4/10
教務委員の仕事と授業の準備を日の出から初めて、昼過ぎに終える。家と大学とで進める。
その後、京都市内に向かう。
車で向かおうかとも思ったが、京都東インター付近の渋滞を見て諦める。
これ、休日だとさらに大変な事になると思うが、まだ平日なので電車で行けば大丈夫だと判断。
まだ早いかと思ったが、桜は結構大丈夫。
今回は高瀬川のみ。
午後の桜と食事後の夜桜を堪能する。
世界中からこの桜を見に集まってくる。
京都は、テーマパーク京都なのである。
1200年かけてこのテーマパークに育てているのである。
(桜なんてどこでも同じじゃん)
と思うだろうか。私はそう思っていた。しかし、流石は京都であった。
日帰りでも良いから見ておくべきだ。
というか、宿は今からではとれないだろう。
どうしても宿と言うのであれば、大津のホテルを捜すのが懸命。
そして、今週末には明日の教室がある。
学んだ後に、学ぶ前に京都の桜を堪能する事も出来ます。
4/9
本日授業開始日。
教科教育法(国語)、3回生ゼミ、国語科教育法1と三つ。
教科教育法(国語)は、1限。
気合いが入る(^^)。
◆
やっぱり授業が無いと、学校は面白くない。
授業だ。授業。
で、この中の授業の一つに、私の授業を受ける為だけに、片道3時間掛けて通ってくる学生がいることが分かった。うーむ、気合いが入る。
往復6時間掛けて受ける90分の授業。この6時間掛けて来てよかったと思える授業を作らねばならない。気を引き締める。
◆
授業が終わって、事務処理をあれこれして、帰宅しようと思って研究室を出た。
(あ、春の夜の匂いだ)
なんとも狂おしい匂いだ。
桜は咲き始め、キャンパスの灯りで輝いている。
これはもう撮影するしか無い。
GR4を片手にしてキャンパスを歩き回る。
◆
一枚に絞れずにFlickrにアップ。狂おしい大学の夜桜。
GR4の威力にも改めて驚く。
http://www.flickr.com/photos/ikedaosamu/sets/72157629775602181/
◆
京都の狂った季節が始まった。
2/22
(合宿場所の学生会館から見た夕景)
四回生達との最後のゼミ合宿が終わった。
今回は、まあ、そんなに気合いを入れたものではなく、学生会館で泊まれるものは泊まり、帰るものは帰る。私も今回は体調が優れないのやらなんやらで泊まらずに帰った。だから、宴会にも関わらずお酒も飲まない。私にしてはとても珍しい。
◆
何をしたかと言えば、百人一首。源平合戦である。
教科教育法(国語)の授業で本当は扱いたいところである。しかし、15回の授業では本当に厳しい。だから、行事かなにかでやるのがいいのだが、そのゆとりもなかった。
せめてということで、ゼミ生だけで申し訳ないが源平の百人一首をしてやりたかったのだ。
◆
たとえば、逢坂山、逢坂の関。
これは大学から5キロぐらいのところにある。百人一首には三首も出てくる名所、歌枕である。しかし、実際に行ったことのある学生はほとんどいない。さらに、通っていてもそこだと理解している学生も。
確かに、地元というのはそういうものであろう。
しかし、「蝉丸」があれだけ有名なら、逢坂の関の蝉丸神社に四年間の間に一回ぐらいは足を運ぶべきだろう。大江山まで行けとは言わないから。
◆
で、源平合戦をしながらあれこれ講じる。例えば、菅家。言わずと知れた学問の神様、菅原道真である。「このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」が収録されている。
私はこの歌を詠む前には、『この次の札を取れると、勉強ができるようになるぞ』と前書きならぬ前読みなどをしてガイドしていた。
この短歌は、奈良公園に石碑が建っている。私が修学旅行で生徒を引率した時、奈良公園内を探索した生徒が納得しないような顔をして私に言って来たことがあった。
「先生、【このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに】の歌のようなのがありました」
『ようなのは?というのは?』
「神のまにまに、ではなくて、まにく、って書いてあるんです」
『まにく? ああ、まにくね(^^)』
ご案内の通りである。畳語の繰り返し記号で二音を繰り返す記号が、く、に見えたのである。
◆
このエピソードを話して、ピンと来て笑える大学生を育てなければいけない。このエピソードで笑えるには、百人一首、菅家、奈良公園、神のまにまに、畳語などの知識がないと笑えない。
ぽかーんとしている彼らを見て、私の指導力の足りなさを感じる。
とともに、ほんの少しではあったが、源平合戦をやらせることができて、良かったと思うのだ。
彼ら彼女らは、1000年も続いて来た文化を継承する。
遊ぶ側から、遊ばせる側に回る。
その遊ばせ方のシステムを理解していないまま教員になる。
1000年の歴史はここで途絶える。
そんなことは、許されない。
なんとかせねば、である。
◆
家に帰って来たら、寝待ちの月が昇っていた。
春を感じる夜の月であった。
4/9
風邪である。
三月の疲れが、ここにきて出ているのかもしれない。
頭とからだが怠い。
熱もあるなあ。
春の花霞が頭の中に漂っているような感じである。
それはそれでめでたいかもしれないが。
◆
昼から大学へ。本日から授業開始。私は授業はないが、仕事はタップリある。
いくつかの仕事を終わらせて東京からのお客人と会う。二時間ほどあれこれ話して、新しい企画を二つお願いされる。
うーん。
新しい。
いままで関わったことのない本である。出来るかなあと思ったが、依頼されたことでもあるし、まだしばらくは依頼された仕事は引き受ける所存なので引き受けることにした。
◆
まあ私のところにくる企画というのは、根っこの部分で全部繋がっているような気もしている。出版社や放送局が変わってもそれは同じ。まるで打ち合わせをしているかのように。
ま、私自身、私が何者か分かっているわけでもない。分かったら、絶望のあまり世を儚んでしまうかもしれない。
だから、まあこんなものかなと思う程度で、周りから求められるあれこれをやっているのが幸せなのかもしれないが。
◆
夜は、客人と一緒に、平安神宮に。ライトアップされた満開の紅枝垂桜。これを背景に、宗次郎のコンサート。
妖艶。
嫋やか。
クレイジー。
どれも当てはまるようで、違うような。
◆
折角なので円山公園まで足を伸ばす。
さすが花見の名所である。
◆
体調が今ひとつだったので、帰りはタクシーを利用。
しかし、なんという環境か。
祇園から家までタクシーで3000円も掛からないのだから。
東京で、赤坂からタクシーで3000円と言ったらどこに住むことになるのだろうか?
小市民はそんなことを思いながら、爆睡するのであった。
3/31
仲間のブログやtwitterを読んでいると、異動や昇進や転居など、年度末の忙しさ一杯である。明日から、新年度。私たち年度で動くものは、やっぱり今日が大晦日の感じがする。
ではあるものの、今年度の私は年度末、年度始めの初日ぐらいは比較的穏やかに進むことになりそうで、ホッとしている。
◆
大学の友人にOという男がいる。長野県で高校の教員をしている。十数年前、秋の真っ盛りに電話をしていた。
『どう? そっちの様子は』
「いやあ、忙しくて大変なんだよ」
『そうか。やっぱり長野もいろいろと忙しいんだなあ』
「そうなんだよ。キノコ狩りに行かなければならないし、紅葉は見事だし、家庭菜園は収穫しなければならないし」
『おいおい、教育じゃないのかい』
ということがあった。
まったくもってふざけていると思っていた。
◆
しかし、今はよーっく分かる。
京都にやってきて、春と秋は大変なことになっているのである。
桜と紅葉を見ないことにはもうどうしょうもない。
京都は東京に比べれば移動する距離は狭いが、まあ、一ヶ月ぐらいあちらこちらで見事な桜が咲いている。さらに、滋賀の桜に奈良の桜がある。ネットで開花の状態を確認し、時間を縫って見に行くのだ。これがまあ大変なのである。
よっく分かる。まさに、
世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
である。
◆
今日は、娘を連れて岡崎公園の琵琶湖疎水の桜を見に行った。疎水に十石舟を浮かべて、水上から桜を楽しむ。また、インクラインを歩いて、往時を偲びながら楽しむ。
桜は、全体としては五分咲き。
だが、ところどころに満開の桜があり、目を和ませてくれた。
◆
さ、明日から新年度だ。
2/21
明日は、平成22年2月22日である。
だからなんだということもないが、そうである。
◆
おとといは、思い立って京都市内を歩いた。運動不足を解消するために、歩いた。三条から宝ケ池までである。
いやあ、疲れた。こんなに歩いていないかと思うほどであった。距離にして6キロちょっとだが、足の甲の親指の付け根が痛くなった。もう少し歩かなければなあと思う。
私の父方の祖父は、60歳を過ぎてから1日に30キロ近くを、便利屋の仕事をしながら歩いていたとのことである。昔のことなので、駅まで荷物を持って行かなければ荷物は送られない。集落の荷物を集めて、駅までリヤカーに乗せて歩いて届ける仕事をしていたとのことである。
いきなりは無理だが、そういう体を目指さなければと思う。祖父は90歳まで長生きした。
◆
エネルギーを放出して、これでまあ少しダイエットになったはずなのだが、補充したくなるのが常。
で、帰りは公共交通機関を使ってしないに戻る。で、気になっていた店に行く。お魚が美味しかったなあ。
飲んでいると、突然店の人全員に小さなワイングラスが配られる。何だろうと思っていたら、女将が
「すみません、少し時間を下さい」
と言って、恐らく常連さんであろう
「この人、元気ないんです。明日から入院なんです」
と言って、
「元気づけてやって下さい」
と。みんなで乾杯をして元気づけたのであった。
いいねえ。昭和の良いところが残っている店だなあ。
美味しいお魚は奇麗に食べ尽くした。
すると
「いやあ、ここまで奇麗に食べて下さる方は、久しぶりやわ。嬉しいなあ」
と言われた。
『美味しいものだし、命だし、食べ尽くしました(^^)』
と答えたら、
「嬉しいわあ」
とのこと。また行きたくなってしまいました。
◆
写真は、宝ケ池の夕暮れ。
なかなか奇麗でした。