2019/12/05

空に吸はれし十五の心

Img_2871

不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし
十五の心

今日の模擬授業は、この短歌であった。
石川啄木の短歌。
学生たちは、どうしても石川啄木を説明したくなってしまう。
短歌そのものを楽しむ、味わうことをしない。
テキスト論的に読めない。


私が中学の教師をしていた時、この短歌をどう扱ったかというと、簡単に語句の説明をしたあと

『では、ノートにこの短歌を写して、鉛筆を持って、外に行って寝転がってこの短歌の意味を理解して来なさい。ただし、一人で寝転がること。30分以内で分かったら教室に戻って来なさい』

と指示を出した。
もちろん、生徒は30分ギリギリまで外で寝転がっていた(^^)。

新卒の頃からやった。
初任校は緩やかな丘の斜面にあったので、やりやすかった。
まあ、職員室ではあれこれあったようだけど(^^)、私は大事な国語の授業だと考えてやった。
まずは、じっくりと短歌と個人で向き合い、自分なりの解釈を手に入れることだ。それを教室ではなく、外でやったのだ。

啄木がこれを詠んだのは20歳を過ぎてから。
15歳の時ではない。
15歳の時に、感じたことはなんだったのかということを後から詠んだ歌だろう。
テキスト論的には、15歳で詠んだのか、後から詠んだのかは断定できないので、両方ともの読み方を提出するしかない。それが限界。
で、そのあとに、20歳を過ぎてからだという情報を与えて、解釈をさせていくことになる。

30分経ってから生徒に考えさせたのは、
「吸われし」
である。
もちろん、「吸われた」の意味であるが、問題は「し」が「た」であることを理解させることではない。

15歳の心があるとして、それが寝転がっている人から離れていく時、通常なら15歳の心は体から「浮かぶ」のではないだろうか。「浮かんで飛んでいく」のではないだろうか。しかし、ここでは「吸われ」たのだ。ここを読めるようにしたいのだ。

「吸う」という言葉は難しくない。
『はい、息を吸って』
という指示を出せば、中学2年生は、100%その意味を理解して、息を吸うだろう。
しかし、だから、難しい。
短歌に難しくない「吸う」という言葉が使ってあって、意味も理解できるのに、心が寝転んだ体から浮かぶではなく、空に「吸われる」という表現になっていることに気が付きにくいのだ。

なんで、空に吸われたのか。
吸われてしまった十五の心はなんだったのか。
ここは書いていない。これを想像させることも大事。
だけど、吸われてしまったあとの心はどのようになっているのだろうかと考えることもできる。
『空に吸われてしまった十五の心な訳で、であるとしたら、そのあと、そこはどのようになっている?』
と問いが立つ。
学生に、授業後の私の解説の時に聞いてみた
「空っぽです」

多分そうだと思う。
20歳を過ぎて、十五歳の時に感じたあの感覚は、空に吸われてしまった心の後の、ぽっかり感である。あの感覚は、空っぽになってしまった心だったのだと啄木は二十歳を超えてから気が付いたのだろう。

そして、この短歌は十四歳が授業で読んでいる。
来年、十五歳になるわけだ。
啄木は過去を振り返ってこの歌を作り、生徒は未来を見てこの歌を読んでいる。
その比較は、テキスト論的な読解をしたあとに、おまけとしてやっても面白い。

生徒が中学生の歳の時、校庭に寝転んで短歌のことを考える時間が、1時間ぐらいあってもいいじゃないですか。そんな国語の授業は大事だと今でも思っています。

私の実践を紹介しながら、今日の模擬授業の振り返りをしました。

2019/05/25

昨日で、筆を持ってから50年の年月が経った

Hana

 

昨日で、筆を持ってから50年の年月が経った。半世紀筆を持って文字を書き続けていることになる。誰も祝ってくれないが、勝手にすごいと思って何か祝おうと思う(^^)。一応、その一環として「手書き万年筆学年別配当漢字」

https://itunes.apple.com/us/book//id1455467422?mt=11

をまとめることもできたし、

「紺紙金泥 教育漢字」も仕上げることはできた。良かった良かった。

 

なんでこんなにはっきりと覚えているかというと、小学校一年生の時に習い始めたお習字だが、最初のお月謝袋が出てきたのでわかったのだ。私は計算は苦手だが、数字は画像記憶でバシリと頭の中に残る。フォトリーディングだ。だから、残っているのだ。

 

 

子供の頃住んでいた団地。そこから歩いて3分もすればお習字教室であった。字が苦手な母親に強制的に行かされたとも言える。ご夫婦でされていた佐藤先生に私は、ここで高校卒業までお世話になることになる

 

週に一回。1時間弱。

小学校高学年になると、お習字なんて女のやることだという思いが出てきて、なかなか通いにくかった。すると佐藤先生は、女の子がいない時間に電話をくれたり、大人の人がやる時間に呼んでくれたりして、なんとか繋いでくれた。これが今になって思うと、実にありがたかった。

 

高校では、書道部の助っ人として作品展に作品を出したりもしていた。

まあ、少し天狗になっていた。

 

 

ところが、大学で中学校の国語の免許を取るために、書写指導法を学び、高校の書道の免許を取ろうとして専門の書道の授業を受けたりすることで、私は、自分が全く書けていないことに気がつかされたのであった。

 

だから、大学の2年生、3年生の時は失意に打ちのめされながらも、猛烈に書いた。

昭和天皇の祐筆であった木村東洋先生、中島司有先生に指導を受け、新進気鋭の佐野光一先生にも手厚いご指導を受けた。

 

課題の作品を持っていくと、木村先生には

「これはなんですか?」

と真顔で聞かれた。点の位置と角度がやや違う程度だったと思うが、それは全く違うと否定された。

 

課題を出せないで泣いている学生に、中島先生は

「親が死んだことと、一年前に出した課題ができていないことは関係ない」

と叱りつける姿を見せつけられた。

 

「まあ、この生徒には次はこれかな?」

私が指導した中学生の作品を持って、私の指導のあり方をご指導いただこうと佐野先生のところに春休みに出かけると、その先、その先へと導いてくださった。

 

だから、冗談抜きで、鼻血が出るぐらい熱中して、集中して筆で字を書き続けた。

 

 

大学を卒業する時、先生になるなら高校の芸術の書道の先生もいいかなあと思っていた時期もある。だが、中学校の教員となり、書写の時間に今まで多くの先生にご指導いただいたこと、自分で学んだことを全部出して教えていた。

 

中学校一年生の一学期は、「蘇孝慈墓誌銘」を双鉤塡墨(そうこうてんぼく)や摸書をさせて、粘葉本にまとめさせた。二学期は、「和漢朗詠集」を摸書させて、和綴じ本にした。冬休みは書道字典から集字させてお手本を作らせて、年賀状を書かせた。さらに三学期は「蘭亭序」を摸書、臨書させて、仮巻きでまとめた。

 

書道をやった人なら、この課題を普通の中学校一年生にやらせるのは無謀だと思うだろう。ものすごい高度なことをやっていると思うだろう。私もそう思う。しかし、私は逆に考えた。まだ、きちんとした時の練習をしていない中学生だからこそ、本物をしっかりと与える。私の字を、教科書の字をお手本にするのではなく、本物の古典を与える。なんとなれば、私も教科書も書いた人も、必ず書いて練習してきた古典なのだから、それを学ばせたほうがいいという判断である。

 

その結果、子供達は本当に上手くなった。

 

 

大学に移って、書道コースのある大学に移れたことを幸せに思っている。

文字を書くことに懸命になっている若い学生たちと、書道談義をするのは実に楽しい。

 

また、ガラス書道、抹茶書道、甲骨文字の再現、紺紙金泥などいろいろな書道を楽しめている。

そんなことをしていたら、50年も経ってしまった。

 

 

50歳までは私の中にいる芸術家は封印してきた。

歌を歌ったり、料理をしたり、好きな言葉を書き写したりはしてきたが、芸術というよりは、趣味としてやってきた。だが、ここを境にその封印を解こうと思った。

 

(もう、好きなように書いてもいいでしょ)

と思うようになった。自分が書きたい文字を書きたいように書く。

まだ、誰も書いたことのない線で、筆使いで、好きな文字を言葉を書く。

そうしているうちに、野口先生のご著書から手書きで書きぬいたものを集めた、手書き文字練習本も出すことができた。なんと嬉しいことよ。

野口芳宏の教育名言で学ぶ手書き文字」

https://itunes.apple.com/jp/book/野口芳宏の教育名言で学ぶ手書き文字/id1381200885?mt=11

 

 

書道は、70歳で「期待の新人現れる」の世界だという。まだまだ、はなたれ小僧である。しかし、静かにできる。一人でできる。畳一畳の広さでできる。限りなく広く深い世界がある書道に50年前に出会えて良かったなあと、思う。

 

親に、先生に、感謝だ。

2019/04/28

それは「根雪」を作ることだ。

33439595692032_n

 

「コツコツとがんばります」

と若者は言う。真面目な若者ほど言うような気がする。しかしコツコツ頑張ったところで、実はあまり成果は無い。正確に言うとコツコツする前に、やるべきことがあるのだ。

それは「根雪」を作ることだ。
パラパラと降った雪は積もらない。一気にどかっと降った後にパラパラと降る雪は積もる。根雪を作ることだ。

学生時代は授業の課題や、先生の指示でとにかく文字をたくさん書いた。冗談抜きで、書いている途中で鼻血が出る位集中して書いた。書いても書いてもうまくならず、それでも書いて書いて書いた。

小学校の1年生から書いていただけだから、書けないわけではなかった。しかし、私が書いていた文字は単にお習字の文字でしかなく、書道の文字ではなかった。だから書けないまま、なんとか書こうと思って書き続けていた。

ひらがな、特に「ひ」が最後まで書けなかった。もがいてもがいて書いたものを、恩師の佐野光一先生のところに持っていってご指導を仰いだ。

「池田、こう書けばいいんだよ」
と先生が書かれたその「ひ」は、なんとも見事で、一瞬にして
(あーそうか)
と私の中にストンと落ち、その後書いてみたら何の事は無い、書けてしまったのだ。

多分、それは私が閾値に出会った瞬間なのだと思う。すっと成長したのをよく覚えている。その後書けるようになったのが嬉しくて、またずっと書き続けていた。気がついたら書いていた。

コツコツ続けると言うのは、この先のことである。根雪というのは、閾値に達するための積み重ねである。根雪ないままコツコツ続けるのは、自己満足で終わることになる場合がある。

大人になって趣味でやるなら、コツコツも良いが、若者は根雪を作ることに力を入れて注ぐことが大事だと私は思うのだ。

それは「根雪」を作ることだ。

33439595692032_n

 

「コツコツとがんばります」

と若者は言う。真面目な若者ほど言うような気がする。しかしコツコツ頑張ったところで、実はあまり成果は無い。正確に言うとコツコツする前に、やるべきことがあるのだ。

それは「根雪」を作ることだ。
パラパラと降った雪は積もらない。一気にどかっと降った後にパラパラと降る雪は積もる。根雪を作ることだ。

学生時代は授業の課題や、先生の指示でとにかく文字をたくさん書いた。冗談抜きで、書いている途中で鼻血が出る位集中して書いた。書いても書いてもうまくならず、それでも書いて書いて書いた。

小学校の1年生から書いていただけだから、書けないわけではなかった。しかし、私が書いていた文字は単にお習字の文字でしかなく、書道の文字ではなかった。だから書けないまま、なんとか書こうと思って書き続けていた。

ひらがな、特に「ひ」が最後まで書けなかった。もがいてもがいて書いたものを、恩師の佐野光一先生のところに持っていってご指導を仰いだ。

「池田、こう書けばいいんだよ」
と先生が書かれたその「ひ」は、なんとも見事で、一瞬にして
(あーそうか)
と私の中にストンと落ち、その後書いてみたら何の事は無い、書けてしまったのだ。

多分、それは私が閾値に出会った瞬間なのだと思う。すっと成長したのをよく覚えている。その後書けるようになったのが嬉しくて、またずっと書き続けていた。気がついたら書いていた。

コツコツ続けると言うのは、この先のことである。根雪というのは、閾値に達するための積み重ねである。根雪ないままコツコツ続けるのは、自己満足で終わることになる場合がある。

大人になって趣味でやるなら、コツコツも良いが、若者は根雪を作ることに力を入れて注ぐことが大事だと私は思うのだ。

2019/04/25

教師の言葉は、重い

先日の一回生の授業で、
『教師の言葉は、重い。事実とは関係なしに、その言葉で語られたことが、事実になる』
という話をしていた。

その話をしながら、学生時代の恩師、吹野安先生のことを
思い出していた。


http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/…/2012/05/post-4f8c.html

http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/…/2006/10/post_af63.html

吹野先生の指示で、毎回板書をしていた。漢文概論の授業である。
その日にやる分の漢文を白文で板書するのが私の「仕事」。なんで私が? と思ってきくと、「うるさい。いいからやれ」との言葉。

単純に自分がやりたくないからではないかと思っていた。

ある日
「池田。お前の字には、何かある。字でいけ。字を磨け」
と言われた。
当時私は自分の字がうまいとは思わないけど、下手でもないとは思っていた。そこに、この言葉。

今日授業をしながら、板書をしながら、突然この言葉が蘇った。
授業中、ちょっとまずかった。

あれから30年、その時よりは頑張って書いていると思う。
先生に言われた

「池田。お前の字には、何かある。字でいけ。字を磨け」

という言葉は、私を支える言葉の一つになっている。

2018/11/17

【模擬授業】  戦争が廊下の奥に立ってゐた

10704366_10152302652892134_44615592

模擬授業終了。
今日は俳句。
今日もなかなか面白かった。

取り上げた俳句は

咳をしても一人
戦争が廊下の奥に立ってゐた

である。

咳をしても一人は、

咳をして◯一人

と板書して、○に入る言葉は何かを考えさせるものであった。

は、と、も が出て来た。
ま、この辺りは学生が答えているので知った上でのわざとの発言ではあるが。

そして、はともではどう違うのかを考えさせていた。

惜しかったのは、どう違うかの説明を生徒役の学生がしたのを受け止めきれなかったことである。

「は、と、もは、どう違いますか?」
という発問に対して

1)
は:咳をするたびに一人
も:誰も言ってくれない

2)
は:一人のことを再確認してさみしい
も:自分から去って行った人のことを思い出す

3)
どちらも共通しているところがある。でも、もの方が強い

という答えが生徒役の学生からあった。
これを活かし切れていないのだ。

これは、は、と、もの役割をきちんと授業者が理解していないことが原因だろう。どちらも提示をする助詞である。そして、もは複数を提示するものであると言う部分をしっかりと押さえて置けば、うまくまとまったはずである。そこが、出来ていないので、この1)〜3)の発言の共通項を見出せないで、先生の考えを押し付けることになってしまった。

子供の発言を授業中に聞いて、授業に取り入れて行く。
このライブでの作業が授業の醍醐味の一つだ。取り入れて行く為には、授業者の方にこの授業のゴールが見えていなければならない。そこに向かって行くわけだから。だけどそこが曖昧だと厳しい。

いや、もう少し言えば、子供の発言が分からないというのは次の三つがある。

1)子供の発言の内容が理解できない
2)子供の発言の内容は理解できているのだが、授業との関連性が見えない。
3)子供の発言の内容は理解できていて、授業との関連性が見えいるのだが、それをどう授業に組み込んで行くのかが分からない

である。今日の授業は2)であった。
そこについて授業後の指導で指摘した。

また、咳の代わりに「風呂」「めし」「糞」等を入れてみたらどうなるだろうか?というアイディアも検討してみるが良いということも。松尾芭蕉の「 句ととのわずんば舌頭に千轉せよ」を出しながら説明をしてみた。

もう一つの

戦争が廊下の奥に立ってゐた

は、非常に面白かったが、惜しかった。

「これは擬人法ですね。戦争が立ってゐたわけですから」
「では、廊下に出てみましょう」

という指示を生徒にする。生徒が廊下に立つと、同じ授業グールプの学生が、戦争と書かれた紙を持って立っていたのだ。このイメージからどう授業を展開するかが最大の見物だった。

「廊下は人生を現しています」

と断定して授業が始まってしまった。なんでそう言いきれるのかの説明が抜けていた。「廊下は、通り抜けて行かなければならないところですが、その先に戦争が待ってます」と説明していた。本当なのだろうか? 少なくとも私は次の六つを想定した。

1)私が廊下を戦争に向かっていく
2)私は廊下に立ち尽くす
3)私は廊下を戦争と反対方向に向かう

4)戦争が私を呼んでいる
5)戦争が渡し向かって微笑んでいる
6)戦争が私に向かって迫ってくる

である。
授業者はこの中の1)だけを想定して進めてしまっていた。
実際、戦争の書かれた紙を持っていた学生は、その紙を横にちょっと傾けてニコッと笑っていたのだ。
(を、5)のイメージでやっているのか?)
と私は時はその演出に驚いたのだが、あとで確認したら単なる癖であった。

『このように6つ位はイメージできる。そして、5)の解釈にリードしようとする無意識の行動もあった。これは生徒を無意識に混乱させる可能性のある授業展開であったろう。押しつけのつもりはないはずだが、押しつけになってしまっていた可能性が高い。』

と説明。

俳句の授業は言葉が少ないだけに、作品を丸ごと味わえて、かつ一つ一つの言葉をじっくりと吟味できる。国語の教師を育てるには非常にいい教材だなあと今回も思った。

この授業は、宗我部さん、渡邊さんにFacebookを通じてアドバイスを頂きながら作りました。ありがとうございました。こう言うとき、Facebookは本当に頼りになります。


2014/11/17の記事から

2018/10/27

『7で一つの束になっているものは、何かあるかなあ?』  掛け算の指導

算数わからない族の池田が語ります。

先日の教育実習訪問指導を見ていて、わからないことがありました。
小学校2年生の掛け算の九九の覚え方についてです。
それまでに五の段から初めて、二、三、四、六の段を教えた後の話です。

学生さんは、教科書にある通りに、7個のクッキーが一つの束になっているものを黒板に貼って、その束がいくつあるのかと言うことで、7の段の説明をしていました。子供達は、素直に7つずつ増えることをノートにまとめて、7の段の理解をしていました。

私にはわかりません。
なんで、クッキーが7である必要性があるのかが、全くわかりません。
ところが、教科書を見ると、クッキーで教えた後に、カレンダーがあって1週間は7であると言うことを考えさせています。

(え、逆じゃん)

と思うわけです。

もし私が授業をするなら

『7で一つの束になっているものは、何かあるかなあ?』

と発問するでしょう。
いや、五の段、二の段からそうするでしょう。
いつでもどこでも必ず五の束になっているものを示します。そして、それがいくつあるのかを考えさせます。例えば、五円玉。五円玉が、3個あったら、いくらになりますか?とする。五円玉は分解できないから、五円が3つある。つまり5×3は15ということを考えさせると思うのです。

それをやってから
『では、2で束になるものは何かあるかなあ?』
と聞いて子供達に出させます。ま、さくらんぼとか出るかなあ。
『次は、3の束で考えるから何がある考えてきてね』
と宿題。

私は信号機のランプで考えました。娘に聞いたらクローバーと答えていました。なるほど、クローバーは基本的に3枚の葉っぱ。幸せの四葉はイレギュラーですから。

この辺りを事後指導で学生と一緒に考えました。

『6は何かある?』
と聞くと、
「6人乗りの車」
と答える。
これは、危険。
なぜなら、2人乗りの車も、6人乗りの車もあるから。
その数でなければならない、数の束を提示しなければならない。

また、子供達に考えさせる時も、その数の束でなければならないものを出した場合のみそれを認めて、他は、「違う」と切り離す授業展開ができないとダメになると思うのだ。

子供の生活の中にある、「1あたりの数」を子供自身が発見して、掛け算の概念を考えること。そういう授業が大事であって、子供の生活にとって必然性のない「クッキーが7つ」なんてやっても、混乱させるばかりだと、私は考えるのです。

そんなことを事後指導で語っていました。

2018/06/10

2002年FIFA W杯を中学校で見た思い出

2002年FIFA W杯を中学校で見た思い出。そこの中学校では女子でもサッカーをやる生徒が多くて、とても関心が高かったのでした。ふと思い出して、連続ツイートしました。

W杯が近づいてきている。私は中学校の教師だった頃、日韓共同開催のW杯を生徒と一緒に放課後に見たことがある。体育館に放送室からテレビのコードを引き込んで、プロジェクターに接続し、見た。これに勝てば決勝トーナメントに行ける対チュニジア戦だ。

この試合の一週間前に学年会議があって「他に何かありませんか?」と主任さんに言われ「本当に、他なんだけど、いい?」と聞いて、発議した。「隣の国では学校を休みにして応援するのに、うちは何もないんだけど、学校で見られないかなあ」と。

すると、学年としては「いいよね」という話に。学年にいた生活指導主任の先生も問題ないとのこと。早速校長に打診。時間は一週間しかない。と、校長も「ま、放課後だしいいんじゃないの? ね、教頭先生」との話。すごい。それではということで、他の学年主任の先生にも確認するいことに。

「なんでサッカーだけなの? 剣道だってW杯はあるよ」ととある学年の主任先生に言われた。ああ、まあ、そうだけど、せっかくだからやりたいんだけどなあと思っていたら、どうも先生が主催してやるのがよくないと思っている感じが伝わってきた。

「では、生徒会主催でやれませんか?」と提案。その先生は生徒会担当。「うむ、それならいいかな」という感じになった。当時、体育館にはテレビの設備はない。テレビは放送室にしか届いていな。体育館でプロジェクターで投影するにも、電波もコードもない。


ケーブルコードを購入して接続しなければならないが、学校の予算で買うと間に合わない。(もう、これは言い出しっぺの私が買うしかない)と量販店に行って100m分のテレビコードを買って、学校に寄付した。そして、生徒会の役員と一緒にケーブルを繋いで見て実験。やった、映った!


試合の前日には、準備が完了した。(やった。これで子供達と一緒に観戦して応援できる!)と思った。大人はスポーツバーに行ってビール片手に応援できる。しかし、子供達は家で大人数でやったらまあ、迷惑になる。だったら学校だと思っていた。

ところが、生活指導主任の先生からこんな意見が。「池さん、自由参加とはいえ、いつもより一時間以上帰宅が遅くなることもあるのを保護者に知らせないのは、問題じゃないかなあ」とのこと。(あー、失敗。今から下校の時間までに文書を作らなければならない。時間、あるかなあ)と思った。


「今から書きます」と言ったところ、「ま、ということでこういう文章を校長名で書いておいたいんだけどね」と言って主任先生は「W杯校内観戦のお知らせ」のタイトルの書類を校長名で用意してくれていた。曰く「集団で努力している姿を見ることは教育的観点からも大事であり~」。

「うわー、ありがとうございます」「ま、こういうこと、嫌いではないので(^^)」と主任先生。なんというフォロー。実にありがたかった。

当日生徒会の役員と一緒にコードを引いて、プロジェクターを設置して、準備万端。試合は始まっていたが、まだ学校全体は掃除の時間。すると「早くつけろよ!」と上級生の声。「早く見たい人は、帰ってもらって結構です」と私。誰も帰らない。そして、掃除も終わってみんな集合。


「池田先生、挨拶をお願いします」と生徒会役員から言われたが、こっちも早く見たくて仕方がない(^^)。「みなさん、一つだけお願いがあります。盛り上がって応援してください。ただし、フーリガンになりたい人は、この場から去ってください」。誰も帰らない。「いいいんですね? それでは」


プロジェクターのスイッチを入れた。体育館には「ニッポン、ニッポン、ニッポン!」の声。古いプロジェクターだったので、温まるまで時間がかかる。そして、スクリーンに温まるまでの時間がカウントダウンで表示された。「30、29、28、、、」なんとも言えなかった。

後半、森島がゴールを決めた瞬間は、もう体育館は大騒ぎ。誰彼構わず抱き合い、私も校長先生も生徒たちに感謝のハグ。ハグの嵐だった。
https://www.youtube.com/watch?v=YJMLHum2YXA


「勝ってよかったね。帰り道気をつけて帰るんだよ。学校というところは、この後何かあったら、もう来年はやらない。こういうことはやらないとなるからね。寄り道しないで帰ること」「はい!」と生徒たちはものすごい大きな声で返事をして、まさに蜘蛛の子を散らすように帰りました。

「池さん、よかったねえ。でも、負けたらどうだったんだろうねえ(^^)」と主任さんと校長先生に言われた。考えていなかった(^^)。みなさんの学校でも、まあ、時差はありますが、大スクリーンの学校でこんなドラマがあるといいですねえ。いい時間でした。ふと思い出して書きました。


学校は、その気になれば、結構いろいろなことができると思うのです。

2018/01/20

簡単にいうと北町奉行所と南町奉行所だね

Img_8582

ひょんなことから昔の実践の資料を読むことになったが、我ながら色々とやっているなあ。しかも、上からやれと言われてやってないところが、私らしい。

上からの指示でやれと言われたら、こんなにやらなかったろうなあ。教師が問題解決型の学習をしながら、授業づくり、行事づくり、学級づくりをしていたんだよなあと思う

この時の校長先生は、未だに尊敬している先生。
いつも私にくだらないことを相談して来ては、私に呆れられるのだが、本質は間違っていなかった。ぶっ飛んでいた

例えば、
「池田さん、生徒会を作ってくれないかなあ」
と言って来たことがあった。
『先生、今であるじゃないですか』
「うーん、もう一つ作ってくれない?」
『は? 先生、何を言われているんですか?』
「うーん、簡単にいうと北町奉行所と南町奉行所だね」

がーん。
すごいことを考えていたわけだ。
生徒たちが忙しいので、生徒会を奇数月と偶数月で担当を訳で、交代でさせる。そして、二つの政府のどちらの政策を支持するかで生徒会選挙をすればいいということだったのだ。

その当時は途方も無いことだと思っていたけど、今から考えれば、やっていたら面白かっただろうなあと思う。

2017/12/22

国語の入試問題が変わる 親の時代とは違う学力の時代を生きる、今の子供たちです

2020年からの大学入試の国語が大きく変わります。

 http://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00011239.pdf&n=5-01_%E5%95%8F%E9%A1%8C%E5%86%8A%E5%AD%90_%E5%9B%BD%E8%AA%9E.pdfE5%9B%BD%E8%AA%9E.pdf 高校の先生、また、高校生のいる保護者の方は、驚いたかもしれません。
しかし、実は、小学校の全国学力・学習状況調査では、もう既にそのような問題が行われています。これも見てみると驚くかもしれません。
また、OECDが行なっているPISAや、ブルームのタキソノミー、また、首都圏模試センターの思考コード https://www.syutoken-mosi.co.jp/column/entry/entry000668.php などを見ると、色々とわかると思います。
親の時代とは違う学力の時代を生きる、今の子供たちです。

より以前の記事一覧