走っているかのような霧。かと思えば新横浜ではすばらしい青空。
田んぼに映る景色もさまざまな表情を見せる。
東京着は11:52。今日は28度まで気温が上がるとのこと。ひえ〜。

会議は13:00からなので、しばらく時間がある。
そうか、これからはこの空いた時間を有効に使う場所を探さなければなあ。今までは、時間にぴったり合うように家を出ていたから、どこかで時間をつぶすという発想はなかったもんな。

東京駅だと八重洲ブックセンター、新宿駅だと紀伊国屋書店か。
でも、荷物が多くなってしまうか。これから業務という時には、つらいか。東京都区内の切符は西荻窪まで使える。ふむ、これは面白いテーマが見つかったな。

            ◆

新幹線の中では、
『アイディアのつくり方』(ジェームス・W・ヤング著 阪急コミュニケーションズ 777円)
を読み切る。と言っても60分で読めると書いてある本だ。私としては特に目新しい情報があったわけではないが、著者の「日本の読者のみなさんに」という前書きに驚いた。

「1961年7月」

とある。私の生まれる前にかかれている本ということだ。
ということは、世にあるアイディアのつくり方に関する本のルーツに当たる本なのかもしれない。著者はアメリカの広告代理店の有名人である。

この本によれば、アイディアのつくり方も、どんな技術の習得の仕方と共通で「原理と方法」を学ぶ事であるという。そして、非常にシンプルではあるが実行可能が難しい方法を通じて、アイデアは生まれ、形になるという。すなわち、

1 資料収集
2 資料理解
3 データの組み合わせ (放置・熟成)
4 アイデアの誕生
5 アイデアの磨き上げ

という段階を経てアイデアは作られるという。(ただし、この1〜5の見出しは、池田が自分の言葉で付けたもの。原典とはちょと違う)また、アイディアとは、「組み合わせ」であると言い切っている。

            ◆

論文を書く時の事を考えると、上記の1〜5は非常に当てはまるのが分かる。私は修士論文を書く時に、ファイルメーカープロに500枚のカードを蓄積したが、これが1と2。ときどきパラパラカードを見てはそのままにしていた時間が3。突然わき出してくるアイディアの瞬間が4。論文に落とし込み、文章として磨きをかけるところが5ということだ。

解説の竹内均さんの話も非常に面白いし、60分で読み終える事が出来るので、お勧めである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/05/06

GWの読書 学び論、構成主義

問題意識が呼び寄せるのか、セレンディピティーなのかわからないが、手にする本が、私が追いかけているテーマに立て続けにヒットしている。嬉しいものだ。

『先生はえらい 』 ( 内田 樹 (著) ちくまプリマー新書 (002))

『効果10倍の〈教える〉技術』 (吉田新一郎著 PHP新書)

『教師のための「聞く技術」入門』(家本 芳郎著 高文研)

成長の時代から成熟の時代へと転換したと言われるのが1985年。モダンからポストモダンへと移り変わり、学習だけを主体に組み立てる授業は厳しくなり、学びを主体にした授業の創造が求められ、と私が個人的に感じているこの20年を論じている本たちだ。

学び論、構成主義などを理解するのにもいいかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006/04/26

「よのなか」科 ワークシート完成

Img_main_s01

昨年度、和田中学校で行った仕事の一つが完成した。
「よのなか」科のワークシートである。
実際に授業で使っているワークシートを使いながら、本にした。

昨年は研究・研修主任をしていたのだが、その中で総合的な学習の時間に関する研究の一環として、この本を出す企画を立てた。

テキストとして多くの学校現場で生徒一人一冊ずつ使われる事を願い、定価を極力下げました。
本務としてこの本の制作に関わり、印税は受け取らないということで、一冊160円に設定する事が出来ました。

私がこの本作りでこだわったところは、「本書の使い方」と「教師用の赤刷り本」の作りです。ワークシートの横に、授業で行う時の目安時間(ここまでに何分かかるか)というガイドを入れました。

学校現場の先生は忙しいので、文章を読むではなく、文章を見るという感じですぐに使えるものに仕上げました。お手に取ってご確認ください。お問い合わせは、こちらにどうぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/02/14

『ウェブ進化論 ー本当の大変化はこれから始まるー』

『ウェブ進化論 ー本当の大変化はこれから始まるー』 梅田望夫 ちくま新書

一泊二日で読み終えてしまった。ここに描かれている世界がこのあと10年で本格的なものになるのであるとすれば、さて、どうやって授業を創り出していこうかと考えしまった。

チープ革命、ムーアの法則、オープンソースぐらいは私も分かっていたが、インターネットの「あちら側」の情報発電所、アドセンス、ヤフーとグーグルの違い、ロングテール現象、Web2.0、API公開、自動秩序形成、Wisdom of Crowds、予測市場などなど私の知らない刺激的なキーワードだらけであった。

インターネットのこれまでの10年とこれからの10年を考えるのに、重要な一冊になるのではないだろうか。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2006/02/09

『夏雲あがれ 上・下』

『夏雲あがれ 上・下』(宮本昌孝 集英社文庫)

心とは、脳が活動している状態のことをいうと、とある薬学者が話していたが、この本はまさに心だらけになる本であった。時代物を読むのが苦手な人であっても、すっと入っていける本であろう。

私は前評判を知らずに、南伸坊さんのイラストに引かれて、
(これなら、いけるんじゃないか)
と思って読み始めた。

藩の転覆を謀る勢力に対して三人の若者が立ち向かうという、ありふれたストーリーといえばあり振れたストーリーであるが、細かいが嫌みにならない設定が功を奏してぐいぐい引き込んでいく。終わらないでくれと思いながらも、先が知りたいという読書のもっとも「悩ましい」状態を作ってくれる本であった。

隆慶一郎の『吉原御免状』と、藤沢周平の『蝉時雨』を足して、軽やかに描いた感じといえば褒め過ぎだろうか。しかし、このさわやかな読後感にはこのぐらいの敬意を表してもいいだろう。

この続編を読みたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/10/27

新しい本が出ました 『こんな時どう言い返す』

今日はもう一つ嬉しいことがありました。
私の二冊目の単著が今日できあがったのです。

本のタイトルは、『こんな時どう言いかえす ユーモアあふれる担任の言葉』です。
konnatoki

授業づくりネットワーク会員版に書いていたものをベースにしてできあがりました。

たぶん類書は無いと思います。
良かったらお求め下さい。

注文は、ここか、ここでよろしくお願い致します。

| | コメント (6) | トラックバック (3)

2005/07/23

『亡国のイージス』

あべたかさんが絶賛していた小説を読み終えた。
『亡国のイージス』である。

いやー、良かった。
日本人にもこのぐらいのスケールで小説を書ける人がいるのかと感嘆した。
ダイハードを彷彿させるストーリー展開に、細かい描写。

序章を読み終えたとき、いや、序章の途中から
(このペースで書き進めて息切れしないのであろうか。ストーリーは破綻しないのだろうか)
と心配になったが、きちんとした展開、盛り上がり、そして充実のエンディングと十分に愉しませてくれた。

八月には映画も封切られるとのことだが、これだけで十分かなあと言う思いもある。これを映像化できるのかなあ。キャストは私のイメージに近い役者が選ばれているけど。

夏、テレビを消して読む娯楽の本としては絶品だろう。
次作の『終戦のローレライ』も楽しみであるが、しばらく『亡国のイージス』の余韻に浸ろう。

さ、「楽しみとしての読書」の夏だ。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2005/07/04

『BERD』創刊

新学期になった学校に行ったら荷物が届いていた。*1
開けてみるとベネッセからの雑誌であった。
そうであった、ベネッセのインタビューに答えていたのだ。そのインタビューが載った雑誌が届いたのだ。

「『BERD』 つなぐ、研究と実践。生み出す、新しい教育。」
という新しい雑誌の創刊号である。教育研究者と学校現場の実践との橋渡しを考えている雑誌というので、発刊をとても嬉しく思う。第一号は、今の教育に関わる研究者4人と実践家4人へのインタビューということで、光栄にもその実践家の一人に入れていただいたのだ。

掲載されている研究者は、藤田英典、清水康敬、市川伸一、小泉英明の各氏。実践家は、小学校校長が一人、中学校から校長と、私。高校からは政治経済を担当する先生が一人ということになっている。

特に打ち合わせをしたわけでもないのに、実践家から研究者に対する要望は非常に似ていた。「研究で提示された理論を、現場で使える形にして提示して欲しい」または「現場ですぐに使える理論を提示して欲しい」ということだ。

これは、「研究した成果はここにあるから、あとは現場で工夫して使ってね」というところから、「研究した成果は、このように加工したからこれなら使えるでしょ」というレベルまで具体化して提示して欲しいと言うことである。

                  ◆

私は、教員になったころに、先輩や恩師や仲間達からいろいろな教えを貰っていて、これはとても感謝しているのだが、そんな中で「情報は使って貰えてなんぼ」という発想を身につけた。

情報化社会というのは、私が中学生の頃から「これからは情報化社会になるぞ」と言われてきていて分かっていたが、その実態は、情報が膨大にまき散らされる社会であり、しかもその情報は玉石混淆の状態でばらまかれるという社会だと、高校生ぐらいになった頃からだんだん分かってきた。

もし、そうだとすればこの情報化のポストモダンの社会で生きていくためには、質の高い情報を出す、得るということをかなり意識しないと辛いのではないかなあと思っていた。

そんなことを考えていた私なので、情報は発信するだけではなく、その情報を使って貰えたときに初めて価値を持つのではないかと思うようになっていったのだと思う。

                  ◆

実際、そうではあってもそのような情報を発信することはなかなか難しいのではあるが、「使って貰えてなんぼと」いう哲学は、情報社会で生きていく私には、まだまだ使える哲学であると思っている。

この雑誌は市販されることはないようで、教育関係のあちらこちらに配布されるという。どこかで目にしたら、ちらっと読んで頂けると嬉しい。

*1 和田中学校は四季制を採用しているため、本日から新学期(夏学期)なのである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)