2008/08/28
2008/08/14
8/12 2008 授業づくりネットワークin仙台
8/12
朝6:36に神田駅から東京駅に向かう。今日は仙台で行われる「2008 授業づくりネットワークin仙台」で、10時から講座があるのだ。
昨日神田の駅に着いた瞬間に、翌日の朝の東北新幹線を予約した。
「お客さん、最後の一枚ですね」
ぬあんと! 危ない危ない。
12時近くにホテルに入り、朝の5時半に起きて風呂に入ったため、タイマーをセットして新幹線ではすぐにお休み。
目が覚めるとあと少しで仙台。いやあ、早いねえ。90分ちょっとで到着ですか。
◆
会場の東北福祉大学は、仙台から仙山線で数駅。駅の名前は「東北福祉大学前駅」である。本当に駅前に大学があった。中に入るとここはアネックスで、駅から10分程度歩くと分かったのだが、まあ、近い。それにしてもJRの駅を新しく作ってしまうなんてすごいなあ。
会場では久しぶりに会う仲間たちと会話をしながら、講座の準備。そこでちょっとピンチ。資料が違っているのだ。PDFで送ったのに、表が消えてテキストベースになっている。さらに、テキストが印刷されていない。慌てて依頼する。
ああ、昨日最後の一枚の席を取れて良かった。もう1本後だったら、本当にギリギリだったろうなあ。
◆
今回の講座は、【「言語力」を鍛える授業の工夫(中学校)】ということである。
言語力育成に関する整理用一覧表や、国語科の指導領域概念図 、さらには学習指導要領などを参考にして、言語力を定義した後、授業レベルの話、特徴的な「たほいや」の実習などをしながら2時間行う。講座の振り返りは石川晋さんとの対話。
本当はたほいやを2試合行いたかったが、まあ、2時間のこの講座ではこれが限界。ただ、感想を拝見すると提案は伝わったようだった。「楽しくて、力がつく」授業をめざす。国語を実技教科にする。これが今の私のスタンスだ。
◆
今回のネットワーク集会で、あちらこちらで言われた事。
1)「きときとさんに会いましたよ」
2)「伝える極意、拝見していますよ」
3)「先生、いい声していますね」
4)「お久しぶりです」
5)「あれ? おひげはどうしたのですか?」
1)教え子のきときと君が、あちらこちらの研究会に参加していて、そこで彼女にご指導をしてくださった先生たちが、私に話してくれたのである。学び続ける教え子の話を聞くのは、素直にうれしいものだ。
2)本当にあちこちで言われた。「DVDに落として保存してあります!」「サインして下さい!」。うーん、NHK教育テレビ恐るべしである。後1本の収録があるが、さらに心してやらねばなあ。
3)たぶん、疲れであろう。疲れているので、声を張り上げずに体の響きで声を出そうとしていたので、却っていい声と聞こえたのかもしれない。災い転じて福となすである。
4)10年ぐらい前に研究会で一緒だった方などからも、多く声をかけていただいた。みんな同じように年を取っているので、安心したf(^^;。
5)もう、3年以上ひげを蓄えていないのだが、嘗ての印象が相当あるのだろうなあと思った。
◆
午後は、お笑い教育講座と北川達夫さんの講演。
お笑い教育講座は、お笑い教育連盟の4人の重鎮が一人15分と言う時間の設定で模擬授業を行うというきわめて贅沢な内容であった。特に、土作先生、赤坂先生はこの一週間日本を飛び回っていると言うのに、あのエネルギーは何だと思わせる内容であった。
ただ、ひょっとすると会場にいた若い先生や、学生のみなさんには、只すごいというだけで終わってしまったかもしれないなと思った。ここでは何を目的にしてどういうことが行われていたのかという振り返りや解説が、最後にあれば良かったのではないかとも思った。
北川さんの内容は「明日の教室」でお話しいただいた事とほとんど同じ。私にとってはラッキー。このいい内容を一回で理解しきれるとは思っていない。繰り返し聞く事で理解が深まると思っていたからだ。ただ決定的に違うのは、明日の教室でしていただいた、教材づくりのワークがなかった事。限られた時間では、あのワークは出来なかったのだと思う。
理論を具体的な授業のレベルにまで落とし込むことを、授業づくりネットワークの講座で私は心がけている。そういう研究団体だと思っている。あと30分時間があればなあと思った。
同じ講義を二回聞いて、理解が深まったところもあれば、よくわかっていなかったところの発見もありで、あと一回は聞きたいなあと思う私であった。
◆
大会後、宿泊をしようかどうかと悩んだが、仙台駅で食事をしてもなんとか大津まで新幹線の乗り継ぎで帰れる事が分かったので、帰る事に決定。東北福祉大学前駅で新幹線の指定をすると、
「あ〜、あと3枚でしたね」
と言われる。
なんとラッキーな事よ。ラッキー池田である。
◆
仙台駅前では、NAKOP先生にご案内いただいて、牛舌の美味しいお店に行く。北川さん、赤坂さんとも一緒。ゆでタン、牛タンの刺身、スモーク牛タンなどを楽しみつつビールと、食事。新幹線が出るまでの一時間であったが、堪能させていただきました。ありがとうございました。
◆
新幹線の中では、ブログを書き続ける。新幹線に乗る前に、おつまみと仙台の地酒を買ったのだが、それに手もつけずに、ただひたすら書き続けた。実にいろいろな事のあった一週間であった。書くとは、自らの歴史を綴る事であるとユネスコの学習権宣言では述べられているが、なるほどそうだなあと改めて思う。
◆
新横浜駅に着く時ちょっと空を見上げたら、月だ。月齢で言えば12ぐらいの月だ。芭蕉の連句集、俳諧七部集の内の一つである『猿蓑』にある
「市中は物の匂いや夏の月」凡兆
なんて句をちょっと思い出す。
そして、
(朝の6:36に神田を出て仙台。そして、夜の22:51には、京都を出て大津京に向かうか)
と思う。なんて移動距離なのだと思う。芭蕉の『奥の細道』の移動距離を一日でやってしまったかのような感じだなあ。
◆
私の2008年の夏、前半はおかげさまで充実して過ぎようとしている。北京オリンピックや野球の甲子園などで世間は盛り上がっているのだろうが、私にはそれはほとんど関係のないこととなっている。
北京オリンピックや野球の甲子園より、面白くて大切な事が私の周りにたくさんあると言う事でもあろう。これは、実にありがたいことである。
さ、久しぶりに会う娘はお父さんの事を覚えているかなf(^^;。
2008/08/13
8/11 三日目 人間的成長
8/11
ジャッジは9時に集合。スタッフは8時半に集合だから、ありがたい。
今晩は今日までとは違うホテルに泊まるので、荷物をゴロゴロ引きずりながら白山の坂道を上る。今日で今年のディベート甲子園も終わりかと思うと、切ない。
◆
到着と同時に、本日のジャッジの分担が発表される。ディベート甲子園では、なんとか審判による判定の偏りがなくなるように、あれこれ工夫されている。それは、
1)ジャッジは、自分の所属している支部の学校の試合は、判定しない。
2)ジャッジは、一度試合を見た学校の、同じサイドの試合は、判定しない。
という基本原則がある。
この基本原則に則って、ジャッジを配置するのが試合運営委員である。1)2)の原則を元に行うのであるが、対戦している学校の勝ち進み具合によって、ジャッジができたりできなかったりするので、予定通りには行かない。だから、試合直前にならないとジャッジが最終決定しない。
この仕事を今ではディベート甲子園OBの社会人がやってくれている。しかも、エクセルのマクロで半自動化して組めるようにしてある。後生恐るべしである。
◆
私は、中学校準決勝の主審となっていた。
この試合のどちかが勝って決勝に進出なわけで、ということはほとんど決勝の審判はない。今シーズンのディベート甲子園の最後のジャッジとなると思った。
◆
実は、この大会で主審ジャッジを務めることになったら、すべての試合で言おうと大会前から決めていたことがあった。そして、今回の大会で主審を務めた時すべて言ってきた。それをこの試合では、十分な必要の下に言うことになった。
この試合の一部の質疑の部分で、コミュニケーションに関してディベートととしてよろしくないやりとりが行われた。この部分について
(きちんと言わなければなあ)
と思っていたところ、試合後一緒に判定をした多くのジャッジからも、あれは良くなかったという指摘を受けた。
私はしっかりとコメントしようと決めた。
◆
『肯定側否定側のディベーターのみなさん、ご苦労様でした。この試合に勝ったチームが決勝に進出します。そういう意味で、ジャッジたちは君たちに強く注意をしなければならないことがあります。ジャッジは悲しい思いでいます』
とコメントを始めた。それは、細かい言葉の揚げ足取りになってしまっているような質疑が見られ、お互いを尊重して議論を通して一つの高見に上ろうとする姿が見えにくくなっていたことについてであった。
『ディベートは、相手がいなければ成立しません。相手が自分たちの議論を検証してくれる事で、その検証の結果をジャッジに伝える事で成立します。相手を直接否定する事、揚げ足を取る事で成立するものではありません。相手のおかげでディベートが成立するのだと言う事を肝に銘じるべきであります』
その後、判定の理由を述べコミュニケーション点を告げたあと、判定の前に言うと決めていたその言葉を述べた。
『私たちジャッジは、ディベートのこの論題を通して、大会の一つ一つの試合を通して、君たちが人間的成長を遂げる事を願ってジャッジをしています。勝ち負けの向こう側、いや勝ち負けの土台として、ディベートから君たちが人間的な成長を遂げることを心から願っています』
私たちは、生徒たちにディベートを通して、まさにこの人間的な成長を期待しているのである。ディベートは勝ったり負けたりする。それは、ディベートがゲームである限り当然である。しかし、これはプロの仕事とは違う。教育の文脈で行っている活動である。だから、人間的な成長を求めているのである。それをしつこく生徒に伝えようと思い、今年はこの言葉をすべての試合で言おうと思ったのだ。
(あ、また池田ジャッジは同じ事を言っている)
と思われる事が大事だと思ったのだ。そのぐらい記憶に残るぐらい話して、ちょうどいいのではないかと思ったのだ。
試合後、会場で見ていた多くのジャッジに声をかけていただいた。
「池田さん、ありがとう。よくあれだけキチンと言ってくださった。全く同感です」
言って良かった。試合を判定するジャッジも、試合を見ていたジャッジも、ジャッジの思いはみな同じだ。
◆
中学校の決勝があり、高校のベスト6に進出して決勝に出られなかった学校によって行われた即興ディベートがあり、高校の決勝がありと大会最終日は、切なく愛しい時間が過ぎて行った。
ここに至るまでのディベーター、チームの仲間の準備、顧問の先生の指導、親ごさんたちの協力などなどを考えると、実に気の遠くなるような時間と内容を容易に想像することができる。その一つのゴールがここである。さまざまな思いがここに凝縮されている。これが一つずつ終わる。愛しく切ない時間であった。
◆
試合後、歌人で元東洋大学の学長先生が、若者の感性と言葉に関する講演をしてくださった。これが良かった。東洋大学では20年前から若者の百人一首を決めている。毎年百首決めるのだが、今は6万通もの応募があるとのこと。その歌集の20年分の短歌から選りすぐりの歌について、解説をしてくださったのだ。
私も10年ぐらい前に、この歌集の存在は知っていていくつかの作品は読んでいたのだが、こうして主催している大学で、和歌の専門家の先生に解説を受けることができるとは思わなかった。
そして、これが実にいい講演であった。淡々と作品を紹介し、
「この作品は、ここを味わいたいと思います」
「この作品に、○○を読み取りたいと思います」
「ということで、この作品は三重丸なのであります」
とコメントを入れて行かれるのだが、作品の良さと相俟ってなんとも胸に響いてくる。
講演の後、イクトスさんと話したのだが、
「よかったよねえ」
と話しつつ、お互いに泣いてしまった事を暴露し合った。ああ、おじさんになっているなあ。同級生はいいわf(^^;。
その先生が質問に答える形で示されていた、いい短歌の作品を作る方法である。
1)一つの気に入った歌集を暗記するまで読み込む。
2)一つでも多くの作品を作る。
3)作った作品は、5年以上作品を作っている先達に批評を受ける。
うーん、多くの物に当てはまるなあと思う。ディベートだってその通りだ。いやあ、実にいいお話であった。
◆
お話の後、高校の部の決勝の講評と判定があった。岳南亭さんだ。大役を見事に務められていた。その後に表彰式や個人賞の発表、主催者からの挨拶、理事会、会場の片付けなどなどが続き、大会は幕を閉じて行くのであった。
理事の退任や新しい理事の専任などスタッフの交代もあった。私も一つの役職を引き受けることになりそうだ。ディベート甲子園、また、来年だ。
私は今日の宿の神田に荷物を置きに行くために、一足先に大学を後にした。
◆
「人間的な成長」についてもう少し語っておきたい。大会終了後のお疲れさまの会でスタッフに話した事だ。
私がこの大会ですべての試合で言う事を決めていたという話をした後に、なんで「人間的な成長」なのかといことについても話をした。
ディベート甲子園は、今年で13回目を向かえた。そのスタート前のことである。私たちには田畑寿一という仲間がいた。神奈川の中学校の社会科の教師で、ディベートがまだストックイッシュー方式を採用していたときに、反駁で議論を噛み合わせるための工夫として「反駁シート」というものを開発した仲間である。
その彼は、これからいよいよディベート甲子園が始まるという直前に、急逝された。私たちは我が耳を疑いながら、告別式に駆けつけた。田畑先生が担任をされていた生徒たちは泣き崩れ、それはとても悲しい時間であった。
その後、クリスチャンであった彼の人となりを教会の司祭が語られた。
「田畑先生は、お祈りのときにいつも三つの事を祈っていらっしゃいました。家族の健康、世界の平和。そして、生徒たちの人間的な成長です」
私は、この言葉を強く心に刻んだのだった。
◆
ディベート甲子園が勝利至上主義のような傾向が見られるようになっていくのを、私たちジャッジは悲しい思いで見ている。
そうじゃないと強く言いたい。ディベートを通して生徒たちが育つことをめざしているのだと言いたい。そのとき、強く言うための言葉を、私はこの数ヶ月探していた。そして思い出したのが、田畑さんの「生徒たちの人間的な成長」であった。
今のディベート甲子園のメンバーは、田畑先生のような方がいた事を知る由もない。しかし、彼がいなければ私たちのディベートに関する研究は進まなかったし、今日のディベート甲子園は存在しなかったであろうと私は思っている。そんな先生が大切にしていた言葉を、今のディベート甲子園に参加している生徒たちに、田畑先生の代わりに伝えることは、いまディベート甲子園に関わっているあのときからのメンバーの責任ではないかと、私は思うようになってきている。
さすがに一つ一つの試合の判定のときに、田畑先生のことを語る時間はない。だから、せめてジャッジやスタッフたちには知っておいてほしいと思い、ご苦労さまの会では言っておこうと思って、このことを語った。
(寿一さん、ごめん。13年も掛かっちまったぜ。でもやっと伝えたよ)
そんな思いだった。
◆
大会に関わり、このご苦労様の会に参加した一人一人が、大会に関する思いを語り、このご苦労様の会に来たくても来れずに帰ったメンバーのことを語り、感謝し合って、ご苦労様の会は終わった。
大学生になったディベート甲子園OBOGたちは、少ない小遣いを捻出して遠くから会場に駆けつけてくれている。社会人になったディベート甲子園OBOGたちは、少ない夏休みをこの大会の運営に使ってくれている。
スポンサー、大会関係者、協力してくださるさまざまな方たちのおかげで、こうして今年もディベート甲子園は終わる事ができた。
また、来年だ。
8/10 初日 二日目
8/10
初日のジャッジは中学校の一試合のみだった。
さあ、始まるぞという心地よい緊張感に満ちた試合だった。
主審を務める。
◆
試合後、各地の関係者、スタッフたちと懇親会。ビックサイトのときは、デックス東京。神田外語大学のときはニュー東京となんとなく集まる場所が決まっていたが、東洋大学に移っても水道橋の某所と、集合場所が決まりつつある。
水道橋のお店に、何となく流れて行く。そして、そこから後から合流するスタッフにも連絡する。なんだかんだ言って30人ぐらいは集まったかな。
ディベート甲子園も第十三回になれば、ディベート甲子園卒業生たちも立派に成長する。大会運営スタッフだったり、ジャッジだったりあれこれしている。
学校教育現場以外で教育活動に携わることは、それなりに負担だったりするが、こうしてここでも彼ら彼女らの成長の跡を見ることができるのは、本当にうれしい。
中には父親が私と同じ年というような大学生もいたりするので、複雑な思いもするが、やはり、うれしい。彼らがこの全国教室ディベート連盟を支えて大いに活躍することができる環境を、もう一度整備したいなと思う。
◆
この食事の時間に電話が鳴る。
嘗ての瑞雲中学校時代の教え子からの電話だ。
進路の相談について。
『そりゃあ、やるのがいいだろ』
と前向きに進む事を話す。
実は昼間も、瑞雲中学校時代の教え子が顔を出してくれた。軽音楽部で面倒を見ていた彼は、今では東大の大学院生。みんな立派になっている。いいぞ。
だけど、もがいている卒業生がいるのも、私は知っている。風の噂でいろいろとあるのは知っている。おい、もがいている諸君。頑張れよ。
◆
で、翌日。二日目である。
いい試合が多かった。
ではあるが、ジャッジの投票が割れる試合も多かった。
ジャッジが判定の規準にするポイントは一致するのだが、その評価が割れるのである。これは、ディベーターが自分たちの議論をきちんと伝えきれていないときに起こる現象である。
後一押しが、どちらのチームにもないため、ジャッジが割れるのである。丁寧な議論が大事なわけである。
この場合、丁寧な議論と言うのはディベートの場合、伝えようとして伝わらなかった場合、
(あのジャッジのやろう、言っているのになんでわからないんだ?)
とジャッジのせいにすることはできない。ディベートではジャッジに議論が伝わらない場合、ディベーターに伝える力がなかったからという立場を取る。一見非道な考え方だが、この考え方があるためディベートは伝える技術を磨くことができるとも言えるのである。
◆
一度ホテルに戻る。今回のホテルは結構居心地が良い。駅に近くて都会のど真ん中、各国大使館の間にあって静かだ。
ホテルの窓をたたくような音。どこかで花火だなあ。ネットで検索したら、今日は東京湾の花火大会だ。いいねえ、日本の夏。
◆
その後、再び出かけて行って食事。
さあ、明日は最終日だ。
8/9 今日からディベート甲子園
8/9
五時前に目が覚める。リビングの窓を開けて風を部屋に入れる。外は朝焼けだ。昨日の花火とはまた別の美しさである。
今日からディベート甲子園である。
◆
大学に移った事で、直接授業外で、学生を指導するという場面はかなり減った。というか、日本の教師は何でもかんでも指導をまかされているので、多すぎたのかもしれないが。いまは、授業に関わる指導がほとんどで、掃除や給食の指導なんてのはない。ゆとりがある。
もちろん、合唱コンクールや体育大会の指導がないというのは、大変さがない分楽ではあるが、しかし、ちょっと寂しいと言えば寂しいかなあ。ディベート甲子園に向けて自分のチームを持っていないというのも、同じだなあ。
◆
時間と言うのは、実に相対的なものだから、忙しいときはどんどん過ぎ去って行く。(あと一週間あれば、いやあと一日にあればもう少しいい議論を確定することができるのに)
と胃をキリキリ痛めながら指導に勤しんでいた時間は、あっという間に過ぎて行っていた。ディベート甲子園前の顧問である私は、夏休みなんて言葉は、どこかに言ってしまうほどのものであった。
全国大会の会場に入り、自分のチームがどこの学校と対戦するブロックに入ったのかを確認し、まだ一つも勝敗表に結果が書き込まれていない姿を見て、
(うしゃあ!)
と気合いを入れていたあの時間。
(ああ、この三日間で、これまでの今シーズンの指導のほとんどが終わるんだなあ)
と開会式が始まる前から変な感動をしたりしていたものだ。
◆
N700系に飛び乗り、品川を目指す。そこから白山にある東洋大学に向かう。
今年も、いいゲームに出会えますように。生徒の人間的成長に繋がるようなディベートが行われますように。
2008/08/10
2008琵琶湖花火大会
8/8
バスタブに熱湯を半分貯めて寝たおかげで、喉の調子は悪くない。今回はさらに気を遣って、枕元にコップを置いてそこに熱湯を入れたり、濡れたタオルを近くに置いたりもした。喉の調子が辛いままでの講座は、やる方も聞く方も辛い。
◆
赤塚不二夫さんがなくなった。その告別式が昨日行われた。タモリさんの弔辞が気になった。早速 you tube で検索し、テキストをニュースで求める。
朝から泣いちまったぜ。
最後の部分を引用する。
引用開始 ーーーーーーーーーー
私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。
赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の1つです。合掌。
平成20年8月7日、森田一義
引用終了 ーーーーーーーーーー
「私もあなたの数多くの作品の1つです。」
こんな人間関係を作れる人が、いまどのぐらいいるのであろうか。完全なる信頼と尊敬をこのようなことばで表せる人が、どのぐらいいるのであろうか。ひょっとしたらライターがいるのかもしれない。しかし、それでもいい。私はことばの力を改めて実感した。
朝から泣いちまったぜ。
◆
食事をして講座の会場に向かう。会場でゆっくりしていたら、受講される方がもう教室に集まっているとの事。あわてて向かう。おかしいなあ。どうやら事務局が私への時間をちょっと間違えたようであった。
講座開始30分前に到着していて良かった。本当は、この最後の30分でもう一度講座の流れを確認し、講座の入り方をシミュレーションするのだが、これは会場の教室に向かう廊下で行う事にはなったが。
◆
講座には、見慣れた顔が。
なんで? 北海道から受講しにきているとは。すごいなあ。
ウイークリーマンションを借りて、東京で研修三昧だそうだ。
研修そのものは、少人数でたっぷりと行う。少人数なので、普段話す事のない小さなエピソードまで話すことができた。
◆
昼ご飯を食べていたら、あちらこちらから最近の教育事情を話し合っている声が聞こえて来た。まるでアヴァンティの教授のように思わず聞き耳を立ててしまう。
(へ〜、やっぱりそうなの)
と心の中で大きくうなずいたり驚いたりしながら、食事を頂く。
◆
午後は、筑波大学付属小学校の白石範孝先生の講演。講座の導入の部分で、地震が発生。だが、ま、そこは地震になれている関東人。しばらく様子見つつ、何事もなかったかのように過ごす。
今回の講座は、読解力にかする内容だ。感覚で読むのではなく、原理原則を指導して読む力を育てようという提案。
原理原則を提案されることは、非常に大事な事だと思う。しかし、例として出された漢字の書き順について、私にはちょっと理解しにくいところもあったのは事実。原理原則は難しい。
他にも
(あ、これはあの団体のこの部分ね)
と分かる人が聞くと分かるの部分もあるが、丁寧にまとめられていて、講座の時間として設定されている一時間で伝えるとすれば、これ以上でもこれ以下でもないきれいなまとめだったなあと思う。
小学校の実践例をあれこれ勉強している最中の私にとっては、また別の意味でも面白かった。いい一時間であった。
◆
講座修了と同時に会場を後にする。
さ、2008琵琶湖花火大会だ。
◆
京都駅は恐ろしいことになっていた。
今風に言えば、「おそろー」であろうか。
琵琶湖花火大会に向かう人たちで溢れ返っていた。
多くの観客は、メイン会場である大津、浜大津方面を目指す。それは琵琶湖線。私の住まいは湖西線にある。ので、京都駅は混んでいても湖西線はそんなに混んでなかった。ところが、山科駅では超満員となる。乗れない人まで出てくるのである。年に一回ね。
大津京駅で招待客と待ち合わせて、家に向かう。大津京駅駅前は、この日ばかりは渋谷のようである。
◆
自宅で花火を見る。聖蹟桜ヶ丘でこの快楽を味わってしまってから、もうやめられなくなってしまった。眼下には数万人たちがいるのであろう。人ごみの中で見る花火も、花火の味わい方の一つである。しかし、自宅花火やホテル花火を経験すると、もう元に戻れないf(^^;。暑くなったらクーラーのある部屋から見る。トイレに行きたくなったら、すぐにトイレに向かう。もう、戻れない。
自宅花火鑑賞会で大事な事は、花火が始まる前にきちんと食事を済ませておく事である。最初の頃は、食べながら見よう、飲みながら見ようなんて思っていたが、それが無理なことはだんだん分かってきた。
花火が打ち上がると、もう食事なんてしていられない。飲み物を次に行く時間すら勿体ない。打ち上がるたびに阿鼻叫喚である。
去年の琵琶湖花火大会は、奥さんがもう既に里帰りをしており、奥さんもこの家から見る花火大会は初めて。娘も当然だが、初めて。花火が上がっても全然泣かないで、手を伸ばして掴まえようとしている。これは大物だ。お客さんたちにだっこされても全然泣かない。
この年に一回の花火を見ると、長生きしようと思う。一回でも多くこの花火を家族や仲間たちと見たいと思う。
◆
花火大会の後は、なぜかwii大会になる。
これはこれで面白い。
ひとしきり遊んだ後、お開き。
娘は興奮してなかなか寝付かなかったが、楽しい時間を過ごせたようだ。
さ、明日はまた東京。
ここから四泊のツアーが始まる。
2008/08/09
さあ、東京だ
8/7
涼しい風が一晩中比叡山から吹いてきていたので、気持ちよく寝ることができた。
さあ、東京だ。
◆
新幹線に乗り、ちょっと一息ついたらもう名古屋。早いなあ。そして、ここから仕事を始める。「2008授業づくりネットワークin仙台」の講座のテキストづくりだ。プロットはできているので、そこに肉を付ける仕事である。
気がついたら、熱海。新横浜で下車する予定なので着地地点を決めて励む。思ったよりも早く仕上がりそうだ。
新横浜からは、横浜線快速で八王子まで。行きつけの美容室に向かう。久しぶりに紙を切ってもらう。さっぱり。かれこれ彼には10年近く切ってもらっているんだなあ。
◆
JRで両国に向かおうと思ったら、事故だか故障だかで中央線が動いていないとのこと。慌てて京王八王子に向かう。まったくもって中央線は困る。
で、京王線の車内で新幹線で途中になっていた仕事を仕上げる。8/9の締め切りだったから、まあなんとかその前に仕上がったぞ。
◆
両国の江戸東京博物館では、書道展を見学。
すごかった。
王羲之の「蘭亭序」の神龍半印本が、初めて中国を離れて今回、本邦初公開である。書道をやる人間で、このお手本を模書、または臨書したことのない人はいないだろう。私も学生時代にずいぶん書いた。
さらに、中国を旅したときにこの「蘭亭」に実際に足を運び、流水曲しょうの宴をした場所を見たりもした。
私の義理の祖父、そして母の兄の叔父は書道を嗜んでいた。その二人が見たいと願っても見る事のかなわなかった、本物が目の前にあった。
会場は思ったよりも空いていた。私は「蘭亭序」を見るための列に三回ほど並んだ。時間を空けて、あれこれあれこれ見続けた。「本物」のすごさを改めて思った。
書道では、「目習い」ということばがある。いい作品をじっくりと見る事。そして、その先に「手習い」を行うのである。4世紀に書かれたこの作品は時空を超えて、今私の目の前にあった。これが1300円で見られるなんて、驚きでもある。
◆
もちろん、他にも黄庭堅(を、一発で変換)やらなにやら本物の作品が出品されていた。音声ガイドの解説を聞いていると「〜の時代を表しています」のような説明が割とあった。
うーんと唸ってしまった。時代を表すか。
その時代に生きている事を自覚して、文字を書いているのであろうか。そんな事はない。時代の評価はその人が生きているときには行うことができない。そうだとすれば、その人が必死に生きていることが、やがて後世の者が学ぶときに「〜の時代を表している」と評価される字を書いていたということである。
時代を表す書道作品。いろいろと奥の深い言葉だ。
◆
その後、デックス東京ビーチで行われている明日の講座の懇親会に向かう。デックス東京ビーチは、嘗てディベート甲子園が東京ビックサイトで行われていたときに打ち上げ会場としてよく使っていた場所だ。懐かしい。
私の講座は明日だが、大会そのものは今日から始まっている。会場には九州の菊池先生がいらっしゃった。講座を二日間担当されるとのこと。それから何人かの先生や編集者の方と名刺の交換をして軽く食事をして、新橋に向かう。
◆
新橋では、最初の中学校のときの最後の教え子たちが待っていた。卒業して、15年ぐらいか?わざわざ青梅から5人、私の東京行きに併せてやってきてくれた。もう、31歳だと。ひえー。
それぞれいい大人になっている。顔を見るとよくわかる。あのときに私がしていた授業を良く覚えている。ある元生徒が私がこんな話をしていたと証言。
『あ〜、諸君はタモリ倶楽部という番組を知っとるか?』
「知りません」
「あ、知っています!」
『何? そんな時間まで起きていないで早く寝なさい!!』
『ではあるが、空耳アワーってのが面白いんだな(^^)』
という話をしていたとのこと。なんてことを覚えているんだ、この子たちはf(^^;。しかし、まだタモリ倶楽部は続いているし、彼ら彼女らはタモリ倶楽部の面白さが分かると言う。いいともではなく、タモリ倶楽部が面白くなったら大人という定義が世の中にはあるようだが、彼らも大人になったわけだ。
(そういえば、今日、タモリさんは赤塚不二夫さんの弔辞を読んでいるんだよな。どんなだったかな)
と思う。
◆
車の話、彼女の話、合コンの話、奥さんの話、仕事の話・・・。
尽きる事なく話は続く。
あの頃のレクリエーション大会の話、あのときの授業の話もでる。
あの授業が忘れられない。もう一度受けたい。中学生の感性ではなく大人の今受け直してみたいなんて言ってくれる。私はこの子たちに授業を提供しつつ、自分が学び、成長して行った事をよく覚えている。
今だから話せる事と言うことで、何のためにあの授業をしていたのかという「授業の種と仕掛け」についても、求めに応じてあれこれ話した。
「そーだったんですか!!」
とあれこれ言われる。
『そーだったんですねえ』
と、にんまり。
「先生、あの頃の先生は何歳ですか?」
『ん、もちろん今の君たちよりも年下だよ』
「ひえ〜」
「もう一度先生の授業を受けたい!」
『京都にくるか(^^)。授業の課題は多いぞ』
楽しい時間はあっという間に過ぎ、11月に本格的にやる同窓会に出席してくれと言われ、スケジュールが合えばねと話したところでお開き。青梅に帰る最終電車が迫っているとのこと。
機関車の前で記念写真を撮って、サヨナラ。
元気で過ごせよ。
◆
ホテルにたどり着く。
うーん。すごい一日だ。さっさと寝よう。明日の講座は2時間だ。
2008/08/02
『中等教育におけるディベートの研究』
『中等教育におけるディベートの研究 〜入門期の安定した指導法の開発〜』(池田修 大学図書出版 193p ISBN978-4-903060-36-1 C3037 ¥2000E)という本を上梓することができた。私の修士論文を元にして書き上げた初めての学術書だ。
今年の三月に仕上がっていたのだが、校正がうまく伝わっていなくてこのまま世の中に出す事は出来ないということで、さらにきちんと校正し直して出版の運びとなった。
ですので、もし、最初の本がお手元にある方がいらっしゃいましたら、交換させていただきます。
◆
書き上げた時間は二ヶ月半であるが、研究に費やした時間は10年である。
ディベートではなく、ディベート指導。それもディベートの入門期指導にポイントを置いて研究してきた成果をまとめた一冊だ。私が開発したシナリオ方式、改良シナリオ方式の指導に至るまでの過程を明らかにすることができたと思っている。
要旨と目次は下記のURLにある。(小書作成のためにレイアウト変更等があり、ページはずれていることもある)
注目していただきたいのは、第二章と第三章が、目次レベルでも一対一対応になっている点である。
http://homepage.mac.com/ikedaosamu/summarycontents.html
◆
私は生徒にも学生にもこんなことを話している。
『論文は、主張が題名で、根拠が本文である』
だから、『中等教育におけるディベートの研究 〜入門期の安定した指導法の開発〜』としたところで、ディベートに興味のない人は読まない。それでいい。
そして、タイトルに興味を持って読む人が次に見るのが目次である。目次の中のいくつかの項目が自分にヒットすれば、その項目だけを読む。
実際私が論文を書くとき、上記のような方法で読むことが多い。だから、自分が論文を書く時も、読んでくれる方、引用してくれる方にとって分かりやすい方法で論文を書こうと思ったのだ。
第二章の目次を読んでいただいて、興味を持ったところに対応した第三章を読んでいただければ良いように書いている。
もちろん、全体を読んでいただければ、それはそれでとてもうれしい。
お手元にされた方、ご批判いただければ幸いです。
wiiのマリオカート
昼前に大学に向かう。前期のまとめの事務仕事である。本日はオープンキャンパスだ。私は講義をする予定がないので、せっせと事務仕事をする。さらに、教育実習の事後指導などもあれこれと。
◆
それにしても暑いなあ。
京都は七月中は毎日夏日だったとか。
大阪、京都、大津とだいたい二度ずつ気温が違う。
大阪が36度ある時は、京都は34度。そして、大津は32度である。夏も冬も同じく二度ずつ違う。面白いもんだ。
◆
夜、wiiのマリオカートに没入。
しかし、これはすごいソフトだ。
wiiはインターネットの端末としても使えるようになっている。というか、インターネットからニュースや天気予報の情報を取り入れて流している。朝、テレビでニュースを見るよりも、流し込みで流れてくるニュースを見ている方が、面白かったりする。
で、このwiiのマリオカートである。インターネット回線を使って、日本中の、いや、世界中の相手と対戦できるのである。しかも、無料。私なんぞへたくそだから、12人でレースをやって最下位でなければ満足ってな感じだ。
ただ、この取り扱いと言うか指導と言うか、そういうのをきちんとしないと子どもたちはのめり込みすぎるだろうなあと思う。面白すぎるからである。私は、早朝、朝、昼、午後、夕方、夜、深夜とそれぞれ接続してみたが、どの時間帯であっても日本中で、世界中でやっている人間がいる。ということは、抜け出しにくいと言う事である。
下記の新聞記事も分からないではない。
引用開始 ーーーーーーーーーー
【子どもとゲーム/4 終わりなき仮想に夢中】
難民キャンプの子どものように、か細い足だった。トイレに向かう高校生の長男の後ろ姿に、母は息をのんだ。部屋にこもり、ネット上で複数の人が同時参加するオンラインゲームを一日中続ける生活を始めてから1年が過ぎていた。家族と食事もとらなくなり、自室でパンをかじるだけ。「おなかすかない?」。恐る恐る呼びかけても返事はなかった。
長男は不登校で約3年ひきこもった。19歳になった今振り返る。「歯も磨かず、風呂にもほとんど入らなかった。冬は指がしもやけになり、キーボードをたたくと痛かった」
寝食も忘れオンラインゲームにのめり込む10〜20代の若者が増えている。日常生活が送れなくなると「廃人」と呼ばれる。
不登校の相談を受けるNPO法人「教育研究所」(横浜市)。ここ数年、ゲームがからんだ不登校が目立つ。牟田武生理事長は「特にオンラインゲームは、匿名の世界で仲間意識をはぐくめる居心地のよい空間で、抜け出せずに不登校が長期化するケースが多い。不登校は情緒の不安定な子に多いのが定説だったが、ゲームが高性能化して面白くなり、そうではない子が不登校になっている」と指摘する。
□ □
なぜそんなにオンラインゲームに夢中になるのか。仲間と武器を集め、モンスターを倒し、宝物を手に入れる。「普通のゲームと違い、終わりがない。経験がないと倒せない敵や何百回も挑戦して開く宝箱がある」。大阪商業大アミューズメント産業研究所の松村政樹副所長は指摘する。
家庭環境をきっかけに不登校になり、4年間オンラインゲーム漬けの生活を送った少年(18)は「いつも4人の仲間と行動していた。顔を合わせないので素のままの自分が出せて楽だった」と言う。
「強くなれば尊敬された。あいつと一緒だったら倒せる、と言われうれしかった」。埼玉県の私立大生(22)は、高校1年の時に不登校気味になった。自己実現の場となったゲームだが、やめると強い不安に襲われ、寝るのも怖くてやり続けた。
5カ月後、友達から何度も誘われて合唱部に参加、部活が楽しくなって学校に戻れた。「リアルな世界で必要とされれば、ゲームを手放せる」。教員を目指し勉強中の今、そう実感している。
□ □
首都圏の国立大のある理工系学科では5年前から、授業に出ずオンラインゲームにのめり込む学生が現れた。ゲームに没頭したことによる留年者が毎年5、6人はいる。
別の国立大の男子学生(21)もゲームに夢中で留年が続く。1人暮らしの部屋は荒れ放題で、ガスも止められた。保健所、大学、精神科医、民生委員……。母親が相談に回ったが解決法は見つからない。「ゲーム依存が病気だと理解されず、説明するだけで疲れました」
韓国と中国では、長時間プレーした末に突然死する若者も出た。韓国では国が若者向け相談所を作り、ネット依存対策に取り組む。日本では約500万人とされるプレーヤーのうち「廃人」がどれほどいるのか、公的な調査すらない。=つづく
http://mainichi.jp/life/edu/mori/news/20080725ddm002100067000c.html
毎日新聞 2008年7月25日 東京朝刊 新教育の森より
引用終了 ーーーーーーーーーー
マリオカートの場合は、対戦は出来るがコミュニケートできるシステムは作っていないのは、上記の問題を想定しているのかとも思う。さらに、マリオカートの場合は、レースごとに電源を切るきっかけが与えられるが、オンラインのロールプレイングゲームでは、これが難しい。由々しき問題である。
しかし、これを逆手に取る事は出来ないか。オンラインのロールプレイングゲームの学習である。これが可能になれば、エンドレスで子どもたちは学習を続けるのである。
ま、それはそれで恐ろしいが、そんなことも少し考えている私である。
2008/08/01
ただ、あなたの優しさが
午後から大学へ。授業は昨日で終わっているが、学科の会議である。学科の立ち上げと言う事で、あれこれあれこれ決めなければならない事がある。もちろん、この決めると言う作業に立ち会える事が、うれしいわけである。しかし、それにしてもちょっと多いかなあf(^^;。
私は新設の中学校に入学した。武蔵村山第三中学校である。その時、その中学校で教えてくださった先生が仰った事はある。
「いろいろ大変だけど、学校をゼロから作るのは面白いんだな」
ということだ。私は、いまこれを体験している。教員としてこれに立ち会えるのは、やはり幸せな事だ。
◆
会議のあと、研究入門ゼミで面倒を見ていた一回生のクラスから、前期打ち上げパーティにお招きを受ける。「池田修先生に感謝する会」なのである。
時間になったので会場の調理室に行くと、学生たちが両手で歓迎ゲートを作って待っていてくれた。うーむ、そこから来たか。
食事会とゲームの会の二部構成になっていた。
食事は、おにぎり、フルーツポンチ、チーズフォンデュ、チョコフォンデュなどである。さすが学生である。チョコと一緒におにぎりを食べられるのである。
もちろん、ノンアルコール。健康的である。しかしまあ、なんというか、大学は二浪して入ってきてほしいものだf(^^;。
◆
せっかくなので、私の方からも料理をプレゼントする。魚料理。最近こればかりのような気もするが、美味しいし、学生たちも自分で簡単に作れるので紹介するのである。
今日はめでたい日なので、鯛をチョイス。二匹用意したが奇麗になくなった。残ったオイルもフォンデュの為に用意したパンを浸して食べる。オイルフォンデュである。
◆
その後、ゲーム大会があり、さらに学生たちから替え歌のプレゼントを貰う。この歌がなかなかであった。私の青春時代とちょっとその前の歌をチョイスして、替え歌にするのだが、その替え歌の歌詞が日頃の私の小言なのである。
中には「神田川」があった。ちょっと私が優しくした時の事を取り出して、「ただ、あなたの優しさが怖かった」と歌う辺り、なかなかブラックでよろしい。
せっかくなので、お礼に私もギターを取り出して数曲歌った。まさか、大学でこうしてギターでクラスの学生たちに歌うとは思わなかった。ま、これもいいだろう。
◆
「最後に先生から一言、お願いします」
と言われたので、
『一言だな。うむ。勉強しろ』
と言ったところ、もう少しと言われたのでいくつか話をした。
『一回生のCクラス諸君には、チームを作ってあげたいと思って指導をしてきた。いろいろなところから集まってきた諸君である。居場所としてのチームを作ってあげたいと。そして、後期は新しい先生がアドヴァイザーになる。きちんと指導を受けなさい。
二回生になると、一回生の時のクラスを引きずる部分もあるが、新しいクラスでしっかり学びなさい。
一回生は、(このクラスで良かったなあ)というクラスを作りなさい。二回生は(二期生で良かったなあ)という仲間を増やしなさい。三回生は(児童教育学科で良かったなあ)であり、四回生は(京都橘大学で良かったなあ)となりなさい。そうなるように、勉強しなさい。これは与えられるものではなくて、自分と自分の仲間で獲得するものです。
大学は、意欲のあるものが学べる場所です』
んなことを話した。
◆
集合写真を撮り、クラスの掲示板にアップロードしている間に、学生たちは会場の片付けも終わらせていた。気持ちよくおしまいである。
いい夏休みを。
◆
前期の私の授業と学生たちとの楽しい時間は、これでおしまい。
しばらくは、事務仕事に没入して、その後八月前半の講座やディベート甲子園、授業づくりネットワークへと向かうことになる。
さあ、八月である。
2008/07/31
みんなで応援しているぞ
研究入門ゼミでは、合同で30分。その後、4回生の模擬授業を受ける。この学生の採用試験の二次試験が模擬授業なのだが、そのレッスンの様子を一回生に見せようと思ったのだ。
10分の模擬授業を作りこれを実際にやる。簡単なようであるが、学生たちに実際にやらせてみると2〜3分でダメになる事が多い。受ける事と授けることでは、全く違うのである。学生たちは、小学校から大学まで基本的に、授業を「受ける」ことばかり
一回生の諸君には、四回生の本番を想定した模擬授業は非常に鮮烈な印象を与えたようだ。
(三歳年上だとこんなに出来るのか)
(自分には出来るのであろうか?)
という感想が多かった。
私から見ると、まだまだのところがあったので、10分の授業のあと、20分間指導を続ける。立ち位置、言葉遣いなどから始まりあれやこれや。今頃彼女は、新幹線の中だろう。
おーい、頑張れよ。みんなで応援しているぞ。
◆
学生部委員会会議、教授会、文学部懇親会と続く。
文学部懇親会では、文学部にある5学科の新入生キャンプの取り組みを紹介し合う。
昨年の児童教育学科一期生のときに私が導入した新入生キャンプでの、フォトストーリーでのまとめを、今年は文学部の5学科すべてで行うことができたのだ。
3月に各学科のオリター諸君を集めて、私がフォトストーリーの講座を行った。それを元に、学生たちが作品をつくり、学科ごとに上映会を行い、保護者説明会やオープンキャンパス等でも見せて、教員たちも見合ったのである。なかなか之で着映えであった。このフォトストーリーは更なる展開をさせたいと思っている。
文学部には5学科があるが、それぞれが何をしているのかを交流する時間はなかなかとれない。交流のためのいろいろな構想があるのだが、まずは、こうやって確認し合うというのはいい試みである。そして、これからの文学部をどうつくって行こうかと問題点を出しながらあれこれ話し合ったのであった。
みんなでいい文学部を、いい大学を作ろうとしている。
その一員である事をうれしく思う。
◆
思ったよりも早く家に到着。
玄関の鍵を開ける。
娘がその音に反応して、廊下をダーーーーッとハイハイしてくる。
うれしいなあ。
2008/07/29
叩き付けるような雨
研究日。
朝、ゴミを出しに行って帰りにマンションにある東屋で寝転がる。娘を一緒に朝の散歩に連れて行くので、娘も一緒に転がる。寝転がった私の上を乗り越えようとして、乗りかかってくる。
少しずつ成長している娘だが、来年の今頃はこんな風にして私の上に載ってくることはないだろうなあと思い、ちょっと寂しくなる。まあ、いまたっぷりと上らせておこう。
東屋を通り抜ける風は心地よい。しかし、ちょっと風が強くないか?
◆
午前中は家であれこれ。前期のまとめの事務仕事をやっていたところ、琵琶湖の様子がおかしい。すごい風だ。見ていると雷も。練習をしていた大学のヨット部があわてて戻ってくる。その途中でひっくり返って流されているのも。
叩き付けるような雨も。対岸は見えない。マンションの上の方からいろいろなものが降ってくる。風がすごいのだ。私は三階のベランダにいたのだが、これは上の方の人は怖いだろうなあと思う。
◆
どうしようかと思ったが、この雨である。窓を開けている人はいないだろうと思い、ベランダの掃除を始める。水を流してデッキブラシで磨く。晴れている時だと、窓を開けている人もいるだろうから、場合によっては水が掛かってしまうかもしれない。しかし、嵐であればそれはない。気分転換にもなったしきれいになったし良かった良かった。
◆
午後から研究室に。やらねばならぬ仕事の資料が研究室にあるので雷雨を縫って出かける。こういうときに限って雨だなあf(^^;。
しかし、集中して行えたので予定よりも早く終了。なんだかなあ。
◆
夜は、学生たちの慰労会。去年の国語科教育法受講生で、教育実習に行った学生たちとの食事会である。本当は、鴨川の床を予約していたのだが、この大雨で急遽キャンセル。鴨川ではなく山科で行う事とした。
大雨のせいで電車は大幅に遅れたが、1本前の電車がちょうど駅に到着。結局時間通りに到着。電車の間隔があいている湖西線ならではの技である。
実習後の学生たちは、やはり成長していてなかなか面白い。実習の反省もそこそこに、恋バナで盛り上がる。お年頃だもんね。
2008/07/27
「明日の教室」は、北川達夫さん
昨日の「明日の教室」は、北川達夫さん。あるお仕事を一緒にしたことがあり、是非、お越し頂きたいと声をかけたところ快諾してくださった。
じっくりと3時間30分。演習二つと講義。PISA型学力についてである。いま、PISA型の学力の解説と問題作成演習をお願いしたら、北川達夫さんは間違いなく日本一だろうと思う。
PISA型学力観は、教育の文脈で語られる事が多いが、これはあきらかにOECDのもの。つまり本来は経済の文脈で語られなければならないものである。そこいらのことをきちんと説明されるあたり、私はすっきりである。
◆
講座の切れ目で、あれこれと質問をする。私は若い頃から割とこういう質問はしてきた。個人的な質問はしないのだが、この質問が参加者のメリットになるではないかと思われるもので私も疑問に思うものは、どんどんしてきた。
そのうちの一つが北川さんにかなりヒットしたようで、これが面白く転がると、一冊の本になるかもしれない。楽しみだ。
仙台の授業づくりネットワークで、もう一度講座を受けることができる。その時もこの観点で聞こう。あと3回ぐらいは聞きたい話だ。
◆
で、終わってから懇親会。今回の明日の教室には、私が担当している一年生クラスから4人ほど参加していた。そのうち、二人が懇親会人参加。どんどん名刺を配っていた。それでいい。
私は参加者が北川さんと、あれこれ話しているのをぼーっと見ながら、非常に心地よい思いでいた。
やっぱりこの研究会はいい。若い教育者が一つの事に凝り固まる事なく、あれこれの力をつけるきっかけをつかめる。これでなければダメという考え方ではなく、あれもこれも学んで、情況に応じて使い分ける。そのための学びの機会を明日の教室では提供したいなあと思う。
◆
二次会まで参加して、さらにあれこれ話して、きちんと終電で帰宅。
良い子であった。
2008/07/26
「エーデルピルス」を気持ちよく頂く
前期の国語科教育法1の授業が終わった。
少人数でみっちりと指導することができたのではないかと思っている。大学に出かける時、
『今日は断酒する』
と言って向かったが、
『すまん。1本だけ飲む』
となってしまった。やっぱり、充実感がある。最近お気に入りの少し冷やした「エーデルピルス」を気持ちよく頂く。
今日から近くのホテルで打ち上げ花火が始まった。これを楽しむ。ああ、夏である。
◆
国語の授業のなんたるかを、私が教える事が許されている時間は前期後期で合計、30回である。どうやって授業を組み立てるかあれこれ考えている。むろん、30回でなんて教えられるわけがないという声が私の中から聞こえてくるが、それに「んだ」と答えてしまっては敗北である。所与の条件に応じて組み立てる事をしなければならない。
前期は、学校教育現場で子どもたちが国語の授業について不満に思っている指導、または、若い先生がつまづく指導のトピックに絞って、そのレッスン方法をレッスンするということを柱にして行ってきた。国語の場合は、「やれ」という単純な命令になりがちな課題のさせ方について、きちんと指導しようという立場でやってきた。
後期は、学生たちが実際に行う事がメインになる。山場は模擬授業である。毎年学生たちは必死になって授業をつくる。ここができなければ、教育実習なんて片腹痛いわけである。昨日の授業は、この後期への橋渡しをするようなことも行った。
◆
30回しか授業がないので、大学生といえども夏休みの課題は出す。そのうちの一つは次のようなものである。
引用開始 ーーーーーーーーーー
次の三冊の中から一冊選び、よく読む。その本をネタにした国語の問題のプリントを作る。A4一枚。横置き縦書きとする。授業の導入で10分程で使えるものを想定する。授業学年は各自設定の事。
・『白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい』(小山鉄郎ら著 共同通信社 1050円)
・『日本一愉快な国語授業』(佐久 協 祥伝社新書 819円)
・『コーヒー噴いたー2ちゃんねるの笑える話』(2ちゃんねる新書編集部編 ぶんか社 840円)
引用終了 ーーーーーーーーーー
どんなものが出来上がってくるのか、楽しみである。これらの本は、面白い。面白さには、exciting,interesting,funnyの三種類があると思っているが、上記の本は国語に関してこれに対応した面白さがあると思っている。特に、『コーヒー噴いた』では、ユーモアを学ぶ教材がつくれる可能性があるので、楽しみだ。
◆
私の授業も、あと7/30を残すのみだ。
2008/07/24
学校の可能性、授業の可能性
基礎ゼミは、今日の授業で前期はおしまい。はい、本学はきちんと授業規定を守り、前期十五回は授業時数を確保しております。後期は授業担当者が変わります。
◆
本日のテーマは、「前期のふりかえり」と「子どもを取り巻く情況について考える」であった。
前期は、『おとなが子どもと出会うとき、子どもが世界を立ちあげるとき—教師のしごと 』を読みながら、教育実践の事実を文脈の中から読み取るということを中心に行ってきた。
「他人と他者はどう違う?」「正しいとは、何?」「ボランティアをする側とされる側の関係は?」などなど多くの議論を行ってきた。さらには、竹内常一先生に直接本学までお越し頂いて、授業をしていただくこともできた。贅沢な時間であった。
◆
そして、「子どもを取り巻く情況について考える」である。何をしたかと言えば、wii sportsとマリオカートとDSである。大学の広い教室のスクリーンを使ってやった。
なんでこれが授業なのかと言えば、学生たちがあまりにも子どもたちがハマっているものを知らなすぎると言う事が分かったので、実際にやってみることにしたというのである。
子どもは「好きな事をしているとき」「やならなければならないことをしている時」「やりたいことを我慢しているとき」の三つの表情をもっていると思う。授業は通常このうち、「やならなければならないことをしている時」「やりたいことを我慢しているとき」のどちらかであることが多い。だが、教師はこの顔ばかり見ることになる。それじゃ子どもたちが可哀想である。いい顔も見てあげなければ。
じゃあ、なんでハマるのかということを実感しようと言う事から、やってみた。授業の一貫として。子どもの実態を知るということは、教育ではとても大事な事である。wiiなんて遊んでいるように見えるだろう。実際遊んでいるのだから。
だが、その遊びを分析し、子どもの気持ちを理解し授業づくりに活かし、学級経営に活用する力は、教師にはとても必要な力であると私は考えている。
◆
結果としては大盛り上がりであった。おっきなスクリーンにすばらしい音響設備。そんじょそこらのゲーセンでは太刀打ちできないゲーム環境である。私は嘗て音楽室にあったLDを映すための大きなテレビでマリオカートをやってみたことがあるが、これはかなり面白かったのを覚えている。それを遥かに越えていた。
学校と言うのは、考えてみれば何でも揃っている。設備も専門家もである。だからうまく運営すれば、テーマパークになったり、遊園地になったりもするのだと思っている。要は、運営の仕方なのである。
新人の教員がいきなりwii大会を学校で開くというのは、可能なのかどうなのかはわからない。ダメと言われればダメだろうし、一方でDSで英単語の学習があったり、保護者たちは自分たちもやってきているので違和感が少ないのでできるのかもしれない。
だが、今日のゼミで学生たちは学校の可能性、授業の可能性を改めて理解したのではないかと思う。
◆
授業のまとめでこんな事を話した。
『君たちの、ライバルはこれです。ほとんどの子どもたちは、これを楽しいと思うはずです。これを一日中したいと思うはずです。それは実感できましたね。
君たちは、これを越える授業と学級を作らなければなりません。ライバルは、これです。面白くって力がつく授業。楽しくって居心地のいいクラス。それを作るのです。(wiiもしたいけど、学校の方が面白いもんな)と子どもたちが思う授業とクラスを作るのです。これがライバルです』
学生たちの楽しんだ顔が、少し引きつっていた。
◆
授業後、さらに何人かの学生と話す。
『これだと、子どもたちが「約束の1時間が来たから電源を切って」というのが、なかなかできないのが分かった?』
「はい」
『ま、ワープロを1時間書いて、セーブもしないで時間だからやめなさいと言われるようなものだからねえ』
「でも、時間を守らせるにはどうしたらいいのでしょうか?」
『1日1時間とするやり方もあるし、一週間で7時間とするやり方もあるよね。子どもに選ばせると言うのもあるよ。1時間を目安にしてセーブしやすいところで終える。その時間を記録して管理させると言う方法だね。これは勉強時間にも言えるわけ』
「なるほど」
『だから、うまく指導すれば子どもたちの時間管理の学習にも使えると思うのだよ』
もちろん、学生の勉強時間の管理に関しても言いたかったが、ま、それは蛇足なのでそれは言わない私であった。
後期も懸命に学べ。
2008/07/23
「自由に使える読書感想文」
http://www2k.biglobe.ne.jp/~onda/
しかしねえ、このHPはどうなのだろうか。「自由に使える読書感想文」だ。
子どもが成長する機会を阻害しているとも言えるし、促進しているともいえるのか?
私は読書感想文を書かせた事はない。感想文ではなく、意見文を書かせてきた。呼んだ上で、文章を引用させ、それについて意見を書くのだ。
2ちゃんねるは、ある意味「事件の引用」+「意見文」になっている。だから書きやすいのだと思う。「読書感想文」も同じようにすればいいのにと思っている。
だから、やっぱり子どもの成長する機会を阻害しているのだと思う。
2008/07/19
すみませ〜〜〜〜〜〜ん!!
書写の集中講義である。1限と2限に同じ内容を行う。本当は一回で済むのだが人数が多いので二回に分けて行う。
本日は、自分たちが書いてきた作品を交換し合って、朱筆で添削をすると言うもの。人様の作品に赤を入れると言う事の重さを体験させることになる。
子どもたちの中にはお習字教室に通っていてうまい字を書くものもいるだろう。その字に、先生は朱を入れる。入れただけではない。その朱の入ったお習字は、家に持ち帰られて保護者に確認される。時には、一年中教室に飾る事にもなる。
人様の作品に朱を入れるということは、そういうことなのでもある。
なので、大変なのでいろいろな技を教える。
表技、裏技、コツに練習法とあれこれ。90分の授業ではここが限界である。だが、それだけでも見違えるようにうまくなった学生たちが現れた。良かった良かった。
◆
2限の授業終了後
「すみませ〜〜〜〜〜〜ん!!」
と言いながら座り込んで入ってくる学生二人。
『?』
「3、4限と間違えていました!!」
彼らは大学にいて軽音楽の練習をしていたと言う。
学生諸君が必死に授業をしていたその時間帯に、
「おい、リードに合ってないぞ」
とか言いながら軽音楽の練習をしていたそうだ。
おいおい、授業時間に合ってないのは君たちだ。
見事に欠席。
ま、来年も頑張れ。
◆
昼ご飯を食べて、3限。
ここはもう大サービスの時間。自分の字が書けない学生は個人レッスンをするぞとしてやってあげた。突然だったので人数は少ないが、その少ないのを活用してみっちりと。文字の勘所をつかむと、ぐっとうまくなる。せっかくなので平仮名も教える。良かった良かった。
字のうまい先生が小学校の教壇に立つ事を、私は本当に願っている。毎日その先生の字をずっと見て授業を受ける。子どもたちはその字のように字を書く。先生がうまければ、それだけ子どもたちがうまい字を書くようになる。
だから、鍛えたいと思っている。
◆
その後、一度家に帰って京都駅へ。ディベート関連でちょっと打ち合わせ。ホテルグランビアのラウンジで。とても混んでいました。京都は、とても暑い一日でした。
蝉時雨が心地よかった
午前中から昼過ぎにかけて某所で、新学習指導要領に関連するお仕事。算数と理科が大きく変わったなあと改めて思う。増えたのではなく、今までが少なすぎたのかなあとも。
◆
授業の前にあれこれと学生からの質問に答える。
「先生は、好きなスイーツは何でしょうか?」
「先生は、和食と洋食ではどちらがお好きでしょうか?」
「先生は、・・・」
なんのこっちゃと思うだろうが、これも大事な授業の一環。夕食会の企画書を作るためのリサーチなのである。教師は幅広い年齢層の人たちと関わる。小学生からおじいさんおばあさんまで関わる。他者へのアプローチの仕方、理解の仕方を学ばないとやってられない。
夕食会では、私を一人の他者として考え、リサーチの上楽しませるのである。
◆
国語科教育法では、句会を行う。
俳句の授業は、句会で行うのが最も楽しくて力がつくと考えている。
名前を隠して、作品そのもので選び合う。
二物衝突(取り合わせ)がわからない学生がいるが、ここが理解できないと俳句にならない。作品を批評する中で解説を加えて行く。作品に対する批評は辛口になる。しかし、どこがおかしいのかをきちんと説明し、こうしたら良くなると言う事を示す事が、大事である。
◆
実は、句会の指導で一番難しいのは、この宗匠のコメントなのである。私はジャパンライムから「句会をしよう 〜俳句をつくる、楽しむ、評価する〜」
というDVDを出しているのだが、このDVDの監修をしてくださった東京学芸大学の大熊徹先生に、
「池田先生のコメントが的確だったから、二回目の作句では見違えるように良くなりましたね」
と言っていただいたことがある。
私が一番力を入れているところを評価していただいて、とてもうれしかったのを覚えている。
宵山に 祇園を走り 決意する
この句が今回の正選句の第一位に選ばれた作品である。私も、この句は気に入った。この句について、参加者であれこれあれこれ話した。面白かったなあ。これが句会の醍醐味である。
◆
授業後いくつかの学生の相談を受け、校舎を出た。すると二階のバルコニーに学生たちが集まって何やらやっている。よく見るとお習字である。明日の国語概論の書写で出してある課題を懸命にやっているのだ。
蜩の鳴く夕暮れのバルコニーで、懸命に筆をとって課題に勤しむ学生たち。なかなか良い絵であった。これは通り過ぎるわけにはいかないと思い、少しずつ指導する。すると、ちょっとの指導でグンと良くなるのが書いている本人にも分かる。
「いやあ、マジでハマってきた」
と言いながら、書き続けてる学生たち。
(そうそう。このちょっとの指導で子どもたちが伸びるわけね。将来は私の役を君がやるんだよ。しっかり実力をつけるんだぜ)
と思いながら、指導を重ねた。
蝉時雨が心地よかった。
2008/07/17
しかし、授業も熱い
ふう、暑い。京都は35度である。
しかし、授業も熱い。
◆
基礎ゼミで、テキストリーディングが最後を迎えた。二回目の読み込みなので、テキストから発展した扱いもしている。
今回は「男の先生のイメージと女の先生のイメージの違い」を扱ったグループがあった。なんでこんなことになったかと言えば、実践記録を読んでいるとき、てっきり男の先生の実践記録かと思っていたら、女の先生だったということがあったのだ。
それで、何がこの「男らしさ」を醸し出しているのかということで、テキストだけではなく、イメージの世界から探ってみようと言うことになったのだ。
私が今まで出会った女性の先生で、すごいなあと思う先生は、男の先生のすごさと似ている場合が多かった。二三名だけ、女の先生としてのすごさを感じさせてくれた。まだまだ社会は男社会である。だから、その社会で認められるためには、男の所作を身につける必要があるのかもしれない。
しかし、私は女の先生にしかできない指導があると思っている。その事を、この授業で考えさせたいと思った。
そしてもう一つ。男の先生であったも女性的なもの。女の先生であっても男性的なものを活用する必要性のある事も示したかった。
◆
もう一つのグループは、ボランティア活動について。ボランティアは、クリスチャニアのもの、儒教的なもの、仏教的なもの、国家体制的なものとさまざまな文脈から現れる。もちろん、民主的なものからも。
で、実践記録は国家体制的なものから民主的なボランティアへと、くぐり抜けて行く姿を描き出しているのだが、この読み取りは非常に難しい。それに挑戦させた後の、今日はこんなテーマであった。
「ボランティアをする側(A)と、される側(B)との関係を図示してください」
というもの。
これは面白かった。
図示すると、簡略化できる一方で切り捨てられる概念が生まれる。分かりやすさは危険であるということを考えるきっかけになったのではないかと思う。
それにしても、この「ボランティアをする側(A)と、される側(B)との関係を図示」という発想は面白く、5つのグループは全部違う図を描いていた。思わず私も参加してしまった。
ただ、一つ気になったのは、学生たちは「ボランティア」というとする側にしかたっていない感じであった。される側の経験があるはずなに、それに気がついていないということだ。ここに気がつくともっと豊かになれるなあと話す。
◆
昼休みにコース会議を行い、3限、4限と学生の指導。
一人は書写の指導から進路の指導へ。あれこれ話すあれこれ聞く。もう一人は、夏休みにじっくりと本を読みたいのでアドヴァイスが欲しいとの事。家本芳郎先生を紹介し、私の研究室にある本を見てみる事を勧める。その後、今やっている活動のことをあれこれ聞く。それに対して、私がしてきた事を元にしてあれこれ話す。
いま、自分が何をするべきなのかを理解して実行しようとし始めた学生たちである。夢の実現のためのガイドは、今の私の仕事である。
財務報告会があった
授業のあと学生の相談等に乗る。さらに事務仕事、教授会と続き、その後、学園全体の財務報告会があった。本学は、早くからHPで学園の財務情況を公開している。この10年ぐらい前の財務の状態から、今の財務状態を説明し、今後の学園の進む方向を考えると言うものである。
◆
財務関係のことは、私には全く分からない。説明を聞いて、配布された資料を見ながらお金の流れを追いかけて、ははあと分かる程度である。
しかし、これを仕事としてやっている人が社会にはたくさんいることを思うと、つくづく
(私は、会社員にならなくて良かったなあ)
と思う。私にはできない。
◆
本日、「いい先生になろう!!」という京都橘大学児童教育学科ブックレットが完成した。私は生徒指導と国語科教育について書いた。完成したので他の先生が書かれたものも読めたのだが、これが実に良い。
自分たちのテリトリーの物を褒めるのもなんだが、実に良い。非売品で関西の高校生に配布されるものになると思うが、機会があったら手にしてほしいと思う。私たちの授業に対する思いが、具体的な形となって提示されている。
◆
で、財務報告会に向かうとき、このブックレットを読みながら歩いていたのだった。財務報告会が終わって部屋を出るとき、財務担当の職員さんにお礼を申し上げた。
『ありがとうございます。私には絶対できない仕事です。学園の土台をよろしくお願いいたします』
すると
「いえいえ、私たちの仕事なんて些細なものです。先生の持たれているブックレットの内容に比べれば、大した事はありません」
と。
『いや、そんなことはありません。私にはできない仕事をありがとうございます。私はその仕事はできないので、私の仕事として学生たちをびしびし鍛えようと思います』
と。
本当にそう思っている。私たちが教育と研究に没入できるのは、大学職員さんたちがしっかりと支えてくれているからだと思う。ありがたことだ。
2008/07/16
子どもたち、やるなあ
いやあ、いいなあ。
いまや小学生が一人一台持っていると言われているDS。これを使って鬼ごっこか。
子どもたち、やるなあ。
単純にやってみたいな。
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DS鬼ごっこで遊ぼ 無線通信で“情報戦”
2008年7月12日 13時50分
車の陰に隠れてニンテンドーDSを操作する小学生=東京都世田谷区で
写真
東京都内の狭い遊び場で、ただ追いかけっこをするだけではつまらない−。そんな子どもたちが、任天堂の携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」を使った独自の鬼ごっこを考え出した。昔ながらの遊びとハイテクの人気ゲーム機の取り合わせが、ちょっとしたブームになっている。(中沢誠)
この遊びを楽しんでいるのは、世田谷区池尻地区の小学生たち。
どのように編み出したのか、その経緯ははっきりしないが、子どもたちは「DS鬼ごっこ」と呼び、放課後になるとDSを手に地元の児童館に集まる。
DS鬼ごっこは、画面に書き込んだ文字や絵を無線で通信し合う「ピクトチャット」という機能を活用。「鬼が来た」「○○君が鬼になった」などと情報を交換しながら鬼から逃げる。鬼が仲間のふりして偽情報を流したり、ちょっとした駆け引きもある。
約三十メートルの範囲でしか通じない機能だけに、建物の中や隠れる場所の多い路地裏などが格好の遊び場となっている。都会の狭い遊び場を逆手に取った遊び方。子どもたちに聞くと、「みんなで協力し合って逃げるのが楽しい」という。離れ離れになりながら、つながっている連帯感が人気の秘密だ。
DSはゲーム以外にも、中学校の授業などにも幅広く活用され、話題になっている。任天堂広報部は「鬼ごっこに使うことは想定もしていなかったが、おもしろい。DSは創造性を発揮するというコンセプトで作られただけに歓迎したい」と話す。
鬼ごっこについて詳しい東京・渋谷の児童施設「こどもの城」事業本部長の羽崎泰男さんは「鬼ごっこは伝承の遊びで、時代ごとに都合のいい形に変わってきた。今の子どもはゲーム性が高くないとだめ。DSは大人の仕掛けという面もなくはないが、時代を反映した遊びといえるだろう」と話している。
(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008071290135030.html
引用終了 ーーーーーーーーーー
明日の教室でやってみます?
さらに、グーグルマップやグーグルアースを使った鬼ごっこは考えられないかな。あべたかさんや洲巻くんなら考えられそうだけど、どう?>あべたかさん、洲巻くん。
2008/07/15
常用漢字の改訂
常用漢字の改訂がもめているらしい。
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常用漢字改訂、「俺」で大モメ
7月13日8時0分配信 スポーツ報知
問題は「俺」−。文化審議会漢字小委員会の常用漢字表改定作業が、来年2月の最終案作成に向け大詰めに入る。現在の1945字からどれだけ増やすかが焦点。第2次追加案に残った188字の中では意見の隔たりが大きい漢字もあり、絞り込みには、まだ曲折がありそうだ。特にもめているのが「俺」という漢字。普段の生活ではごく普通に使われているこの字も「子どもに教えるべきものか」などとの意見もあり、結論は先送りされている。
小委は04〜06年の新聞や出版物から3500位までの漢字出現頻度を分析し、上位の漢字を中心に追加候補を選ぶ作業に入っている。
5月の1次案では「挨拶(あいさつ)」のように熟語としてのみ使用頻度が高い漢字54字を含め、274字まで絞り込んだ。6月16日公表の2次案では「鬱」が残る一方で「叩」「濡」「覗」といった漢字が「仮名書きで済む」などと落選した。
「匁」とともに外す予定だった「斤」は「パンを数えるのに使う」と一転残留。1次案では候補にもならなかった「嗅」が「日常生活でよく使う」と“抜てき”されるなど、議論は右往左往している。
その中でも1次案から特にもめているのが「俺」。もちろん日常生活で頻繁に使われている言葉で、本やドラマのタイトルなどにも普通に使われている(プロ野球の中日・落合博満監督の代名詞「オレ流」は自著の表記ではカタカナにな





