2020/03/10

そんな「学力」が必要になってきている。

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「もし、地球が東から西に自転したとしたら、世界は現状とどのように異なっていたと考えられるか、いくつかの視点から考察せよ。」

 

東京大学理科Ⅰ類2014年度 外国学校卒業生特別選考小論文問題より

 

 

この問題を知ったのは『2020年の大学入試』(石川一郎)であった。私には衝撃であった。とても簡単な日本語で書いてあるのに、問われているのはとても深い内容である。

 

これは、思考コードのCゾーンの問題である。

あらかじめ用意された唯一の答えがない問題である。その問題に、答えを出さなければならない。

 

そのためには、地球がどのようにして成り立っているのかの知識が必要になる。これは地殻やプレートや海洋などの基礎知識がまず必要になる。さらに、気象や天候のことも。そして、それに基づいて歴史上の出来事(元寇)なども知っていることが求められる。

 

つまり、思考コードのA,Bゾーンがないと、このCゾーンの答えは説得力を持ったものにはならないのだ。

 

 

だが、この問題の本質は、Cゾーンを考えさせるというものだけにあるのではないと考えている。それは、条件の変化に基づいて、その結果に対して仮説を立てるというものである。

 

地球の自転が今と違って、東から西へと回るなんてのは、通常は「お前はアホか」で片付けられる議論である。そんなこと有り得ないじゃないか。有り得ないものを考えたり、議論したりしても無駄でしょというのが、多くの考えだろう。

 

しかし、これは大学の入試問題である。しかも、理科I類である。クリティカルに問題を捉えること、さらには、環境や条件が変わった時に、実験の結果はどのように変化するのかの仮説を立てる力があるかどうか。また、それを論理的に説明することができるかどうかを問う問題になっていると言えるのだ。

 

 

新型コロナウイルスを解決するためには、この東大の入試問題を解く頭が必要になる。

 

ウイルスを撃退するための方法、ウイルスから身を守るための方法、ウイルスに感染した時に取る行動。これらを、まだよく分かっていないウイルスに対して解明すること。これは感染症の研究者が直面している喫緊の課題であることは確か。ただ、これは今までもサーズウイルスなどでやってきたこと。

 

ところが、大きな移動制限や入国制限は今まではほとんど無かったし、それに伴う飛行機会社の危機、観光業の危機、つまりは経済活動の危機に直面するということは考えられなかったわけだ。

 

「新型ウイルスが猛威を振るったら、世界の飛行機は半分が運休になります。この状況で経済活動を大幅にダウンしなくても済むような対策を立てなさい」

 

という問いに直面しているということになる。改めて、東大の入試問題を見てみよう。

 

「もし、地球が東から西に自転したとしたら、世界は現状とどのように異なっていたと考えられるか、いくつかの視点から考察せよ。」

 

実は同じ構造になっている。この時、自分なら自分ができることでなら何ができるのかを瞬時に考える。考えるだけでなく、行動に移すことができるかどうか。そんな「学力」が必要になってきている。それは東大を目指す生徒さんだけに必要なのではなく、多くの人たちに必要なものなのではないかと、今回のことで考えている。

 

2020/03/02

手作り「ひらがなトランプ」で七並べ

手作りのひらがなトランプで遊びませんか。
七並べをしたり、神経衰弱をしたりして遊んでいたら、ひらがなを覚えてしまうでしょう。

作り方や遊び方は、写真に説明してあります。大人バージョンの【おまけ】もあります
なお、A4サイズでプリントアウトすると、ブリッジサイズのトランプの大きさになります。
子供とハサミでちょきちょきしながら作ると楽しいですよ。

もちろん、ネットで検索してトランプの雛形を探してきてやってもいいと思います。

#臨時休校中の学ばせ方

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2020/02/22

「先生、これ没収して」

 

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新任の時、K君と言う生徒を担任した。

割と幼い子供で、国語はあまりできる子供ではなかった。

その子供が授業中に目を輝かせたことがある。それは私が

「と言うことでピラミッドから抜け出せない池田です」

とドラクエ3にはまっているときに呟いた時だ。その時は、なんだかよくわからなかったが。

 

授業後彼は私の所にやってきて「先生、あそこはミミックがいるからダメだよ」などと丁寧にレクチャーをしてくれた。私はその時『私は君にとっての先生だが、君は私にとってはドラクエの師匠だ』と言って教えてもらった。

 

すると嬉しそうにあれこれ教えてくれた。こんなに話せる子供なんだと驚く私。

 

数日後、師匠は「先生、これ没収して」と言いながら、ドラクエの攻略本を渡してくれた。授業に関係のないものは持ってきてはいけないと言う校則があり、師匠は没収を自ら試みて弟子の成長を促したのである。抜群の言語感覚である。

 

中を見たら驚いた。「召喚魔法」とある。誓っていうが中学校一年生の時の私は「召喚」なんて読めもしないし意味もわからない。しかし、K君は読めて使いこなしているのである。そう、彼にとってはドラクエの攻略本は、漢字のドリルでもあったのだ。これは衝撃であった。

 

今の子供たちに攻略本で漢字のテキストを作ろうと思ったが、今の子供は攻略本を読まずにyou tubeだという。文字文化は攻略本からも撤退をしているのかと恐ろしくなった。

 

それならば、youtubeで教材は作れないかと考えて、開発している。

 

そして、今は「ツムツム」である。アラカンの私がツムツムでもないだろうが、娘がハマっているので、付き合っている。そして、娘を師匠にしてあれこれ教えてもらっている。

 

私にはキャラクターがほとんど同じに見えるし、スキルもよく覚えられない。ところが娘はそれを難なくやる。

 

(ああ、Kくんは元気かなあ)と思いながら、新幹線の中で必死にコンボして、娘に追いつくようにハイスコアを更新しようとしている。

 

今のお気に入りのツムは、ジャスミン(チャーム)で280万には届きました(^^)。

 

子供を師匠にするというのは、実にいいものです。

 

 

バズったので吉例として宣伝です。

料理の本も書いています(^^)

100円です。

 

https://books.apple.com/jp/book/5%E5%88%86-5%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%97%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%98%E3%82%81%E3%82%8B%E6%96%99%E7%90%86/id1043474676

 

 

ドラクエ3には召喚魔法はないとのご指摘をいただきました。ありがとうございます。FFと記憶が混ざっているかもしれませんね。なんだったかなあ。思い出せるかなあ。何せ30年以上も前の話なので。

 

 

因みに私は父の持っていた『のらくろ上等兵』という漫画で小学校の、四五年生の頃に、歴史的仮名遣いと旧漢字を学んでいました(^^)

 

 

後から知ることになりますが、このような教材の作り方は「下からの教材づくり」と言われています。

 

われわれは日常、さまざまな情報に接しているが、その中で、子ども の興味や関心を引きそうな事実にゆきあうことがある。そのとき、素 材のおもしろさがまず発見され、しかるのち、事後的にその事実を分析し、おもしろさの意味を反すうして、その素材がどんな教育内容と 対応しうるかという価値が見いだされる。このような過程を指して、教材づくりにおける「下からの道」というわけである。 『教材づくりの発想』(日本書籍 藤岡信勝著)

 

ということです。

 

 

また現在私が教育コーチとして関わっている経産省の「未来の教室」https://learning-innovation.go.jp は、 EdTechを活用して、一人ひとりに最適な学習方法を用いて育てていこうというものです。個別最適化の学習を目指しています。文科省のGIGAスクールと両輪でやっていこうということです。繋がってました。

 

また、ゲーミフィケーションを学ぶには、『幸せな未来は「ゲーム」が創る』が好著だと思います。

 

https://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/113756.html

 

 

https://youtube.com/watch?v=jRvwFyu3D5M&t=297s…

 

では、冒険に出かけるとしますか(^^)。

 

 

 

*ドラクエには、召喚魔法はないとの指摘を受けました。が、召喚魔法は無くても、攻略本には「召喚」の漢字はあったのではないかとのご指摘も頂きました。召喚の漢字の記憶は鮮やかに残っているので、多分そうではないかと思います。ご指摘いただいたみなさん、ありがとうございます。

2020/02/20

それが、クリエイティビティを促す

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  MacOSのバージョンアップに従って、新しい機能が追加される。

しかし、Macの側からはこれはこのように使いましょうというような指示はいつもない。

 

こんな機能ができましたよというアナウンスはあるが、こう使いなさいという指示はない。

ここが実はとてもいいんだよなあと思う。

 

今の自分の生活に不満があって、それをなんとかしたいなあと思っている人にとっては、このバージョンアップで(うおおお、あれができるじゃん)となる。

 

他には、

(これ、なんに使うんだ?)

と考える人もいる。

 

さらに、

(こういうことしたいんだけど、これってできるの?)

と調べてみると、もうすでにできるようになっていることが多い。

 

 

指示に従うんじゃなくて、自分の必要性や興味に答えてくれるというスタンスでマックは存在していると思うのだ。

 

それが、クリエイティビティを促すのだと思っている。

やらされているところに、クリエイティビティは生まれにくい。

 

多分、私はMacOSの機能の1割も使いこなせていないと思う。

だから損しているという考え方もある。

でも、必要のない機能を使えるようにする必要はない。

必要な機能が心地よく使えれば良い。

 

そんな風に思う。

2019/12/18

その時思ったねえ、ああ、好き嫌いがあってよかったってね

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本日の学級担任論は、給食指導など。
給食指導は、大事。
とにかく食べ物の恨みは怖い(^^)。
また、いじめを生み出すきっかけや原因にもなりやすい。


色々指導した後に、好き嫌いの問題をどうするかという話を考えさせた。

1.とにかく食べさせる
2.残してもいいとする
3.その他

と選択肢を与えて、小グループで議論させた。
学生たちの答えは、残してもいいけれど少しは食べてみようかというものであった。妥当なところではないかなあと思う。もちろん、アレルギーのことは別にして、少しは食べてみようかということである。

私は、10代は、豚肉の好みがコロコロ変わった。赤身が好きな時期と脂身が好きな時期が変わった。また、20歳までは椎茸が食べられなかったし、21歳の夏に突然ビールが美味しくなった。さらに、50歳を過ぎてからセロリが美味しくなった。

『なんというか、自分でも驚くんだけれども、こうして味覚って変わるんだよね。口の中にある味蕾が、強く反応するのが子供の時期で、大人になると反応しにくくなるというのもあると思う。自然界で苦いというのは毒だから、それを感知できるようになっているんだろうねえ。あのままだったら、私もこんなにビールを飲まなかったかもしれないねえ(^^)』https://hoiku-shigoto.com/report/archives/5236/

『ピーマンなんて苦いの代名詞。でも、完熟ピーマンは赤くて甘いんだよね。食べたことある?自分で育ててごらん。甘いよ。パプリカではなく、完熟ピーマン。こうやって食育の話に繋げるのもいいね』

『私は、セロリが大嫌いで、あの匂いとかもうダメで。食べたことはないけれど、カメムシを食べたらあんな味じゃないかなと勝手に思っていたんだね。でも、スーパーに行くとセロリは堂々と売られていて、売れ残る気配もない。ということは、あれを「美味しい」と思って食べている人が少なからずいるということだ。となると、その「美味しい」を理解しない人生は勿体無いと思うわけだ。

それで、少しずつ食べてはいた。そして、炒めたセロリが美味しいと感じるようになり、セロリとミョウガと塩昆布の醤油かけというサラダが抜群に美味しくなって、食べられるようになったのだよ』

『その時思ったねえ、ああ、好き嫌いがあってよかったってね。だって、最初から全部好きだったら、あの嫌いだったのに、美味しくなかったのに、美味しいって感じられる感動を味わえないではないですか。嫌いなものがあったから、好きになれたんだよ。感動を味わえたんだよ』

と話す。

『後は、クラスや学年で、一人一品目は嫌いなものを残してもいいと確認しておくといいかな。学年会議で話して、さらにそれを保護者会で保護者に伝えておく。こうすることで、アレルギーがあるんだけど、それを言いにくい子供を守れるね。本当は、アレルギーは公開してきちんと守らないとダメなんだけれども、言いにくい子供もいるでしょ。その時、全員が一人一つは残してもいいとしておけば、アレルギーの子供を守れるでしょ』

楽しく、美味しく食べる。そして、体を作る。
食べることは、大事。
食育としての給食は大事にしたいですねえ。

なお、写真はランチの生協の天ぷらと蕎麦。天ぷらを選んでかけ蕎麦にトッピング(^^)。

2019/12/05

空に吸はれし十五の心

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不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし
十五の心

今日の模擬授業は、この短歌であった。
石川啄木の短歌。
学生たちは、どうしても石川啄木を説明したくなってしまう。
短歌そのものを楽しむ、味わうことをしない。
テキスト論的に読めない。


私が中学の教師をしていた時、この短歌をどう扱ったかというと、簡単に語句の説明をしたあと

『では、ノートにこの短歌を写して、鉛筆を持って、外に行って寝転がってこの短歌の意味を理解して来なさい。ただし、一人で寝転がること。30分以内で分かったら教室に戻って来なさい』

と指示を出した。
もちろん、生徒は30分ギリギリまで外で寝転がっていた(^^)。

新卒の頃からやった。
初任校は緩やかな丘の斜面にあったので、やりやすかった。
まあ、職員室ではあれこれあったようだけど(^^)、私は大事な国語の授業だと考えてやった。
まずは、じっくりと短歌と個人で向き合い、自分なりの解釈を手に入れることだ。それを教室ではなく、外でやったのだ。

啄木がこれを詠んだのは20歳を過ぎてから。
15歳の時ではない。
15歳の時に、感じたことはなんだったのかということを後から詠んだ歌だろう。
テキスト論的には、15歳で詠んだのか、後から詠んだのかは断定できないので、両方ともの読み方を提出するしかない。それが限界。
で、そのあとに、20歳を過ぎてからだという情報を与えて、解釈をさせていくことになる。

30分経ってから生徒に考えさせたのは、
「吸われし」
である。
もちろん、「吸われた」の意味であるが、問題は「し」が「た」であることを理解させることではない。

15歳の心があるとして、それが寝転がっている人から離れていく時、通常なら15歳の心は体から「浮かぶ」のではないだろうか。「浮かんで飛んでいく」のではないだろうか。しかし、ここでは「吸われ」たのだ。ここを読めるようにしたいのだ。

「吸う」という言葉は難しくない。
『はい、息を吸って』
という指示を出せば、中学2年生は、100%その意味を理解して、息を吸うだろう。
しかし、だから、難しい。
短歌に難しくない「吸う」という言葉が使ってあって、意味も理解できるのに、心が寝転んだ体から浮かぶではなく、空に「吸われる」という表現になっていることに気が付きにくいのだ。

なんで、空に吸われたのか。
吸われてしまった十五の心はなんだったのか。
ここは書いていない。これを想像させることも大事。
だけど、吸われてしまったあとの心はどのようになっているのだろうかと考えることもできる。
『空に吸われてしまった十五の心な訳で、であるとしたら、そのあと、そこはどのようになっている?』
と問いが立つ。
学生に、授業後の私の解説の時に聞いてみた
「空っぽです」

多分そうだと思う。
20歳を過ぎて、十五歳の時に感じたあの感覚は、空に吸われてしまった心の後の、ぽっかり感である。あの感覚は、空っぽになってしまった心だったのだと啄木は二十歳を超えてから気が付いたのだろう。

そして、この短歌は十四歳が授業で読んでいる。
来年、十五歳になるわけだ。
啄木は過去を振り返ってこの歌を作り、生徒は未来を見てこの歌を読んでいる。
その比較は、テキスト論的な読解をしたあとに、おまけとしてやっても面白い。

生徒が中学生の歳の時、校庭に寝転んで短歌のことを考える時間が、1時間ぐらいあってもいいじゃないですか。そんな国語の授業は大事だと今でも思っています。

私の実践を紹介しながら、今日の模擬授業の振り返りをしました。

2019/05/25

昨日で、筆を持ってから50年の年月が経った

Hana

 

昨日で、筆を持ってから50年の年月が経った。半世紀筆を持って文字を書き続けていることになる。誰も祝ってくれないが、勝手にすごいと思って何か祝おうと思う(^^)。一応、その一環として「手書き万年筆学年別配当漢字」

https://itunes.apple.com/us/book//id1455467422?mt=11

をまとめることもできたし、

「紺紙金泥 教育漢字」も仕上げることはできた。良かった良かった。

 

なんでこんなにはっきりと覚えているかというと、小学校一年生の時に習い始めたお習字だが、最初のお月謝袋が出てきたのでわかったのだ。私は計算は苦手だが、数字は画像記憶でバシリと頭の中に残る。フォトリーディングだ。だから、残っているのだ。

 

 

子供の頃住んでいた団地。そこから歩いて3分もすればお習字教室であった。字が苦手な母親に強制的に行かされたとも言える。ご夫婦でされていた佐藤先生に私は、ここで高校卒業までお世話になることになる

 

週に一回。1時間弱。

小学校高学年になると、お習字なんて女のやることだという思いが出てきて、なかなか通いにくかった。すると佐藤先生は、女の子がいない時間に電話をくれたり、大人の人がやる時間に呼んでくれたりして、なんとか繋いでくれた。これが今になって思うと、実にありがたかった。

 

高校では、書道部の助っ人として作品展に作品を出したりもしていた。

まあ、少し天狗になっていた。

 

 

ところが、大学で中学校の国語の免許を取るために、書写指導法を学び、高校の書道の免許を取ろうとして専門の書道の授業を受けたりすることで、私は、自分が全く書けていないことに気がつかされたのであった。

 

だから、大学の2年生、3年生の時は失意に打ちのめされながらも、猛烈に書いた。

昭和天皇の祐筆であった木村東洋先生、中島司有先生に指導を受け、新進気鋭の佐野光一先生にも手厚いご指導を受けた。

 

課題の作品を持っていくと、木村先生には

「これはなんですか?」

と真顔で聞かれた。点の位置と角度がやや違う程度だったと思うが、それは全く違うと否定された。

 

課題を出せないで泣いている学生に、中島先生は

「親が死んだことと、一年前に出した課題ができていないことは関係ない」

と叱りつける姿を見せつけられた。

 

「まあ、この生徒には次はこれかな?」

私が指導した中学生の作品を持って、私の指導のあり方をご指導いただこうと佐野先生のところに春休みに出かけると、その先、その先へと導いてくださった。

 

だから、冗談抜きで、鼻血が出るぐらい熱中して、集中して筆で字を書き続けた。

 

 

大学を卒業する時、先生になるなら高校の芸術の書道の先生もいいかなあと思っていた時期もある。だが、中学校の教員となり、書写の時間に今まで多くの先生にご指導いただいたこと、自分で学んだことを全部出して教えていた。

 

中学校一年生の一学期は、「蘇孝慈墓誌銘」を双鉤塡墨(そうこうてんぼく)や摸書をさせて、粘葉本にまとめさせた。二学期は、「和漢朗詠集」を摸書させて、和綴じ本にした。冬休みは書道字典から集字させてお手本を作らせて、年賀状を書かせた。さらに三学期は「蘭亭序」を摸書、臨書させて、仮巻きでまとめた。

 

書道をやった人なら、この課題を普通の中学校一年生にやらせるのは無謀だと思うだろう。ものすごい高度なことをやっていると思うだろう。私もそう思う。しかし、私は逆に考えた。まだ、きちんとした時の練習をしていない中学生だからこそ、本物をしっかりと与える。私の字を、教科書の字をお手本にするのではなく、本物の古典を与える。なんとなれば、私も教科書も書いた人も、必ず書いて練習してきた古典なのだから、それを学ばせたほうがいいという判断である。

 

その結果、子供達は本当に上手くなった。

 

 

大学に移って、書道コースのある大学に移れたことを幸せに思っている。

文字を書くことに懸命になっている若い学生たちと、書道談義をするのは実に楽しい。

 

また、ガラス書道、抹茶書道、甲骨文字の再現、紺紙金泥などいろいろな書道を楽しめている。

そんなことをしていたら、50年も経ってしまった。

 

 

50歳までは私の中にいる芸術家は封印してきた。

歌を歌ったり、料理をしたり、好きな言葉を書き写したりはしてきたが、芸術というよりは、趣味としてやってきた。だが、ここを境にその封印を解こうと思った。

 

(もう、好きなように書いてもいいでしょ)

と思うようになった。自分が書きたい文字を書きたいように書く。

まだ、誰も書いたことのない線で、筆使いで、好きな文字を言葉を書く。

そうしているうちに、野口先生のご著書から手書きで書きぬいたものを集めた、手書き文字練習本も出すことができた。なんと嬉しいことよ。

野口芳宏の教育名言で学ぶ手書き文字」

https://itunes.apple.com/jp/book/野口芳宏の教育名言で学ぶ手書き文字/id1381200885?mt=11

 

 

書道は、70歳で「期待の新人現れる」の世界だという。まだまだ、はなたれ小僧である。しかし、静かにできる。一人でできる。畳一畳の広さでできる。限りなく広く深い世界がある書道に50年前に出会えて良かったなあと、思う。

 

親に、先生に、感謝だ。

2019/04/28

それは「根雪」を作ることだ。

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「コツコツとがんばります」

と若者は言う。真面目な若者ほど言うような気がする。しかしコツコツ頑張ったところで、実はあまり成果は無い。正確に言うとコツコツする前に、やるべきことがあるのだ。

それは「根雪」を作ることだ。
パラパラと降った雪は積もらない。一気にどかっと降った後にパラパラと降る雪は積もる。根雪を作ることだ。

学生時代は授業の課題や、先生の指示でとにかく文字をたくさん書いた。冗談抜きで、書いている途中で鼻血が出る位集中して書いた。書いても書いてもうまくならず、それでも書いて書いて書いた。

小学校の1年生から書いていただけだから、書けないわけではなかった。しかし、私が書いていた文字は単にお習字の文字でしかなく、書道の文字ではなかった。だから書けないまま、なんとか書こうと思って書き続けていた。

ひらがな、特に「ひ」が最後まで書けなかった。もがいてもがいて書いたものを、恩師の佐野光一先生のところに持っていってご指導を仰いだ。

「池田、こう書けばいいんだよ」
と先生が書かれたその「ひ」は、なんとも見事で、一瞬にして
(あーそうか)
と私の中にストンと落ち、その後書いてみたら何の事は無い、書けてしまったのだ。

多分、それは私が閾値に出会った瞬間なのだと思う。すっと成長したのをよく覚えている。その後書けるようになったのが嬉しくて、またずっと書き続けていた。気がついたら書いていた。

コツコツ続けると言うのは、この先のことである。根雪というのは、閾値に達するための積み重ねである。根雪ないままコツコツ続けるのは、自己満足で終わることになる場合がある。

大人になって趣味でやるなら、コツコツも良いが、若者は根雪を作ることに力を入れて注ぐことが大事だと私は思うのだ。

それは「根雪」を作ることだ。

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「コツコツとがんばります」

と若者は言う。真面目な若者ほど言うような気がする。しかしコツコツ頑張ったところで、実はあまり成果は無い。正確に言うとコツコツする前に、やるべきことがあるのだ。

それは「根雪」を作ることだ。
パラパラと降った雪は積もらない。一気にどかっと降った後にパラパラと降る雪は積もる。根雪を作ることだ。

学生時代は授業の課題や、先生の指示でとにかく文字をたくさん書いた。冗談抜きで、書いている途中で鼻血が出る位集中して書いた。書いても書いてもうまくならず、それでも書いて書いて書いた。

小学校の1年生から書いていただけだから、書けないわけではなかった。しかし、私が書いていた文字は単にお習字の文字でしかなく、書道の文字ではなかった。だから書けないまま、なんとか書こうと思って書き続けていた。

ひらがな、特に「ひ」が最後まで書けなかった。もがいてもがいて書いたものを、恩師の佐野光一先生のところに持っていってご指導を仰いだ。

「池田、こう書けばいいんだよ」
と先生が書かれたその「ひ」は、なんとも見事で、一瞬にして
(あーそうか)
と私の中にストンと落ち、その後書いてみたら何の事は無い、書けてしまったのだ。

多分、それは私が閾値に出会った瞬間なのだと思う。すっと成長したのをよく覚えている。その後書けるようになったのが嬉しくて、またずっと書き続けていた。気がついたら書いていた。

コツコツ続けると言うのは、この先のことである。根雪というのは、閾値に達するための積み重ねである。根雪ないままコツコツ続けるのは、自己満足で終わることになる場合がある。

大人になって趣味でやるなら、コツコツも良いが、若者は根雪を作ることに力を入れて注ぐことが大事だと私は思うのだ。

2019/04/25

教師の言葉は、重い

先日の一回生の授業で、
『教師の言葉は、重い。事実とは関係なしに、その言葉で語られたことが、事実になる』
という話をしていた。

その話をしながら、学生時代の恩師、吹野安先生のことを
思い出していた。


http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/…/2012/05/post-4f8c.html

http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/…/2006/10/post_af63.html

吹野先生の指示で、毎回板書をしていた。漢文概論の授業である。
その日にやる分の漢文を白文で板書するのが私の「仕事」。なんで私が? と思ってきくと、「うるさい。いいからやれ」との言葉。

単純に自分がやりたくないからではないかと思っていた。

ある日
「池田。お前の字には、何かある。字でいけ。字を磨け」
と言われた。
当時私は自分の字がうまいとは思わないけど、下手でもないとは思っていた。そこに、この言葉。

今日授業をしながら、板書をしながら、突然この言葉が蘇った。
授業中、ちょっとまずかった。

あれから30年、その時よりは頑張って書いていると思う。
先生に言われた

「池田。お前の字には、何かある。字でいけ。字を磨け」

という言葉は、私を支える言葉の一つになっている。

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