2019/03/29

なぜ、日本語は縦書きなのか

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なぜ、日本語は縦書きなのか。

この問いへの答えで私が一番好きなのは、

「天から降ってくる言葉を書き写すには、縦書きなのだ」

と言う考えての石川九楊の言葉だ。石川九楊は『縦に書け』の中で、

 

古来、「天」から「地」へ向かう重力と格闘しつつ、縦に文字を書き、言葉を紡ぐことによって日本人の精神は醸成されてきた。日本語を横書きにすることは、英語を縦に綴るのと同じ「愚」である。だが、その愚行が世を席巻したいま、日本人の精神は荒み、崩れつつある。その最大の犠牲者は。言葉習得途上の子どもたちである。ネット社会に狙い撃ちにされる彼らは、日々見えない血を流している。

 

文化的な意味では人間は言葉であるから、日本とは日本語を指す。この日本語が乱れているのが日本人が。特に子どもたちが崩れている真の原因である。縦書きでは紙に文字を書く場合、天から地に向けて書くから、全体の中の個を意識しながら書くから、常に適正な自己の位置を確認することができるようになる。

 

としている。(引用は、原典が見つからなかったので、久恒氏のHPからさせていただいた。https://plaza.rakuten.co.jp/hisatune/diary/200801260000/

 

この感覚は、書道をやっている人には、とてもよくわかるものではないかと思う。石川九楊氏は、「筆触」と言う

概念を明らかにした書道家だ。前衛書道家としても有名である。その前衛書道家をして縦書きでなければダメだと言うわけである。

 

まあ、天からの意思を受け継いで書くと言うところまでは、実感としてはないが、脳と心からの思いを手先に受け止めて、筆を走らせる時、それは横書きではなくて、縦書きだなあと言うのは実によくわかる。そして、手書きの場合、縦書きでないと連綿で書くことが難しい。中には、横書きでも連綿のように書く人を見たことがあるけど、それはまあ、特別でしょう。と言うことで私は手書きで書くとき、縦書きでないとダメなのだ。

 

 

さて、では、ワープロではどうなのだろうか?

私は、実感としてワープロでもこの「天から降ってくる言葉を書き写す」と言うものを感じる。横書きは、引っ張っていく感覚、または、掘っていく感覚になる。その感覚が、文体にどう言う影響を与えるのか、表現の違いにつながるのかはよくは分からない。

 

認知心理学の論文を読んでみたけど、これは読む時の縦書きと横書きであって、書く時のものではないのでねえ。https://www.jcss.gr.jp/meetings/jcss2010/pdf/JCSS2010_P2-43.pdf

 

例えば、同じ文章を縦書きで書く時の脳の働きと、横書きで書く時の脳の働きはどう違うのかを、脳波を調べてみたらどうなのだろうかと思う。論文を探してみているが、この書くときに焦点を当てた脳波の違いなどに関するものは見つからないなあ。

 

ワープロで連綿で文字を書くと言うのは、今のところないとは思うが、もし連綿で書くことができるようになったら、手書きで縦書きで書いている時の感覚と同じようになるのかなあ。ちょっと気になる。

 

 

音声入力開始

 

ちなみに音声入力の縦書きはどうだろうか。やってみよう。

音声入力で縦書きをしてみたところ、これはなかなか快適だなあと思う。手書きで、天から文字が降ってくる感覚に近いぞ。

音声入力終了

 

 

pagesの縦書き機能追加によって、縦書き推進派が増えてくることを願いたいねえ。

 

p.s.

ま、ブログになると横書きになってしまうんだけどね。これ、縦書きで書いたんだけど。

2018/05/04

抹茶書道 吉祥

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一度始めると、ある程度納得するまでやり続けるのが私の癖。
今日も抹茶書道をやり続けた。
実に面白い。
字を書くという営みは実に奥が深いものだと、今更ながらに思う。
これ、ワークショップやったらやりたい人結構多いかもなあ。
お茶屋さん、ご要望があれば、ワークショップの講師やります(^^)。

抹茶書道の家元を名乗ろうと思う

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ひょんなことから、抹茶書道を始めた。

そして、抹茶書道の可能性を感じている。
文字を書くことの可能性をものすごく感じている。

長年書道はやってきているが、まさか亀に刻したり、ガラスに刻したりすることになるとは思っていなかった。が、ここに来てさらにお抹茶に文字を書くことになろうとは思いもしなかった。

お抹茶書道とカフェラテアートは、違うものである。お抹茶書道は、お抹茶の泡の上に濃茶を乗せて書いていく。カフェラテアートは、基本的にクリームをコーヒーに注ぎながら作る。後から、文字を泡の上に書いたりもするが、基本が違う。だから、お抹茶書道は、文字を書くだが、カフェラテアートは書くとは違うだろう。

抹茶書道をやってみて、ズンと心に届くものがあった。
これは、書道、甲骨文字、ガラスへの刻字では得ることのできないものであった。それは何かと言えば、抹茶書道では、書いた文字を体の中に入れることができるということである。

確かに、クッキーで文字を作るとか、チョコレートでデザートプレートにハッピーバースデーなどを書くことはある。また、最近では、食べ物に書けるFOODPENや印刷ができるフードプリンタも出現している。ラーメン屋の海苔の上に文字を印刷したものもあった。文字を食べることは今までもなかったわけではない。

しかし、この抹茶書道は、文字を飲み込むのだ。
完成された文字を飲み込もうとするとき、表面の文字は流れ出し、それが体の中に入っていく。この時の感覚は、実に不思議なものであった。

前日には、抹茶アートで鳥獣戯画のウサギを描いて、そのあとにその抹茶をいただいたが、その時には感じなかった。だが、「寿」という文字を体に入れた時、なんとも言えないエネルギーを体に入れた感覚があった。

あがり症の人が、手のひらに人の文字を書いて飲む真似をするというのは、一種の言葉遊びの暗示だが、それに似たものがあるのかもしれない。しかも、これは実際に飲む。

結婚式の控えの間で、入試に向かう朝に、入学式の前に。
何か新しいことを始めようとする時に、抹茶で吉語を書きそれを飲み干す。
これは、まさに「言祝ぐ」ことができるのではないかと思えたのだ。

抹茶書道の家元を名乗ろうと思う(^^)。

2017/11/16

国宝展、第4期は、書道の世界ではとても素晴らしいものが揃っている

Img_5879 国宝展、第4期は、書道の世界ではとても素晴らしいものが揃っている。いわゆる三蹟が全部そろっている。その中で私がやっぱり好きなのは小野道風だ。佐理もいいし行成もいいだけどもやっぱり道風だ。


佐理も行成も道風も、王羲之をしっかりと学んでいたことが本当によくわかる。同じ部屋に三人がいるから、真筆を見比べ放題。幸せ。


王羲之を勉強してない人には、どこがどのように王羲之なのかはわからないだろうが、王羲之を学んでいる私には、よくわかる。勉強しておいて良かった。やはり、「知識はものを見る眼鏡である」(有田和正)。


その三蹟が学んだ王羲之を、今も学べると言うのは実に面白い、楽しい。



小野道風は「三体白氏詩巻」が出てた。三体と言うのは楷書行書草書のことを言う。楷書から書き始められた文字は、途中で行書に変わり、最後は草書で作品として締めくくられる。一つの作品に、三つの字体が出てくるのだ。それでいて、バランスが取れて美しいのだ。


もうね、たまらないですよ。


初めてこの作品を見たのは、東京の国立美術館だったと思う。書道展で見たのだが、その時に打ちのめされたのよく覚えている。


楷書から文字を追いかける。そして行書に変わり、草書で終わったとき、私は会ったこともないし見たことも無いが、そこに小野道風を見た気がしたのた。そして、彼は振り向きざまに

「どうよ」

と私に自慢げに問いかけたのだ。

その姿を見てしまったのだ。


全くあり得ないことなのだが、見えてしまったんだから、仕方がない。



それから、その姿が頭から離れない。

で、今回もまたそいつは私の目の前に現れた(^^)。


だけど今回は彼の思うままにをさせなかった。

楷書は目で追いかけ、行書は思いで追いかけた。だけど草書は一緒に指で追いかけた。


ガラス越しにある作品のその線のリズムを、私は自分の指で同じように追いかけた。太ももの上に指を置き、手首を変えながら角度を変えながらそのリズムを追いかけた。


勝てるわけなんかないのに、でも、

(このやろう)

と思いながら追いかけた。これが実に快感。なんだろう合奏をしてるような感覚であった。いや、思い切って言ってしまえば、私と道風と王羲之の3人で書いている感じ。そう、あのパコデルシア、アルディメオラ、ジョンマクラフリンの”Mediterranean Sundance
https://www.youtube.com/watch?v=DvVmqnNBo9w
をやっているような。ああすごい思い切りだなあ、この表現(^^)。


(だけど、この作品、何か似てるなぁ)

と思って作品を最初から追いかけて見てみた。わかった。ジャズの音楽に似ているなぁと言うことなんだよ。しかもその曲名がわかった。Keith Jarrettの「ケルンコンサート」である。


しっかりと格調高いフレーズから始まり、カッチっと構成をしながら進んで行って、途中から崩れつつも、最後は発散して終わる。発散していてもきちんとその中に入っている。あーTHE KÖLN CONCERT

だと思った。


妄想が次から次へと生まれる。

だから本物見るのは楽しい。



その後、他の展示物も鑑賞をした。根津美術館にある燕子花図の屏風。金色になっている下地の上に見事な緑の葉っぱと青系の花の作品だ。これはやっぱり見ておきたかったのでじっくりと見た。


し、か、し、だ。

どうしても、もう一度小野道風を見たくなってしまった。閉館時間まであと1時間はある。そこで踵を返して、ヘッドセットを返却して、もう一度展示されている3階に向かった。


閉館1時間前になったら書道の展示するには、嬉しいことにというか残念なことにというか人影は少なくなっていた。書道作品はそんなに人気がないのかなあとちょっと悲しくなった。でも、見る側の私としては非常に嬉しい。


こんなことはもうできないだろうと思ったので、人が少なかったのを幸いに、佐理と、道風

の作品はすべてなぞってみた。最初から最後まで自分の指をお腹に当てて、または太ももに当てて、目の前にある真筆の筆触を感じながら、筆の返し方を感じながら、書くときのリズムを感じながら。一文字一文字全て私の体に擦ってみた。


ちょー、気持ち良かった。

今までこんな風にして書道の作品を鑑賞した事は無い。でもものすごくよかった。目で追いかけるだけとは全く違った。


なんというか、作品が体の中に染み込んでくる。びっくりした。

次回は、筆を持ってこようと思った。それを自分の手のひらの上で動かしながら、作品を鑑賞したいと思った。


閉館ギリギリまで粘って、堪能しました。



書道を学んでいて良かった。

2016/12/14

葛飾北斎 富嶽三十六景 神奈川沖浪裏

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葛飾北斎 富嶽三十六景 神奈川沖浪裏
友人の一人は、光の版画と称してくれました。
嬉しいなあ。

醍醐寺 弥勒菩薩像

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刻仏

2016/11/30

三十三間堂 風神像 刻仏

ガラスに、「三十三間堂 風神像」を刻仏してみました。

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2016/11/26

平等院鳳凰堂の雲中供養菩薩像の南8号をガラス板に刻仏する

『心やすらぐ 国宝仏像 なぞり描き』(田中ひろみ 池田書店)という本がある。
この本を手に取った瞬間に、閃いた。
(あ、これでガラスに刻してみよう)
と。

摸書という書道の学習方法がある。お手本の上からなぞるのだ。日本の書写教育ではあまりされていないが、これはとても効果のある指導方法で、私が中学校の教師の時はこれで指導していた。

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で、写仏だ。写仏は摸書に似ている。お手本の上からなぞるのだ。私にも仏像が描ける。これは気持ちがいい。初めに万年筆でやってみる。心地よい。それを画像加工アプリで効果を加えてみたりする。これも気持ちよい。

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で、いよいよである。
ガラス板に写仏である。刻仏である。

一升瓶に般若心経を刻すことで技術を磨いてきた私は(^^)、ここでその技術を活用することになる。そんな風になると思わなかったが、活用するのである。

一気に仕上げた。
ふう、気持ちがいい。

問題は、撮影である。
ガラスに刻した仏のその線から生まれる影の仏をも撮影したい。
しかし、ガラスに刻したのを撮すのはなかなか難しい。
撮影者の影が写り込んでしまうのだ。
室内のあれこれも反射してしまうのだ。

専用スタジオのない、自宅のリビングで撮影の私は、写り込みを避けながら、ガラスの仏と影の仏を一緒に撮影する工夫をあれこれあれこれ。まあ、この工夫を考えるのも面白い。

そして、イメージに近い作品を写撮ることができた。



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この作品は、平等院鳳凰堂の雲中供養菩薩像の南8号だ。
臨終の際に、極楽浄土からお迎えにきてくれる楽人。
光と影とでデュエットで奏でてくれている。
私は、聞こえにくい耳の持ち主だが、この音楽はその時には、聞いてみたい気がする。

で、次の作品は、何にしようかなあともうすでに考え始めている(^^)。

今回の作品には、初めて雅号を瓶底に刻した。

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一升瓶に般若心経を刻し始めて、さて何本ほど刻しただろうか。
もうすでに10本以上は刻しているなあ。

文字を格ではなく、文字を刻す楽しみ。
一日に数行ずつ、刻して仕上げている。

特に何かの目的があって刻しているわけではないが、刻している。まあ、強いて言えば全ての一升瓶の種類に刻してみたいと思って刻している。色や瓶の表面の加工具合によって、いろいろな一升瓶がある。

今回仕上がったのは、マリンブルーのもの。
今までに仕上げてきたものの中で一番太字で大柄の文字で仕上げた。

般若心経の写経では、一行に刻す文字数が決まっている。17文字だ。ところが、メインの「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提娑婆訶」は18文字。この17文字と18文字を一升瓶の胴の部分に書き切るのは、実はなかなか難しい。しかも今回は太字の大柄の文字だ。

それが今日完成した。
うむ、実に嬉しい。
今回の作品には、初めて雅号を瓶底に刻した。

次の作品に取り掛かろう。

2016/11/17

吉例の池田教え子等関係者の新年会のご案内です

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吉例の池田教え子等関係者の新年会のご案内です。
今年は、教え子の自宅で一次会です。
ご参加をお待ちしております


平成29年新年会のご案内

一次会

日時 平成29年1月3日(火)12時〜
集合 多摩都市モノレール 上北台駅 12時集合
場所 メンバー宅 
会費 3000円程度を計画しています。
交通 立川北駅(多摩都市モノレール)11時37分発→上北台駅(多摩都市モノレール)11時53分着があります。

参加希望者は、池田先生までご連絡ください。
メンバーの個人宅のため、飛び込みでの参加も歓迎です。参加できる方、ぜひご一報ください。

二次会
日時 平成29年1月3日(火)夕方〜
集合場所については池田先生までご連絡ください。立川を計画しています。
会費 実費


楽しくやりましょう(^^)。

なお、メールは、

https://mailform.mface.jp/frms/ikedaosamu/pj5oj17oamyz
へどうぞ。

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