2009/12/18

明日の教室DVD 第五弾 コミュニケーションティーチング

先日行われました演劇とシンポジュームの記録がDVDになりました。

http://www.sogogakushu.gr.jp/asunokyoshitsu/dvd_1.htm

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
                     
                        
演劇発表公演+シンポジウム                         
                     
                        
宇治市立菟道第二小学校3年生児童+劇団衛星
                     
                        
池田 修、糸井登、蓮行、北川達夫、平田オリザ
                     
                        
平成21年11月3日 於:宇治茶会館
                     
                        
DVD価格 3,000円(本体価格2,857円)

その場にいたメンバーが、これからの日本の新しい教育の始まりを実感した、演劇とシンポジュームでした。是非、ご覧下さい。

| | コメント (0)

2009/12/17

だんだん「ためしてガッテン」のようになってきている

12/17

午前中は、ゼミ祭。二回生が企画をしてのものである。二回生が三回生ゼミを選ぶにおいて、それぞれのゼミは何をしているのかを紹介してほしいと三回生に依頼して実施されたものである。

なかなか良いことである。
学びたいと考えている二回生にも、学んできている三回生にとってもどちらも良い結果を齎す企画である。二回生に自分たちの学びを提示することで、この一年をまとめることになり、学びを振り返ることができる。

私は家族の体調が優れなかったので、家であれこれやっていて参加できなかったが、伝え聞くところによると我がゼミの諸君もなかなか頑張っていたようだ。

自分で自分に合ったゼミを探そうとするのは、良い。だが、その一方で逆もある。どうでも良いということである。そんなに深く考えなくても良いというものである。

    1)    朱に交われば赤くなる
    2)    掃き溜めに鶴
    3)    孟母三遷の教え

この諺は何を表しているのであろうか。

    1)    環境によって人は変わる。
    2)    環境がどうであろうと、人は変わらない。
    3)    人は環境を変えることができる。

ということを意味していると考えている。
そうであれば、あれこれ考える必要はあまり無い。出会った環境の中でやる。うまくいかない時は耐える、または変える。そう言うことなのだと思う。

偶然を必然に変えるのは、そこにいる本人たちの努力によるものなのである。

そこにチョイチョイと魔法をかけるのが、ゼミの指導者の役割なのである。

2限は、国語科教育法2。今日はメディアリテラシーについて。学生諸君には、メディア断食を指示してある。毎年やっているが、学生たちの感想は大きく変わることはない。

大きく変わることのないことを、安定ととるのか、停滞ととるのか。私はどうも停滞と考える傾向がある。だから、新しいものを考えたくなる。

今日のメディアリテラシーの授業は、本邦?初公開の資料を活用する。最近手に入れた広告の資料なのだが、結構インパクトがある。しばらくはこれを使って授業をしようと思う。

3限は、児童総合演習。グループごとに分かれて実践記録を読み続ける。私の方からいくつかの問いを突っ込む。それを踏まえながら議論を進めていく。

当たり前であるがまだ二回生。読みが甘い。だが、少しずつ実践記録を読むことの楽しみを手にしてきている学生が増えてきている。良いことだ。

4限は、教職総合演習。毎回学生の発表が楽しみである。今回は「食育」について。食育の歴史や実習コーナーがあり、だんだん「ためしてガッテン」のようになってきているのが面白い。

食育の歴史に関しては、説明の中で『美味しんぼ』のルーツのような食べ物小説の現物を本学の図書館から持ってきて、読み上げていた。これはなかなか面白かった。

さらに、実習コーナーでは子どもの人気おやつに入っている砂糖の分量を当てるクイズをしながらあれこれやっていた。最終的に食育指導をどうするのかについて議論を重ねていた。

発表者の足りないところを会場から補ったりしての議論も良かった。いやあ、どんどん良くなっていくのを見ているのは楽しい。もちろん、私の方では必須アミノ酸の話とか、あれこれ補足をするのだが、なかなか良かった。

この授業は小学校でそのままコンパクトにやっても良いなあと思った。

だんだん育ってきた学生たち。
嬉しいものだ。

| | コメント (4)

守りを教えているのである

12/16

学級担任論の授業。
気がつけば、この授業は今日で年内が最後。年明けに4回でお仕舞いになる。

本日は、環境美化と保護者対応について。教室の環境の美化では、汚れる原因のプリントの整え方について保護者対応では、保護者会、家庭訪問、面談。さらにはモンスターペアレンツについても触れる。

学生たちが少しずつ気がついてきた感じがあったので、伝える。
『そう、この学級担任論は、守りを教えているのである』
と。

学級担任としてあれこれやりたいことはあるだろう。そしてそれはやるべきである。であるが、その際、やるべきことをきちんとやっておかないと、足下からクラスが崩れ去るのである。だから「守り」である。

だから授業で出す事例は暗い、重いものが多い。
学生諸君は、
(担任の仕事ってこんなに大変で、面倒くさくて、辛いんだ)
とその理想との違いにショックを受けるのである。だが、大事なことである。ここを理解してできるようになり、あとはクラスに応じてあれこれ楽しくやればいいのである。

夜は学科の先生たちとの忘年会。
私の人生始まって以来初めて、アルコールの入らない忘年会である。

昔お世話になった先生のご主人が亡くなられたという報せを聞き、忘年会も欠席しようかと思ったのだが、そうもいかんだろうなあと思い、せめてアルコールはやめようと思ったのだ。

忘年会そのものはとても面白いものであった。学科会議の柔らかい版と言う感じで、あれこれ今後の児童教育学科のことについて語り合いながらの食事であった。

アルコールなしで、ウーロン茶を1リットル以上飲んでしまった私。ま、それでも結構楽しかったなあ。良い仲間のお陰である。

| | コメント (0)

2009/12/15

自然豊かな大学ならではの椎茸栽培

12/14

2限はゼミ。

担当予定者が体調不良の欠席となったので、急遽来週行う予定の内容を実施する。論文の書き方指導である。小論文と論文の違いから始めて、書くための参考図書や、さまざまな手続の仕方等に付いて説明する。

3回生も、卒業論文提出まで残り1年を切ったのである。採用試験と卒業論文を柱にしながら、駆け抜けていくのである。

で、ちょっと時間が早く終わったので、外に集合。私が大学で育てている椎茸の木に椎茸がたわわに育ったので、収穫に向かう。下宿生を優先して収穫した椎茸を配る。

若い頃にはまったく考えることも無かったが、クラスで植物を育てるというのはとてもいいもんだなあと思うようになっていった。子どもの成長の伴走者として花や実のなるものを育てるのである。大学でも同じである。

自然豊かな大学ならではの椎茸栽培である。ホイル焼きもよし、バター炒めも良しである。活力をつけたまえ。

Dvc00095

昼休みから一気に事務仕事と監修本の監修を進める。監修の方は、一段落したが、終わらないのが事務仕事。こちらと戦う。そして、まだ戦いは途中のままであるが、こちらから一方的に休戦して、出かける。今日がルミナリエの最終日なのである。

折角なので娘に見せてあげようと思って早めに帰ってきたのだが、娘が鼻水を出している。風邪である。こりゃあ、ダメだ。こんな体調で人ごみに連れて行って新型インフルエンザにかかってしまったでは、冗談にもならない。

結局家で仕事を続ける。
これでいいのだ。

夕ご飯では、当然椎茸。
バター醤油炒めは、娘がすぐに気に入った。
「味見!」
と言いながら、次から次へと食べてしまう。
早く風邪が治ると良いね。

夜は一人、ふたご座流星群を楽しむ。
ベランダの椅子に腰掛け、毛布にくるまって。
沢山の願い事をする私であった。

| | コメント (0)

2009/12/14

集団で作るシーン

12/13

今年の明日の教室は、昨日の書写/篆刻指導のいろはで終わった。今回は私が講師であった。いつもとは違い、今回は実習がメインであった。

もちろん、書写/篆刻指導の際に注意することもお話をしながらの講座ではあったが、作業と説明のバランスをとるのは、相手が子どもであっても大人であっても同じぐらい難しいものだと改めて思う。

嘗て、中学校で国語を教えていたとき、私は割と真剣に書写を教えていた。真剣に学ぶ中学生は、きちんと吸収する。一生の宝をプレゼントしてあげたいと思って、字を教えていた。どうせやるならと、中国や日本の書の古典をテキストに使ったりもしていた。

ところが、中学校の中には書写をやらない学校も多くあり、
「なんで、池田先生は文法をやらないで、書写をやるのですか?」
と、クレーム?を言う保護者がいたりもしたこともあった。書写の時間に書写をやらないで、その時間に余分に文法や読解をする先生がいたのだ。私が正しいのにf(^^;。

私が書写の授業が好きなのは、子どもたちにはっきりとした力をつけてあげられるからということもあるが、もう一つ理由がある。それは、あの集団でシーンと言う空間と言うか、時間と言うか、これが好きなのである。

書写では、摸書を中心にして指導をしていたのだが、これはかなりの集中力を必要とする。摸書をすると、本当にシーンとするのである。

摸書というのは、簡単に言えば写し書きである。日本の書道教育では、この写し書きである摸書を嫌う。きちんとした理由はよく分からないが、個性とか独創性とかを重視するとこの写し書きはその反対側にあるので、やらないのであろう。大きく元気良く書くというのが、好まれている。

だが、私はまずはきちんとした字を書けるようにすることこそが、義務教育の責任だと考えていた。つまり、美しい字よりも読みやすい字である。だから摸書であった。中国でも、初学者は徹底的に摸書をするということを聞いている。

で、シーンである。

いつも騒いでいる五月蝿い30人から40人の中学生が、この摸書をすると、シーンとするのである。咳なんぞしようものなら、クラスの中で睨まれてしまうほどの静かな集中が生まれるのである。これが非常にいいのだ。

学校は集団を学び、集団で学ぶ場所である。合唱、演劇、運動会などの多くの行事は集団で行い、元気にやるものである。しかし、書写はこの逆である。もともと書写などは一人でできるものであり、一人でやるものである。これをクラスで一斉にやるのである。

実際に体験した子どもたちは異口同音に言う。
「先生。書写のあのシーンとした時間が好きでした」
と。集団で作るシーン。これを好むのである。

今回の明日の教室の書写、篆刻のいろはでも、このシーンを体験していただくことができた。良かった良かった。

懇親会は疲れが出ていたのであろう。席を動けなかった。新しくいらっしゃった方にお話を聞こうと思っていながら、壁に背中を預けたまま、持ち込んだ「獺祭」を味わいつつ、ボーッとしてしまった。

(ああ、いいなあ)
と思いながらボーッとしてしまった。

来年も楽しくなるなあと思いながら、「獺祭」に包まれていくのでありました。

ちなみに、2010年 研究会の予定は、

1/30(土) 土作彰氏 



2/13(土) 岡山洋一氏 ファシリテーション入門 



3/13(土) 石川晋氏

4/24(土) 野中信行氏 提案「味噌汁・ご飯」の授業

であります。お待ちしております。

| | コメント (0)

2009/12/12

まるで、料理人のようである

12/11-2

最後の決めの一品が見つからなくてうろうろしていた。まるで、料理人のようである。

その一品をやっと探し求めた。これであとは、明日資料を印刷すれば完成である。

授業を作る、講座を作る。
この時間はいつも大変で、いつも楽しい。

| | コメント (0)

2009/12/11

「読書へのアニマシオン」

12/10

東京から慶応大学付属普通部の鈴木淑博先生にお越しいただき、「読書へのアニマシオン」の特別授業をしていただく。先生とは、気がつけばもう10年以上も前からのおつきあいとなる。

授業は、木曜日に行われる三つの授業でしていただけることになった。どれもこれもすばらしいものであった。

たまたま手元にある二回生の感想である。

引用開始 ーーーーーーーーーー

今回の授業ですが、もう本当に一言で「楽しかった」です。
授業は子どもたちとつくっていくものだと思うので、先生も子どももみんなで考えて、動けた今回の授業は一つの到達点だと感じました。まだ僕が気づいていないだけでもっと改善点があるのかもしれませんが、こういう授業は常に目標にできるなと本当に思いました。

アニマシオンというものを紹介していただきましたが、今までまったく聞いたことすらないものでした。今回これを知ったのは大きな収穫でした。75の方法があるということですが、とてもおもしろそうなので必ず調べようと思います。
アニマシオンということばの意味は「魂を活性化し元気にする」というものらしいです。(『子どもが必ず本好きになる16の方法・実践アニマシオン』有元秀文 合同出版 2006年 より)子どもたちも先生も魂から元気になれる、しかもそれは授業の中で!ということで、必ず取り入れていきたいと思いました。

アニマシオンもすごいと思いましたが、鈴木先生の本読みもすごいなぁと思いながら聞いていました。本を閉じていても場面が想像できるような読み方でした。正直に言うと鳥肌が立ちました。子どもに読み聞かせというのもどこかであるものだと思うので、読む技術も同時につけていきたいと感じました。

最後に、今回はすばらしい授業、アニマシオンの紹介をありがとうございました。とても勉強になりました。必ず活かせるように努力していきます。

引用終了 ーーーーーーーーーー

引用開始 ーーーーーーーーーー

今回は、特別講師の鈴木先生に来ていただき、アニマシオンについて学ばせていただきました。

読書は、読むものだと思っていましたが、今回の授業を振り返ると、自分たちでは、一回も読んでいないことに気がつきました。
それに、読書は一人で静かにやるものだと思っていました。けれど、今回の授業では、円になって、みんなで1つの本を読むという方法でした。学校でも、教科書をクラスで読むことは授業中にはよくあります。けれど、今回のように絵本をみんなで読むというのは、新しい体験でした。

読書を読むのではなく、体験することによって、子どもの本の世界への入り方が違うと思いました。
読んでいる時は、「読んでいる自分と、本」という関係なのですが、今回の場合は「本の中の登場人物=自分」という感覚でした。絵本の世界に完全に自分が入っている感じがしました。
そして、この授業ではつねに私たちは楽しく笑いながら授業をすることが出来ました。読書で笑えるというのは、すごいことだと思います。

もっと多くの事を教えてもらいたかったのですが、この先は、自分で本などを読みながら知っていこうと思います。
今回は、本当にありがとうございました。

引用終了 ーーーーーーーーーー

今年度は、先生に来ていただけることが早めに分かっていたので、私が実演せず、実際に専門の先生にやっていただいた方が良いと思って、言葉ぐらいしか説明していなかったのだが、これが良かった。

本物に触れることで、その衝撃は残る。学生諸君は、学校現場保育の現場に入ったときに、この「読書へのアニマシオン」を必ずややるであろう。

実に楽しみである(^^)。

| | コメント (0)

授業は、具体であり具体の上に想像と創造が生まれる

12/9

本日は、明日の教室のDVD製作をお願いしている平井さんに来て頂いて、学生の指導もお願いする。メディアリテラシーとフォトストーリーの作り方についての講義である。

ここが今年度から始まったGPのプロジェクトの中核となる部分の一つである。オリターと呼ぶ先輩のリーダー達が、後輩のためにあれこれするのであるが、彼等自身の活動をポートフォリオすることで、彼等の学びを豊かなものにしつつ、後輩のためになるというものを考えている。

ポートフォリオは、文章でやるものという考えがあるのではないかと思う。それはその通りである。しかし、それだけではないはずである。今回のGPでは映像によるポートフォリオをさせようとしている。それがフォトストーリーである。

嘗て写真を撮る撮られるというのは、特別なことであった。ところがデジカメ、さらには携帯電話にこれが搭載されたことから、普通のことになった。私もバシバシ撮影していた。そしてここに「写真」による問題が発生するのであった。

一つ目の問題はインク代がかかるという事であった。いまでも職員室には先生個人のためのパソコンが用意されているところは少ないだろう。という事は自腹でパソコンを買うことになる。であるからして、プリンターもインクも自腹でとなる。学校教育現場はBサイズが残っているので、B4サイズがプリント OUTできるちょっと高い物を買わざるをえなかったのだ。

だがまあ買えばすむものであれば、良いか悪いかは別として、お小遣いの許す範囲で自腹を切れば良かったのである。

二つ目の問題は、個人情報、または肖像権の問題である。学級の情報を学級の中で扱う分には、特に大きな問題はない。だが、インク代を節約しようとしてインターネット上に載せようとすると、この問題が発生する。

校内LANがあってインサーネット環境が整っていて、図書館の司書教諭のような情報司書教諭がいる学校であれば問題無い。だが、そんな公立中学校は存在しない。だから、情報を扱う者がそこを配慮してやるならやるのである。これが非常に面倒くさい。だから、私はこの方法もやらなかった。

三つ目の問題は、一つ目と二つ目にも関わるのだが、手に入る写真が多過ぎるということだ。行事などがあると、保護者からも届いたりして嬉しいひめいとなる。選びきれないのである。

これらの条件をなんとかクリアしようと考えて私が最後の中学校にいた頃にやっていたことがある。それはPCによるスライドショウでの展示である。学校に余っていた古いノート型の98PCを持ち出して、そこに「窓の杜」からダウンロードした無料のスライドショウソフトをインストールして使っていたのだ。

これであれば、インク代はかからず、校内LANも必要なく、大量にデータがあっても大丈夫である。子どもたちにも、学校にやってきたお客さんたちにもとても好評であった。

いまなら、WindowsXPには標準で入っているし、Macならさらに昔からスクリーンセーバーでいけるし、今ならiPhotoのスライドショーでも楽しむことができる。

前置きが長くなった。
で、私はこういう実践をしてきたわけで、これを踏まえて児童教育学科の学生たちを育て、その上で彼らがここで学んだものを踏まえて学校教育現場、保育の現場で頑張ってほしいと考えてやってきた。

これを文学部全体に広げるにはどうしたら良いのであろうかと考えて、今回のGPの基本構想を考えたのであった。

授業は、具体であり具体の上に想像と創造が生まれると考えている。

で、フォトストーリーである。これであれば、写真、文章、音楽、ナレーションなどを入れて、一つのムービー作品を簡単に作ることができる。デジタルポートフォリオを作ることができるのである。

写真は、携帯電話で取れる。文章やナレーションは授業の感想文などで鍛える。音楽は十分楽しんでいるので、著作権の問題をきちんと学べば良し。あとは、作り方を教えていただければオッケーということで、平井さんにお願いをすることにしたのであった。

授業は平井さんの丁寧な説明で、どんどん進み、あっという間に学生たちは作品を作り上げた。

来年度の新入生キャンプを始めとして本格的にスタートするこのDVD作成。これを受けて、実はもう一つGPではプロジェクトを動かしている。それについては、また事業の進行とともにご紹介したい。

楽しみ楽しみ。
平井さん、ありがとうございました。

| | コメント (0)

2009/12/08

しかしもう、8年も前のことなんだなあ

12/8

ゼミ合宿から目覚め、いったん家に戻る。こう言うとき家が職場から近くて本当に助かる。娘と一緒に朝ご飯を食べて、ひげを剃って着替えてから大学に向かう。

合宿の会場に忘れられていた眼鏡と時計を預かっていたのだが、その学生たちにすぐに大学で会う。その後の生協でも会う。なんだか私が後をつけているのか、私がつけられているのかというような状況である。縁のある学生というのはいるものだ(^^)。

研究室で仕事の確認。
今日は10:00からGP関連の打ち合わせがあると確認、したつもりが10:40からであった。忙中閑あり。紅茶を入れて落ち着く。

GPの打ち合わせ、教職総合演習の指導と行って、ディベートの授業。本日は、私が中学生に指導をして全国大会準優勝した時のビデオを見せる。これを見せてフローシートを書く小テストをさせる。

その時の半年間の指導の記録は、
http://homepage.mac.com/ikedaosamu/debate/01kiroku.html
である。

ディベートは勝敗のつく競技である。そうであれば、歴史は勝者の記録となる。それはそれで良い。だが、教育としてディベートの指導に当たってきた私たちは、その子たちのことが大事なわけである。

だから、記録する。私が記録しないで誰ができるのだという思いで、この夏の二週間を使って記録したものだ。今この文章を書けと言われても書けない。あの時でなければ書けないものである。文章にはそう言うものがある。その時でなければ書けない文章がある。これを私は理解している。学生たちにも理解させたい。だから、書け、書けと言い続けているのである。

しかしもう、8年も前のことなんだなあ。白髪も増えるわけだf(^^;。

| | コメント (0)

あのくだらなさの準備のために

12/7-2

補講による集中講義である。
3回生ゼミは、教育実習の期間休講にしていた。この補講である。通常の授業を含めて4時間連続での補講である。

今日の補講は、教育実習に最後まで行っていた彼女の簡単な報告から始める。唯一我がゼミで幼稚園に実習に行った彼女である。貴重な報告があった。

甘えさせると甘やかすの違いを理解して指導することが、教育においては大事である。この違いについて実習に行ってきた彼女はきちんと理解してきたようである。良かった良かった。

私の考えでは、甘えさせるは愛情の問題である。そして、甘やかすは社会ルールの問題である。甘えさせてもいいが、甘やかしてはならないのは、愛情の足りない子どもには十分に愛情を注ぐべきである。しかし、社会のルールを無視するような行動をとった場合、きちんと指導しなければならないということである。

通常は、愛情をたっぷりとあたえ、その上で社会のルールを教えるのが望ましいとは思うが、実際は同時進行で行ったり、社会のルールが先きということもあるであろう。それが現場である。ただ、この甘えさせると甘やかすの違いを理解した上で指導することは、肝要である。

さ、我がゼミの学生諸君が卒業論文のテーマとして考えているもののが出そろった。

・Q−Uについて
・若者語について
・コミュニケーションティーチングについて
・子どものキレる理由について
・スローリディングについて
・ライティングワークッショップについて
・清掃指導について
・叱り方について
・学び合いについて
・特別支援教育における発達障害について
・ゆとり教育と学力低下について

なかなかバラエティに富んでいて面白い。

集中して行ったゼミは、楽しいゼミであった。学生諸君は、発表の準備のために根を詰めていて、なかなか大変だったようだったが。

一つのテーマ、それも誰に指示されたものでもない自分で選んだテーマで纏めて発表する。なんて楽しくてなんて大変なことなのであろうと学生諸君は思ったであろう。

また、自分で選んだテーマであるのに、それが他の人の発表といろいろとリンクしているのがわかり、面白いなあということになった。卒業論文は、自分で執筆するものであるが、チームで執筆するものでもある。この辺りに気がついてきたようで嬉しい。

ゼミの休憩時間に
「先生のその頭の中はどのようになっていらっしゃるのですか?」

と質問を受ける。え、そんなこと言われても見たことはないし、見ても分からないしf(^^;。

『どういうこと?』
「その、一つのことを聞くと、ばーーっと話が出てくるというか、沢山の引き出しの中から関連するものが、次から次へと出てきて、話が進んでいくんですけど、どうしてですか?」
『どうしても言われてもねえ。そういうようになるように脳みそを使っているからではないかな。あとトレーニングもしているしね』

なんてことを話す。
卒業論文のテーマに関することをあれこれと話してあげている姿が、そのように感じられたのかな。

でまあ、その後のコンパが凄かった。教育実習お疲れさんコンパである。学生会館に場所を移して、お泊まりで行った。鍋を囲んで美味しく頂くのはまあ良い。問題はその後の出し物である。

ゼミ生の誕生日を祝ったビデオを見ることから始まり、blogには書けない抱腹絶倒のあれこれが催されたのであった。写真は有るのだが、これを載せると、日本の少子化にますます拍車をかけると思われるので、自主規制である。

だが、あのくだらなさの準備のために、発表前の貴重な時間を拠出する君たちを少し嬉しく思ってしまう私でたあった。 また少し彼ら彼女らが成長したかもしれないな、と思う私であった。

さ、今日はみんな眠いぞ、授業中に寝ないように(^^)。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧