2020/02/20

1、2年ではダメだ

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秀吉が下足番をやっていた時、信長の草鞋を抱えて温めていたという逸話は有名だ。下足番一つを取っても工夫の仕方があるということだ。

 

 

かつて、学生時代にアルバイトをしていた喫茶店で聞いた話がある。その喫茶店の親会社の社長さんがいつも出かけていくとあるデパートの社長室では、おいしい日本茶がいただけるというのだ。

 

何がおいしいと言って、いつも適切な温度で出てくるというのだ。それはどんなお客さんが行ってもそうなのだそうである。そこの秘書室のお茶を出す係りの人は、お客さんのお茶の好み、濃さや温度を全て記録してそれで出していたとのこと。

 

つまり一人一人が納得するお茶を出していたのだ。だから、全員がおいしいと感じるのであったのだ。

 

このことを知ったとある社長さんは、この秘書の人に店を出してみないかと出資を持ちかけたそうだ。そして、この人は多摩地区では結構有名な雑貨店を出して成功したのでした。

 

 

「私はお天気お姉さんになるために、キャスターになったんじゃない」

と新人女子アナウンサーは、配属されたお天気コーナーをやっていてあるとき、母親に愚痴をこぼしたそうだ。彼女は政治や国際情勢を語るアンカーになりたかったそうだ。

 

母親は娘にこう言ったそうだ。

「あなたね。お天気お姉さんをバカにしているようだけど、天気予報に一生をかけて仕事にしている人もいるのよ」

と。

 

彼女はそれこそぶん殴られたような気がしたそうだ。それから考えを改めて、天気のことを勉強し、スタッフの人たちにもどんどん質問をして天気に詳しくなろうとしたそうな。

 

そうすると、スタッフもその姿を見て色々と教えてくれるようになり、天気のことも詳しくなり、アナウンスもよくなったそうだ。

彼女は田丸美寿々さん。その後の彼女の活躍はここから始まったそうだ。

 

 

そうなんだと思う。

今やっている仕事をただルーティンとして熟しているだけではダメで、そこに改良を加え、深みを増しとしていくことが大事なのだ。

 

仕事とは、事に仕えること。

その事にどのように仕えるかによって、人は磨かれるのだと思う。そして、その姿は見る人が見てくれている。そして、その人はあなたにチャンスを与えてくれることがある。

 

12年ではダメだ。

5年、10年とやっている中でチャンスは与えられる。

揺るがず弛まず飽きずに事に仕えることで、道は開かれるのだると思う。

2019/06/05

「池田修、筆を持って50年記念」ということで

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「池田修、筆を持って50年記念」ということで、自分で勝手に記念行事をしております(^^)。

最近FBでDMでやり取りのあった方のお名前を中心に、50人の方に紺紙金泥で書かせていただいております。

母親が悪筆ということで、子供にはそういう思いをさせたくないからと近くのお習字教室に通い始めたのが、小学校1年生の5月24日。そこから数え始めて50年というのが今年です。まあ、よく続いたものです。

外発的動機づけから始まったものの、今では内発的動機付けで書いています。継続は力なりとよく言いますが、まあそうなのでしょう。

ただ、この50年でやはり大きかったのは、大学時代に書き込んだこと。これが大きかった。

コツコツやってもダメなのだと思います。コツコツの前どかっとやる。これが大事なのだと。雪のようにどかっと降ると、根雪になります。その上にサラサラと降ると積もっていきます。根雪がないと溶けるだけ。この「根雪」をどう作るか。

飽きっぽい私は、あれこれ手を出しています。
書道にしたって、甲骨文字、ガラス書道、お抹茶書道、そして、今は紺紙金泥。しかし、書道のベースの上で遊んでいる感じですね。

書道の世界は広くすぎて深すぎて、一生かけて高みに登るには、挑戦しがいのある世界です。おそらく、頂点には登れないであろうけれども、「当社比」での頂点を目指して書き続けることになるのだと思います。

ドイツの誕生日は、自分でケーキを焼いて仲間にふるまうというのを知りました。
(ああ、そういうのもいいかもしれない)
と思って、先輩方、仲間たちのお名前を書かせてもらって、差し上げるというのをやりました。

「書道生活100年の時も下さい」
というありがたいお言葉もいただきました。

精進します(^^)。

2018/03/04

不便益

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おとといの小学校での授業の後に食事をしながら、Yさんから聞いた言葉で印象的だったのは、不便益。
不便だからこそいいものがあるという話だ。

行動経済学が私のこの頃お気に入りで何冊か本を読んでいるが、Yさんは心理学のバックボーンがあっての上で行動経済学が好きというのだから、面白い。まあ、打ち合わせもしないで2人とも行動経済学が面白いって言っているのも、面白いのだが。

で、その不便益。
なんでそんな話になったかというと、この頃、朝はカセットコンロに五徳を乗せて、練炭を着火し、その後ガスを止めて練炭の火でお湯を沸かしているという話をしていた時に出てきた言葉。

こんなことをするのは、アホです。
通常なら、ガスコンロに薬缶を乗せて火をつけるか、ティファールであっという間に沸かせばいいわけです。だけど、そうじゃない。ゆっくりと湧き上がってくる、湯気を楽しみながら春の日差しを受けながら、水が温まっていくのを待つ。この時間がなんともいいわけです。

これは、ガスでは味わえない時間です。
お湯を沸かすという直接の目的であれば、ガスコンロの上でというのが最適解でしょう。しかし、練炭が着火する時間をまち、お湯が温まっていく時間をまち、というのはガスコンロでは感じることはできない。むしろ、なんで早く湧かないんだとイライラすらしてしまう。しかし、練炭でお湯を沸かすのは、30分もかかるのに、ゆったりしている。

これが、不便益なのだという話になりました。

人間が火を扱い始めたのは、旧石器時代で200万年以上も昔のことだという。

焚き火から、熾火へ。そして、炭火の時代へと移り変わり、今はガス、電気、原子の火へと移っている。だが、日本の家庭にLPガスが入ったのは、1953年だそうだ。私が生まれる十年前までは、まだ、炭火の生活を家庭ではしていたことになる。

朝起きて、火消しツボから消し炭を取り出して、新しく火を起こし、一日を始めていたことになる。この炭に火がつく時間、炭でお湯が沸く時間が日本のかつての時間の単位だったのではないかと思うのだ。

ガスで、電気で一瞬にお湯が沸く。給湯器であっという間にお風呂にお湯が貼られる。この便利な世界を手放そうとは全く思わない。ただ、生活の一部に、人間の体の中に流れているだろう、焚き火、熾火、炭火の直火のDNAは、私たちの生活の時間を、人間が長い間、基本にして営んでいた時間の流れに戻してくれるような気がする。

不便益。
便利だからこそ、大事にしたいと思うなあ。

を、そろそろお茶に適したお湯が沸きましたね。

2018/01/31

この3月で12年目が終わる

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昨晩、Macを整理していたら、懐かしすぎる写真がどんどん出てきて、なかなか寝られなかった。

この写真は、忘れもしない。
2006年3月の夕景だ。



大学に異動が決まって、東京を離れる年の春休み。
毎年恒例の年度末に、強制的に何もしない一日を作ってホテルの部屋で奥さんとぼーっと過ごす日にしていたその日だ。

私が大学に異動が決まったのを知った、奥さんのお花の先生で私の中学校の時の先輩が、私たちに内緒でホテルにサプライズのお祝いをしてくれた時の写真だ。

新しい生活が始まるという期待と不安の中で、東京でのこういう時間も最後になるという思いの時に、先輩からいただいたプレゼントだった。



あの日から、この3月で12年目が終わる。
気がつけば、大学教員として過ごす時間は、後半戦に入っている。

光陰矢の如し。
また、この言葉を実感する。

2017/12/22

突発性難聴になったら

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突発性難聴になったら、全てのものを投げ捨てて、病院です。発病後、48時間が勝負です。ステロイドの点滴か、高酸素のカプセルに入ります。

入院できるなら入院です。

いいですか?
全てを投げ捨ててです。
後から治療は出来ません。

7:16 - 2017年11月28日

こうツイートした。
これがまあ、その後びっくりすることになった。

12/22現在
返信 276 リツイート 105,092 いいね 113,079 ツイートアクティビティを表示

となっている。
iPhoneが壊れたのかと思ったぐらいの反応であった。

もともと、若い友人がフェイスブックで突発性難聴になったことを書いていたのを見た。ところが、それが割と軽い感じで書かれていたので、それは大変んだと思って、すぐに病院に行くんだぞという書き込みをした。

まあ、突発性難聴の怖さは、あまり知られていないんだろうなあと思って、FBを加工して、Twitterに流したのが、上記のものである。

たまたまKinKi Kidsの剛さんが、突発性難聴と闘病しているというタイミングがあったのかもしれないが、ものすごい勢いでリツイートされた。

そこにはコメントも多くあった。コメントは二つに分かれた。この情報を知って良かったというものと、この情報を知っていればというものである。

私は、先生であるが医者ではないので専門的なことは分からないが、私が突発性難聴になった経験から述べれば、以下の症状が突発性難聴と疑われる。

耳鳴りや耳に水が入った時のような感じになり、自分の声がいつもの声とは違うように聞こえる。

繰り返しいうが、私の場合である。同じような症状であってもメニュエル病であったり、脳梗塞や脳腫瘍の場合もある。しかし、何れにしても重篤な病気であることには違いない。すぐに病院である。

私の場合は、十年間に二回起きて、今はほとんど右の耳の聴力はない。耳鳴りも激しい。しかし、まあ、それなりの治療をした上で、治らないのであれば、諦めやすくなる。

問題は、この情報を知らないでいて放置していた人たちだ。この人たちの後悔は激しい。本人も家族もだ。今回のリツイートを見て、改めて思った。

心臓の痙攣が起きた時、AEDを使おうということで、いろいろなところで研修がある。運転免許証を取るときにもレッスンがある。私は、突発性難聴は、実は心臓の痙攣と同じではないかと思っている。それにも関わらずそのことが伝わっていない。それは一刻を争うということだ。

なんとなく耳の調子が悪いなあと思っても、その一刻を争うことを知っていないため
(まあ、来週でいいか)
のように放置してしまう。イメージとしては、歯が痛いとき、来週の予約を入れるような感覚だ。

しかし、違うと思う。心臓発作と同じではないかと思うのだ。この場合、AEDが到着するまで心臓マッサージをする。体内にある酸素を心臓マッサージで巡らせる。呼吸が止まってから1分ごとに、蘇生率は10%下がっていくという。また、蘇生しても、脳に後遺症が残り、最悪の場合植物人間になってしまうこともある。

突発性難聴の場合は、聴力がなくなる。そして、後遺症として耳鳴りが出てくることになる。これは、音楽関係の仕事をしている人には致命傷であり、また、私のような授業をする人間にとってもかなりの痛手である。学生の声を聞くとき、私から見て右側にいる学生さんの声を聞くとき、背中を向けて左耳で聞かなければならないこともある。

話を聞くと、すぐに対応しても完治するのが1/3、分からないのが1/3、治らないのが1/3となっているそうだ。私は最後の1/3だったわけだが、そんなことを知らない人が沢山いるわけだ。

この手の情報は、公共広告機構で流すか、耳鼻科学会がポスターを作って耳鼻科にはり出すぐらいのレベルではないかと思うのだ。

ツイートを読むと
『「なんでもっと早くに来なかった!」と医者に怒られた』というのも割とあったのだが、
(そんなこと言われたってそんなこと知らんし)
というのが本音だろう。私もある有名な病院に行ったら
「ああ、もうこれは医療費の無駄。治りませんから」
とあっさりと言った医者がいて、呆れ返った。

「大変申し訳ありません。今の耳鼻科の治療技術では、聴力を回復させること、また、耳鳴りを抑えることもできません」
というのもんじゃないかなあと思うのだ。病を治すのが医者なら、治せないならそういうんじゃないかなあ。教師である私は、勉強のできない子供に
『君は、もう賢くならないから。諦めて』
なんていうわけないし、そんなことを言う教師がいたら、ど突くと思うしね。

そんなこともあって、多くの人に知られるといいなあと思って、ツイートしたら、こんなに広がってしまったと言うことだ。

このツイート見た人が数日後におかしくなって、病院に駆け込んで助かったというお礼のツイートももらったりした。これは嬉しかったなあ。私の突発性難聴も人様の役に立ったと言うものだ。

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で、このツイートは、ネット上のあちこちの記事になったり、まとめサイトに載せられたりして、これも驚いた。

また、主婦と生活社の『週刊女性』12/26号にも、記事として取り上げられた。電話取材まで受けている(^^)。

1人でも多くの人の、1つでも多くの耳が救われますように。

2017/12/11

30年前にお世話になった先生と

このところ時間がどんどんすぎるので、後から書くことが多いかなあ。
先々週の金曜日の話だ。

いやー、楽しかった。
30年前にお世話になった先生と、一緒に今日は京都駅で飲むことができた。

石川先生だ。当時は私は塾の講師をしていて、英語の教師から校舎を移動して国語の教師になっての一年目。学部の3年生だった。石川先生は、修士課程の1年目だったと思う。石川先生は、数学の先生。教科は違っても、いろんなことを教えてもらった先生だ。可愛がっていただいた先生だ。

先生とは、年賀状のやりとりをし、Facebookでの友人の関係になり、ずっと連絡を取り合っていた。そして今日久しぶりに会えた。

何が幸せって、石川先生が山梨から姫路に行く途中に
「池ちゃんに会いたいな」
ということで、わざわざ京都に途中下車してくれた。

そして、私の行きつけので久闊を叙したというわけだ。
まぁそこからは、過去の思い出話から始まって、Facebookにある記事のあれこれに関わって、もうとにかく話しまくった。気がついたらあっという間あっという間に5時間以上が経っていた。

で、石川先生と新しい仕事ができできそうな企画が生まれた。
正確に言うと私が石川先生におんぶに抱っこで、助けてもらうだけの話なのだが、これうまくいったらすごいことになるなぁと思いながら楽しい時間を過ごした。

幸せなことだ。
思っていたこと、温めていたことを100人ぐらいに語ると、それは本当になっていくと言うのが、私の実感なのだが、どうらやら100人ぐらいに話したかもしれない。動き出しそうだ。いや、動き出すぞ。

楽しみ楽しみ。

撃ち抜かれちゃったんだから、仕方がない

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授業をして、予定していたものを終えた後3分ほど時間が残っていた。気持ちが高揚していたのであろう、ちょっと話してしまった。

『私が大学に入った時、「お前、男なのに文学部なの? そりゃあ、とりあえず法学部か経済学部じゃないの? 人生捨てたね」と同級生に言われたことがあってね』

私は人生を捨てた感覚はなかったが、外側からはそう見えるのかとちょっと驚いたし、かなしくもあった。

『でもね、文学部を選んだでしょ。君たちは。
もうね、私の時代以上に文学部ってのは、文学部なんだなあ(^^)。 
(そんなこと学んで何の役に立つの?)
って世間に思われるんだよね。でもね、文学部を選んだ人は、大概、
(何かの役に立つ? そんなこと考えていないよ)
なんだよね(^^)。 私はそうだった。役に立つとかたたないとかではなく、
(だって、これしかないじゃん。やりたいこと)
っていう思いで、文学部なんだよね』

『何というか、文学部は、私は大事だと思うけど、世の中から見ると、どーでもいい学部なのよ(^^)。でも君たちは、人生の大学時代を文学部でという選択肢をとった。

撃ち抜かれた、言葉。撃ち抜かれた、文章。撃ち抜かれた作家。
君たちには、あるか、いるか?
私にはあるし、いる。

撃ち抜かれてしまったんだよ。
だから、文学部に来たんだよ。
出口に何があるかなんて、気にしなかった。
撃ち抜かれたから、文学部にいた。
そして、それについて卒論も書いた。

せっかくほとんど当てにされない文学部にいるわけだ(^^)。
撃ち抜かれた言葉、文章、作家に没入しないと、勿体なさすぎると思うな。
そして、撃ち抜かれたもののその先に、自分のオリジナルを作り出す。
そう、撃ち抜かれたものを乗り越えて、自分であることを提出する。
提出しようとして、もがく。
それが文学部に籍を置く大学生じゃないかなあと思うんだよなあ』

撃ち抜かれちゃったんだから、仕方がない(^^)。

私は基礎トレーニングをしているのだ

「修、そんなことがやって何か意味あるのかね?」
私が熱中してやっていると、母親に何度となく言われた。何回も言われた。
結婚してからも奥さんに同じようなことを言われる。
「お父さんは、やると決めたらだーっとやって、で、ある時突然ふっとするのをやめてしまう」
その通りなので、何も反論できない。

歌を始めた時もそうだった、カメラもそうだった、ギターを始めた時もそうだった、オフロードバイクもそうだった、リコーダーにフルートもそう、ドライトマトもハンモックもそうだった。集中してドーンとやる。そして、パタリと終わる。

いや、細く続いて入る。ギターも歌もカメラも続いて入る。ドライトマトもハンモックも。でも、新しく甲骨文字をやったり、ガラスに仏像掘ったりとやる。ウッドストーブもそう、燻製もそう。特に最近は、完成品を手にするのではなく、自分であれこれ工夫するものを多くやっている。

いや何を言いたいかと言うと、どうでもいいことにあーでもないこーでもないとやっている。外側から見た母と奥さんは何か意味あるのって言っているが、自慢じゃないが、私だってそんなのは、わからない。

だけども、この頃、思うことがある。私は基礎トレーニングをしているのだと。

何の基礎トレーニングをしてるのかと言えば、試行錯誤の基礎トレーニングなのだ。
もともと私は音痴だった。自分ではうまいと思っていたのだが、高校2年先時に
「先輩って音痴ですね」
と後輩に言われて、衝撃を受け、録音して聞いてみたら音痴だった。
(いや、これ録音のラジカセの電池がないんじゃないの)
と思って新しい電池を入れて録音し直してみたら、やっぱり音痴だった。
そこで私は1年間かけて音痴は直した。自分で歌った歌を録音して、音が外れているところを何回も歌ってまだ録音してということを1年間続けて音痴を直した。

大学生の時はひらがなが書けなかった。特に「はひふへほ」のひらがなが書けなかった。もちろん筆である。筆を使って書けなかった。悔しくて悔しくて何回も書いた。書けるようになるまで1年間ぐらいかかった。

教えることを仕事にしてる割には、人から習うのが苦手な私は、自分であーでもないこーでもないとやっている。
(効率悪いなぁ)
と自分でも思うのだが、でも、習っているとその人の教え方に従わなければならなくて、わがままな私にはそれが耐えられないことが多くあった。だから自分でやる。そのほうがよかった。だから試行錯誤になる。

でもそのおかげで、試行錯誤の基礎トレーニングができていたのではないかなぁと今は思っている。

また、教育と言う仕事についたおかげであれこれやった事は、いろいろなものと結びつくことができる。まさかギターが、まさか料理が、まさかカメラが、まさかまさか。教育と言う仕事を選んだおかげで、この試行錯誤が結びついたとき、結構いい仕事をしてくれるのだ。

さらに今は、研究と言う仕事もしている。これなんか日々試行錯誤だ。
「なんでそんなことやってんのかな、お前は、何か意味あるのそれ」
子供の頃から親に言われて、
(いや特にないんだけどやりたいんです。意味はあるかどうかわかりません)
と心の中で思っていた。が、そろそろ
「いや実はね」
と口に出して言ってもいいのかもしれない。

なんでか知らないけど、あーでもないこーでもないとやるのは、意味があったのだと思っている。意味があるのだと思っている。

2017/09/24

40歳。

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40歳。
この年齢で思い浮かべるのは、不惑だろう。
安室奈美恵さんが、来年、40歳で引退をするという。
今は、こっちの方を思い浮かべる人が多いかもしれない。

高校生の時に、漢文の授業で
「中国では親が死んだ時、公職から離れて2年間喪に服すのだ」
という話を先生がいていたのを聞いて、
(なんとまあ、長い間親のことを悲しんでいるんだねえ)
と思ったものだ。

しかし、それは多分違う。
親死ぬ年齢というのは40歳前後だったのだろう。
その時に、公職を離れて2年間喪に服すというのは、おそらく、今までの自分の人生を見つめ直し、これから残りの人生を考えるための時間、もう一度勉強し直すための時間として許されていた時間なのではないかと思う。

私の40歳前後といえば、大学院への派遣がある。主に自分のことだけを考えていればいい1年間は、とても幸せな1年間であった。今まで何をして来て、これから何をしようかと考えることができた時間であった。

安室さんは、40歳で引退という道を選んだ。
就職して25年。教師で言えば、50歳前後だと考えていい。
かつては、この辺りで管理職への道を選んだ人が増えた。
多分、担任としての仕事を引退し、管理職として新しく生き直すことを選んだのだと思う。

私は、結果的にこの辺りで中学校教員を引退し、大学の教員になった。そして、その後、父親にもなれた。
40歳は不惑。
いや、まだまだ惑うと思うのだが、一旦ここで仕切り直すこと。
それが、不惑、惑わずということなのではないかと思うのだ。

ユーミンのように引退せずに走り続ける人もいる。
(ちなみにユーミンの40歳前後の名曲は、「真夏の夜の夢」だと思う)
だが、40歳前後で、25年間働き続けて、一度、引退するというのは、
実は古来より、あることなのではないかと思うのだ。

若いうちには全くわからなかったことだが、
生きて行くと、色々とわかる。

2017/08/09

ポエム化は、上記の三つとも実態を包み隠そうとするものであって、ポエムとは違う

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ポエム化する社会。少し前にNHKで特集されていたなあ。その時は、居酒屋が舞台だったな。ところが、ポエム化する社会だけあって、いろいろなところでポエム化している。

ポエム化する社会では、三つのポエム化があるように思っている。
一つ目。高級感のあるものに、より高級感を持たせるためのポエム化。例えばマンション販売がそうである。一戸ではなく、一邸なんてのはそうだろう。

二つ目。ブラックのものを普通にするためのポエム化。これは例えば居酒屋などがある。激務を働きがいがあるなんてように表現すること。

三つめ。政治もそうじゃないかなあと思い始めている。ただし、政治の場合は隠蔽のためにポエム化するのを感じる。「人づくり革命担当大臣」。だいたいからして、権力側が「革命」なんて言葉を使うこと自体おかしいと思わないのだろうか。その上で、「人づくり革命」ってなんだ? この主語はなんだ? 私は権力側に作られたくないし、大きなお世話だと思う。育ち支援とか学び支援ならまだ分かるけれど、まったくわからないネーミングだ。

ポエムってのは、文学の中でもかなり感覚に頼り、訴える部分がある。
「それを必要としている人」に、届いてしまうものだと思う。
作者が表現したものが、意図せず、届いてしまうものだと思っている。

しかし、ポエム化は、上記の三つとも実態を包み隠そうとするものであって、ポエムとは違う。

それを前提にしての、このどん兵衛のCMは、なかなか面白い。
https://news.walkerplus.com/article/117334/image646878.html
ポエム化する社会をブラックに笑いながら、その上に乗っている。
そして、よくわからないけど、どん兵衛にインパクトを与えている。

こういうセンスはいいなあと思う。

詩人は、この実態をどのように思っているのかなあ。

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