2008/08/16

五山の送り火

平清盛は、熱を出したとき水風呂に浸したら沸騰してしまったと言う逸話が残っている。そこまでではないが、今日の私は水風呂に入っても大丈夫なぐらいの体中の熱である。なんのことはない、昨日の琵琶湖での日焼けだ。い、痛い。

ではあるが、年に一回この日焼けのひりひり感を味わう事が夏だなあと思う。アホだなと思いつつ、来年も日を浴びるのだろうなあ。

           ◆

 昼寝の子起きしにあらず裏返る
                三村純也

先日東京で泊まったホテルで朝刊で読んだ毎日新聞にあった俳句だ。なんともその通りだなあと思う。

娘のお昼ねに付き合って寝転がる。娘が寝るのを確認してこちらもちょっと寝ようとするのだが、ちょっとにならない。結構寝てしまう。で、時々目覚めては、お腹に布団をかけてあげるのだが、まさにこの通りである。ではあるが、結局ぐっすりである。

気がつくと、私よりも早く目覚めた娘が私の顔の前で、笑っている。枕の下に隠しておいた眼鏡を取り出して遊んでいる。そして、私の顔を引っ張って喜んでいる。

痛いのにうれしいとは、親ばかも極まれりである。

           ◆

夜の七時過ぎに家を出る。比叡山を越えて京都市内に入る。今日は、五山の送り火である。奥さんの夢であった五山の送り火を見に行こうと言うことになったのだ。去年の今頃は、奥さんは実家に戻り出産の準備に入っていたので、見る事は出来なかった。

自宅から30分ほど走らせたところで、すでに見物の準備をしている人たちに出くわす。送り火の大文字は、実を言えば我が家の裏山の向こう側である。
(へ? こんなところから見られるの?)
ということで、目的の鴨川はやめて近くに車を停める。

30分ほど点火を待つ。花火大会とは違った、始まりへの緊張感がある。

           ◆

20時ちょうどに点火された。特に歓声が起きるでも、拍手が起きるでもない。みんなじっと見つめている。中にはカメラを向けている人たちもいるが、遠慮しながらという感じである。

15分程度見つめて、三人で写真を撮って、京都の夏を味わう。
もちろん、私たちの人生と娘の人生を授けてくれたご両家のご先祖様に、ありがとうございますという思いは伝えた。

しみじみ日本の夏である。

Okuribi

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2008/08/09

さあ、東京だ

8/7

涼しい風が一晩中比叡山から吹いてきていたので、気持ちよく寝ることができた。

さあ、東京だ。

新幹線に乗り、ちょっと一息ついたらもう名古屋。早いなあ。そして、ここから仕事を始める。「2008授業づくりネットワークin仙台」の講座のテキストづくりだ。プロットはできているので、そこに肉を付ける仕事である。

気がついたら、熱海。新横浜で下車する予定なので着地地点を決めて励む。思ったよりも早く仕上がりそうだ。

新横浜からは、横浜線快速で八王子まで。行きつけの美容室に向かう。久しぶりに紙を切ってもらう。さっぱり。かれこれ彼には10年近く切ってもらっているんだなあ。

JRで両国に向かおうと思ったら、事故だか故障だかで中央線が動いていないとのこと。慌てて京王八王子に向かう。まったくもって中央線は困る。

で、京王線の車内で新幹線で途中になっていた仕事を仕上げる。8/9の締め切りだったから、まあなんとかその前に仕上がったぞ。

両国の江戸東京博物館では、書道展を見学。
すごかった。

王羲之の「蘭亭序」の神龍半印本が、初めて中国を離れて今回、本邦初公開である。書道をやる人間で、このお手本を模書、または臨書したことのない人はいないだろう。私も学生時代にずいぶん書いた。

さらに、中国を旅したときにこの「蘭亭」に実際に足を運び、流水曲しょうの宴をした場所を見たりもした。

私の義理の祖父、そして母の兄の叔父は書道を嗜んでいた。その二人が見たいと願っても見る事のかなわなかった、本物が目の前にあった。

会場は思ったよりも空いていた。私は「蘭亭序」を見るための列に三回ほど並んだ。時間を空けて、あれこれあれこれ見続けた。「本物」のすごさを改めて思った。

書道では、「目習い」ということばがある。いい作品をじっくりと見る事。そして、その先に「手習い」を行うのである。4世紀に書かれたこの作品は時空を超えて、今私の目の前にあった。これが1300円で見られるなんて、驚きでもある。

もちろん、他にも黄庭堅(を、一発で変換)やらなにやら本物の作品が出品されていた。音声ガイドの解説を聞いていると「〜の時代を表しています」のような説明が割とあった。

うーんと唸ってしまった。時代を表すか。
その時代に生きている事を自覚して、文字を書いているのであろうか。そんな事はない。時代の評価はその人が生きているときには行うことができない。そうだとすれば、その人が必死に生きていることが、やがて後世の者が学ぶときに「〜の時代を表している」と評価される字を書いていたということである。

時代を表す書道作品。いろいろと奥の深い言葉だ。

Daiba

その後、デックス東京ビーチで行われている明日の講座の懇親会に向かう。デックス東京ビーチは、嘗てディベート甲子園が東京ビックサイトで行われていたときに打ち上げ会場としてよく使っていた場所だ。懐かしい。

私の講座は明日だが、大会そのものは今日から始まっている。会場には九州の菊池先生がいらっしゃった。講座を二日間担当されるとのこと。それから何人かの先生や編集者の方と名刺の交換をして軽く食事をして、新橋に向かう。

新橋では、最初の中学校のときの最後の教え子たちが待っていた。卒業して、15年ぐらいか?わざわざ青梅から5人、私の東京行きに併せてやってきてくれた。もう、31歳だと。ひえー。

それぞれいい大人になっている。顔を見るとよくわかる。あのときに私がしていた授業を良く覚えている。ある元生徒が私がこんな話をしていたと証言。

『あ〜、諸君はタモリ倶楽部という番組を知っとるか?』
「知りません」
「あ、知っています!」
『何? そんな時間まで起きていないで早く寝なさい!!』
『ではあるが、空耳アワーってのが面白いんだな(^^)』

という話をしていたとのこと。なんてことを覚えているんだ、この子たちはf(^^;。しかし、まだタモリ倶楽部は続いているし、彼ら彼女らはタモリ倶楽部の面白さが分かると言う。いいともではなく、タモリ倶楽部が面白くなったら大人という定義が世の中にはあるようだが、彼らも大人になったわけだ。

(そういえば、今日、タモリさんは赤塚不二夫さんの弔辞を読んでいるんだよな。どんなだったかな)

と思う。

車の話、彼女の話、合コンの話、奥さんの話、仕事の話・・・。
尽きる事なく話は続く。
あの頃のレクリエーション大会の話、あのときの授業の話もでる。

あの授業が忘れられない。もう一度受けたい。中学生の感性ではなく大人の今受け直してみたいなんて言ってくれる。私はこの子たちに授業を提供しつつ、自分が学び、成長して行った事をよく覚えている。

今だから話せる事と言うことで、何のためにあの授業をしていたのかという「授業の種と仕掛け」についても、求めに応じてあれこれ話した。

「そーだったんですか!!」
とあれこれ言われる。
『そーだったんですねえ』
と、にんまり。

「先生、あの頃の先生は何歳ですか?」
『ん、もちろん今の君たちよりも年下だよ』
「ひえ〜」
「もう一度先生の授業を受けたい!」
『京都にくるか(^^)。授業の課題は多いぞ』

楽しい時間はあっという間に過ぎ、11月に本格的にやる同窓会に出席してくれと言われ、スケジュールが合えばねと話したところでお開き。青梅に帰る最終電車が迫っているとのこと。

機関車の前で記念写真を撮って、サヨナラ。
元気で過ごせよ。

ホテルにたどり着く。
うーん。すごい一日だ。さっさと寝よう。明日の講座は2時間だ。

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2008/07/21

「気持ちのよい風」 浮御堂

我がごとながらびっくりしている。
よく寝るのだ。
いや、6時頃には起きているのだが、それから寝るのだ。今日は午前中だけで2時間も寝てしまった。昨日は11時には寝ているのだが。

風呂に入りながら1時間。娘の午前中の昼寝に付き合いながら1時間。実に心地よい。外は35度に届きそうな気温だが、室内は風が吹き抜けるので、30度でも全然大丈夫である。

本を読み、ベランダを軽く掃除し、娘の一人遊びを見て過ごす。
あ、あ。
また眠たくなってきた。
仮眠ならぬ、夏眠をむさぼる私である。。

            ◆

で、3時ごろからでかける。今日は大津市の市民に限って市内の文化財が無料なのである。浮御堂にでかけた。松尾芭蕉や源氏物語に関係のあるこの場所。一度は訪れたのだが、閉まっていた。今日はどうどうと入る。

湖の上にある御堂なのだが、これが本当に気持ちがよい。風がなんともいいのだ。御堂の床はきれいに拭いてあり、そこに腰掛けても大丈夫。訪れる人みな口々に、「気持ちのよい風」とつぶやいていた。

本当はもう少し他の場所にも行くつもりだったが、この風の心地よさに打ちのめされてしまい、その場にずっといた。2時間近くいたかもしれない。

琵琶湖は淡水。だから風が吹いても体はべたつかない。ただただ気持ちの良さだけが体を吹き抜けて行く感じだ。

Ukimi

持参した本を読もうと思って広げたら、娘が取り上げてしまって読むことができなかった。ま、それも良いだろう。

我が家から10キロちょっとでたどり着けるなんて、なんてことだ。

            ◆

なんてことだと言えば、帰りに寄った魚屋に並んでいたもの。岩ガキである。夏に生で食べられる牡蠣である。東京でもレストラン等で食べることができるが、まあ、一つ1000円はしてしまうだろう。

ところがである。東京のみなさん、すみません。一つ250円でした。3つも買ってしまいました。これが「獺祭」によく合うのだ。岩ガキの大きさは一緒に写っているミニクーパーと比較していただければ如何に大きいか分かるであろう。もちろん、1/54スケールではあるが。

Kaki

            ◆

最後は、桃鳥飼を味わいながら、リビングで撃沈であった。

Momotori

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2008/07/12

書道部の作品展が建仁寺で

山中越えで京都市内に入る。学生の書道部の作品展が建仁寺で行われている。これを見に行くためだ。

国語科教育法で指導している学生たちが、招待状を持って研究室にやってきた。スケジュールを確認すると珍しく土曜日が空いている。ということでスケジュールを入れて見に行く。

建仁寺は、祇園にある禅宗のお寺である。栄西が開いたお寺である。その中にある離れを二つ借りての作品展である。深閑とした境内ではあるが、さすがに暑い。しかし、苔むした庭には竜胆が咲き、いい感じのロケーションでの作品展である。

そこに娘を連れて行って良いかどうか。部長に確認したところ構わないという。ならば、安心して行こう。

            ◆

娘は、外面が良いのだろうか。泣くこともなくニコニコしながらお寺の畳に座っていた。学生たちがやってきて声をかけて、相手をしてくれるもんだからご機嫌なのだろうか。

びっくりしたのは今年卒業した学生たちが、見に来ていたことだ。仲間の一人は大学院に進学したので、そこを宿にして集まっているのだろう。彼女らも娘に会えて喜んでくれた。娘は、彼女らに抱っこされても泣かない。すごいことだ。私の教え子だと分かっているのだろうか。

学生たちの日頃の字を知っているだけに、書道の字も楽しみであった。私は草書になると分からないことが多いのだが、それなりに楽しめた。作品展は、明日までやっています。無料ですので近くにおこしのさいは、立ち寄ってやってください。お茶とお菓子が出ます。

            ◆

この頃、娘はさらに活発になってきた。汗疹もできてきた。生まれながらにして髪の毛が多いのもその理由の一つだ。髪の毛は胎内筆を作ってあげたいので、できる限り伸ばす方針。ちょっとかわいそうだ。

そこで髪の毛を頭の上にゴムで止めて、顔にカーマインローションを塗ってあげる。顔は白くなる。何かに似ている。「バカ殿」である。すまん。生まれてまだ10ヶ月なのに、バカ殿にしてしまった。

ま、可愛いからいいか。
可愛い怪獣。
可愛いバカ殿である。

もちろん、私は親ばかである。

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2008/07/01

夏越しの祓い

夕刻から吉田神社の夏越しの祓いに出向く。

「風そよぐならの小川のゆふぐれはみそぎぞ夏のしるしなりける」

百人一首の藤原家隆の歌である。
ここにある「ならの小川」は、上賀茂神社にある川の事であり、奈良県とは関係はない。さらに、ここの「みそぎ」が「夏越しの祓い」である。

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一年の半分が終わる今日、京都ではどこの神社でもおはらいをする。
吉田神社では、
「みなつきの なごしのはらひ するひとは ちとせのいのち のぶといふなり」という大祓の歌を歌いながら、大きな茅の輪を三回くぐりお祓いをする。

去年は娘が奥さんのお腹の中にいたので、二人で向かった。
そして、
(丈夫な子どもを授かりますように。奥さんが健康でありますように。・・・・)とあれこれ祈りながら茅の輪をくぐったのだが、今年は娘を抱っこして三人でくぐる。来年は、娘は歩いてくぐるんだろうなあとちょっとしみじみ。

           ◆

もちろん、くぐる前には祝詞があるのだが、この吉田神社では祝詞を印刷した紙をみんなに配る。そして、参加者一斉に祝詞を奏上するのである。

祝詞はB4一枚ぐらいの分量で、結構たっぷりある。そして、そこにはすべて平仮名でルビがふってある。ということで、2〜300人の参加者全員で読み上げることができる。

ここまで準備してあれば出来るだろうという考え方もある。しかし、私はこれはこれですごい事だなあと思う。日頃、祝詞と縁のある生活をしている人たちなんて、まあいないだろう。それなのにこうして祝詞をみんなで言えるのである。これって日本の教育の水準の高さを如実に表していると思う。

           ◆

さ、一年の前半は終了である。
充実の後半へと向かおう。

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2008/05/05

滋賀 こどもの日 無料

5月5日は晴れの特異日だと勝手に思っていたので、今日の曇り空はちょっとがっかり。午後から出かけることにする。

午前中は、なぜかネットが繋がらない。マックが悪いのかと思ったが奥さんのマックも繋がらないということは、サーバー側の問題か?

あれこれ調べると、光電話のファームウエアの更新をしていないことが判明。指示通りの順番で再起動をかけると繋がる。しかし、こんなの普通分からんぞ。

            ◆

で、繋がったネットで「滋賀 こどもの日 無料」と検索すると、滋賀県民なら五つの公共施設が無料になることが判明。

そこで、琵琶湖博物館に出かける。フレッシュマンキャンプでも出かけたが、結構気に入っている場所なのでまた行くことに。

ちょっと考えられないくらいに混んでいたが、滋賀県民として無料で入場している人の姿は見られなかった。ちょっと検索すれば得られる情報なのになあ。

            ◆

それにしてもこの博物館のビデオには驚く。私が驚くのは二つある。

1)滋賀の大地の出来方のビデオ

琵琶湖のほとりには、珊瑚から出来た岩と火山の噴火で出来た岩の両方がある。これがなぜあるのかを説明した5分のビデオである。最初に見たときは、頭がくらくらするぐらいの衝撃を受けた。

琵琶湖は世界で三番目に古い湖と言われているが、日本列島が日本列島になっていなかった頃から、この場所はいろいろな意味を持っていたのが分かるのだ。詳しくは、

http://www.lbm.go.jp/tenji/atenji/index.html

なのだが、ちょっと分かりにくいかも。

2)同じ構成で世界の湖を紹介するビデオ

展示の最後にあるのだが、洞庭湖など世界の有名な湖を5湖ほど紹介するビデオを流している。

で、何気なくぼーっと見ていたら、そのビデオはすべて同じ構成で作られているのが分かったのだ。湖の全景、湖の鳥、漁の様子、市場の様子、料理の様子などが、各湖とも同じ構成で作られている。映し出される時間もぴったりと同じである。これはすごい演出だと思った。

で、これの教室版は出来ないかなあと思う私です。同じ構成でいろいろなクラスを撮影して、同時に流す。どういう違いがあるのか確認すると、面白いだろうなあと。学生たちにやらせてみようかなあ。

休みの日であっても、つい授業のことを考えてしまう私であった。

            ◆

今晩の風呂はもちろん、菖蒲湯。この菖蒲の香りは何とも言えない。他に例えようがない香りではないだろうか。
(もう、今年も1/3が終わったんだなあ、と去年も思ったなあ)
と一年があっという間にすぎていくことに驚く。

今宵は、大津の西武デパートで見かけた、東京は青梅の地酒「澤乃井」の新しい純米吟醸酒「蒼天」。これで娘の初のこどもの日を祝うのであった。

うまひ。

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2008/01/01

「福の神だよね」

大雪の予報であったが、奇麗な星が空に出ていた。
(あ、これは初日の出を拝めるな)
日吉大社から家に帰る道すがら思っていた。

            ◆

奥さんが湧かしておいてくれた風呂に入り、体を温める。

ベランダに三脚を備え付けて、R7のインターバル撮影で一分おきに撮影する事にした。
それにしても、奇麗だ。
Pat Methenyの "A Map Of The World"の世界である。

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Rimg0257_2

聖蹟桜ヶ丘の日の出は6:58分ぐらいだったが、この地では7:10ぐらい。山の向こう側から出てくるので、赤い太陽ではなく、もう黄色い。

家族三人で、ご来光を戴く。

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            ◆

お雑煮は、結婚以来私が作る事になっている。我が家の雑煮は父の田舎、山形は庄内の雑煮である。祝い箸、おせちに、お屠蘇がわりの日本酒。ちなみに日本酒は、近江の名酒「不老泉」。

お屠蘇は年の若い順に戴く。娘は形だけ。
私もじっくりと味わう。

そして、寝てしまったf(^^;。

            ◆

奥さんが赤ちゃんの時に着たと言う着物を着せて、写真をとる。
鶴の模様の入った年代物の着物。
奥さんのおばあちゃんが御祝いにくれたものだそうだ。

しみじみ、いいなあと思う。

            ◆

午後からは近くの近江神宮に三人で初詣。
娘のこの地でのお宮参りをした神社。
その日は,平日と言う事もあってか誰もいなかった。
だから、そのイメージで出掛けて行ったのだが、これが大間違い。
凄い人であった。
しばらく並んで三人でお参りをする。

            ◆

鏑矢を買おうとしてうろうろしていたら、私の右側から指が伸びてきた。
「まあ、可愛い」
と言いながら娘の頬に手を伸ばす。
見ると、とっても上品なおばあさん。
「あら、こんな初めて会ったおばあさんにも笑ってくれるの」
と言いながら娘の頬を撫でてくれる。

娘の名前を言うと、
「まあ、おばあさんの姉妹にもいるのよ」
と喜んでくれた。
本当に上品な笑顔の素敵なおばあさんであった。

私と奥さんは
「福の神だよね」
と意見が一致。ありがたやありがたや。

他にも境内を歩いていたら、若者のグループに
「めっちゃ可愛くない?」
と呟かれたので、御礼に頭を下げる。
父としては、嬉しいものだ。

            ◆

お参りの間にもちらほらと雪だったが、帰ってくる事にはもう少し振ってきた。
娘は、ぐっすりとおやすみだ。

なんとも穏やかな元日である。

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とうとう たら〜りたら〜り

「とうとう たら〜りたら〜り」
である。

            ◆

朝四時に起きて、寒さ対策を万全にして日吉大社に向かう。大晦日の新聞に、朝の五時から始まる大戸開神事で、観世流の「ひとり翁」が奉納されると言う記事を、奥さんが発見してくれた。

こう見えても嘗てほんの少しだけ能をかじった事がある。「翁」は正月等の目出たい時にしか演じられる事のない、珍しい演目である。これを無料で見る事が出来る。しかも、自宅から車で15分のところで行われる。行くしかない。

            ◆

20分前に到着。
日吉大社は、坂を上ったところにお社がある。これから上ろうと思った時に、灯籠の灯りが次から次へと消える。

(そんな。道が見えない)

慌ててデジカメを撮影モードにして、モニターの灯りを懐中電灯の代わりにして歩く。坂を上ったら神主さんと能楽師が並んで松明の光に照らされていた。

            ◆

境内まで音もなく静々と歩く。観客は5、60人ぐらいであろうか。わざわざこんな時間に見に来る人たちだ、奇声を発する人もなく、ただ静々と歩く。これが良い。

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大戸開神事であるからして、神主さんは例の大声とともにお社を空け、祝詞をあげる。そして、そのタイミングで、翁の能が始まる。

            ◆

翁と言う能は、お能の中でもかなり古いものと言われている。台詞も何を言っているのか分からない事が多い。「とうとう たら〜り たら〜り」というのは、翁の最初の仕手方の台詞である。

しかし、良かった。
松明の爆ぜる音しかしないなかで、仕手の片山清司さんの滔々とした声が境内に響く。この土地で暮らす人たちの魂を慰めるように、清めるように、鼓舞するように滔々とした謡いが響き、ゆったりとした舞が松明に揺れる。

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私もこの土地の一部になった感じすらする。

http://hanamochiya.hp.infoseek.co.jp/okina.html

            ◆

年末年始と関係なく開くスーパーやコンビニ。
ともすれば、日常のままの正月となってしまうこのごろ。
「ハレとケ」の区別のあった日本は、「ケ」の拡大や「ハレ」の膨張により、なにがなんだかわからなくなってきていると感じる。

近代は個人の確立を目指してきたが、個人の確立は個人が自らの社会の構築を求められる事になっていることに気がつかなければならない。面倒な時代でもあるのだ。

            ◆

人類の安定した繁栄。
家族の健康と安全。
学生たちの人間的な成長。

お祈りもしてきました。

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

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2007/12/25

「クリスマス断食」

家族で過ごすクリスマス。

日中は、近くのレストランのガーデンまで娘を抱えて散歩。
時雨れた空模様は、奇麗な虹をプレゼントしてくれた。
ランチとディナーの間の時間値だけに、お気に入りのガーデンにはお客さんはいない。
貸し切りである。
琵琶湖を目の前にして、ひなたぼっこ。

夜は娘に、初めてのプレゼントを渡し、生まれて来てくれたことに感謝。
当然娘は、なんのこっちゃという顔をしている。
ただ、抱っこをしてくれることを一番の喜びにしている。

            ◆

サラリーマン、家族、恋人、友人と、日本のクリスマスの対象は変わって来た。今は、仲間なのだろうか。私の青春時代は、ユーミンによる恋人のクリスマスが全盛であったが、バブルの崩壊とともになくなっていったなあと感じている。

思うに、クリスチャンではない私がクリスマスを楽しむのは、美味しいものを食べられる、プレゼントをもらえるということがメインであった。そして、それを楽しむのだから固いことを言わずにやればいいと思っていた。

が、このごろ思うのは
(クリスマスがなかった頃の,日本の年末はどんなんだったかなあ)
ということだ。

今は、25日になると一気にスーパーは年末、年始の模様に変わる。昨日までジングルベルだったのにだ。だけど、嘗ての日本は、クリスマスがなくて、じわじわと年末が過ぎ、新年を迎えることになったのだろう。それを、私は実感どころか、イメージすることもできない。

どんなんだったのかなあ。
「クリスマス断食」でもやってみっか。

            ◆

日本の文化をもう一度考えている年末である。

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2007/10/30

11/3に近江神宮で、流鏑馬

11/3に近江神宮で、流鏑馬(やぶさめ)がある。

http://www.bbweb-arena.com/users/oumijing/myweb1_022.htm

流鏑馬と言えば、鎌倉が有名である。一度は見てみたいと思っていたが東京にいる時は腰が上がらずに行かなかった。

ところがである。我が家から歩いて15分程度の近江神宮で行われているのである。昨年見に行ったのだが、これは凄かった。

基本的に観覧は無料。
だが、お勧めは無料講座を受けて、有料席に座っての観覧。有料と言っても500円である。

私は今年は赤ちゃんがいるので、観覧は控えたいと思うが京都滋賀の方は、お勧めですぞ。

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2007/09/27

「逸題」 井伏鱒二

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逸題  
      井伏鱒二


けふは仲秋明月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ

春さん 蛸のぶつ切りをくれえ
それも塩でくれえ
酒はあついのがよい
それから枝豆を一皿

ああ 蛸のぶつ切りは臍みたいだ
われら先ず腰かけに坐りなほし
静かに酒をつぐ
枝豆から湯気が立つ

けふは仲秋明月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ

            ◆

去年も書いたなあ、この詩。
でも、いいんだよな。

こんな詩は書けないが、こんな詩を知っていて味わうことが出来るのは、
幸せだ。

写真は、昨日の月。14番目の月だ。
今宵は少し曇っているから、ちょっと心配だ。

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2007/06/20

昨日は、平田オリザさんと

昨日は、平田オリザさんと一日を過ごす。
二年前に、和田中学校で授業をして頂いた時に校長室でお会いした。少しお話をしたぐらいであったが、しっかりと覚えていてくれた。

『いやあ、こんなところでお会いするとは』
「本当に。お久しぶりです」
『ご縁ですね』
「はい」

平田さんと繋がりのある演劇人は、日本の演劇人のどのぐらいを占めるのか分からないが、こうして身近で話が出来るなんてのは、なかなかない経験だよなあと改めて思う。

            ◆

夜は、京都芸術センターでコミュニケーションティーチングについての実践報告に、シンポジューム。平田さんの講演は、圧巻であった。知識や情報としては私も知っていることがかなりあったが、それを芸術、演劇、教育の三つの観点に照らし合わせながら、コミュニケーションティーチングの必要性を説いていた。

そして、その後私も登壇してシンポジューム。
ほとんど、っていうか本当に打ち合わせなしでのシンポジューム。
登壇者5人のうち、演劇関係が3人。教育関係が2人。教育関係のうち一人は演劇関連の実践あり。私の演劇体験と言えば、保育園の5歳の時にお遊戯で副酋長をやったぐらいである。良いのか、オレで。

ではあるが、これは教育畑の人で、演劇に近くない人が加わることで、深めて行こうと言う狙いがあって、しかも、打ち合わせではないところから来る瞬発力でいこうというコーディネーターの狙いがあったようだ。

私はいくつかの目的を持って、平田さんに話を振ることができて、一つの一致点を確認することが出来たのが収穫であった。私が行っているディベートや作文指導に「平田メソッド」と共通する哲学を見いだすことが出来て、実に楽しかった。平田さんもそれを感じてくれていた。いやあ、うれしい。

調子に乗って、ダメもとで「明日の授業」の講師をお願いしてみた。すると、「はい」との返事。これは凄い。スケジュルールを調整して、平田オリザさんを「明日の授業」の講師にお迎えしましょう。

            ◆

その後、懇親会。
ここでも延々と話を聞いて話をする。
いやあ、充実した時間だった。

気がついたら終電は終わっていた。スタッフの方が家まで送ってくれた。
感謝。
ご縁にも感謝。

            ◆

なお、「明日の教室」第三回は、今週の土曜日です。
まだ申し込み可能です(^^)。

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2007/05/21

日曜日であった

日曜日はまず車を取りに大学に向かう。親睦会でお酒を飲むので一度家に置きに行きたかったのだが、時間がなく置いて行ったので取りに行ったのだ。平日ならバスがあるのだが、日曜日はない。そこで椥辻(なぎつじ)駅から歩くのだ。

去年の四月、五月はこうして歩いて大学に向かっていたのだが、久しぶりに歩くと結構距離があるなあと実感。もちろん、たったか歩いたのではなくフラフラ歩いたので時間が掛かったのもあるが。

でも、
(へ〜、こんなのがあったの)
と地元再発見。これも昨日のWSで学んだことが生きているのだろう。

            ◆

日曜日の大学は、とても気持ちがよかった。
体育館で学生がクラブ活動をしている以外は、シーンとしていて、昼休の時間になるとごった返す中庭もほんとにひっそりとしていて、いい。

研究室棟に繋がる道は、緑のトンネルになっている。
うぐいすも鳴いている。
一人森林浴だ。

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            ◆

研究室で片付けをして家に帰る。
午後からは琵琶湖博物館に行くのだ。

第三日曜日は、滋賀県の文化施設、大津市の歴史的建造物等が県民、市民は無料で入れるのだ。新入生キャンプで琵琶湖博物館には行ったのだが、もう一度見たいと思って行った。やっぱりここは凄く良い。

普段の生活であれば、地球の歴史の中で滋賀県がどのような位置にあるのかなんて考えもしない。その辺にこがっている石が、一つは珊瑚から出来たもので、一つがマグマの吹き出しから出来たものだなんて思いもしない。でも、それが滋賀県なのである。そんなのが簡単に分かるのが凄い。

            ◆

じっくりと、2時間ちょっとの時間をかけて見た。
美しい景色と、知的な興奮を手に入れた日曜日であった。

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2006/10/10

残念ながら、がっかり

きれいに晴れた月曜日。大学に行って仕事ダア!と思っていたら、祭日であることに気がつく。相変わらず休日の感覚はない。どうしようかと思ったのだが、折角の青空であることだし、オフと決定する。

軽く朝ご飯をすませ、びわ湖の湖西をドライブ。だんだんどこに何があるかが分かってきた。明智光秀が築城した坂本城の跡の公園や会員制のヨットクラブのようなところも見て歩いた。いやあ、びわ湖ってセレブの集まる場所だったのね。

            ◆

その後場所を移動して、とある学園祭に向かう。
芸術系の大学の学園祭は久しぶり。
一番最初は、私が高校生の時に行ったある美大のもの。
なんか、美に関するエネルギーが飛び交っていて、衝撃を受けた。

で、それを期待していたのだが、
残念ながら、がっかり。
(え? これって大学の、芸術系の大学の学園祭?)
と思うものであった。

自分が一生を捧げるものとしての「美」に対してのエネルギーが、ほとんど感じられないのだ。

それは、私が年を取ったからなのかとも思ったが、そうではなさそうであった。
年を取ったのであっても、いや、それだからこそ、そのギャップから生まれてくる美のエネルギーがあるはずなのに、それが感じられない。

こじんまりしているのだ。
深みが感じられないのだ。

            ◆

私は、非常に悲しく思いつつ大学を後にした。
いや、逃げ出したと言うのが良いかもしれない。
(ここに居続けたら、私のセンスが変な風に壊れてしまうかもしれない)
という危機感があったのだ。

うちの大学も10/21、22と学園祭である。
一日ぐらいは顔を出そうと思うが、
大丈夫だろうなあと思ったf(^^;。

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2006/10/08

大津の初秋

一気に秋が降り注いできた感じである。
朝焼けも凄い。自宅のバルコニーからパチり。
琵琶湖も少し見えているけど分かる?

Pa070133


午前中大学に行き、事務仕事を数点こなして戻ってくる。
国道1号線で大渋滞。秋のシーズンで渋滞か。

            ◆

午後は昼食後に、近くの皇子山球場に出かける。この球場は最近きれいにし直したところで、気になっていたのだ。

家を出たら、なんと目の前に虹。
琵琶湖方面にかかっている。
眼下に広がる虹なんて滅多に見ることができないなあ。
よく見ると二重になっているのが分かる。

Photo_3


秋季高校野球滋賀県大会の決勝が行われていだ。600円払って入場。7回表の攻撃中。2アウト満塁から打撃妨害で押し出しで一点というところ。久しぶりの大きな緑の芝生を見て、高校生の応援合戦を見て、いいもんだと思った。

Pa070023

            ◆

このところ、天気がパッとしないのだが、それはそれなりに美しい景色を奏でてくれる。
音羽山に降り注ぐ雨は、東山魁夷の絵を思い出させる。ベランダからパチり一枚。

Pa010082

琵琶湖では、水上バイクがバク転している。

Pa010099

            ◆

そんな午後を過ごし、夕方からは浜大津に出かける。大津祭の宵宮を見るためだ。祇園祭の小型版といえるこの祭り。私は、この祭りはこの祭りで十分だと思った。

鐘や太鼓や笛のテンポは、京都より早く威勢も良い。

「PA070054.MOV」をダウンロード

大津の魚専門店で食事をして、帰宅。
たっぷり大津の初秋を堪能した一日であった。

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2006/10/06

「逸題」  井伏鱒二

京都に来て初めての中秋の名月である。

二日連続の高校の模擬授業を終えて、京都で奥さんと待ち合わせ。
本当は、奈良の猿沢池まで行こうかと思ったのだが、
天気が悪そうだったので取りやめ。

烏丸あたりでいろいろと買い物をして、食事をして
烏丸通を京都駅まで夜の散歩。

そしたら、少しだけ月を見ることができた。
そうだ、そうしたらあの詩だ。

引用開始 ーーーーーーーーーー


逸題  井伏鱒二


けふは仲秋明月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ

春さん 蛸のぶつ切りをくれえ
それも塩でくれえ
酒はあついのがよい
それから枝豆を一皿

ああ 蛸のぶつ切りは臍みたいだ
われら先ず腰かけに坐りなほし
静かに酒をつぐ
枝豆から湯気が立つ

けふは仲秋明月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ


引用終了 ーーーーーーーーーー

私の教え子には、全員教えているこの詩。
みんな日本のどこかで、または世界のどこかでこの月を見ているかなあ。

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2006/09/18

この時間と空気が

昨日は、月に一度の大津市民のための文化財無料開放の日である。広報に載っているチケットを持って行くと、いつもは有料の場所が無料で入れる。これを使わない手は無い。

一日で回ったのは、

旧竹林院庭園
日吉大社
西教寺

である。すべて家から車で30分程度のところにある。歴史の中に住んでいると言って良いだろう。

            ◆

実は、もともと私はこういう神社仏閣には、ほとんど興味がない。そんなところを回るぐらいなら、景色の良いところで本を読むか、風呂につかって過ごす一日の方が良い。

だが、奥さんがこういうのを好きなので、私は運転手として回る決意をしていたのだ。が、実際回ってみるとこれがなかなか良い。

詳しくはHPを見て頂きたいのだが、それぞれ感想を一言言うと、
旧竹林院は、庭が見事。午前中に行くことをお勧めする。東から入る日光で庭が映える。庭を見ながら読書ってのもいいなあと思った。
日吉大社は、静謐な感じが良い。社の中に小さな流れが作られているのだが、これが良い。京都の鬼門を守る為のお社なのでありがたい感じ。
西教寺は、見晴らしが良い。明智光秀のお墓がある。

            ◆

東京中心の生活をしていては、絶対に出会うことのない時間だろうなあと思う。
東京にいては、絶対に触れることのできない空気だろうなあと思う。
で、この時間と空気が新しい私を作ってくれているんじゃないかなと感じることがある。

それがどのようなものなのかを楽しみにしつつ、今日は集中講義の最後の準備をしに大学に行こうと思う。

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2006/09/01

京都迎賓館

8/31。
あべたかさんから頂いた「桃様」を使って「桃ビール」を作り、一日の終わりを楽しむ。今日も面白い一日だった。

            ◆

集中講義の4日目は、来週の月曜日。ということで今日はオフ。午前中は市民プールに向かう。夏休み中だけやっているということで、今日が最終日。9月の半ばまでやってくれても良いのにと思う。

ゆっくりゆっくりと泳ぐ。1000m弱泳いだか。
今年の夏は、3年前に購入して一回も使っていなかった「浮かぶ椅子」を味わうことができた。水中に浮かべ、それに座ると見事な浮力で水の中に座ることができるのである。泳いでない時はこれで寛いでいた。ああ、気持ちがよい。

だがちょっと気を抜いたら、とんでもないことになってしまった。プールサイドでネッ転がっていたら、そのまま寝てしまったのだ。夏の終わりとはいえ、すごい日差しで身体が真っ赤になってしまった。うむ。

            ◆

午後からは、見事抽選に当たった「京都迎賓館」見学会に出向くことにする。
京都御所の中に作られたこの迎賓館は、国内に番目の迎賓館である。一国に二つの迎賓館は必要ないという意見もある。そうだよなあと思いながらも、赤坂の迎賓館は日本らしくないしねえとも思う。

京都御所は広く、京都迎賓館まで結構な道のりであった。しかも、指定されている時間がせまっていたので、あの砂利道の上を走った。はあ。

ついてみたら何のことはない
「何でそんなに急がれているんですか?」
だと。だって、国のやるものは、本当に馬鹿みたいに時間厳守ってことが多いじゃないですか。国も変わったねえ。

            ◆

中に入ってみると、それは質素でありながらとんでもなく豪華な作りになっているのが分かった。例えば、石。石一つとっても、全国の石を集めているのが分かった。壁に行っている装飾も唐紙を使った壁紙や、金糸を使った細工など、まあすごい。無駄と思えるぐらいに工夫をしている。

これらは税金の無駄遣いという意見もあるだろうが、私はある程度はそれも仕方が無いと思っている。なぜならば、これらは「伝統文化・伝統工芸の伝承」という意味においては価値があるからだ。

例えば、諏訪湖の御柱祭にしても7年に一回であるが、これを7年に一回することで伝統が続くのである。桧皮ぶきの屋根の張り替えだって、これがあるから伝統工芸が続くのだと考えている。

一度無くなってしまった文化をもう一度興すのはとても大変である。それをこういう形で継続させることには一定の意味があるのではないかと考えている。

            ◆

ちなみにこういうときには、私の奥さんは非常に良い目を持っているので、一緒に行くと私だけでは発見できないところを発見する。細かいところを見ているのだ。やはり、視点の違う人と一緒に行くのがこういうときのポイントなのだろう。

私が発見したのは、茶室に飾ってあった色紙である。
ちょっと遠くにあったので、念のために確認したらやはり、あの短歌であった。
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる」
だ。

季節に寄ってその時々の歌を掛けるのだそうだ。そのように会場の係のお姉さんが説明してくれた。で、このお姉さんが非常に詳しい。色々と答えてくれる.最初、学生の倍とかと思ったが、そのレベルではない。作者、会社、由来、特徴とたちどころに答えてくれる。内閣府に就職した一年生職員の研修なのだろうかと思わせるぐらいであった。

ちなみに、茶室の横には今の首相の直筆の書道作品が飾ってあった。表装が見事であった。
書かれている文字は、一文字目が右にずれていた。なかなか味わい深いものがあった。

            ◆

思ったよりじっくりと見たので時間がかかった。
昼ご飯に市内でラーメンを食し、バスで京都駅まで戻ってきていくつかの買い物をして、家に着いたのが7時過ぎ。

午前中の日焼けをかばいながらぬるめのお風呂に入って、桃ビールである。

みんな、「桃ビール」を楽しんでいるか。もうそろそろ桃様の時期は終わるぞ。一年後になってしまうぞ。

と思いながら、一日を終えた。

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2006/07/23

再会を楽しみつつ、音楽談義

夜、京都駅まで繰り出す。
瑞雲中学校時代担当していた軽音楽部の部員であった、くり君が京都にやってくるという。
卒業してもう8年だ。

彼は芸大でテノールを学んでいる。小沢征爾さんの復活コンサートの合唱担当として今日行われる京都のコンサートに出演するのだという。

駅の近くで再会を楽しみつつ、音楽談義をする。

            ◆

私が最初に出かけていったクラシックのコンサートは、小沢征爾さんの指揮するもので、日比谷公会堂であっった。高校一年生の時だ。年賀状のやり取りをしていた小学校の音楽の先生が連れて行ってくれた。増田先生お元気ですかあ。

『ボクの音楽武者修行』を読んでいた私にとって小沢さんのコンサートは、格別の味わいであった。

            ◆

そして、大学時代。塾に向かおうとしていた満員の急行京王井の頭線車内で、ロングヘアで白髪が交じって、Tシャツでというカッちょいいおじさんを発見したこともあった。どうみても小沢征爾さんであった。
(そうか、確かN響を振るために戻ってきているってニュースでいっていたよな)
興奮した。

小沢さんが下北沢駅で降りる時に私も降り、人波をかき分けて行き
『すみません、小沢さんですか?』
「はい」
『あの、サインしていただけませんか?』
「いいですよ」

大学の帰りに塾に向かう私は、教科書と採点用の赤ペンしか持っていなかった。
『すみません、ここにお願いします』
「はい、いいですよ」
とっても気さくにサインしてくださった。
人ごみの井の頭線下北沢駅ホームでである。
『あの、コンサートには行けませんが、頑張ってください』
「はい、ありがとう」

いやあ、感動したな。

            ◆

その小沢さんのステージに教え子が立つ。
嬉しいねえ。
良いコンサートになりますように。

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2006/07/20

雨の詩

今週末は忙しいぞ。
大阪、東京、大阪と行ったり来たりの仕事が入っている。
何にも無ければ週末は、琵琶湖で行われる鳥人間コンテストをライブで見に行こうかとも思ったのだが、これは来年へのお楽しみ。

外は雨が降っている。

            ◆

私なんぞ、
(ああ、今日もまた雨か)
と思うだけだが、この雨に向かって心の底から
(晴れてくれ)
と願う人もいるだろう、もっと降れと祈る人もいるだろう。

ちょうどそれは、室生犀星の詩のごときかもしれない。

引用開始 ーーーーーーーーーー

雨の詩  室生犀星

雨は愛のやうなものだ
それがひもすがら降り注いでゐた
人はこの雨を悲しさうに
すこしばかりの青もの畑を
次第に濡らしてゆくのを眺めてゐた
雨はいつもありのままの姿と
あれらの寂しいふりやうを
そのまま人の心にうつしてゐた
人人の優秀なたましひ等は
悲しさうに少しつかれて
いつまでも永い間うち沈んでゐた
永い間雨をしみじみと眺めてゐた

引用終了 ーーーーーーーーーー

私が雨が降らないでほしいと思ったのなんて、自分の結婚式とか中学の体育祭、それから聖蹟桜ヶ丘の花火大会ぐらいだなあ。

だが、この瞬間にも雨が降らないでほしいと切に願っている人がこの世の中にいることを思うと、こんな私でも鼻の奥がちょっと切なくなる。

            ◆

さあ、今日は大規模な大学説明会だ。気合いを入れて教育の魅力、京都橘大学の魅力を話すぞ。

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2006/06/10

漏刻祭

いま、マックスウェーバーの『職業としての学問』を読んでいる。
実は、高校を卒業して、大学に入った時に一度読んでいる。
それは、高校時代の友人で、現在東工大で有機化学の先生をしている松本隆司君から勧められたのだ。
「やっぱり、これは読むでしょ」
と。

私はなんとなく教師になろうとは思っていたかもしれないが、学者になるなんてつもりはまったくなかったが、
(まあ、彼が言うなら読んでおくか)
と思って読んだのだが、内容の記憶は全くない。

あのとき思ってもいなかった「学者」になった私は、
(あ、そうだ)
と思い出して読み直している。

            ◆

・大学に職を奉ずるものの生活はすべて僥倖の支配下にある。
・学問に生きる者は、ひとり自己の専門に閉じこもることによってのみ、自分はここにのちのちまで残るようなを達成したと言う、おそらく生涯に二度とは味わえぬであろうような深い喜びを感じることができる。
・いやしくも人間としての自覚のあるものにとって、情熱なしになしうるすべては、無価値だからである。
・情熱はいわゆる「霊感」を生み出す地盤であり、そして「霊感」は学者にとって決定的なものである。
・こうした「霊感」が与えられるかいなかは、いわば運しだいの事柄である。学問に生きるものは、この点でも僥倖の支配に甘んじねばならぬ。

            ◆

たしかに、基礎的な勉強を徹底的に続けた上で、発見が降ってくるのを待つしかないのが研究なのだと思う。割と納得する部分があった本だ。しかしこれを20年前に読んでいるんだが、その時には分からなかったんだろうなあ。

琵琶湖の湖畔で、朝日が登ってくるのを見ながら朝の読書をして、読み終わる。

            ◆

歩いて15分のところに近江神宮がある。
今日は、1300年前に天智天皇が日本で初めて漏刻(ろうこく)という時計を作った記念日と言うことで、天智天皇がまつられている近江神宮で午前11時から漏刻祭という祭があった。

奥さんと二人で歩いて見に行ったのだが、なかなか面白かった。
お社の中には、さらに階段があって宮司さんがそれを登って、扉を開けるところから神事は始まる。
「う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
と言いながら扉を開けるのだ。
そして、さまざまな神様が現れては祝詞をあげる。
なかには、外人さんもいた。

時計会社のお歴々が玉串を捧げ、舞楽が奉納され、式は滞りなく進んだ。Bugaku

舞楽をライブで見たのは、初めてかもしれない。

珍しい時計も見た。日時計ではなく、火時計である。Hidokei

ドラゴンの背中に大きな線香が置いてある。そこに紐が重ねてある。紐の先端には鉄の玉がぶら下がっている。線香が少しずつ燃えてきて、紐の場所に来ると、紐が燃えて切れる。すると、鉄の玉が落ちて、下にある鉄で出来た受け皿に当たる。すると、大きな音がするのだ。

これは、作ってみたいなあと思った。

            ◆

午後は、大学に行って授業の準備。そして明日のキャンパス見学の準備だ。

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2006/04/17

緑の常緑樹の間に

また一日中研究室に籠る。

大学の近くの駅、椥辻(なぎつじ)から大学までは坂道が続く。15分程度の軽いハイキングだ。この時期だと、研究室にたどり着く頃には一汗かいている。だが、心地よい汗だ。一日一回の運動になる。

            ◆

大学に着くとレターケースを確認する。
事務手続きの書類や福利厚生関係の書類、授業関連の書類などが入っている。これを確認して、あとは研究室にこもる訳だ。

机に向かって、ガシガシ仕事を進める。が、体が固まってしまう。そこで、キッチンタイマーをセットして1時間ごとに鳴るようにしてある。タイマーが鳴ったら、無理矢理席を離れて体を動かす。

研究室の外にも出てみた。すると、目の前の山に山桜が山肌に這うように咲いていた。この景色は東京の山では見る事のできない景色だなあと思った。この景色、割と多く見る事ができる。

            ◆

そこでだ、Fire君、プロジェクトなのだ。
北海道にある山の山肌を一つ用意できないかな。

そこに、桜を植えたいのだ。
桜の木で、「桜」という文字を書きたいのだ。

春の一時期、そして、秋の一時期。
ピンクと朱色で山肌に「桜」という字が浮かび出るのだ。
緑の常緑樹の間に、一瞬浮かび出てやがて緑に同化する。

いいと思わないか(^^)。

もちろん、平面でも良い。
ナスカの地上絵のように上から見たら「桜」ってことだ。

そんな山肌・土地はないかねえ。

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2006/04/15

石川九楊

4/15 今年の大学の大きな仕事の一つに、新学科設立準備がある。今日は、その仕事で大阪にあるSという高校にお邪魔した。一時間、高校二年生を相手に幼児教育について話すというものである。頑張ってiworksでパンフレットも作った。

京都に来てまだ半月であるからして、大阪に足を向ける余裕等ない。だから、行ったことのない町にいく事になる。地下鉄を乗り継ぎ、阪急の特急に乗って梅田方面に向かう。乗り換え案内はこういうとき実に便利である。

関東と関西の違いはいくらもあるが、エスカレーターの通路の作り方はその一つである。京都駅ではなぜか関東スタイルなのだが、大阪に来ると違った。しっかりと歩く人は左側で乗る人は右側であった。

私の義理の父と兄は電車通であるが、その二人が日本の電車の中で一番好きなのが、阪急電車という事を聞いていたので、興味津々で乗る。

1)各駅停車なのに、早い。
2)特急が3Doorの方はとてもきれい。
3)線路際に桜の花が多い。

確かに乗り心地は良かった。

            ◆

S高校のある駅に降りる。
このS高校は義理の叔母の出身高だと言う話を聞いていた。また、義理の祖父の住んでいた町にも近いとの事。なにか、縁を感じる。

高校に到着し、50分話す。
高校二年生という事で、私が最後に楢原中学校で教えていた子どもたちと同じ年齢だ。あいつらどうしているかなあと思いながら、授業をする。

予定通りに恙無く終了し、学校を後にする。
その後、駅前のショッピングセンターを見て歩き、関東では店先に並んでいない魚を見て楽しむ。驚いた事に、北海道産の生のシシャモがあった。買おうかどうか悩んだが、移動距離を考えて我慢。

           ◆

奥さんに連絡すると、阪急デパートで食事をしているという。
そこで、待ち合わせをする事に。
会ってから四条を歩く。
私の目標は二つ。

1)石川九楊展を見る。
2)文房具を買う。

1)大丸の美術館でやっているのを見に行った、石川九楊氏は現在の書の世界ではトップランナーである。だが、なかなか肉筆を見た事がなかった。今回京都の大丸でやっているというので見に行こうと思っていたのだ。

いやあ、凄い。
おそらく中学生が見たらなにがなんだか分からないだろう。
これが文字? これが書道?
と普通は思うだろう。

そんな中に、良い言葉があった。(作品「歎異抄NO18」の解説文より)

引用開始 ーーーーーーーーーー

芸術表現は基本的に常軌を逸した職人芸に裏打ちされていなければならない。アルチザン(引用者注:職人)はアーティストでないかもしれないが、アーティストはアルチザンでなければならない。少なくともアルチザンの知る、制作上の微細な秘密に精通し、それを知悉していなければならない。

引用終了 ーーーーーーーーーー

そうだよなあと思う。中学生向けに話をすれば、書写と書道の違いと言っていいのかもしれないなあ。

その後、LOFTで文房具を買って目的は達成。

            ◆

錦市場を歩き、高幡不動のおいしいケーキのお店「FUJIU」のシェフに教えてもらった錦市場の近くのおいしいケーキ屋さんでケーキを買い、今日はおなじみの「天狗」で食事をして帰宅。

はあ、今日も歩いた。

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2005/12/13

紅天女

国立劇場で文楽を鑑賞してきた。
学校の生徒全員、もちろん職員も全員で。鑑賞教室である。

いまから400年前に作られた人形劇であるが、これが脈々と今日に伝わっているのは、すごいなあと思う。ブラジルという国ができて500年、アメリカという国ができて200年であるからして、すごいなあと思う。

演目は、牛若丸と弁慶の五条の橋のお話と、もう一つは人情ものであった。
これはこれでその人形の操作のすごさとか感動したのだが、実は、妙な物に感動してしまった。

それは、「紅天女」という新作のお能の演目が演じられる予告を見たことである。未だに新作のお能が作られているということに感動しているのではなく、この「紅天女」の原作が、あの『ガラスの仮面』であるということである。

もちろん、宝塚で「ベルサイユのバラ」が漫画からドラマになったようにそういうこともあるのだろうが、『ガラスの仮面』からお能というのは、すごいなあ。

見てみたい気もする。

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2005/11/27

優勝パレードのあとの光景

ロッテマリーンズの優勝パレードが幕張で行われた。ディベート甲子園の全国大会で馴染みの街である。ビルの窓から、紙吹雪が舞う。きれいだ。

テレビでは、そのパレードの後にファンや子どもたちが紙吹雪を掃除している姿が映し出されていた。そして、
「良い姿ですねえ」
というコメントがあった。
確かにそうだが、実になかなか世界は広い。

向田邦子さんのエッセイにあったと思うのだが、確かブラジルのサンパウロでは12月31日、仕事が終わると、不必要な書類はビルからばらまくのだそうだ。そして、そのゴミは仕事のないホームレスたちが片付け、新年を過ごすためのお金を手にするというのだ。

日本の学校では生徒の「仕事」になっている学校の清掃も、アメリカでは業者の仕事になっていることがほとんどで、もし生徒が掃除をすることになれば、清掃業者は失業してしまうとのこと。

『下流社会』で論じられたように、日本がこの方向に行くのであれば、日本の優勝パレードのあとの光景も、変わるのかもしれないなあと思った。

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2005/09/18

仲秋の名月

本日仲秋の名月。
月のでは6時ちょっと前。
さあ、これから河原に出かけていこう。

事前に河原をチェックしたところでは、川の水は非常に綺麗で
青空を川に映している。
blueriver


近くの土手からススキもゲットしたし、ゆったりと月見である。

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