2008/08/02

『中等教育におけるディベートの研究』

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『中等教育におけるディベートの研究 〜入門期の安定した指導法の開発〜』(池田修 大学図書出版 193p ISBN978-4-903060-36-1 C3037 ¥2000E)という本を上梓することができた。私の修士論文を元にして書き上げた初めての学術書だ。

今年の三月に仕上がっていたのだが、校正がうまく伝わっていなくてこのまま世の中に出す事は出来ないということで、さらにきちんと校正し直して出版の運びとなった。

ですので、もし、最初の本がお手元にある方がいらっしゃいましたら、交換させていただきます。

            ◆

書き上げた時間は二ヶ月半であるが、研究に費やした時間は10年である。

ディベートではなく、ディベート指導。それもディベートの入門期指導にポイントを置いて研究してきた成果をまとめた一冊だ。私が開発したシナリオ方式、改良シナリオ方式の指導に至るまでの過程を明らかにすることができたと思っている。

要旨と目次は下記のURLにある。(小書作成のためにレイアウト変更等があり、ページはずれていることもある)
注目していただきたいのは、第二章と第三章が、目次レベルでも一対一対応になっている点である。

http://homepage.mac.com/ikedaosamu/summarycontents.html

            ◆

私は生徒にも学生にもこんなことを話している。
『論文は、主張が題名で、根拠が本文である』
だから、『中等教育におけるディベートの研究 〜入門期の安定した指導法の開発〜』としたところで、ディベートに興味のない人は読まない。それでいい。

そして、タイトルに興味を持って読む人が次に見るのが目次である。目次の中のいくつかの項目が自分にヒットすれば、その項目だけを読む。

実際私が論文を書くとき、上記のような方法で読むことが多い。だから、自分が論文を書く時も、読んでくれる方、引用してくれる方にとって分かりやすい方法で論文を書こうと思ったのだ。

第二章の目次を読んでいただいて、興味を持ったところに対応した第三章を読んでいただければ良いように書いている。

もちろん、全体を読んでいただければ、それはそれでとてもうれしい。

お手元にされた方、ご批判いただければ幸いです。

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2008/05/21

『僕たちの好きだった革命』

『僕たちの好きだった革命』(鴻上尚史 角川学芸出版)。一泊二日の間に読み終わった本である。鴻上尚史さんの同名の脚本の小説化された本である。

久しぶりに、泣きながら笑い、笑いながら泣いた本である。この場合、「泣きながら笑い」というのは、切なくて泣いていたらそのまま笑い出してしまったということである。笑いながら泣いたも同じ。鴻上さんならではだ。

            ◆

鴻上尚史さんが主催する、第三舞台の『宇宙デ眠ルタメノ方法ニツイテ』を下北沢の「ザ・スズナリ」劇場で見たのは、岩谷さんがまだご存命の頃で、もう20年近く前のことになるであろうか。

RCサクセションの「トランジスターラジオ」から始まるそのステージは、始まったと思ったら、終わっていた。ただ、鷲掴みにされて目の前に突きつけられた「表現」の可能性を抱えて下北沢の街を歩き、「陣太鼓」のカウンターに腰掛けて、うー、うー唸っていたのを思い出す。

            ◆

私の世代は、ビートルズには遅く校内暴力には早い時代である。ま、どちらも知っていると言えば知っているがそのど真ん中ではない。まして、全共闘などは分からない。

その70年安保の時代に高校時代を過ごした人間と、その30年後の高校時代を過ごしている人間とが作り出す、えも言われぬドラマである。

先生であって、この時代を生きてきた人間にはなんとも面白く切ないドラマである。お薦めだ。

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2008/04/21

GT roman DEAD END STREET」

「GT roman」は、一部の人には絶大な人気の漫画である。それの初期の作品を集めた「GT roman DEAD END STREET」(西風 モーターマガジン社)を読んでいる。

1960年代から80年代前半までの名車を扱っているこの漫画は、スーパーカーブームに入る前の車クレイジーたちの日常(というにはかなりヘビーだが)がおもしろおかしく描かれている。

雰囲気としては、「アヴァンティ」のクルマ漫画版といえばいいだろうか。

            ◆

車乗りには二種類いる。乗れればいいという人と、この車でなければ嫌だという人。私は比較的前者だったのだが、最近は比較的後者になっている。その後者の中で、新しい車程よいという人と、ビンテージの車の方が良いという人に分かれる。

私はこれは前者に近い。後者の車は壊れる。もちろん、後者の人たちは口を揃えて言う。
「直せばいーじゃん!」

はい、その通りですが私はそういうの面倒なのでできませんf(^^;。ですが、ちょっとこれにも憧れるんだなあ。この漫画は後者の後者たちが気持ちよく描かれている。アホな男たちを描いている。

            ◆

それにしても、西風の漫画に流れる空気は心地よい。
これは明らかに東京に流れる空気ではない。

車を描きたいのか、空を描きたいのか分からないほどのコマ割り。沼津ってひょっとしたらイタリアの一部ではないかと思わせる風景。

            ◆

私はここにいるよというメッセージが切なく、気持ちよい。

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2008/03/12

ゲラに赤を入れて行く

ふう。

午前中から研究室に籠っている。
外は春の日差し。

年度末の事務仕事を一段落させて、お昼ご飯。
さて、ここからが勝負である。

            ◆

今年度は、
『教師になるということ』(ひまわり社)を上梓した。御陰さまで、好評なようでネットで検索すると好意的な書評が多い。

そして、年度末に共著が二冊でた。

1)『ベテラン教師の超ワザ222 忙しい学校生活をのりきる!』(ひまわり社)

2)『中学校学級担任のための ポジティブコミュニケーションカード』(民衆社)

この二冊は、四月からすぐに使える本である。
1)は、毛利先生が昔出された出された本があって、そのコンセプトに従ってみんなでアイディアを出したものだ。ちょっとしたアイディアを知っていると学級経営や学級事務が捗る。そんなアイディアをまとめている本である。

2)は、かつて上條さん、石川さん、筑田さんと私で出した本を時代に合わせてアイディアを練り直してヴァージョンアップした本である。このかつて出した本は、その年の春の教育書フェアで堂々第一位を獲得した本で、とても思い出に残る本である。今回は、CDまで付いている。お値打ちである。

さらに、もう一冊出す予定である。私にとって初めての学術書だ。今この本の校正をしている。200p近くなる。

            ◆

ずっと原稿とゲラを見比べている。
万年筆のインクを赤に入れ替えて、ゲラに赤を入れて行く。

体が固まってしまうので、90分で鳴るようにキッチンタイマーをセットして、鳴ったらとにかく一度席を離れるようにしている。

どんなに激しく使ったところで脳みそは疲れないということだが、脳みそは疲れなくても目や背中、指先等は疲れてくるなあ。目薬を差し、只管自分の書いた文章を読み込む。

年度内の出版を決めている。
もう一踏ん張りだ。
今日の帰りは遅くなりそうだ。

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2008/02/29

『笑いの現場 ひょうきん族前夜からM−1まで』

私は「お笑い教師同盟」の会員でもある。

かつて会員たちで、明石家さんまさんの笑いを分析したこともある。
かつて「私のお笑い教師道」として、「『笑点』の「大喜利」からのスタート」という原稿を書いた事もある。

会員の笑いの好みは、落語系、漫才系の二つに大きく分かれ、私は前者である。が、この研究会に所属することで後者についても触れることが多くなった。関西に住まいを移してから今まで以上に多くの笑いに触れることになった。

そんな私が気になる芸人の一人に、ラサール石井さんがいる。
丁寧な、そして計算された立ち位置からでる、笑いやコメントに
(うーん、いいなあ)
と思っている。

            ◆

『笑いの現場 ひょうきん族前夜からM−1まで』(ラサール石井 角川SSC新書)を読んだ。

唸った。
興奮した。
一日で読み切れるのを、敢えてスローダウンして三日もかけて読んだ。

私の青春時代の笑いから今の笑いまでの歴史を、出演者の側からレポートして分析している。どのように笑いや笑いの番組が作られてきたのか、さらにはM−1の審査の行い方や内情まで書いている。これは、授業の作り方や生徒の評価の仕方について、多くのヒントを与えている。

授業や授業外での生徒とのコミュニケーションのあり方、また、教師の修行のあり方を考える先生には、とても勉強になる本である。

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2007/12/20

『誰だってズルしたい!』

『誰だってズルしたい!』(東海林さだお 文芸春秋)

私は、授業のあるオンシーズンでは、基本的には楽しみとしての読書はしない。楽しみの読書は、授業のないオフシーズンにするようにしている。もう十年以上そうしていると思う。

楽しみとしての読書の本は、買っておいてオフになった時に読むようにしている。それまでは積読だ。だが、後少しで授業が終わると言うところでこの本を読んでしまった。

いや、なんというか体と心が疲れていたので、東海林さだおワールドに浸ってリハビリをしようと思ったのだ。

            ◆

いやあ、さすが東海林さんである。
面白い。
そこまで拘るかというところまで、拘っている。

            ◆

そして、巻末にはあの土屋教授との対談。さらに、解説は養老先生となっている。
ここで東海林ワールドの笑いの秘密に迫っている。
もう、読んでもらうしかない。

ああ、気持ちよかった。

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2007/10/22

『寝ながら学べる構造主義』

学研の「NEW 教育とコンピュータ」では、私が提唱する大人論の連載が続いている。詳しくはそれを読んで頂くことにして、大人とは何かを考えることは教師であるためにはとても大事だと考えている。

私達教師は、子どもを大人にすることを仕事としている。親も、子どもを大人にすることを担っている。社会もそうである。それなのに、「大人ってなに?」と聞かれて、これに明確に答えることの出来る人は少ないのではないだろうか。

辿り着かせるゴール、目指すゴールがなんだか分からないままに指導をするというのは、これは無謀だ。決定的な答えを手に入れることが出来ればそれはいいが、そうでなくても仮説でも良いから自分の指導の指針として「大人とは〜である」というのを、少なくと教師は持つべきであると私は考えている。

            ◆

『寝ながら学べる構造主義』(内田樹 文春新書)を読んだ。このなかに、ラカンの主張としての大人になるとはどういうことなのかの記述がある。これに関連して、人間とはどういうものなのかの記述もある。面白いなあ。

非常に偉そうなことを言うと、私の考えている大人のフレームの中の一つを丁寧に、すっごく深く考察しているなあと思う部分があって勉強になった。でも、新しいフレームはなかった。半分悲しくて、半分嬉しい。

            ◆

ポストマルクス主義として現れ、また、サルトルの実存主義を批判したものしての構造主義の考え方を丁寧に説明していて、分かりやすい。この構造主義の向こう側に何があるのか、これを考えるのもまた面白い。

私は
(あれかなあ・・・)
と思いながら読んでいましたが。読んだ皆さん、どこかでこっそり話し合いませんかf(^^;。

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2007/09/18

DVD 「句会」「たほいや」

新しいDVDが出ました。ディベート指導DVDに続く、第二弾の「句会」第三弾の「たほいや」です。どちらも、大きな枠でくくると「学習ゲーム」です。

            ◆

俳句の指導はどうしても鑑賞が中心になってしまいがちですが、実際に作って鑑賞する。その方式として句会があるのですが、なかなか句会までは指導する機会がないと思います。しかし、是非その句会を開催してみてください。非常に面白いです。

句会は、作者と作品を切り離して、作品だけでその優劣を決める方式です。(○○さんが作った作品だから)という規準で選んでしまう思春期の子どもたちにとって、一度作品を作者を切り離し、作品だけで鑑賞するという経験を積ませることは大事だと考えています。

また、この句会を知っておくと、句会方式でさまざまな指導が出来ます。私は「こんなタイトルなら読んでみたい作文コンテスト」「人生名言集」などの実践で活用していました。

            ◆

「たほいや」は、それこそ今を去ること20年ぐらい前のフジテレビの深夜番組で行われていたゲームです。あの当時は「カノッサの屈辱」など非常に面白い深夜番組がありました。簡単に言えば、辞書に書いてある単語の意味を当て合う集団ゲームです。

テキストでルールを理解するには、ちょこっとルールが複雑なので、ビデオ化できて良かったなあと思っております。これなら一発で分かります。

私はこのゲームをよくパーティでやっていたのですが、よくよく考えてみると「読む」「書く」「話す」「聞く」の、国語の四要素が入っていることに気がつきました。ならば、辞書に親しむことと四要素を鍛えることを目的として授業として組み立ててみようと言うのが、最初です。

東北福祉大学の上條晴夫さんによると、日本の教育の文脈にたほいやを持ち込んだのは、私が最初だと言うことです。責任を果たせて良かった。

            ◆

ディベートのDVDに比べれば、今回は随分と廉価になっております。個人ではそれでも高いと思いますので、もしどこかに予算が余っていたら御買い求めくださいf(^^;。

どちらも、子どもたちは非常に喜び、力の付く実践です。

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2007/09/03

『教師になるということ』

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新刊がいよいよ書店に並びます。単著としては三冊目、新書サイズの本としては初めての本になります。出版社のひまわり社は家本芳郎先生のご縁でお世話になるようになりました。とても丁寧に本を作ってくださるので、安心して全力を注ぐことができました。

『教師になるということ』

* 池田 修 著
* 本体価格 860 円(税別)
* 新書 ・ 184 頁
* 2007年9月10日 発行
* ISBN4-902232- 41-7

http://www.himawari.or.tv/cgi-bin_database/database.cgi?tid=list7&keys11=0041

            ◆

私が教師になった頃に比べると、今といろいろと違うことがあります。大きく違うなあと思うのは、授業の指導方法などはかなり整理されてきているということです。指示、質問、発問などの行い方、授業の展開の方法、ワークシートの開発などなど。

これはこれで素晴らしいことだと思います。私の頃なんてディベートを教えるためにアメリカの高校生の教科書を買って翻訳しながら指導していましたから。

            ◆

ですが、その一方でなぜこれを行うのか、という部分が重視されることが少なくなってきたのではないかなと感じるようにもなってきました。

技術や道具は、ある考えを具現化するために使われるものです。なんのためにこの「指示、質問、発問などの行い方、授業の展開の方法、ワークシートの開発」をするのかという部分を語ること抜きに、教育と言う営みは行われないはずだと私は考えています。

ところが、教員の超多忙化は、この「なんのために」という部分を考えさせることを許しません。そして、上から与えられた考えだけに基づいて、指導の技術を重視して教育を進めるようになりつつあるのではないかと感じています。

しかし、目の前の子どもたちの事実から教育を始めるには、この「なんのために」を幅広くじっくりと自分の頭で考える必要があるのです。

            ◆

私はディベートのワークシート、学習ゲーム、学活のコピー資料集の開発などをしてきました。つまり指導の技術に思い切り携わってきています。それは、私が教育を学んだ頃は「なんのために」が重視されていて、「技術」が弱かったということが理由の一つです。だからそこに力を注ぎました。

当たり前ですが、教育は哲学(基本的な考え方)と圧倒的な知識と指導の技術が必要な営みです。今回の本は、私が今まで実践してきた経験をベースにして語ってみました。そのことから、
(教育に関わるってどういうことなんだろうねえ)
ともう一度自分なりの教育に関する哲学を確認してもらうきっかけになってもらえればいいなあという思いで書きました。

            ◆

私が一緒に「明日の教室」を主催している糸井先生の書評です。

http://susumu.exblog.jp/6079010/
より 引用開始 ーーーーーーーーーー

「いやあ、参った!」
本を読み終えた時、思わず、叫んでしまった。
その本とは、池田修先生(京都橘大学文学部准教授)の新書「教師になるということ」(池田修著・ひまわり社)のことだ。
この本は、今、流行の(?)ハウツー本などとは違う。
池田修という一人の優れた教育者が、教育を真正面から語った哲学書とも言える本である。
この4月から、教育サークル「明日の教室」を共に立ち上げたこともあって、池田先生と話をさせていただく機会は多く、学ぶ点は多かった。
しかし、しかしである・・・・ここまで、理路整然と教育について語れるのだという事実を突きつけられ、「参りました」となった次第・・・・なのだ。
「まえがき」の書き出しは、こうだ。

この本でみなさんと一緒に考えてみたいことは、教師になるということ、教師であるということは、どういうことなのかということです。

そうなのだ、そのことを是非、教師をめざす学生に、若い教師に考えてほしいと私も思う。
そして、この本には、池田先生が考える「教師になるということ」「教師であるということ」が、真正面から語り言葉で書かれている。
まさに、現場からの提言である。
これが、現場で必要な力だと思う。

この本が、今後、真の教師をめざす若者のバイブルになることを願う。
まだ、読まれていない方!本屋に急がれることです!
(あっ、まだ、本屋には並んでいないかも・・・)

引用終了 ーーーーーーーーーー

ちょっと誉め過ぎだとは思いますがf(^^;。

新学期が始まり毎日の実践が次から次へと襲ってきます。そんな中でちょっと立ち止まって考える時間になれればと思います。

多くの方に読んで頂けますように。そして、子どもたちとの豊かな関係が生まれますように。

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2007/08/08

『野洲スタイル』

『野洲スタイル』(山本佳司 角川書店)を読む。
滋賀県立野洲高校といえば、今までの高校サッカーのスタイルとは違うスタイルで日本一位に輝いた高校である。ここのサッカー部の監督である山本先生の書かれた本である。

ディベート甲子園のお供にと鞄に入れた数冊のうちの一冊だが、これは良かった。

・ 学校のクラブの指導者というのはどうあるべきなのか。
・ ビジョンを持つ、具体化するというのはどういうことなのか。
・ 世界で活躍させるとはどういうことなのか。

これらのことについて述べられている。

            ◆

山本先生は、サッカーとしての選手経験はない。さらに野洲高校は就任当時サッカーの強い学校ではなかった。その学校に二校目として赴任して自暴自棄になったこともあったとのこと。ゼロからのスタートで日本一を獲得するそのプロセスがいい。

ちょっと私にも共通することがあり、私は実感を伴って読むことができた。

「ゼロからスタートすることのできる幸せ」

これは、そのゼロの地点にいる時には分からない。不幸にしか思えないのだが、そのゼロに立つことが大きな可能性そのものであり、自分の成長の土台なのだ。が、これがなかなか分からないのだ。

            ◆

今、もしそのゼロの地点にいるとしたら、そこからどのように戦略的に動いていくのかということを具体的に書かれている本である。サッカーの指導者にならなくとも、ディベートの指導者であっても、他のクラブの指導者、はまたま学級担任等にもヒントを与えてくれる刺激的な本である。

私は、今日礼儀として、この本の最後の最後の部分を新幹線で野洲川を渡る時に、感動とともに読み終えた。

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2007/08/02

『ファックス資料中学校・高等学校ディベート授業が楽々できるワークシート』

Debate

新刊が出ました。

『ファックス資料中学校・高等学校ディベート授業が楽々できるワークシート』
池田 修 著 学事出版 版
2007年07月 発行 1,890円(1,800円+税)
ISBN 978-4-7619-1360-1 (4-7619-1360-6) C-CODE 3037

            ◆

本書は、修士論文「中等教育におけるディベートの研究ー入門期の安定した指導法の開発ー」で示した理論をベースにして、ワークシートとして教材化したものです。ディベートの試合の実際をシナリオにして読みながら学ぶ「シナリオ方式」を採用したワークシートです。

ディベートの授業は、7割が準備、2割が試合、1割がまとめです。入門期指導の場合、いかにこの7割の準備の負担を少なくするかが指導の鍵だと考えて、指導方法を考えてきました。その答えがシナリオ方式です。

シナリオでディベートを読み上げながら、実際に試合をして、ディベートの試合の組み立て、用語、議論の型などを体験して学習していきます。このシナリオがあるおかげで、子どもたちは準備をほとんどすることなく試合を体験で来ます。実際の授業の記録はわくわく授業で放映されました。

年間指導計画でディベートはやることにした。だけど、時間がない。
分かります。でも学校教育現場の忙しい中で、2時間だけディベートの指導に使える時間ができた、または、2時間しか指導する時間がない。そういうところでも大丈夫のように作りました。もちろん、10時間あっても大丈夫です(^^)。

            ◆

15年ほどディベートの入門期指導に取り組んできて、今、具体的な成果として残せたものは、書籍では本書です。また、DVD教材としては、「ディベート入門講座 シナリオ方式のディベート 全3巻セット」があります。

私がディベートに出会った頃は、日本語で書かれているディベートの指導書は、ビジネス書と大学の英語ディベート界で使われている物ぐらいしかなくて、私はアメリカの高校生が使っているディベートの教科書を買ってきて、翻訳しながら授業を行っていました。

私の学生時代は、私はディベートのデの字も知りませんでした。教員になってから「もっと面白い話し合いの授業はないのですか?」という子どもたちのリクエストに応えて始めたのが、私のディベート指導の始まりでした。

いやあ、人生は振り返ってみるとあまりにも短いのが分かりますねえ。

とまれ、私がディベートを指導し始めた頃は、「デ、ディベートが指導できるのですか!」という時代でしたが、そろそろ「え? まだディベートの指導をされたことがない?」とか「え、ディベートって相手を言い負かすゲームだと本気で思っているんですか?」という時代になってきたのではないかと思うのです。

            ◆

二学期の授業、後期の授業でディベートの授業をお考えの方、どうぞご活用ください。

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『白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい』

蟹座の私は水の近くが好きである。水の近くにいると運気が上昇すると風水をやっている知人に言われたことがある。東京の住まいは多摩川に臨み、この地ではびわ湖に臨んでいる。

いつもなら静かな揺らめきを呈しているびわ湖は、台風5号の影響だろう、湖面が荒い。その荒さが普段はない波を生み出す。定期的に打ち寄せるその波から心地よいリズムで音が部屋に届く。

朝方は比叡山から吹き下ろしていた風が、昼前にはびわ湖から吹き上げるようになった。

            ◆

『白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい』(白川静監修 小山鉄郎編 共同通信社)を読み続けている。漢字指導をするとき、指導者がその漢字の意味を丁寧に学習しておくことは、非常に大事である。本書は、専門家の知見をふんだんに取り入れた入門書である。

日本の最後の碩学と言われる白川先生は、旧来の人類最古の字書『説文解字』で説明されてきた漢字の説明を、その『説文解字』よりも3000年前にできた文字を元に漢字のルーツを解明し直した先生である。

『説文解字』は、許慎という者が今から2100年前に小篆という字体を元に作ったものだ。白川先生が元にした3000年前に書かれていた甲骨文や金文という字体は、19世紀末に発見されている。許慎やその後の学者は資料とすることのできない文字たちが、19世紀末に発見されたのだ。

            ◆

なんという幸せだろうと思う。漢字ができて5000年。その5000年の時を越えて、白川先生という碩学の手によって解明された漢字の意味。それをたった1000円で読むことができる。値段というのはなんなのか、物の価値というのはなんなのかと改めて思う。

            ◆

読み進めると衝撃ばかりである。漢字については割と勉強したつもりだと思っていた私だが、まだまだであった。ヘーッと思う漢字ばかりである。





なんでこの漢字がこの部首でできているのか。このパーツからできているのか。説明を受ければ一発で分かる。そして、おそらく一生忘れない。物語記憶だからである。小学生にはちょっとグロテスクな説明もあるが、そこを差し引いても充分すぎる内容である。

来年の授業の課題図書候補の一つにしたい。

            ◆

ああ、風が強くなってきた。
湖面に白波が立っている。
いよいよ台風も近いか。

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2007/07/15

一気に8巻か

あーあ、読んじまった。
一気に8巻か。
台風の大風も気にならないで読んじまったな。
『バンビーノ』か。

            ◆

このところ、仕事の読書に追われていて楽しみの読書をしていなかったから、そのリバウンドなんだろうな。ま、授業のあるオンタイムの時には楽しみの本は読まないで、仕事の本を読むようにしているのはいつものことだが、切り替えがスムースに行っていないかもなあ。

左の瞼が断続的に痙攣する症状が出るのは、目が疲れている証拠だ。何もそんなときに漫画の8巻一気読みなんかすることもないと思うが、そのなんと言うかハマることが人生の楽しみなわけであって、瞼よ許してくれい。

            ◆

『バンビーノ』の作者は、名作『万歳ハイウェイ』(by オサム)のアシスタントをやっていたんじゃないかな。時々絵柄が似ている。特に年配の人の絵柄がそっくりだ。

『万歳ハイウェイ』は、確か書斎に眠っているはずだなあ。私の最初のバイクSRX-4が主人公の話は、本当に感動したよなあ。

そのアシスタントが、こうして新しいヒットを生み出している。いいなあ。才能が受け継がれて行く。師匠の絵柄を「本歌取り」しつつ作品を展開していく。
(あの漫画の中の登場人物は、いまごろどうしているかなあ)
なんて思ったりもした。

            ◆

おやすみなさい。

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2007/07/14

いまごろ『バンビーノ』を読んでいる

昨日の歯の工事の痛みが残るかと思ったが、歯茎の腫れ程度で無事、朝を迎えることができた。ほっとした。

            ◆

台風が来る前に、いろいろと買い物を済ませる。
空き缶をお酒の量販店に持っていったところ、エビスビールが半額で売られているのを発見。大瓶である。なんで半額なの?

半額の理由を聞いてみたところ、製造から3ヶ月経ったものは半額で売るのだそうだ。へーっと思いつつ、エビスビールが売れ残っていることに時代の流れを感じる。プレミアムビールが増えたし、ベルギービールも簡単に手に入るようになったし、エビスでなければならないということもなくなったしなあ。

大体からして、モルツがあんなに美味しくなるとは思わなかったしね。(あ、もちろん今のデザインの前のモルツね。今のモルツはプレミアムモルツとの味の差をくっきりと付けるために、味を落としたと思える)

(今晩は、半額で買っておいた子羊のもも肉と、エビスだな)

と思い、半額を喜びつつ購入。半額セットだ。

            ◆

午後から大学に行き、仕事。
台風が来ているキャンパスは、人影も少ない。
おーし、集中して仕事を片づけるぞ。

ふう。
土曜の夕方のFM番組が始まるまでにはなんとか形になった。

一息ついて、次の仕事をしていたら研究室の窓を叩く雨の音が激しくなってきた。
台風が迫ってきた感じだ。
さ、帰ろう。

            ◆

夕ご飯、久しぶりにカレーを作った。
半額セットのつもりだったが、歯茎の腫れが引かないので大事をとることに。アルコールはなし。

最近は忙しくて夕ご飯を作ることもなかったが、今日は作った。
いやあ、いまごろ『バンビーノ』を読んでいる。今日は一気に4卷まで読んでしまった。それに影響されている自分がいる。

私にとって料理漫画と言えば、『包丁人味平』である。どうしてもこれと比べてしまう。で、『バンビーノ』は、良い線行っている。扱っている料理がイタリアンというのもいいな。

            ◆

明日、残りの4巻を読み終わってしまうんだろうな。それで、なんか料理を作っているだろうなと思うf(^^;。

なお、現在、暴風警報がでているのに、非常に静かなびわ湖であります。
三階までは被害はないと思っております。
みなさんのところも、被害のありませんように。

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2007/06/19

『大学の授業』(宇佐美寛 東信堂)

『大学の授業』(宇佐美寛 東信堂)を読む。
研究日ということで、読書。今日の読書は、書き写しという方法で行った。宇佐美先生の著書を400字詰めの原稿用紙に書き写して読んでいた。

丁寧モードで書き写していたので、一枚当たり二十五分かかっていた。やっぱり時々書き写しながら読むのは良いなあ。スピードを落として読むことで、ただ読んでいるだけでは気がつかないことに気がつく。

宇佐美先生は、原稿をボールペンで書いている、ということを違う本で読んでいた。ということは、手書きで書き写すことは、宇佐美先生の文章のリズムを体に入れられることになる。実際は、推敲を重ねた結果が本になっているので、推敲の過程を経た文章を受け入れることになる。どっしりとした思考が体に入ってくることになる。

この感覚がいい。
上手く言葉にしづらいのだが、私の体に少しずつ刻まれて行く何かがあると感じられるのだ。

当たり前だが、読むスピードと書くスピードでは、前者の方が一般的には速い。そして著者と読者とでは、前者の方が上回っている。宇佐美先生と私では言うのも憚られるほど、この原則が当てはまっている。だとすれば、書く人のスピードよりも遅いスピードで読むぐらいがちょうどいいのかもしれない。

書き写しと言う読書は、これに合致している。もちろん、読書とは「書を読む」であるが、私は最近、いろいろな意味で「読む、書く」が読書ではないかとも思っている。


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2007/06/15

『大学授業の病理 FD批判』

『大学授業の病理 FD批判』(宇佐美寛 東信堂)を読む。

んーん、いかん。
学生たちを甘く指導しているかもしれない。
宇佐美寛先生の本を読んでいると、そう思う。
授業の奥深さを改めて思う。

            ◆

ディベートの指導をしているときに思うのだが、私が分かりやすく話せば話すほど、学生たちは楽をしているのではないかと思うことがある。
(ん? 何を言っているんだ? この先生?)
と思いつつ、自分で話を整理しつつ聞くのと、先生の頭で丁寧に整理されているものを順番に聞くのを比較すると、後者の方が「分かりやすい授業」になると思われる。

しかし、これが「分かった授業」かどうかというと、果たしてそうなのか私には疑問が残る。

            ◆

文章の読解の指導をしているときに、
(読解の授業の目的って何だ?)
と思う

読解とは何か?

三省堂「大辞林 第二版」より
引用開始 ーーーーーーーーーー

文章を読み、その内容を理解すること。
「長文を—する」「—力」

引用終了 ーーーーーーーーーー

通常は、文章を書いている人に知識や知恵の集積があり、その知識や知恵は読み手には及ばないものがあるから、うーうー言いながら「読解」するというものである。が、世の中には読み手を意識しない読みにくい文章もたくさんあるわけで、読解の授業をするよりも「書き方」の授業を重視した方が、いいのではないかと思うのである。

良い文章が増えれば、読解の授業はこうなる。
「この文章は、ダメだ。だから、書き直しなさい」

            ◆

答えは学生が自らの頭で作り出す作業である。それを私が我慢しきれずに伝えてしまうのは、結局、学生を育てたことになっているのだろうかと思う。

もちろん、時間切れもある。
が、私自身、大学生の時に貰った問いに自分で答えを出すのに20年近く掛かることがいくつもあった。何も授業中に理解を求めるのが大学の授業でもあるまい。

大学教員二年目。
改めて授業の奥深さを感じ、中学生ではなく大学生に合わせた授業をつくって行こうと思う。

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2007/06/11

『大学授業入門』(東信堂 宇佐美寛)

『大学授業入門』(東信堂 宇佐美寛)を読む。

読もうと思っていてもなかなか手が出せない著者というものがある。私にとって、宇佐美寛先生は、そのお一人であった。本は買ってあった。そして、その質の高さもあちらこちらから伺っていた。私の知り合いの先生がたもかなり影響されている。大学の先生も影響されている方が多い。

となると、へそ曲がりの私は読まなくなる。宇佐美先生相手にライバル視をしても仕方がないのだが、下手に良い本を読んでしまうと、自分で授業をつくることを考えなくなる。私の場合は十分にあり得るので、そんな意味もあって我慢していた。

これじゃいかんのだが、性格はなかなか治らない。が、大学の教員も一年間を終え、自分なりの授業も一通りやれたので、封印を解こうと思った。

そうしたとき、選択の方法は二つある。一つは作品が作られた順番に読むであり、もう一つは最新刊を読むである。これは好みや状況に寄っても違ってくるのだが、私は今回は最新刊から読むとした。

結果。今読んで良かったなと思った。もちろん宇佐美先生には及びもしないだろうが、私が目指してきた方向は間違っていないということが確認で来た。そして、今の年齢で今の状況で読むからこそ、分かる部分も沢山あると思った。

これからの大学での「授業」がますます楽しくなる本であった。
さて、次は『大学授業の病理 FD批判』を読もうかな。

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2007/06/03

『下流志向』の酷評

私は最近、内田樹先生の本をかなり読んでいて、その中でも『下流志向』はお気に入りの本なのですが、この本への酷評を見ました。

このブログの著者はなかなか筆力があり、検証もしっかりしているのでときどき読んでいたのですが、その中で、2007年の1月から3月の本の中でワースト1に輝いているのです。

いろいろな見方があるから面白いのですが、ワースト1ねえ。他のワーストにあげられている本を見ると、
(あ、やっぱり、これはワーストね)
と思うものもあるので、ちょっと気になりますねえ。

内田先生の語られるものは実感を持って読めるだけに、それを違うと言う根拠となっている本というのは興味を持ちます。

だけど、ここでネットでクリックして注文してしまうと、積んどくがさらに凄いことになりますから、ここはブログにメモとして挙げておくだけにしておきます。どなたか読まれましたか?

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2007/05/22

『とめはね! 1』(河合克敏 小学館)

『とめはね! 1』(河合克敏 小学館)を読んだ。文科系青春コメディーである。高校の書道部が舞台の漫画である。

まだ一巻しか出ていないが、まあ、それなりに楽しめそうである。書道の上達に向けてさまざまな話が出てくるものと思われる。「永字八法」「三折法」などの基礎的な書法の説明や、「九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんのめい)」などのお手本の話が出てくるわけで、それはそれで勉強になる。

が、しかし。残念ながらその作品中で使われている書道の作品が、上手くない。わざわざ大学の書道部の学生に書いてもらったりしているのだが、びっくりするぐらい上手くない。これが上手い字だと思って若者が読んだら、駄目でしょ。

うちの大学の書道科の学生の方がよっぽど上手い。書かせてくれれば良いのに。それに、お手本なら、古典から集字(しゅうじ)して、それを使えば良いのに。

そこだけ(というか、そこが駄目だと駄目という説もあるが)だめだが、あとは勉強になる本かもしれません。>Nekoskeyさん。

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2007/04/27

『搾取される若者たち ーバイク便ライダーは見た!』

『搾取される若者たち ーバイク便ライダーは見た!』(集英社新書 阿部真大)を読んだ。団塊ジュニア以降の若者たちが陥る仕事の上の問題点をしている。

不安定雇用の職種であるバイク便のライダーは、若手によって支えられている。不安定雇用にも関わらず、彼らはワーカーホリックに陥って行く。そのからくりを著者自らが一年間バイク便ライダーをすることで明らかにした著作。

私も学生時代にアルバイトで塾の講師をしていたが、そこでの雰囲気がこの本に描かれている雰囲気に多少似ている。明るくて爽やかなのである。塾講師とバイク便ライダーでどこが似ているのかと思われるかもしれないが、実に似ている。さっと読める文体なので、その謎は読まれると分かると思う。

一種のキャリア教育としてこの本を捉えることも出来る。それは、爆発的に売れた『13歳のハローワーク』に関する次の批判からも見て取れる。この批判は、私が感じていた違和感の一つである。

引用開始 ーーーーーーーーーー

『13歳のハローワーク』に代表されるような無責任な自己実現を促す職業教育が、当面は問題であろう。同書にはなんと「乗り物が好き」の欄に「バイク便ライダー」が紹介されているのである。これを読んだ一三歳の子がバイク便ライダーを目指すようになったとき、著者はどのように責任をとるのだろうか。やはり、生涯年収やその職業の安定性、将来性なども同時に書き添えておくべきではないだろうか。そうすれば、バイク便ライダーをしていつまでも食べていけるなどという幻想を抱く若者が今後、少なくなるかもしれない。それを知らせた上で、バイク便ライダーを目指すか否かは彼らの選択に任せれば良い。職業への「夢」(これまで否定するつもりはない)と同時に、そのリスクも考え合わせることが出来るような知識をもった若者を育てていく教育が求められているだろう。

引用終了 ーーーーーーーーーー

私も特に高校生に教師とはどういう仕事なのかを話するときは、教師としてのリスクをかなり語るようにしている。その上で、彼らが選ぶのであれば大いに応援するから、うちの大学で学びたまえと話すようにしている。

いい面だけでなく、リスクまでも見えているのが大人であり、そのことを伝えなければガイドにはなりにくいはずだ。

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『ピラゴラ装置 DVDブック 1と2』

『ピラゴラ装置 DVDブック 1と2』(慶応大学佐藤雅彦研究室 小学館)を読んだ。ん、見た?ご存知NHKの「ピタゴラスイッチ」の人気コーナーのDVDである。
あれは面白い。アルゴリズム体操も面白いが、このピタゴラ装置は本当に面白い。

一度本屋に並んでいたのを見たのだが、その時に手に入れなかったらあっという間に売り切れ。それで今回は発見した瞬間に購入した。

いいなあ。
物理ってこんなに面白かったのねと分かる。

これは児童教育学科の英知を結集して、さらに新しい装置を学生に作らせたいなあ。

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2007/04/26

『裁判官の爆笑お言葉集』

『裁判官の爆笑お言葉集』(長嶺超輝 幻灯舎新書)を読んだ。
著者による裁判の傍聴や判例文から、印象的な判決の言葉を集めたものである。

ディベートのジャッジをする身としては、判決の重さはそれなりに自覚しているつもりである。その判決一つで全国大会に出場できたりできなかったり、決勝トーナメントに出場できたりできなかったりするわけである。

一つ一つの言葉を吟味するという面では、もちろん裁判官の方が上だろう。その部分を読んでみたいと思った。

この本のタイトルは『裁判官の爆笑お言葉集』であるが、『裁判官の爆笑お言葉・ありがたいお言葉集』ぐらいでも良かったのではないかと思った。

「死刑はやむを得ないが、私としては、君には出来るだけ長く生きていてもらいたい」

という裁判長の言葉の真意はどこにあるのか。読んでみると、なかなか凄いものがあります。

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2007/04/02

『一瞬の風になれ』

野中先生が絶賛していた『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子 講談社)を読み終えた。新年度のスタートに相応しい、気持ちの良い小説だった。

途中何回か、ウッと込み上げてくるところがあった。
私の青春時代は、音痴を直すのに懸命だったぐらいだが、スポーツ系をやっていた人には堪らない小説だと思う。

            ◆

以下、ちょっとネタばれありかも。

            ◆

思ったことを三つ。

1)師と仲間がいて、自分で答えを出せるものが成長する。

みっちゃんという先生がとても良い感じで描かれている。思うが、この小説を先生の視線で読み返してみると教職志望の学生にはいいかなあと思った。スラムダンクの安藤先生系列の先生だ。その競技の経験者で、専門的知識を多く持ち、挫折を経験し、上からの指導ではなく引き出す指導。そして、生徒からの絶対的な信頼感を得ている。こういうのが今の子どもにはいいんだろうなと思う。

で、仲間たちもいろいろなのがいて、主人公に彩りを見せる。その中で主人公は自分で考えて答えを出して行く。教わることはとても大事だと思うが、やはり自分で答えを出せないとダメだなあと思う。いや、正しい答えかどうかは別。自分で答えを出すことが大事。

2)小説家志望なら、この続きを。

ここで終わるか、というところでこの小説は終わる。この終わり方もスラムダンクに似ていると言えば似ている。小説家を目指す高校生なら、この続きを書くのはいい練習だと思う。

3)軽音楽、ディベートの青春小説が読みたい。

誰か書いてくれないかな。
ディベートの小説は、筑田さんが適任だと思うけど。
筑田さん、どう(^^)。

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2007/03/24

『図解 よくわかる 授業上達法』

『図解 よくわかる 授業上達法』(上條晴夫 学陽書房)を贈って頂いた。
上條さんの新刊である。
早速拝読した。
さすが、上條さんという本である。

上條さんとの出会いはかれこれ15年も前になると思う。ディベートの講座を一緒に受けたのだが最初だ。そのころの私は「授業づくりネットワーク」なる団体そのものも知らなかった。それがいまでは私の研究と修養の中心の団体になるわけで、もし、この団体に出会わなかったら今の京都暮らしは全く考えられなかったと思う。ちなみに、上條さんもディベートに出会わなかったらこの本はなかったと思われる。

            ◆

そう、本の話である。
勉強家の上條さんがこの20年間に学んできた内容をコンパクトにまとめている。授業の技術に関して大きく二分してそれぞれ30種類提示している。教師の指示系列の技術を「タテ力」、生徒の交流を支える技術を「ヨコ力」である。こんなにどーんと出してしまっていいのか?と思うぐらい内容の濃い本である。

特徴的なのは一つ一つの授業の技術・考え方を「図解」していることにある。実は、私にとっては非常に懐かしい図解である。上條さんがいろいろな講座で説明をする時に使っていた図解も随所にあり、それを見て懐かしく思っている。もちろん、初見のものもあり勉強しながら読んだ。

            ◆

読後の感想を誤解を恐れずに言えば、この本は「中級者以上」の本である可能性が高い。というのは、この本を読んだだけで初心者がすぐに授業が上手くなるとは考えにくいからである。というのは、ここで提示されている授業の技術・考え方が実感として伝わってこないのではないかということがある。

しかし、逆に授業経験が5年ぐらいあり、なおかつある程度授業上達に関して意欲を持っている教師が読めば、もの凄い武器になることばかりである。自分の授業で上手く行かなかった時に、何が不足しているのか、どう手だてをすれば良いのかが分かるからだ。

授業の技術を中心にまとめている本ではあるが、その実、技術から入り、それを支えている授業観に迫ろうとしている本ではないだろうか。もしそうだとすれば、授業初心者もこの本を傍において授業を作ることから、やがて自分の授業の観を高めるための入門書になるのかもしれない。

            ◆

私が期待したいのは、合計60のそれぞれの技術に関して50分のワークショップをやってくれないかなあということである。それが完成して新人の教師が初任研や三年以内に「授業づくりネットワーク」などで受けることができれば、その教師の人生は変わるだろうなあと思うのだ。上條さん、よろしくお願いいたします(^^)。

教師なら手元に置きたい本である。

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2007/03/06

『鴨川ホルモー』

ふう、あと一日で一週間の再点滴も終わる。
今日はその後、整体の先生のところに行って体の調子も整えてもらった。血流を整えれば少し良くなるのではないかと思ってである。体は軽くなったが、耳はねえ。明日も検査の結果は良くないんだろうなあ。

            ◆

再点滴は血管を広げる点滴で、実は痛い。腕を締め付けられるような、内側から広げられるような痛さが2時間ある。
痛いのと怖いのと詰まらないのが私は苦手である。もちろん、下らない、下品も苦手だが、ちょっと下品は嫌いではないf(^^;。

まあいい、だから、早起きして点滴中は寝ているようにしているのだが、今日は普通に起きたので寝られなかった。

そこで『鴨川ホルモー』(万城目学 産業編集センター)を読みながら点滴の時間を過ごした。京都の大学生たちが主人公で、出てくる土地の名前も馴染みになったものが多い。三国志や安倍晴明などの陰陽道の世界を使って描かれているのだが、これが面白く読むことができる。鬼や式神を使って大学生が戦争ごっこをするのだが、きちんと青春小説になっている。

さらに、その時々に出てくるギャグが、私の世代のネタであることが多く、うっかり笑ってしまう。そしたら、
「大丈夫ですか?」
と看護婦さん(やっぱり看護婦さんのほうがいいなあ)が、声をかけて来て
「なんだ、本で笑っていたんですか?」
と言われてしまった。

すんません、変な心配をさせて。

            ◆

合唱コンクールで子どもたちによく話した言葉は、

『努力すれば勝てると思っていたか? 努力したって負ける時は負ける。努力すれば必ず勝てるではない。努力すれば勝てることもあるだ。ただし、勝った奴は必ず努力しているんだな。だから努力するんだ』

ということである。
まさに、今の自分に言い聞かせている言葉である。治った人は必ず努力をしているはずである。

『鴨川ホルモー』を読み終えた今、ちょっと清々しい思いになっている。
京都にいる学生諸君、読んでみると良いかもよ。

さあ、私も、ふぁいと、おー!である。

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2007/03/05

『パパとムスメの7日間』

『パパとムスメの7日間』(五十嵐貴久 朝日新聞社)を読み終えた。久しぶりに楽しみの読書である。後半は、まあ、予想通りであった。五十嵐さんの『1985年の奇跡』に見られたどんでん返しは、さほどでもなかった。でも、それがまあそれで良かったりもする。安心して読めた感じだ。

私と同じ世代の父親で高校生の娘がいる人が読んだら、泣いちゃうかもしれない。今の高校生も今の高校生なりに、いや私たちの世代よりも大変なんだろうなあと改めて思うことも多かった。

もし、神がいて、
「青春時代に戻りたいか?」と問われれば、
私は
「もう十分です、勘弁してください」
と答えるはずだ。まあ、青春は恥ずかしく面倒くさいからねえ。
だけど、こんな風に七日間ならいいかもなあと思った。

そうか、今度一週間だけ自主的に高校生に戻るなんてプランを立てて、高校時代にやっていたような生活してみるってのもおもしろいかもしれない。今の高校生をやってもいいし、あのときの高校生でもいいなあ。

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2007/03/03

『新卒教師時代を生き抜く 心得術60 ーやんちゃを味方にする日々の戦略ー』

『新卒教師時代を生き抜く 心得術60 ーやんちゃを味方にする日々の戦略ー』(野中信行 明治図書)を読んだ。

北海道の堀さんは、野中先生の一冊目を読んで感動のあまり北海道から横浜まで出向き、
「野中さん、世の中に出てくるのが15年遅い!」
と叫んだとか、叫ばなかったとか。
この気持ちはとてもよく分かる。
ではあるが、雌伏15年であったればこそ、雄飛の本著があるとも言える。

ご自身の失敗談をエピソードに盛り込みながら、単にテクニックだけではなく担任教師としての、社会人としての哲学にまで触れられている。「人生の大事なことは半泣きしながら身につけるものだ」と山田先生@学芸大学は言われるが、この言葉を思い出す。

1)失敗するパターン
2)どうしたらいいか
3)さらによくするにはどうしたらいいか

のフォーマットで60のトピックを纏められている。
非常に読みやすい本である。

この春から小中学校の教師になる学生、非常勤講師の先生たち。ラッキーだなあ。この本があるんだもん。

もちろん、「人生の大事なことは半泣きしながら身につけるものだ」から、あなたも半泣きしないとこの本の本当の良さは分からないかもしれない。でも、スタートを切るまでにあと一ヶ月ある。まずは、熟読だ。そして、職員室の引き出しの中に入れておこう。この本のすごさが分かるはずだ。

学級は始まってから三日で一年間の方向がほぼ決まることが多い。教師という仕事は四十年近くやるのだが、実は最初の三年でその方向がほぼ決まる。変な癖を身につけず、先達が半泣きしながら身につけた「日々の戦略」をありがたくいただこう。定価は?2000円? 安っすいなあ。

私の仕事は、野中先生がここに纏められた「日々の戦略」をレッスンに落とし込んでいくことだな。
野中先生、相談させてください。よろしくお願いします。

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2007/03/02

明日も楽しみな一日に

野中先生から新著を頂いた。
『新卒教師時代を生き抜く 心得術60 ーやんちゃを味方にする日々の戦略ー』(野中信行 明治図書)
三部作の最後の本である。

前書きには私のつぶやきも収録されていて、ちょっと恥ずかしいが、いやあ、これは良い本だ。

まだ全部は読めていないが、明日、読み切れるはずだ。
明日も楽しみな一日になりそうだ。

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『なぜ勉強させるのか? 教育再生を根本から考える』

『なぜ勉強させるのか? 教育再生を根本から考える』(諏訪哲二 光文社新書)を読む。
点滴を受けながら読み、研究室にこもりながら読む。
良かった。

教育再生を学力向上にだけ求める現在の政策や風潮を批判し、なぜ勉強をしなければならないのかを語っている本である。私がスマップの『世界に一つだけの花』を受け入れることができない理由も、改めてよく分かった。

諏訪氏はもちろんあの名著『オレ様化する子どもたち』の著者である。かの本では日本の子供たちが1975年を境に、農業社会化、産業社会化の先にある消費社会化に突入した近代日本を生きていることを前提に、学校教育の現状を説いた本である。本書は現状の教育改革の政策、アイディア、指導方法、風潮に批判的な検討を加えて、その先の世界を提示していく。

批判の対象とされているものは、多岐にわたる。たとえば、お受験キッズ誌、学校と塾の関係、ゆとりの教育(これは擁護)、陰山メソッド、親野智可等、Tossなどにも触れ、どこに問題があるのかを丁寧に説明する。

圧巻は、最後にある「エピローグ」である。このエピローグのために本書はあるといってもいいかもしれない。本書の最後にある7pを楽しみに読み進めるのが良い。できれば、声に出して読むといい。諏訪氏の語りが聞こえてくる。「この私」と「人類」との関係から勉強するとはどういう営みなのかを語っているのが分かるであろう。

本書と対話しながら読むことができたおかげで、私もかなり自分の意見をすっきりとまとめることができた。そして、教育ということ、学校教育ということ、親ということの難しさとやりがいを改めて感じることができた。

感謝したい。

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2007/02/16

『子どもの荒れにどう向き合うか』

『子どもの荒れにどう向き合うか 〜いま、教師でありつづけるために〜』 (杉田雄二著 高文研)を読む。

一気に読んだ。

全生研の有名な実践家である杉田先生(ペンネーム)の実践記録である。遠目に拝見したことはあるが直接お話ししたことはない。一人一人の子どもを丁寧に指導される先生であることは、実践記録から十分分かっていた。

その杉田先生が退職願を書き残して、修学旅行のあと「失踪」した。
実践の記録はここから始まる。

            ◆

今の中学校の痛み、切なさ、喜び、苦しみ、つまりは現実が語られている。すべての学校がこうではないし、すべての先生がこうでもない。

だが、同じような思いをしながら、毎日学校にいる先生たちが確実にいる。そして、助けを求めている子どもたちもいる。

杉田先生が生徒指導のストレスで、円形脱毛症になって禿げたという記述を読み、
(オレもそうだったよなあ)
と3年前を思い出した。

過ぎてしまえば、
「これも教師の勲章」
なんて言われたのも笑って受け入れることが出来るが、その時はそれどころではなかったなあと思い出した。

            ◆

(今の時代に教師として生きるとは、こんなにも大変なのか)
と思うか
(今の時代に教師として生きるとは、こういうことか)
と思うか意見の分かれることだろう。

できれば、どちらの思いも持って

「さあ、待っていろよ子どもたち」

という思いで、力を抜いて笑顔で教室に向かう教師に育ってほしいと、学生たちのことを思いながら読み終えた。

            ◆

分からないこともあった。携帯電話の指導の場面である。杉田先生は、学年の先生に

「みんなができるやり方にしようよ。私は『携帯をすぐにしまいなさい。十数える間にしまわないと預からせてもらうよ』と言ってカウントダウンするようにしている。そうすると、何とかしまうよ。これなら誰でもできるでしょう。」

と言う。
ダメなものはダメと言って取り上げる指導をする先生の正しさを認めつつ、その指導が出来ない先生でも出来る指導を提案する。実際強い先生がいると、生徒は強い先生には従うが、弱い先生は舐めてかかることが多い。だから、みんなが出来る指導というのだ。

これは、分かる。分かるがこの先が分からない。
つまり、杉田先生の「みんなができるやり方にしようよ。」と言われる、携帯電話の指導は分かるが、本全体を通して貫かれている杉田先生の指導は、「みんなができるやりかた」なのかなあと。私には出来そうにもない。

どうして杉田先生は出来たのだろうか。
そして、それはどうしたら学生に伝えることが出来るのだろうか。
ちょっと考えてみたい。

教師を目指す学生諸君。
とってもいい本です。
読もう。

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2007/02/13

『みんなで国語辞典! これも、日本語』

私は言葉の学習段階には、次の三段階があると考えている。

1)覚える
2)使う
3)作る

である。もちろん、3に行くほど高度な学習を要求する。

この三段階に応じて中学生のために作った授業が、

1)対義語でポン
2)ことわざスピーチバトル
3)人生名言集

である。
これらの授業を行う時に、句会や「たほいや」も合わせて行い、言葉の面白さそのものに触れさせたいと思っていた。

            ◆

『みんなで国語辞典! これも、日本語』(北原保雄監修 大修館書店)を読んだ。この本は、私の定義で言えば、「3)作る」を具現化したものである。読者からの投稿で成立した国語辞典である。

作るには、言葉そのものを作る場合と、存在している言葉の意味を新たに作り出すという二つの側面がある。前者は造語であり、後者は新たな定義付けである。この本は、両方ともやっていて、なおかつ所々に北原先生や編集者からの専門的なコメントや注が入っているという贅沢な本となっている。

1300語程度ということなので、一つ一つを読むと良い。学校で先生が
「いくぞ、みんなで投稿するぞ」
と声を掛けて投稿したと思われる作品群等もあって楽しめる。私が中学校にいたら、やったろうなあと思う。

いくつか、気に入ったものを。

引用開始 ーーーーーーーーーー

・コリント人【コリント人】聖書にある「コリント人への手紙」からとったものの意味を変え、何度同じ失敗をしても懲りない人。「やっぱり彼女はコリント人だね」(和歌山県・中2・女)

・なまあたたかくみまもる【生温かく見守る】温かく見守るわけでもなく、冷たく突き放すわけでもない、ちょうどいい温度で見守ること。(大阪府・高2・男)

・にじゅいっせいきわく【二十一世紀枠】2)実力はないが、同情から認められること。

引用終了 ーーーーーーーーーー

            ◆

なぞかけの「ココロ」の部分を上手く使っているような定義や、そのまま辞書の定義としても十分通用する格調の高いものやらあって、十分に楽しめた。

小学校では厳しいと思うが、中学生以上ならこの「辞書づくり遊び」は十分可能である。

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2007/02/10

『7歳から「辞書」を引いて頭をきたえる』

「なんのために辞書が買ってあるの? なんのために先生がいるの?」

わからない言葉を母親に聞くたびにいわれた。小学校の低学年のころである。
(ははあ、お母さんはこの言葉を知らないんだな。よし、調べて教えてやろう)
なんて思っていたのが、ご幼少のみぎりの私であるf(^^;。そうして、いわゆる子ども用の辞書を使ってあれこれと言葉を捜すようになっていった。どうも人に教えるのは昔から好きだったようである。

小学校の三年生ごろになって、
(うーん、この言葉調べても載っていないな)
という言葉が増え始めた。それで、四年生の時にやっと大人用の辞書を買ってもらった。小学館の白い辞書だ。これは中学校三年まで使いまくった。ビニール製の表紙と裏表紙は、きれいに取れてしまい、そこをセロテープで補修しながら使っていた。もちろん、紙の箱やビニールのカバーなんて捨ててしまってない。

調べたのにその言葉が辞書に載っていないことのストレスは、思ったより大きい。調べたら調べたなりの言葉が出てくるという快楽が、さらに調べようとする意欲を生み出す。だから、この小学館の辞書を手に入れることがなかったらどうなっていたかなと思う。

            ◆

五、六年生の時の担任の島村先生が
「君たちは辞書を引かないね。先生は、今でも一日に2、3回は必ず辞書を引くよ」
と話していた。
(え、先生。言葉を知らないで先生をやっているの?)
と思う半分、
(じゃあ、僕がわからない言葉を調べていても、別に恥ずかしくないじゃん)
と思っていた思春期の入り口。
丁寧に言葉を確認するためには、辞書は必携だと言うことを島村先生は教えたかったんだろうなあ。先生、すいません。

六年生の時には、辞書に間違いを発見し、編集部に手紙を書いた。そしたら、お礼状とともに図書券を送ってもらった。さらに必死になって辞書を読むようになったf(^^;。

            ◆

「体験と経験」の違いが分からなくて、他の辞書の説明を読み比べて、それでも分からなくて中学一年生の時の担当の西本先生に伺ったこともあったな。そして、その時のあまりにも明快な説明に、
(をを、すげー。国語の先生ってかっこい)
と思ったのが、国語の先生になる一つのきっかけかもしれない。

残念ながら中学校二年生の時の国語の先生は、面白くなかった。教科書の指示語が何を指しているのかなどということを延々と説明し、それを質問する。
(んなの、読めば分かるじゃん)
と思い、私は辞書の後ろに載っている漢字で、画数の多い順に覚えていた「憂鬱」とか「団欒」とか。転んでもただで起きない私。

            ◆

教師になりたての頃に、深夜番組で盛り上がっていたのが「たほいや」。広辞苑を使った遊びである。
(へ〜、こんな遊びがあるんだ)
と仲間と遊んでいたが、
(ん? これ辞書の使い方の授業になるんじゃない?)
と思い、即実践。

そのことをまとめたのが、「授業づくりネットワーク」の「NO.134 1997年 12月 池田修 <文学教育は今のままでは滅びる!>教室だからこそ 座の文学を楽しもう」だ。上條晴夫さんによれば、「たほいや」を教育の文脈で紹介した文章は、これが一番最初だと言うことになるらしい。

当時は学習ゲーム等と言う言葉もなく、「辞書を使って遊ぶことが勉強になる。しかも、学習集団を育てることになる」なんて主張は、とても堂々と言うようなものではなかった。しかし、私には
(これはいける)
という感触はあった。私にとっては今でもとても大切な論文になっている。

            ◆

『7歳から「辞書」を引いて頭をきたえる』(深谷圭助 すばる舎)を読んだ。この本は、子どもと辞書との幸せな出会いを丁寧に書いている本である。

給食の時間に、わからない言葉を一生懸命に捜している小学校の一年生の子どもたちが描かれている。

私の場合は中学校一年生からの辞書指導であったが、辞書にのめり込んで行く子どもたちの姿は何回も目撃している。家庭科の調理実習だろうが、理科の実験だろうが、国語の辞書を持ち込んで授業中に出てきたわからない言葉を懸命に追い続けてていた子どもたちを私も見ている。

「みちはこたえない。みちはかぎりなくさそうばかりだ。」(真壁仁 「峠」)

みちを学びに置き換えてみる。そして、本に辞書に置き換えてみれば、わかる。自らが問いかけなければ、手に入れることは出来ない。それが学びだ。自ら手を差し伸べたものだけが、手に入れることが出来る。そして、新たな誘いを受けるのだ。

辞書指導は、子どもたちをそうして学びの世界へと誘い出す。君がこれから手に入れようとする世界は、この先にあるんだよと教師はそっと示してあげたい。

丁寧に扱いたい分野だ。

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