ことわざや慣用句は、自分で言っていい言葉と自分では言ってはいけない言葉がある。例えば、「馬子にも衣装です」「枯れ木も山の賑い」などは、自分が言う分には謙遜になっていいのだが、相手に言うと失礼になる。まあ、これは少し勉強するとわかる。だが、もう一つある。
自分から言ってはダメで、相手に言われる言葉というのもある。「困っているときはお互い様ね」と自分から言って相手に援助を求める。また、「私は頑張りました」と自分からアピールする。これらはどちらもダメだ。
「困っているときはお互い様だから」というのは、助ける側が相手のことを思って負担をかけないように言う言葉。「頑張りました」は自分で言うのでなく「頑張っている事実を残すこと」をすべきなのだ。そうすると「君は頑張ったね」と周りに言われるのだ。
だから、「困っているときはお互い様だから」と言いながら、要求されても理解に苦しむし、面接で「私は頑張りました」と力強く言われても、面接官には何も伝わらないのだ。言葉は覚えただけではダメで、適切に使えるようにしなければならない。
勉強を続けないとね。
昨日は、実に歴史的な日であった。
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『「絵に描いた餅」「二階から目薬」「猫に小判」こういうの、写真で撮ったら面白いんじゃない?』
と大学の授業で何回か言っていた。関西の行動基準は「おもろいか、おもろくないか」であるというのを聞いたことがある。
そうだとしたら、この「ことわざを写真で表す」というのは、かなりおもろいのではないかと思うのだ。
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ことわざの学習は、学習指導要領では、小学校の3、4年生行うことになっている。ことわざを知り、意味を知るにはこの頃に行うのは、適切だと私も思う。
しかし、ことわざはここで習っておしまいにするほどのものではない。奥が深い。中学や高校でも扱うべきだと思う。小学校ではことわざの意味の理解はあるだろう。しかし、いかにも人生経験が少ない。その後経験を重ねて、理解から納得へと行くあたりで、またことわざを学ぶといいと思っている。
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去年の二回生ゼミでは、京加留多48枚の全てについて、取り札作成をおこなった。全て写真にしてそれをパワーポイントのひな形に流し込んで、作った。その様子を日本デジタル教科書学会で発表し、2015年度の本学の紀要論文にまとめた。「連続型テキストの読解を、非連続型テキストの表現から導く指導に関する一考察 〜京歌留多の取り札作成を通して〜」
取り札を作るためには、ことわざの意味を十分に理解しなければできない。一枚の写真に切り出すには、そのことわざの理解と解釈が必要だ。写真作りを通して、ことわざの理解を促すという実践であった。
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本年度は、去年のものをベースにして、写真で取り札作りをし、また、5秒程度の動画も作った。この様子は今年の日本デジタル教科書学会で発表する予定だ。「連続型テキストの読解から、非連続型テキストの表現に導く指導に関する一考察 その2 ~電子ブック「京歌留多 ことわざ動画辞典」作成を通して~」ということで、電子ブックでことわざ動画辞典を作ることを視野にいれての実践を発表する予定だ。
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で、この流れと並走する形で、もう一つ「ことわざ」実証関連をやっていた。繰り返し言うが、ことわざは、誰が言ったかわからないけど、いい箴言として残っているのが「ことわざ」。事件や出来事あってそれに基づいて作られた言葉が「故事成語」。だから、「急がば回れ」は、ことわざではなく、故事成語である。
で、「急がば回れ」実証プロジェクトである。すでに、三回生ゼミのメンバーと、今年の7月18日に、陸路編を終えている。この時は、旧東海道の琵琶湖に向かう分岐点の瓢泉堂から歩き始めて、石場の常夜灯まで13キロ4時間であった。
その時の感想は、一言で言えば、
『何があっても、船がいいだろう。船が出なければ、船を待ちます』
というのが偽らざる想いであった。
そして、昨日、「急がば回れ」水路編なのであった。
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これを思いついた時、すぐに相談したのが本学の谷口先生だ。観光学の先生。優しくて頼りになる先生。そして、いつも新入生キャンプでお世話に成っているウォータースポーツ施設の「オーパル」。担当の中岡さんである。両者から快諾を得た段階で、もうすでに半分はうまくいったようなものであった。
ただ、気象条件、手続き、琵琶湖のかつての船の様子など分からないこともたくさんあったのでその確認などもして歩いた。琵琶湖博物館、大津歴史博物館、丸子船資料館などに訪れ、その疑問を確認して歩いてきた。
そして、下見をしたところ、スタート地点では「滋賀マリン」の岸さんに出会えて、駐車場のサポートや、急がば回れの歴史的な資料も拝見することができた。
そして、迎えたのが昨日であったのだ。
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4キロと少しの航路である。ゆっくり行っても2時間でと言われていたのだが、実際のところスイスイと移動できてしまって、90分程度で到着してしまった。
(え、もう到着?)
という感じで、往復できるじゃんと思えるぐらいであった。
これには理由がある。
とにかく、琵琶湖の状態がこの上なく良かった。心地よい風が吹いており、湖上は涼やかであった。それでいて、波はなく、思うようにパドルを扱うことができ、なんともいい感じであった。流されているなあと感じたのは、近江大橋のあたり。そう、そこからは瀬田川に向かって水が動いている。そこだけ少しだけ流されそうになった。あとは、何もなし。
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当時の丸子船は、昭和の半ばまで使われており、今では丸子船記念館に一艘だけ現存している。その船の構造を見たとき、逆風では前に進まないだろうことが推察された。また、オールを常備していることから、漕ぐことは大前提になったかと思われる。
歌川広重の絵を見ると、何層もの丸子船が描かれている。
絵の様子からは、いかにも快適な船旅のような気持ちがしてくる。
私たちは今回パドルで漕いで渡って行ったが、当時の旅人は船に乗っているだけ。漕がなくていい。これはさらに快適であったろうと思われる。
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たどり着いて、思ったことは
(このことわざは、季節も特定できるんじゃないかなあ)
ということ。急がば回れは、「風待ちで船が出るのを待っているよりも、急ぐなら瀬田の唐橋を回ったほうがいい」というところからきているのだが、私は、「風が吹いていないので風を待っているのだが、それなら風が吹くのを待つよりも、歩いたほうがいい」と解釈していたが、これは違うなと思ったのだ。
「風が強くて船を出せないから、風が収まるのを待っている。その収まりには時間がかかるから、遠回りでも歩いたほうがいい」というのが、急がば回れなのだろうと。で、その突風は比叡おろしと言われ、冬に吹く。または、春の嵐として吹く。
だから、この急がば回れという言葉が主に使われるのは、冬から春にかけてであろうと思われるのだ。夏と秋のシーズンなら、間違いなく船の方がいい。のんびりゆったり、琵琶湖の向こう側に雄大に聳え立つ比叡山を眺めながら、ゴールの京都への想いを馳せる方がいい。
このことを実感を持って説明できるようになった。
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ゴール後は、琵琶湖ホテルでシャワーを浴びて、ランチとなった。
琵琶湖ホテルに交渉してシャワーを有料で借りることができたのだ。そして、イタリアンレストランでランチであった。
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この結果を踏まえて考えている。
この先、どう展開するかだ。
始めた時は、殆どおもろいで始めているのだが、やりながら、これがなんの価値を持っていて、どう展開されたがっているのか、この出来事が、物事が、物語始めるのだ。
こうしてほしい、ああしてほしいとリクエストをし始めるのだ。こらがまた面白い。私は
『あー、そうですか。そうしたいのね』
などと聞き取りをしながら、整理していく。文字にすると変だが、実にそんな気持ちなのだ。
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「お父さんのお仕事、なんか遊んでばっかり」
と娘(8)は言う。
うーん、否定しきれないが、でも、これはお仕事なのよ。
日本中の子供達が、大人が
「いやあ、言葉って面白いなあ、すごいなあ」
と感じてくれるような、わくわくする学習をデザインするためのお仕事をしているよ(^^)。
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関わってくださった皆様、いろいろとありがとうございました。
次の一歩への一歩を確実に踏み出せました。
次も、よろしくお願いします。
いい言葉に出会うと書き写したくなる。そうやって中学生の時からずっとノートに書き写してきた。好きな歌の歌詞を書き、ギターコードを書き歌っていた。その時は、単に好きでやっていただけのこと。母親には
「修、そんなことやって何の意味があるのかねえ」
と言われた。私は別に何かのためにやっていたわけではない。歌が好きだから。また、文字を書き写すのが楽しいからということ以外に理由は見つからなかった。
いい言葉を書き写し体に貯めていくとそれがいつの間には発酵を始め、自分の言葉となっていく。自分が心からそう思うという言葉が生まれてくるようになる。いい言葉は、思考を促し、行動を促す。最強のプレゼンテーションだ。ただし、時間がかかる。
入っていないものは、出てこない。当たり前のことだ。いい言葉をたくさん、体に入れておく。だから、中学校の教師をしている時は、授業の最初に黒板に「今日の詩短歌俳句、名言」としていい言葉を書いて「アンソロジーノート」というノートに書き写させていた。3年間担当すると200作品ぐらい書き写させていたことになる。そして、それを年間5作品程度は暗記させていた。
私は40年もこんなことをしている。体は勝手にそのいい言葉を発酵させてくれて、自分の人生を豊かにしてくれることがこの頃とても実感できる。中学生だった彼ら彼女らも今頃、発酵に気がついてくれているんじゃないかなあと思う。
「母さん、実はね、これにはね」
と今なら効果を説明できると思うが、ま、それよりも
「単にいい言葉を書き写したいんだよ」
というのが本音かな。
日々、いい言葉に出会える嬉しさのあることよ。
中学生の頃。ラジカセが我が家にやって来た頃。いわゆるエアチェックをしていた。学校で友人とテープを交換すると、恐ろしいことに、録音してある音楽とその順番が同じであることはけっこうあった。
聞いている番組が同じだから音源も順番も同じ。いまのようにあちこちに音源があるわけではない。だからそうなっていた。
「電リク75」なんて番組があって熱中して、聞いていたなあ。新しい曲が出ると、いち早く覚え、いち早くギターコードを探し、弾けるようになろうとしていた。
◆
が、いまではほとんどそういうのは無くなったなあと思う。勿論、教育、研究関係の動向は一応気にするけど、それよりも自分の興味を追いかける方が圧倒的に面白い。
追いかけるな。
でも、追いかけるのであれば、自分の興味や引っかかりに就いてであろう。
自分はなんでこんなものに興味があるのか。それが分かるのもの面白いし、その追いかけていたものの正体が分かるのも面白い。
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その自分の興味に従って動いている時に、出会う仲間はとても楽しい。強制もなれ合いも押しつけもない。楽しみだけがある。これが人生の楽しみだなあと思える。
12/4
きーへんとかこーへんとかけーへんとか言っているのを聞くのですが、私にはこの違いが良くわかりません。そこで、一回生ゼミの関西弁ネイティブたちに聞いてみました。
本人達も良くわかっていないようでしたが、以下の言葉が集まりました。彼ら彼女らが言うには、これらは全て「来ない」であり、「don't come」であるとのことでした。
きーへん、きやらへん、きやん、きやらん、きはらへん、きゃーれん
こーへん、こやん、こん、こんなー
けーへん
なお、きはらへんは、京都弁。きゃーれんは、滋賀弁ではないかとのことでした。
さらに、きやらへんは敬意を含んでいるとのことでありました。
分かったことは、「き」で始まる言葉は多いが、「け」で始まるのが一語しかないこと。学生達は意識的には使い分けていないことでした。
まだ、あるかもしれないので他の学生達にも聞いてみたいと思います。
ああ、面白い。
11/16
出張で三重県に出掛けていた。
普段さほど関わりのある所でもないので気にしていなかったのだが、三重という文字を見ていて、
(さて、何が三つ重なっているのだろう?)
(いや、三つ重たいものがあるのか?)
と興味を持った。
ちょっと調べてみると、元々三重県の県庁所在地は四日市にあって、そこに三重郡というところがあったそうな。そこから県庁所在地は津に移るのだが、その名残があってか三重という名前を県の名前にしたようだ。
で、何が三つ重なる? 何が三つ重たい?
と思って調べていたら、これは水(み)辺(へ)だという。鈴鹿川の辺りという説があるのだそうだ。ということは、重なってもいないし、重くもないということなんだな。へー。
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私たちが生まれる前から社会は当たり前のような顔をして存在していて、私たちがこの世からおさらばしても存在する。だから、当たり前すぎて気にもしないことは沢山ある。この三重県という地名だって200年前にはなかったわけで、今後どうなるかもわからない。
さらに、今ある三重県という名前の由来だって、取りあえずでも知っている人は、さて、どの位いるのだろうか。私は関東の「ことばめがね」を持っているので、関西のあれこれが面白い。面倒くさいというよりは、面白い。
知るって楽しいねえ。
写真は、紀伊半島から望む太平洋の「かぎろひ」。
写真左側に、関空が微かに見えます。
4/19
桜吹雪。
美しい日本語をあげよと言われれば、この言葉を挙げるだろう。桜と吹雪は季節の違う言葉である。この二つの言葉が複合語となって一つの言葉になっている。本来出合うことのない言葉が出合っている。別の言い方をすれば、単語そのものが俳句で言う所の「二物衝突」をしているのだ。つまり、単語そのものが俳句ということがいえるかもしれない。
◆
この強い風を伴った雨で、京都のソメイヨシノはどんどん散ってしまった。
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
井伏鱒二は「勧酒」の一節を訳したが、桜の散り際、桜吹雪の中に立っているとあれこれ思うのである。
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嘗て、東京にいた時に伊豆半島に出かけたときのことである。
干物のお土産を物色していたときに、見かけない干物を見つけたビーフジャーキーの大きな感じの干物である。
ビーフジャーキーが海産物のお土産コーナーにあるというのは変である。なんであろうかと尋ねてみた。すると、それはイルカの肉の干物だと言うのだ。勿論味見をする。美味しい。
「そうなんだよねえ。可愛いんだけど、美味しいんだよね」
と店の人は言うのである。
◆
今年の桜は、美しく見える。
それは、開花の直前にぐっと寒かったからと言われている。そうかもしれない。この、寒さとの対比が美しさを生み出しているのかもしれない。
だが、やはり震災であろう。
震災の悲しみが、この桜そのものの切なさを揺さぶっている。そして、桜の美しさを「支えて」いるように思えてならない。
◆
一つの事象の中に、二つの相反する価値が含まれている時、そしてその表側の面の中にちらりと裏側の面が見える時、その事象はもう一つの顔を見せる。
5/20
鬼の霍乱である。
久し振りに、体のあちこちが悲鳴をあげている。風邪だけではない。歯が浮いている。歯が浮くというのは、歯が丈夫な人にはわからない感覚であろうが、いまこの感覚である。さらに、何かの花粉による症状や、あれやこれやである。あと一日で、何とかせねばなあと思うばかりである。
鬼の霍乱。
大辞林 第三版から引用開始 ーーーーーーーーーー
鬼の霍乱かくらん
〔「霍乱」は暑気あたりの意〕
いつも非常に健康な人が,珍しく病気にかかることのたとえ。
引用終了 ーーーーーーーーーー
とある。他の辞書では、日射病からの下痢ともある。まあ、鬼の腹下しなのかもしれないなあなんて事を思うのである。
◆
大学のエレベータの中で、学生に声を掛けられる。
「先生、風邪ですか?」
『うむ。鬼の霍乱である』
「そうなんですか」
『そうなんですかではない。だいたいからして、君は、鬼の霍乱という言い方を理解しているのかね?』
という事で説明を始めてしまう。
(こんな体調が良くない時に何をやっているんだ)
と自分でも思うのだが、指導はその場でという事が染み付いているのだから仕方がない。
鬼の霍乱の意味と、この言葉の使い方も講じた。枯れ木も山の賑わいは、相手に言ったところで、褒め言葉にはならずむしろ貶し言葉になる。鬼の霍乱も同じようなもので、自分で言う分にはいいのだが、相手に言うと貶し言葉になると言うことを理解しなければならない。
なんてことを指導する。ああ、こんな体調の時ぐらいやめればいいのにと、改めて思う。
◆
午後は授業も会議も無かったので、それ以外のものは全部後回しにして帰宅。まずは、体を横にする。
その後、喉など痛みが激しいため、重い腰を浮かべて病院に向かう。薬をどっちゃりと出されて、めげる。
家族にうつさないように、一人自主的に自分を隔離して寝る。
ああ、早く治らないかなあ。
絆創膏が好きな娘である。ちょっとでもぶつけたり、引っ掻いたりすると絆創膏を求めてくる。それも、ちっちゃいのが好きで、ちっちゃいのを貼れと言う。
いろいろなサイズの入っている缶の中を捜してちっちゃいのを貼る。それが無くなると大きいのを半分に切って貼る。満足な娘。
◆
一晩経って、手を見ると絆創膏がはがれ始めている。
「はがれてきたの」
と手を見せる。
『ああ、それはもう傷が治ってきたよ、って絆創膏さんが教えてきてくれているんだよ』
と説明する。
娘は、一生懸命に貼り直そうとしている。
『ほら、もう大丈夫だよ。治ったよって教えてくれているから、くっつかないでしょ』
そのうち、娘は
「取って!」
と小さな手を出して、剥がすことを求める。剥がしてみると、ほとんど大丈夫な傷である。
◆
つくづくアニミズムの国に住む私だなあと思う。絆創膏にまで人格を認め、そして、絆創膏が傷の治療を司る神に見立てて、娘に語っている。
キリスト教の世界では、こう言うときなんて言うのかなあと思う。
やはり
「傷が治ってきたから、神様がもう剥がしなさいって指示を出しているのよ」
ってな感じになるのだろうか。